総議長の訪問
もっとお祭りを見て廻るのを中断されたのは残念だけど、正直、なんだか助かった気がする。
あのままユリウスとイリス様の間にいたら、心臓がもたない。
ユリウスが一瞬見せた、あの、目。
冷たくて深い、厳しい色をした、強い瞳。
皆でお祭りを見に来れば気分転換して貰えるんじゃないかと思っていたけど、その程度で気が晴れるような問題じゃない。
もっと、ずっと奥が深い事を抱えている気がする。
イリス様が泣きそうな顔をしたのも、頭から離れてくれない。
肩に野鳥が停まっていたぐらいしか、変わったような事はなかったのに。
――そういえば、教会に来客がある事を、ユリウスはいつ知ったんだろう。
そんな事を考えているうちに、教会の正門に馬車が停まっているのをみつけた。
それも、辻馬車とか昨日の黒い警護車じゃなくて、貴族の乗る優雅な品のある高級車だ。
少しだけ息を飲み込む。
急いで勝手口から教会に入って、薄紅色の私服のまま聖堂へ直行した。
壇上に向かって礼拝する貴族の姿は、それだけで、目立つ。
上質な濃紺色の外套を腕に掛け、上品な藍色の正装は、フェルトリア議員のものだ。
傍に控えた護衛の人間と目が合って、ペコリと頭を下げた。
ふと顔を上げた貴族に、見覚えがある。
「ミラノさん。こんにちは」
貴族が来てる、と緊張していた聖堂の空気が、彼の気さくな声に、ふわりと弛んだ。
「今日はお休みなんですね。すみません、何も知らせずに突然お邪魔してしまいまして」
「いえ、いつでも来て頂いて構いません。あの、聖女様は、もう少ししたら戻りますから、どうぞ奥でお待ち下さい。ご案内します」
総議長様、と言いそうになったのを、飲み込んだ。
まわりで静かに過ごしている礼拝者や聖使に迷惑にならないように、そっと丁寧に声を落とす。
私服のままだけど、仕方ない。
総議長様とその護衛を先導して、応接室をあけた。
「たまには、礼拝も良いものですね。静かで、落ち着きます」
総議長様が長椅子に背中を預けて息をついた。
護衛に勧めた椅子は断られて、かわりに扉の傍を占拠される。
「今日みたいなお祭りの日は、静かに過ごしたい人が来ますしね。聖使も今日は人が少なくて」
紅茶を淹れながら、自然に会話をしている自分が不思議な気がする。
相手は上級貴族で、この国で一番偉い人の筈なのに、あんまり緊張しないでいられるのは、彼が若いからなのか、気さくにしてくれているからだろうか。
「行政区なんて物々しいばかりです。……時々、息抜きに来ても良いですか?」
「勿論です。お体の具合は、大丈夫ですか?」
「なんとか回復中です。昨日は帰って身内に怒られて、散々でした」
そういって肩を竦めてみせた総議長は、議長の帽子を取れば、ちょっと高級品を纏っている普通の青年と変わらないように見える。
フェリアに多い茶髪と、芯が通っているけれどお人好しそうな雰囲気。
高級車みたいな威圧感は、まるで無い。
温かい紅茶と焼き菓子。
一番良い食器に並べて出してみると、なんとか上品な卓上の演出ができた。
「それにしても久しぶりだな……教会に来るのは、若い頃に魔女探しの誓願を立てた時以来ですよ。あの頃とは、天使像も替わりましたね。帰って来て聖女様が交替したと聞いた時は驚きました。反逆を起こした、というのには、暫く信じられませんでしたが」
――前の聖女は、議場で反逆を起こして、自らも混乱の中で命を落とした、っていう事になっている。
イリス様の話だと、とても死ぬような人には思えないけれど。
つられてしみじみとしてしまって、また、大事な事を聞き流す所だった。
「え?! 総議長様、魔女探しだったんですか?!」
世界中を300年にわたって支配する、魔女。
彼女が遣わすといわれている魔物は、人気の無い郊外に出る程に多くなるから、聖女様の退魔師の仕事に従って、私も遠出になることがある。
この数年で沢山の魔物を見てきたけれど、実際に魔女を見た事は無いし、彼女を倒そうという魔女探しがその本拠地を捜しあてたという話も聞いたことが無い。
人が生きる年数の限界を超えて存在するものを倒そうという彼らの意気込みも、世間的に、消沈している。
「魔女探しみたいなもの、ですけど。……大事な旅になりました。でも、その間に、ユリウスは苦渋をなめることになっていた。今更、俺があいつに何かしてやりたいと思うのは……遅すぎですね」
寂しそうに笑んで、そっと紅茶を口に運ぶ姿に、胸が詰まる。
ユリウスは、どうして、こんな良い人を避けるんだろう。
会う訳にはいかない。
そう言った瞳から柔らかさが消えていたのが、とても悲しい気がする。
「そんな事、無いです。きっと、ユリウスさんは総議長様を信頼しています。……あ」
もし、総議長がもういちど訪ねて来たら――。
伝えなくちゃいけない事があった。
「あ……あの」
でも、本当に言っていいのか、わからない。イリス様に確認もしていない。
私が突然言い淀んだのを見て、彼は少し首を傾け、ポリ、と焼き菓子をかじった。
本当に普通の平民みたいな雰囲気に、少し緊張が弛む。
「……聖女様とユリウスさん達は、奴隷を解放する為に活動しているんです。解放が叶ったら、ユリウスさんも、奴隷身分から抜け出せます。協力してあげて下さいっ」
言ってしまってから、鼓動の音が、大きくなる。
「それは、最近噂になっている、第二の反逆の事ですか」
「前と同じじゃないです。誰も殺さない、誰も殺させない。そう言っていました」
総議長様の雰囲気が張りつめたのが、よく分かる。
当たり前だけど、物凄い不安に駆られる。
それに、噂といってもそこまで情報が流れているのは、結構、まずいんじゃないだろうか。
「もしも近日中に事を起こす気なら、止めてください。今、人事院の抑止力は心許ない状況です。活動側が死者を出すつもりが無くとも、容赦しないでしょう。……俺も、その件には手を尽くしていますから。くれぐれも、早まらないで」
誠実な目が、まっすぐに貫いてくる。
予想もつかなかった言葉に、鼓動の音がやわらかくなって、ほっと息が出た。
「はい、どうか、よろしくお願いします」
総議長様も、奴隷の事を気に掛けてくれている。
それがわかっただけでも嬉しいし、きっとイリス様も喜んでくれる――。
窓の外で、小さく人の声がした。
「――誰だ?!」
総議長様が声をあげると同時に、扉の傍に立っていた護衛が窓に駆け寄る。
だけど、バンと開いた窓の下から強烈な拳を受けて、声もなく崩れ落ちてしまった。
「今度こそと思って来てみりゃ、面白い話をしてるじゃねぇか」
獣のような目つきの男が一人、ドンと窓枠に足を掛けて、唇を舐めた。
「お前……昨日の奴だな!」
声が、出ない。
総議長様が詠唱した水魔法を軽々と避けて、私に突進する。
一瞬で後ろ手に捕まえられて、土埃の臭いの奥に、嘲笑がきこえた気がした。
「動くなよ。総議長さん。そのまま黙って両手を挙げろ」
視界の隅に、刃物が光る。
ちょっと、信じられない。
何をどうしたらいいのかわからなくて、とにかく身をよじる。
捕まった腕はびくともしない。
「やだ、放し――」
次の瞬間、窓から鳥の集団が一直線に男目がけて、飛び込んできた。
「うわっ!? くそ、また鳥か……!」
怯んだ隙に腕を振りほどいて、転がるように逃げる。
頭の上を総議長様の水魔法が通過して、バンと魔力の水が男を吹き飛ばした。
「あっぶね……意外と強ぇじゃねぇか」
まともに食らった筈なのに、壁から身を起こして、笑みすら浮かべている。
「てめぇ! 誰の差し金だ!」
「ケッ。せいぜい悩んどけ。今日は引き退がってやらぁ。いい土産話ができたんでな」
サッと窓から飛び出していく背中を見ながら、血の気が引いた。
さっきの話を、聞かれてた――――。
「止まれ、不審者」
外で一閃、長剣が空を斬る。
「うわっと! この旋風のゲイル、貴様ごときにやられはせんわ!」
ぎりぎりで剣を避けた姿勢がそのまま蹴りになって、ジェストの腕を跳ね上げた。
そこに総議長様の水魔法が飛んだのも、くるっとかわされた。
「あっぶね。――さらば!」
「待て!! ……くそっ」
あっという間に消えた男に、高貴な装いの総議長様が平民みたいな悪態をついたのにも、呆然とするしかなかった。
蹴られた腕をさすりながら、ジェストが厳しい色をして部屋の中を覗いてくる。
「何ですか。今のは」
床をうろついていた野鳥も、どこかへ飛んで行く。
冷えた空気が入ってきていた。
「申し訳ない。俺を狙って来た刺客です。……ミラノさん、大丈夫ですか?」
言われて、へたり込んでいる自分に気付いた。
「どっ……どうしよう……さっきの話、聞かれちゃいました」
「奴の名前から、誰の手下か調べます。――迂闊でした。怖い思いをさせてしまいましたね」
「……状況を、ご説明ください。何の話をしていたと?」
キンと剣を納めて堅い声を落としたジェストの目が、怖い。
扉を叩いて急いで入ってきたイリス様にほっとして、ちょっと涙が出てきた。
「お待たせして申し訳ありません。……これは、何が起こったんですか?」
「奴隷解放の活動について、首謀者を私の刺客に聞かれました。動かれない限り、人事院は手出し出来ない筈ですが……身辺に、お気を付け下さい」
さっと、イリス様に動揺が走る。
「そういう民間側の活動組織がある事は、私の方でも掴んではいましたが、まさか、また聖女様とは。……やはり、奴隷制の廃止は、するべきなのでしょうね」
凍り付いた空気が、貴族らしい丁寧な声になった総議長様の困ったような笑みに、少しだけ弛む。
「……恐れ入りました。どこまで、ご存じだったのですか」
「いえ、それ以上は何も。噂をかじっただけですから。それに、今日はこんな話をしに来た訳ではありません。昨日のお礼に、と思ったのですが……さらにご迷惑をおかけして、本当に申し訳ない。まずは、これを」
カサ、と小物入れから取り出した紙を受け取って、ようやくイリス様も、落ち着いてきた。
「寄付目録……。こんなに、頂くような事は……」
「まだ立場の弱い奴隷達の為に、使ってください。制度改正については、私の方でも進めています。もう少し、時間がかかるかもしれません。それまで、どうか待っていて下さい」
総議長様の真っ直ぐな言葉に、胸が震えた。
昏倒していた護衛を起こして、彼にも緘口を敷く。
「出来たら、今度ゆっくり時間を取ってお話しましょう。取り急ぎ、刺客の主を探りますので、今日はこれで失礼します。――ミラノさんを、叱らないであげてください」
急ぎ足で帰っていく総議長様を呆然と見送って、長椅子に腰を下ろしたイリス様が、長い溜息をついた。
「――良い風が吹いてきた、か。あの野郎……」
「ユリウスが手を回していたのは、この件だったという訳ですか」
窓の外で周囲に目を光らせたままポツリと溢したジェストの言葉に、やっと事情が少しだけ呑み込めた。
ユリウスは、総議長様が奴隷の解放活動について反対しない事を知っていて、私にイリス様の活動を伝えさせた。
総議長様が直接イリス様の活動を知るっていう事は、たぶん、大きい意味がある。
それよりも問題なのは、謎の人間に話を聞かれて、逃げられた事だ。
「あの……ごめんなさい……私、ユリウスさんに、総議長様にだけ教えて良いって言われて……」
「ユリウスが……。って、あいつ、どこに行ったんだ。裏から行くとか言っておいて、出てこないな」
ふと顔を上げたイリス様が、散らばった黒い鳥の羽根を拾い上げる。
厳しい瞳が、揺れたようにみえた。
――いつも、ユリウスのまわりには、羽音がある。
「沢山の鳥に囲まれているのを昨日も見ましたけど、ユリウスさん、鳥とお話出来るんでしょうか」
言ってしまってから、子どもじみてる、と恥ずかしくなったが、イリス様は小さく頷いた。
「……対話じゃなく、視界を乗せるんだ。鳥の行動も操れるし、ここで起きた事は分かっているだろう。それで顔を出さないとなると、次の手を打ちに行ったか、刺客を追ったか……」
「刺客を始末してくれていると、助かりますね」
ジェストの冷静な言葉が、怖い。
「ジェスト、周囲に異常がないか見てきてくれないか。聖堂にアリスを待たせているんだ」
「わかりました」
短い返事で向けた背中を、不安なまま見送る。
あの刺客が依頼主の元へ戻って報告するのも、ユリウスさんが追っていて、殺してしまうのも、どっちも、怖い。
「――……やっぱり、こんな事に、巻き込むんじゃなかった。ミラノ。君まで危険に晒して……。今ならまだ間に合う。この件が落ち着くまで、エラークに帰って……」
小さな声に、咄嗟に反発する。
「私、帰りません!」
「しかし、俺の情報を掴んだ刺客に顔が割れたんだ。危険過ぎる。……もう、この為に仲間が死んでいくのは、嫌なんだ。本当は、鳥使いは、ユリウスじゃなかった。狡猾で強かな奴だった。そんな奴でも、酷い有様で、死んでいった―――。君には付けられる護衛がいない」
深い哀が、滲んでくる。
時々みせた泣きそうな顔は、それを思い出していたからなんだと思うと、胸が痛くなる。
「……私は、死にません。怖いけど、大丈夫です。それに、まだあの刺客さんがここを襲ってくるとは、限りませんよ。本当は総議長様を狙って来たんですから」
「しかし――」
「やだ、駄目!!」
いきなり高い声が飛び込んできて、ものすごくびっくりした。
いつのまにか開けられた扉からアリスが突進して、ぶつかるように私の腕をがっしり掴んでくる。
「お姉ちゃん、ミラノを追い出したら駄目なんだからね! 大事な味方なんだよ!」
深刻な空気が、一瞬で別のものに変わった。
「アリス。お前も夜中に俺の代わりになるのはお終いだ。家で普通にしていなさい」
「やだ。お姉ちゃんは、わかってない。ミラノも私も、お姉ちゃんを助ける為にここにいるんだよ。心配して貰う為じゃないし、あの鳥使いみたいに死ぬ為でもないの。大切なものの為に働けないなんて、そんなの、死んでるのと変わんないよ」
思いがけない強烈な言葉に、目が醒める。
やりたいことに背中を向けるなんて、できない――。
「あ、あの~。何の話をされているんでしょう? その、今、総議長様がお帰りになって行かれましたけど……お客様って、あの方じゃなかったんですか?」
セフィシスが、そっと覗き込むように、不安な声をあげた。
「ああ、用件は済んだんだ。……セフィシス、最初にミラノを連れてきたのは、君だったな」
「は、はい。……?」
「アリスとミラノを、二人を、守ってくれるか」
「勿論です。あ、でもミラノちゃんの事はイリスさんが守らなきゃ駄目ですよ」
当然のようなセフィシスの言葉に、一瞬、ぽかんとしてしまう。
「――そうか、わかった。ミラノ、じゃあ簡単な防御魔法ぐらいは、覚えておいてくれよ」
「えっ? は――はいっ」
何故か納得してしまったイリス様にほっとするよりも、アリスの顔がむくれていくのを、そっと横目でみる。
「ミラノ、ずるーい。いいもん、お姉ちゃんを守るのは、アリスなんだから」
むくれたまま小物入れから何かを引っ張り出して、聖女様の聖衣を引っ張る。イリス様がせがまれるままに腰を落とすと、ぱっと首飾りをかけた。
「お守り! 絶対外しちゃ駄目だからね。絶対だからねっ」
「もしかして、さっき、これを買いに行ってたのか」
胸元に光る装飾品を眺めるイリス様に、アリスはやっと機嫌よく頷いた。
「東地区で流行ってるんだって。身に着けて歩けば守ってくれるんだよ。ほら、服の中にしまって。なくしちゃ駄目だよ」
「わ、わかったわかった」
アリスがいると、どんな場面でも、和んでしまう。
さっきは思いがけない強い言葉にびっくりしたけど、そういう芯の強さがあるから、迷いのない真っ直ぐな行動が出来るんだろう。
「――ジェストが戻ってきてから対策を立てる。総議長と顔が繋がった収穫は大きい」
ぽん、と優しく頭に手を置かれて、やっと、ほっと息をついた。
面白い/続きが読みたい、と感じて頂けましたら、
ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価をお願いします!
ブックマーク、感想なども頂けると、とても嬉しいです




