決意を支えるのは
窓を叩く雨音に、ふと目が醒めた。
濃赤の長椅子にもたれかかったまま眠ってしまった自分を見つけて、慌てて顔をあげる。
左右を埋め尽くしていた書類はきれいに片付き、処理済みの束をセキが全身を使って紐止めしているところだった。
「す、すみませんっ! 寝ちゃって……あの、これ全部、終わったんですか?」
「眠れたのは良かった。少しはスッキリしたか? こっちの仕事は片付いたから、問題はない」
ギリ、ときつく紐止めした書類を叩いて、当然のような顔をしている姿は、格好良い。
どのぐらい眠ってしまったのか、頭はスッキリしたけれど、身体の節々が軋んでいる。
「じきに朝だが、少し横になると良い。その状態をリッドが見たら、私が小言を言われるな」
小さく欠伸をして肩を回すと、彼女はひとつに結わえていた長い黒髪を解いて、仮眠室をあけた。
「――私、もう少し起きてます。少し、考えたい事があるので……」
「考え過ぎる前に、行動してみることだ。何かあれば、声をかけるがよい」
セキの言葉は、ひとつひとつ、胸に響いてくる。
静かに扉を閉めたのを見送って、深く息をついた。
――私なんか、まだまだ、足りない所が沢山あるんだ。
シェリース王国の女王様の隣にいるセキという人が、特別凄いっていうのは、わかってる。
けれど人である事は同じなんだから、努力すれば、少しずつでもその凄さに近付ける筈だ。
セキが仕上げた書類の山を覗き込んで、目を擦った。
とても女性が一人で数時間のうちにこなせるものじゃない。
……ちょっと、凄すぎるのかも。
窓の外を覗こうとして、部屋が明るすぎるのに気付く。
窓に映り込む燭台の火を、そっと消した。
星明りの無い雨の夜は、ほとんど真っ暗な世界だ。
人が灯す明かりだけが、視界の頼りになる。
どこか遠くに、チラチラと小さな灯りが揺れている。
こんな夜でも、外で活動している人がいる。
総議長様は国防院に行った筈だし、アキディスだろうか。
それとも、イリス様――。
トン、と窓の外側に小さな塊がぶつかってきた。
ばたばたと窓を叩いて、それが小鳥だというのに気付く。
「――ユリウスさんっ?」
窓を開けると、雨に濡れた白い小鳥が飛び込んできて水を払うように羽根をばたつかせた。
そっと小鳥に手を差し伸べれば、小さな体重が掌にちょこんと乗ってきた。
冷え切った毛並を撫でて、手の中で温める。
「……やっぱり、イリス様の役に立ちたい。6年前みたいに魔物が出た時の為に、私、教会に引き留められたんですよね。だったら、使って下さい。こんな安全な所にいるだけなんて、ずるいじゃないですか……」
小さく声を落とすと、どこか、身体の内側がひろい空洞になったような感覚にとらわれた。
色彩も、音も、形もない。ただ漠然と広い、空間。
身体の縁取りを突き抜けて、足元にも背後にも、空っぽが拡がる。
……この空洞に魔力を入れたら、どうなるんだろう――。
手の中の小鳥が、小さな鳴き声をあげる。
それで、ふと捉われた感覚はスッと引いていった。
『人の背中について歩いていると、迷子になりますよ』
甘い低音が頭の中に響いて、びっくりした。
手の中に納まっている小鳥が、じっと私を見ている。
「ゆ……ユリウスさん……?」
鳥を操るとは教えられていたけれど、会話できるなんて聞いてない。
『君は、君がやりたいことをすれば良いんです。イリスに捉われることなんて、ありません。今、人事院が武器を持った奴隷集団の制圧に出ます。危ないですから、外に出ちゃ駄目ですよ』
「えっ……それって……」
バタン、といきなり扉を開けた音に、心臓が飛び出すかと思うぐらいびっくりした。
「アドリス正使! ――って、ミラノさん、起きてたんですか。正使は?」
私が返事をする前に、本人が仮眠室から嫌そうな顔を出していた。
「なんだ、もう戻ったのか。もう私に出来る事は無いぞ」
「教会へ慰安訪問に出て欲しい。どうも警護官の動きがキナ臭い。貴女の警護で、牽制したい」
「おぬしが行けば良いではないか。刺客も大々的な行事には手が出せまい」
「それに捉われていると、国防院を動かせない。この時間じゃ、公務員を動かすのは厳しいんですよ」
総議長様の言葉に、緊張する。
「あ……あの、人事院が今、武器を持った奴隷の人達を制圧するって……」
小鳥が手の中から逃げて、総議長様の肩にとまる。
「教会の、連絡鳥ですか? この暗い中飛んでくるなんて、優秀ですね。しかし、今、とは……」
「皆が危ないって事ですよね。お願いします、人事院を止めて下さい!」
口に出すと、余計不安になってくる。
危ないから外に出るなっていう事は、ユリウスじゃ人事院の行動を止められないっていう事だ。
「尽くせる手は尽くしてあります。……どうするか――」
小さく呟いてから考え込むふうに黙ってしまった総議長様の背後で、トン、と扉が叩かれた。
「総議長様。商人から地図を預かりました」
総議長様が扉の隙間から紙を差し出した緑の制服の手首を捕まえ、その手の紙を一瞥する。
そのまま緑の警護官の耳元に何かを小さく耳打ちする。
警護官の真面目な顔が、悪い笑顔になった。
「すぐに集まりますよ。今日の祭りで、集まっていますから」
「どのぐらいで国防院に来れる」
「小一時間もあれば」
よし、と総議長様が警護官の背中を叩く。
速やかにどこかへ行った警護官をみて、総議長様はようやく少し笑顔をみせた。
「寡ないですが、俺の私兵を動かせます。夜勤の国防院と併せればあの場所には充分だ」
「私兵を使うのか。あとで、どう叩かれても、知らぬぞ」
厳しい顔をしたまま欠伸を噛み殺して、セキは書類の山の奥から外套を引っ張り出した。
それを、私の肩に掛ける。
「……やることが、あるのであろう? まずは動くが良い。実際の中にしか、活きた答えはない」
「――はい!」
この女性に背中を押されると、勇気が湧いてくる。
「私、この時の為に、イリス様のもとにいたんです。行かせて下さい!」
少し首を傾けていた総議長様が、目を瞬いた。
「戦場になるかも知れません。まさか、そんな所に……」
「戦場に出る魔物を消すのが、私の役割です。一人でも多くの人を、助けられるなら――怖くなんか、ないです」
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