長い道の合流地点
フェリア教会には、2代にわたって『展望の聖女』がいた。
物事の行く末を見通し、助言を与える、未来を見つめた聖女。
若くして亡くなった1代目のかわりに、2代目の聖女は、20年程の長い歳月、穏やかに人々の営みを援け続けた。
そんな聖女が議会に反旗を翻して、貴族にも奴隷にも大勢の犠牲者を出した理由は、誰にもわからなかった。
混乱の中で自らも命を落として、その真意は闇に消えてしまった。
記録には、身分制度を撤廃するよう議会に求めたとある。
――――でも、展望の聖女が、反逆行為の結果を見通せなかった筈がない。
民衆の見ている所で大勢の奴隷が無残に死んだ事で、奴隷への風当たりがやわらかくなったこと自体が狙いだったのか。
古い慣習に従う議員の老獪を取り除き、若い頭脳に入れ替わった事も、目的のうちだったのか。
聖女の後任に、志を同じくする、イリス=ローグを残した。
おそらく展望の聖女は、こういう形で奴隷制度が撤廃されるのを、見通していたんだろう。
「では、私の助力はここまでだ。資料はできておるから、どう料理するかはおぬし次第だ。リッド」
ポンと封書を押し付けてから帰国の馬車に乗りこんだ隣国の女王補佐官の背中は、相変わらず騎士のように颯爽としている。
「奴隷制改正のご助力、感謝します。セキ補佐官。女王にも宜しくお伝え下さい。次は俺の方から正式訪問させて頂きたいですね」
「うむ。追々は観光の路を拓いて、我国にも利を落として貰いたいものだな。まぁ、何にせよ早く安定する事を願っておるよ。――出立!」
国賓の帰国を、国防院の兵士がずらりと並んで見送る。
本来は警護官の仕事だが、まだ組織内部が混乱していて、その建て直しに注力して貰っている。
なだらかな都市の斜面に馬車の姿が消えるのを見送ってから、渡された薄い封書をひらいてみる。
手伝って貰った仕事の書類は執務室から事務作業所に移動してあるから、何か別件だろう。
アキディスの報酬についてかな、と開いてみて、すぐに折り畳んで仕舞い込んだ。
――信のおける護衛を傍に付けぬと、長生き出来ぬぞ――
わかっている。
この議会制国家の中で、前職の父の後ろ楯があるとはいえ、自分はかなり若輩の総議長だ。
長い溜息をついて、国防院の撤収を指揮してから、控えていた側近に声をかけた。
「教会の復興は、どこまで進んだ?」
「修繕は終わりまして、あとは血の跡を清めるだけです。魔女探し達が自発的に殆どやってくれたようで、今も活発に出入りしています。しかし、今回は後任の聖女が指名されていませんでしたから、新しい代表者の選出には、時間が……」
「――聖女は、決まっている」
「は? ……それは……?」
「修繕が終わったのなら、早めに教会へ遣ろう。民衆の動揺は、それで大分落ち着くだろう」
人事院が奴隷の集団をほとんど一方的に攻撃し、犠牲者も出たことで、世論は圧倒的に奴隷に味方した。
勿論それは、偶然でも幸運でもない。
話を拡散してくれた旅楽師のハーディスには、あとで何か好物でもご馳走してあげなければ。
おかげで、先日の議会で、無事に奴隷制改正の法案を可決することが出来た。
よく晴れた空を鳥の群れがわたっていく。
法の改正は、総議長に就いた時から案のひとつとして囁かれていたものだった。
その利点と人道的観点から、少しずつ現実に向けて推し進めてきたものだったけれど、古くから根付いていたこの身分制度が、こんなに早く改正出来るとは思っていなかった。
アキディスを使って議員への根回しはしていたけれど、奴隷解放活動の働きの他にも、何か別の流れに、大きく援けられていた気がする。
それは、恐らく――
「総議長、今日この後は、お休みになっては? 目の下にクマができていますよ」
緑色の制服が、そっと、傍に立っていた。
いつもの強面の男ではない。
「今回の法の改正は、俺の働きだけじゃ出来なかった。聖女イリスの影響だけでもない。……執務室に、いい珈琲を置いてるんだ。どうやって地下牢から脱走してきたのかも含めて、ゆっくり話を聞かせてくれないか」
綺麗に短く切り揃えられた茶髪が、不敵に笑う端正な顔立ちにさらりと触れる。
「では、私は甘い焼き菓子をお持ちしましょう」
「東地区に行くんじゃなかったの? 商人さん」
公園の緑の中に、さく、と影が差した。黒髪の魔女探しが、まどろみを破る。
「……シヅキ。教会にアドリス補佐官が手配したのは、貴女でしたか」
アキディスは目を擦って、膝を枕にして眠っているハーゼの頭をそっと芝生におろした。
流石に足が痺れてきていた。
それでもバーゼは、スヤスヤとよく眠っている。
「南地区に動きがあるかもって話ですから、今回はエラークに足を延ばそうと思っています。貴女の故郷ですよね」
「領主は若いわ。リッドと同じ位よ。主力産業である農業の効率化をどんどん進めてる。働き手である奴隷を解放して平民として扱うのにも、経済的な大混乱は起こらないと思うわ」
「それは凄いですね。問題は、この中央都市との、奴隷への意識の差でしょうかね」
「うん、そうね。……むこうの教会に、奴隷に慕われてる女性がいた筈だから、まずは彼女を訪ねてみたらいいんじゃないかしら。ごめん、名前は知らないわ」
「いい情報ありがとうございます。貴女はしばらくここにいるんですか?」
「ええ。新しくなる教会に、魔女探しの協会としての基礎を作っておきたいからね。新しい聖女様、決まったんでしょ? どんな人?」
話をしているうちに、むにゃ、とハーゼが目を擦っていた。
「……んん……おなかすいたぁ……」
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