2人の道が重なる時
「――シャロン、どこまで視察に行くんだ。これじゃ、見るものも見れないぞ!」
「民衆目線に立てば、得るものも多いですよ。お疲れであれば、一旦、人の流れから抜けましょうか」
繁華街の雑踏から商店の隙間に入り込んでようやく人混みから解放され、リッド=ウインツは盛大に溜息をついた。
新調した平服が、人混みにもまれてヨレヨレになってしまった気がする。
「……そんな風に歩かなくても、この国の事はよく分かってるつもりだ。昔はよく遊び回ったし、一応世論の傾向も把握できるようにしている。……これはちょっと、非効率的だ」
壁を背に座り込んで、自分を連れ出してきた人事院の若き院長――シャロン=イアを、小さく睨み付ける。
ここ数年で警護官からのし上がってきた、実力肌の貴族だ。
どんな奴だろうと思って視察の誘いに乗ってみれば、単に繁華街を遊び歩いているようにしか見えない。
「いやいや、本当に、思いがけない発見をしたりするものです。まあ、少し休みましょうか。喫茶店は大混雑ですから、何か飲み物を買ってきます。珈琲で良いですか?」
「ああ。頼む」
人事院。
治安と司法を一手に管轄するが故に、物理的に大きな力を持っている。
この一院に権力が集中しないように国防院の強化で均衡を取ってはいるけれど、いたちごっこから抜け出すことが出来ない。
とりわけ、このシャロン=イアが院長になってからの人事院は、組織的な贅肉がそぎ落とされ、より強力な権力機関になりつつある。
今回自分にすり寄ってきたのも、より堅固に地位を固める為だろう。
それを分かっていて、ついてきた。
有能なのは判っているが、実際の人柄を知らないからだ。
組織を成長させる能があるなら、逆に国防院に移籍させるという手もある。
重要なのは信頼に足る人物かどうか。
国民にとって有益な働きをしてくれる人材かどうかだ。
そこまで考えて、息を吐いた。
(――俺も、よくここまで頭が回るようになったよな)
今年で21歳。
昔は考えるより先に何でも行動して、失敗も怪我もした。
でも、それで得た人脈と運の良い状況によって、総議長――連邦国の盟主になることができている。
理論ばかり捏ね回して行動しなくなる、という自分になるのが、一番怖い。
雑踏の片隅で一国の盟主が座り込んでいるというのも、妙な気がするが。
ふ、と首筋を冷たい風が撫ぜた。
反射的にサッと身体を傾けて、そのまま地面を掴んでその場を離脱する。
頭の後ろでキンと金属が不快な音を立てた。
――気配が、無かった。
いや、人が多すぎて気付かなかったのか。
舌打ちと共に屋根の上から黒い影。
短剣が真っ直ぐ胸元を捉える。
速い。
体重をのせた刀身が胸元に吸い寄せられるように迫ってくる。
魔法を詠唱する暇はない。
「……く!」
左腕で刀身を受け止めて、足元を踏みしめ、押し倒される愚は避けた。
痺れるような熱さと、骨を削る嫌な感触。
刀身を振り抜かれて、ぱっと血が迸る。
「貴族の坊ちゃんにしちゃ、やるじゃねぇか」
腕の激痛に、視界が歪む。
目の前で笑ってみせた男の顔もはっきりしない。
「だが、ここまでだな」
一歩。
一歩、踏み込まれるだけで、刺される――
地面を滑って振り切らなければと思うのに、身体が動かない。
視界の隅で、蒼白い一閃がはしった。
目の前の男が小さく呻いて、どっと倒れる。
倒した男をまたいで、誰かが、血が噴き出す腕をきつく掴んできた。
厳しい、綺麗な貌が、間近に迫る。
「――どうして、こんな所にいる。大人しく議長席でふんぞりかえっていれば、暗殺なんてされない」
「暗殺…………」
言葉よりも、目の前の男の顔から、目がはなせない。
かつて見慣れていた端正な顔立ちに、薄茶色の髪がサラリとかかる。
後頭部でキリッと結い上げた長髪が優雅に背中まで流れて、上品さを描いていた。
「リッド。俺はお前が俺の座る筈だった所に座っているのが、許せない」
腕が、痛い。
掴まれている傷口から、彼の白い指の間を伝って、ポタポタと赤いものが零れ落ち続ける。
くすんだ土色の奴隷服が視界に入って、息を飲み込んだ。
「ユリウス……俺はっ……」
「――だが、他の奴がその座に就くのは、もっと、許せない」
射貫いてくるような青い瞳に、かける言葉を、なくす。
どのくらい、離れてしまったんだろう。
上級貴族として一緒に学び、遊んでいた頃のユリウスは、どんな時もあっさりとした態度だった。
その彼が、血の滴る腕を掴んで噛みつきそうな貌を見せたのは、きっと、奴隷服のせいだけじゃない。
「あ! いたいた。ユリウスさん、いきなり消えないで下さ……」
突然、女の子が入ってきて、流血沙汰に声を飲み込んだ。
「あ、ミラノちゃん」
ぱっと振り返ったユリウスの顔が、瞬間にいつもの優顔に変化する。
「た、大変! 血が凄い出てるじゃないですか! 離しちゃ駄目ですよ、ユリウスさん。教会はすぐそこです。セフィシスさんに、治療して貰いましょう!」
「ああ……そうだね」
助かった、と、ようやく思った。
「――すいません。宜しくお願いします」
『命の光よ 集い来たれ』
「いっつ……!!」
紅色の魔法の輝きが、ざっくりと斬られた傷口を包み込んで、濃い赤色になる。
上腕をきつく縛って止血していた紐を弛めて、傷口の回復に合わせて血流を回復させていく。
怪我人の介抱はセフィシスを手伝って慣れているけれど、ここまで酷い傷口はなかなか無い。
大体は転んだとか、馬車から踏み外したとか、打ち身系の怪我人が教会の魔法使いを頼ってくるし、こういう本格的な怪我は、ちゃんとした医者に診てもらうのが普通だ。
魔法の光が消えていくのと同時に、怪我人の表情も和らいだ。
傷口にはうっすらと跡が残っているけれど、真っ赤に腫れ始めていた肌も、もとの白い色に落ち着きをみせている。
「ふぅ……。これで、おしまい」
深い傷を塞いで魔力を消耗したセフィシスが、くたりと椅子にもたれた。
「ありがとうございます。その、大丈夫ですか?」
「私は、疲れただけですから~。それより、傷は塞がっても、身体に血が戻るまでは、安静にしていて下さいね。ミラノ、あとは頼んでいい?」
「はい、忙しいのに、ありがとうございますっ」
ひらりと手を振って、フラフラしながら出て行ったセフィシスが、どこかの柱に頭をぶつけて歩きそうで心配になる。
だけど、連れて来た客人を放って彼女を追い駆ける訳にはいかない。
傷跡を摩りながらほっと息をついた客人は、よく見ると、ユリウスと同じ位の年齢の青年だ。
茶髪の癖っ毛を首筋に添わせるように襟元までのばした線に、どこか品がある。
「あの、本当に助かりました。今は持ち合わせが無いのですが、必ず、お礼に来ます」
申し訳なさそうな笑みを見せた彼に、大きく首を振る。
「お礼なんて要りませんよ。怪我してたら助けるのなんて、当たり前じゃないですかっ。でも、あんな街の中で斬り付けられるなんて、怖いですね。今日はお近くまでお送りしましょうか?」
今度は彼が慌てるように両手を振った。
「お、お気遣いなく! えぇと、俺は、リッドです。あの、ユリウスは、今、何をしているんですか?」
「……え?」
一瞬、変に緊張してしまう。
彼はそれを別の意味に取って、言葉を足してくれた。
「あの、俺の腕を掴んできてすぐに席を外した、奴隷服の……」
「――ユリウスさんは、今日この教会に来たばっかりなんです。今日は買い物のお店を案内してた所で……」
「その、前は?」
「えっと、あのぅ……お知り合いですか?」
そっと首を傾げてみる。
誰が何をどこまで知っているのか分からないし、言って良いのかも、わからない。
「あいつは――」
リッドが口を開きかけた時、ドカドカと足音が迫って、バンと扉が開いた。
「総議長! ご無事ですか?!」
いきなり低音が飛び込んできて、おもわず体が固まった。
「シャロン……?」
ぽかんと飛び込んできた男を見上げたリッドの顔をみて、何が起きているのか、もっとわからなくなる。
「え? えーっと、総議長って……」
ミラノの困惑を無視して、男が真っ直ぐにリッドの傍に踏み込んで膝をついた。
「本当に、心配致しました。戻ってみれば血痕が飛び散っているし、誰もいない。どこか、お怪我を?」
「もう治癒魔法で治して貰った。大丈夫だ」
きり、と折り目正しい口調に変化したリッドに、びっくりする。
男の後から続いて入ってきた聖女姿のイリス様が、リッドに一礼した。
「失礼します。うちの者のご無礼を、ご容赦下さい。まさか我が国の総議長様とは知らず……」
いきなりの展開に、ちょっと目の前が白くなる。
街で拾った血だらけの人間が、この国で一番偉い人だなんて、ふつう、思ってもみない。
「いや、助けられました。身分を伏せていたのはこちらですし、気にしないで下さい。『降魔の聖女』イリス=ローグ。こうしてお目にかかるのは、初めてですね」
す、と立ったリッドが、ふらつく。
まだ血が戻らないうちは安静って言われてたのに。
咄嗟に背中を支えると、少し冷や汗をかいているのをみつけて、おもわず声をあげた。
「安静にしてなきゃ駄目です。貧血で、倒れちゃいますよっ」
「ごめん――そうだった。ありがとう、ミラノさん」
名前を呼ばれて、どきりとする。
上級貴族に名前を覚えて貰えるなんて、そんなにあることじゃない。
「大丈夫ですか? 折角なので色々とお話したいところですけれど、今日はゆっくりお休み下さい」
心配そうな色をみせたイリス様の前に、シャロンと呼ばれていた男が立って、軽く一礼する。
「自分は、人事院院長を拝命しているシャロン=イアと申します。我々がついていながら、ご迷惑をおかけしました。今後このような事の無いよう重々注意すると共に、後日改めて礼をさせて頂きます」
とんでもない言葉を聞いた気がした。
人事院といえば、奴隷解放活動の仇敵みたいなものの筈だ。
厳格に身分制度を管轄して、治安と司法も担う、行政の重大な機関。
その筆頭人物が、こんな所にいる。
――総議長と一緒に。
イリス様も、真剣な目になっている。
「……恐れ入ります。ミラノ、正門まで総議長様を支えて差し上げて」
「あ、は、はいっ!」
ふらつく総議長を人事院院長と一緒に支えて正門に出ると、丁度迎えの馬車が着いたところだった。
警護官が巡回に使うような物々しい黒の車体に、何となく近寄り難い威圧感がある。
――本当に、偉い人なんだ。
総議長と院長が乗って出発するのを、どこかぼうっとしながら見送る。
馬車が見えなくなると、一気に力が抜けた。
「……ちょっと、別世界かも……」
寄りかかった門にコンと額をあてる。
ひんやりして気持ちいい。
フェルトリア連邦国の、総議長。
偉い人っていうのは、もっとずっと歳を取っているだろうと、勝手に思ってた。
あの院長も、まだ私の両親よりも、ずっと若い。
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