解放軍団の結集
祭りの夜に教会が焼けて『降魔の聖女』が死亡したという速報は、街の人々に、大きな衝撃を与えた。
中央教会は人々の拠り所として、よく親しまれている。
聖女を悼みながら静かに酒を飲み交わし、明け方を待たずに露店も早々と店を閉めはじめた。
降魔の聖女のしてきたことが、支持されている証だ。
アキディスは馴染みの店に顔を出しながら、それを改めて確認すると、小さく笑った。
イリスが聖女のまま下手に反旗を翻していれば、積み上げてきていた聖女への信頼が揺らいでいたかも知れない。
だが、死者は、それ以上人々の信用を裏切る事は無い。
あとは、彼女がどこに潜伏しているのかを確認して、下手な行動を抑えられれば――。
ぽつ、と冷たいものが頬に落ちてきて、湿った風に気付く。
いつの間にか星明りが消えて、漆黒の夜が街を包んでいた。
店先の灯りも消えてしまえば、闇の中を灯りなしで歩き回ることはできなくなる。
――これなら、イリス達もすぐに大きな行動に出る事は出来ないだろう。
アキディスは少しほっとして、小腹が空いているのに気付いた。
まだ少し明かりの残っている手近な大衆食堂の戸を開ける。
「もう、店じまいですよ」
客の絶えた卓の後片付けをしながら、若い店員が声をあげた。
「周りの店もそんな感じですね。食いっぱぐれてしまいまして。粥でも何でもいいから、残っていませんか?」
ふ、と店員の手が止まる。
何故かじろじろと観察しながら、近付いてきた。
「あんた、見た事ない顔だけど……誰から聞いてきたんだ? わかってると思うけど、今、奥は取り込み中だぜ」
突然口調が変わった彼の目に、不安が浮かんでいる。
奥に通せとは一言も言っていない筈だが、何があるのか――。
続けて食堂に入ってきたのは、火事の教会でイリスの傍に控えていて男だ。
――なるほど、ここが、イリスの拠点だったのか。
「……アキディス=タイド。ここが分かったのは流石ですね。総議長もご存じですか」
最初に少し驚くように目をあげた彼は、すぐ冷静な目をむけてきた。
「いえ、偶然ですよ。でも良かった、捜していたんです」
ここで見栄を張っても仕方ない。
あっさり笑ってみせる。
「……どうぞ、奥へ。イリス様からの依頼を遂行して頂いたのは、確認しています」
淡々とした彼が奥の扉に向かったのに、急いで続く。
イリスの側近らしいこの男は、言葉少なに必要な働きをするようだ。
店員の青年は納得したふうに片付けの仕事に戻っていった。
食堂の裏の中庭に建つ倉庫に、これでもかというぐらい大勢の人間が集まっていた。
外にまであふれて、少なくみても100人はいるだろう。
奴隷服の姿なのに、佇まいに卑しさがない。
しかもこれだけ集まっているのに、近隣に異常を気付かれる事もなく、静かに何かを待っている。
主導者の薫陶が行き届いている証拠だ。
彼らの足元に武器が行き渡っているのをみて、ヒヤリとする。
「イリス様。第2拠点に異常はありません。ここは人事院に嗅ぎ付けられている危険があります。分散しながら移動した方がいいでしょう。雨が降ってきましたから視界に注意が必要ですが」
奴隷の間を掻き分けて倉庫の奥に辿り着くと、姿を消した時そのままの格好のイリスが、強い目をあげた。
「あそこは、貴族地区に近い。決起する時の足掛かりだ。……このまま、征くか」
手にしていた紙を、帰った仲間の胸元にポンと押し付ける。
「アリスを殺したのは、昼間の人事院の刺客だそうだ。――死人は出さないつもりだったが、奴は、生かしてはおけない」
イリスから、押し殺していたような殺気が、滲んでくる。
アキディスは慌てて2人の間にはいった。
「ちょっと、待ってください。刺客については、総議長も人事院に揺さぶりをかけています」
突然のことに、イリスの赤い瞳が大きくひらく。
「あなたは……。噂の件、恩に着ります」
すぐに丁寧な口調に改めたイリスは、次に、さっと俯きがちに表情を曇らせた。
間近でそれを見ると、噂に違わない美人だな、と思う。
「配慮して頂いているのは、感謝しています。けれど、退く訳にはいきません」
きっぱり言い切られてしまうと、そうだろうな、というのが何となく分かる。
この女性は、多分、その為に何年もかけて準備をしてきている。
横から止めろと言われた所で、簡単には止められないだろう。
商売の駆け引きでは、退く事で勝ちを得ることが多くある。
けれど、イリスの場合は、ここで退く事は、身内を殺され仲間の期待を放置し、逃げる、という事になる。
冷たくなった少女の傍らで、泣き疲れたのかぐったりと寝入ってしまっている薄い髪色の女の子が、イリスの側近の男に肩を叩かれ、浅い眠りから醒めた。
「セフィシス、起きろ。移動するぞ」
「……ジェスト……あれ、夢……じゃない、わよね」
蒼白な顔をあげて、次に、目を擦った。
彼の荷物からひょいと子猫が出てきたのには、こっちも目を擦りたくなる。
ジェストは黙ったまま子猫を片手で摘み上げて、慌てて手を出したセフィシスの掌に載せた。
小さな可愛らしい鳴き声が、静かに響く。
「第2拠点に住み着いていた。行くぞ」
大人しく手の中で毛並の手入れを始めた子猫に、いつのまにか全員の視線が集まっていた。
大人数を何回かに分けて送り出してから、広くなった倉庫を簡単に片付けたイリスは、店番をしていた若者にアリスの事を任せることにした。
片付けるものは他に無い。
それを確認してから、イリスは自分の長い赤髪を白い髪留めごとバッサリ切り取り、妹の手に抱かせた。
「セフィシスって子が、また、泣きますよ」
「聖女をやるために、伸ばしていた髪だから。もう、要らないんだ」
ぱらりと短くなった赤髪が頬を撫でる。
暗い夜道に出て、表情は見えなかった。
雨の日の夜は、暗い。
地面で跳ねる水滴が、手元に灯した明かりがどこまでも闇に吸い込まれていくのを防いで、きらきらと光る。
曲がりくねった繁華街の路地をするすると抜けて、ぽっかりと穴が開いたような広い場所に出る。先行していた奴隷達の灯す明かりが、控えめにそこかしこに点在していた。
――こんな所に、空地があったのか。
確かに貴族地区に近い上に、道に迷いさえしなければ、街からも近い。軒を連ねる店のさらに裏手で、人目に触れることは殆ど無いだろう、絶好の場所だ。
イリスが仲間と合流したのを見届けて、改めて立地と集った人々の規模を確認する。
自分一人ではこの活動を止めることは出来ない。
国防院の兵力を借りるのも違う気がするけれど、とにかく、報告しなくては。
そっと貴族地区の方向に抜けようとして、後ろから肩を掴まれた。
「――報らされては、困ります」
冷えた目をしたジェストに、肩を竦めてみせる。
「人事院には伝わりませんよ。俺は総議長の個人的な情報源ですから。偉くなるほど、手に入る情報は自由にならないもので、苦労するんです。知らないでいるうちに足元が崩れていくんですから、無知というのは、怖いものです」
「総議長が、何をしてくれるというんです。刺客を捕まえる? 教会を修繕する? 奴隷制を改正するとはいうが、いつになったら実行して頂けるんですか。そうやって、時間ばかりが過ぎて、結果が見えないのであれば、こちらはそんなものをアテには出来ません」
淡々とした彼の見かけによらない言葉に、アキディスは少しだけ息をついた。
その気持ちは、よく分かる。
かつての自分も、そういう感性で行動して、大分取り返しのつかない事をした。
それが最終的に、良かったのか悪かったのかは、今でも分からない。
だけど、そうしなければ、今の自分は無かっただろう。
「……止めませんよ。どうぞ、大いに暴れて下さい。ミラノさんは安全にお預かりしています」
にっこり一礼して、アキディスは闇の中にきえる。
――止めても止まらないものは、その動きに合わせて、活用するだけだ。
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