賑わいと演奏に舞う鳥
手風琴と口風琴の心地良い演奏。
それが公園を彩って、旅楽師に黒々と人だかりが出来ている。
その光景には見向きもせず、人混みを掻き分けて歩く小さな後ろ姿が、いきなり停まった。
「お姉ちゃんお姉ちゃん、焼き林檎食べようよ!」
ぱっと振り返ったアリスの赤い髪に、黒い髪留めがよく似合ってる。
「さっき揚げ芋沢山食ったじゃないか。まだ食うのか?!」
「おやつは別腹なの。ね、いーでしょ?」
「どれが主食なんだ。買うのはいいけど、腹壊すなよ?」
わぁい、と屋台に走っていったアリスを見送って溜息をついた私服姿のイリス様の背中を、ユリウスがぽんと叩く。
「明るく元気に育ってくれましたね」
「――お前、半分、代わってくれ」
「アリスちゃんを甘く見てはいけませんよ。私は残念ながら、まだ信用が足りないようです」
そうかもしれない。
アリスはユリウスが教会に来て初めて会った時も、ふーんと言って終わりだった。
他の聖使なんかは、ユリウスの端正な顔立ちに黄色い悲鳴をこっそりあげていたのに。
それにしてもユリウスは教会に来てから2日目なのに、アリスの事も、よく観てる――。
「はい、焼き林檎!」
串に通された甘い匂いの林檎を目の前に差し出されて、びっくりした。
「あっ……ありがとう……?」
ぽかんとしながら受け取って、アリスが人数分の林檎串をもって皆に配っているのをみつけた。
ちょっと離れた所で見張り役に徹していたセフィシスとジェストにまで、小走りに持って行って、ぱっと帰ってくる。
ポカンとしている2人の顔が、人混みの中にちらっと見えた。
「こら、これじゃあ離れて見張りに付いて貰っている意味が無いだろ」
「あのふたりよりも、お姉ちゃんの方が強いんだから、大丈夫だもん」
上機嫌でイリス様の腕にくっついて林檎をかじるアリスに、困ったような妙な笑顔になったイリス様を、そっと観察する。
聖女様としての普段の顔、夜の奴隷解放活動の旗頭としての顔。
そして、ここにあるのは、妹を見守る姉の顔だ。
「ミラノちゃん、公園の人だかり、凄腕の旅楽師がいるようですよ。ちょっと見てみませんか?」
「えっ、でも、凄い人で……」
「大丈夫。良い場所を知ってます。イリス、ちょっとミラノちゃんを借りて行きますね」
イリス様が止める間もなく手を握られて、人混みの間をぬって歩く。
いきなりの展開に戸惑いながら、必死について歩く。
はぐれたら、捜すのが大変になる。
公園の端の緑の中に入ると、失礼、と言ってユリウスの腰が下がった。
と思った次の瞬間、足元が地面からふわりと離れて、あたたかい腕の中に抱き上げられていた。
「ひゃっ……?! ちょっ……」
『風よ 我が意に従え』
ユリウスがトンと地面を蹴ると、ザッと風が彼の足元を援けて、重力を無視するように軽々と飛び上がる。
木の枝をトントンと伝って、あっというまに商店の屋根の上にストンと足をおろしていた。
いきなり過ぎて、声が出ない。
ドキドキする胸をおさえて、降ろされた足元を、恐る恐る踏みしめる。
「ほら、ここからなら、人に埋もれなくても、よく見えますよ」
言われて顔を上げると、公園の華々しい景色が一望できる、特等席だった。
「わぁ……凄い……!」
「あそこにいるのがイリス。それとあれがジェスト君かな。女の子は埋もれてしまっていますね。――で、人垣を作っているのが、あの旅楽師。一人であの人数を惹きつけるなんて、凄いですねぇ」
公園の主役は、色彩豊かな洒落た衣装を纏った、手風琴の奏者――。
いや、その口許で同時に口風琴を演奏している。
若い男性。
長い黒髪がさらりと風に流れて、幼さが残る可愛い笑顔が聴者を惹きつける。
これは、人が集まるわけだ。
「足元、危ないですよ」
茶色の髪が、ふわっと私の肩に流れてくる。
そっと腰に手を回されていて、余計にドキドキさせられる。
危ないから捕まえていてくれるのは、わかるけど――。
この状況って、何か、いけないんじゃないかな、と、ドキドキし過ぎて、他人事みたいに思ってしまう。
「――騒々しくて、華やかで、活気に満ちていて。私は、この街が好きです。ミラノちゃんはエラーク出身でしたよね。私は行った事が無いんですが、どんな所ですか?」
「えっと、い、田舎ですよ。どこを見ても、緑か田畑がずっと続いてて。でも、海沿いは市場が賑やかです。ここには、全然及ばないですけど」
「帰りたいとは思いませんか? イリスも良い奴だけど、オークリス嬢も良い領主でしょう」
この人は、どこまで知っているんだろう。
別に隠してる訳じゃないから調べるのは簡単だろうけど、セルウィリア様の事も、よく知ってるみたいな感じがする。
「もう、すっかり、ここが第二の故郷みたいなものですから。……イリス様が、『降魔の聖女』様が聖女様である限り、私だけいなくなったり、しませんよ」
それは、ずっと思っている事だ。
これからいつまで続くのか分からないけれど、必要とされている限り、役に立ちたい。
故郷に帰っても、私だけに出来る事はないのだから。
「――ふふ。妬いちゃいますね。ミラノちゃん、イリスの事しか見ていないんですから」
「っ……み、見てたんですか――?」
腰に回されている手を掴んで、思わず逃げ腰になる。
逆にぐいと抱き留められて、心臓が錯乱しそうだ。
女の子よりもずっと綺麗で端正なユリウスの顔が、すぐ目の上にあった。
「イリスばっかり見てないで、私の事も、見て下さい」
目の前に、花火が散ったような気がした。
ちょっと、絵になり過ぎてて、夢かなと思ってしまう。
でも、確かに、イリス様の役に立ちたい一心で、あんまり周りの事を見てなかった部分はあるかもしれない。
ユリウスに限らず、ジェストだって、私の事をよく観ていてくれたのに、全然、気付いてなかった。
「あ……あの……その、そ、総議長様と、お知り合いだったんですかっ?」
何を口走っているのか、自分でもよくわからない。とにかく、この雰囲気を、どうにかしないと。
「そうだね。……恋人じゃないよ?」
「そっ、それは、わかってますっ」
あはは、と笑って、ようやく抱き締められていた腕が弛んだ。
「……もし、総議長がもういっかい教会を訪ねて来たら、彼だけには解放活動の事を伝えておくと良いですよ。あいつは、君を泣かせたりしないだろうから」
――あいつ。
知り合いっていうよりも、ずっと親しみのある響きがおちてきた。
イリス様がユリウスの事を言う時みたいな、信頼している、声。
でも、どうして教会に帰りつくなり、総議長を放って奴隷地区に戻ってしまったんだろう。
親しい友達なら、一緒にいれば良かったのに。
って、余計な事ばっかり考えていて、今言われた事の重大さに、数秒、反応が遅れた。
「…………えっ?! 解放活動を――。でも、総議長様は、人事院の院長と一緒に行動されてて。じ、人事院に教会の事がバレちゃうんじゃ……」
「おや。忘れたんですか? 私が人事院の間諜なんですよ。大丈夫。うまくやりますから」
何が大丈夫なのか、全然わからない。
「どうして……。ユリウスさんが、直接伝えれば……」
「――まだ、俺は、あいつと会う訳には、いかないんです」
ふ、と瞳から笑みが消えた気がして、背筋がすっと冷える。
「おいっ! だから、手を出すなって、言っただろう!」
下の方から響いたイリス様の怒声に、凍り付きかけた空気が溶ける。
ほっとして足元をみると、赤い髪の美人が腰に手を当て、眉をつり上げてこちらを見上げていた。
「おやおや。折角良い所だったんですけどねぇ」
「馬鹿、降りて来い。油断も隙も無い奴だな」
「お褒め頂きありがとうございます。でも、こんなに可愛い子、私じゃなくても攫っちゃいたくなりますよ?」
からりと笑いながら詠唱した風魔法で、私だけがふわっと地上に降ろされた。
すぐにイリス様に掴まれて、その私服に引き寄せられる。
「ミラノ、大丈夫か。何か変な事されなかったか」
きれいな真顔が、間近にあった。
「だ、大丈夫です。あの、ありがとうございます」
どうしてこう、綺麗な顔ばっかりなんだろう。
なんだか子供っぽい自分の顔が、情けなくなってくる。
「……イリス。そろそろ教会に来客があります。一度戻った方が良いですよ」
屋根の上ですっと冷静な声を落としたユリウスの肩に、また、野鳥がとまっている。
「――鳥か。……わかった。あんまり隠し事するなよ」
「え~? 秘密はあった方が、魅力的でしょう? ま、必要な事はちゃんと伝えますから、心配しないで下さい。私は裏から行きます。ミラノちゃんを宜しくお願いしますね」
そのまま屋根の向こうに姿を消したのを見送って、ポカンとしてしまった。
頬を擦る深紅色の硬い私服の生地の下で、深く、息をつくのが伝わってくる。
――イリス様、震えてる?
そっと見上げる。
口許を引き締めて、一瞬、赤い瞳が揺れているように見えた。
「……さて、教会に戻ろう。アリスが小物を買いに行っていて、公園の出口で待ち合わせになっているんだが……どうするかな」
密着していた身体を外して、左右をみる.
ジェストがそれに合わせるように出てきた。
「ジェスト、アリスに言伝してくれないか。先に教会に戻っていると」
「お断りします。あの子はイリス様でなければ、納得しません」
「って、お前なぁ……そこは何とかしてくれよ」
「セフィシスが付いて行っていますし、待ち合わせもありますから、長く時間はかからないでしょう。来客なら聖使がまず対応する筈です。急ぐ必要もないのでは」
ジェストがイリス様の言う事に反発するのを、初めて見た気がする。
アリスがイリス様に置いて行かれた場合の事を考えれば、気持ちは分かるけど。
「それじゃあ私、先に戻ってます。聖女様がすぐに戻ってくる事を伝えておきますね」
「ああ、助かるよ。宜しくな」
ほっとした顔に笑顔を返して、小走りに教会へ急いだ。
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