秘密の拠点
南方地方の故郷が農耕の地なら、この中央都市フェリアは文化と芸術の地だ。
流行の発信地で、色々な可能性を持っている、地方出身の若者の憧れの街。
お洒落な建物の屋根に色とりどりの旗が縦横に張り巡らされて、その下にどんな店があるのかを教えてくれる。
そこを歩けば賑やかで楽しくて、高台から眺めても街を染めるその色彩は、凄く素敵だ。
日が沈めば灯りの中に浮かんだ店先に、酔客の笑い声が溢れる。
その酒場の明りも落ちて、いつもは光に隠れた星空が、頭の上でキラキラ輝いているのをみつけた。
だけど人気のなくなった道端で目につくのは、無造作に散らばるゴミだ。
暗がりの中から時折聞こえる呻き声は、多分、酔っ払いだろう。
――ちょっと、怖いかも。
どこか危うさを含んだ空気に、ちら、と不安になる。
魔物に遭ったら消せば良いだけだけど、相手が人間だったら、そうはいかない。
新しい一面をみせた夜の街を、速足で駆け抜ける。
イリス様達だって、同じ道を帰ってくる訳だから、そんなに怖がるほど危険じゃない筈――。
そう自分に言い聞かせて、まっすぐ食堂を目指す。
道端に寝そべった酔っ払いと、建物の隙間にうずくまる鎖に繋がれた奴隷が、点々と街の片隅で重い吐息を溢している。
そういう夜の世界を、ぎゅっと目を瞑るようにして通り過ぎた。
やっと辿り着いた食堂からは、ほんのり薄明りが零れている。
店が開いている雰囲気は全然無いけれど、その奥に、イリス様がいるはず。
扉に手を掛けると、軽い音を立てて簡単に開いた。
恐る恐る、そっと中を覗いてみる。
ガランとした食堂の机に、燭台がひとつ。
それがゆらゆらと寂しく広い食堂の天井を照らしている。
「――開店は、明日の朝だよ」
人気の無い空間から声が湧いて出てきたのに、どきっとした。
「お、おかゆを頂きに来ましたっ」
書いてあった通りの合言葉。
薄い暗がりの中から、ゆらりと人が出てきて、怪訝そうな視線に晒された。
すっぽり被った外套の下から、短い金髪がのぞいている。
「……誰かと、待ち合わせか」
「は、はいっ、あの、イリス様に聞いて……」
すっと彼の目に優しさが浮かんだのに、ほっとする。
そうか、とだけ言って示された裏口を出ると、地図通り、こじんまりとした中庭の向こうの倉庫から、明りがこぼれていた。
「――貴族連中が、本当にそんな法案を通すもんか」
積まれた木箱を机にして、広い倉庫の中は賑やかな酒場のようだった。
大勢の奴隷服の人間が、炊き出しのような鍋を中心に腰を下ろして、思い思いに会話や飲食を楽しんでいる。
その奥に、イリス様の声があった。
いつも背中にさらりと流している赤い長髪をひとつに束ねて、白い髪留めを隠すように巻き付け、ふわりとした聖衣のかわりに深い紅色の軍服のような堅い私服に身を固めている。
イリス様に会いに来た筈なのに、その姿に、足が停まった。
「お嬢さん、首領に御用かな」
近くで汁物を啜っていた奴隷に声を掛けられて、小さく頷いてみる。
彼は椀の中を飲み干すと、のそりと立って、ひとつ肩を回した。
「1日に2人も新しい顔が増えるたぁ、珍しいもんだ。おーい、客人だぜ」
奥の卓で難しい顔をしていたイリス様が彼の声に顔を上げた。
いつものような柔らかい空気は全然無くて、厳しさをもった赤い瞳に、思わず竦んでしまう。
「――ミラノ」
周りの奴隷達の注目を浴びる中で、イリス様の目が暖かくなって、ほっと小さく息をついた。
「この時間に、ひとりで出て来たのか。怖かったんじゃないか」
おいでと招かれるままに急いで奥へ入って行くと、イリス様の隣の卓にジェストとセフィシスが座っているのをみつけて、安心する。
「やだ、イリス様。ミラノちゃんをひとりで来させる事無いじゃないですか~! 来るって知ってれば、一緒に来るか、迎えに行きましたよ、私!」
いつもと同じ、どこかおっとりした調子のセフィシスの声に、今までの緊張が一気に吹き飛んだ。
「君が迎えに行けば、逆に余計な面倒を持ち帰ってくるからな。店先のゴミをひっくり返して、酔っ払いにぶちまけて追いかけられたのは、ついこの前の話だぞ」
「あれは、たまたまです~!」
やりそう。
セフィシスがゴミに躓いて盛大にぶちまける姿が、目に浮かんでくるようだ。
「女性だけで歩かせるなんて駄目ですよ。自分で迎えに行くんですね。イリス。ああ、失礼、今は君も女性でした」
軽やかな笑声に、イリス様の話相手がユリウスだった事に気付かされる。
日中着ていた奴隷服ではなく、退魔師のような機動性の高い黒の衣装を纏っていて、一瞬、わからなかった。
「こんばんわ、ミラノちゃん。ここの鍋はイリスの仕込みだから、おいしいよ。一杯どうぞ」
サッと立って椀を持ってきたユリウスの軽やかな物腰を、つい目で追いかける。
イリス様は格好良い女性だけど、綺麗な男性っていうのはこういう事なんだ――。
奴隷服じゃないっていうだけで、印象がこんなにも違う。
「じゃ、私はこれで失礼させて貰いますよ」
「ご、ごめんなさい。お話、お邪魔しちゃって……どうぞ、続けてください」
そのまま出口へ向かおうとしたユリウスを慌てて呼び止めると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて、口許に指を立ててみせた。
「ご主人様に、最後に挨拶しておかないといけませんからね。また明日。おやすみなさい」
「ユリウス! ・……ってるからな!」
ヒラヒラと手を振って去っていったのを見送ると、イリス様は椅子に背中を預けて、長い息を吐いた。
「あの……話、大丈夫だったんですか?」
「――ああ。明日も顔を合わせるだろうし、一気に呑み込める内容でもないからな。それより、よく来てくれた。ここにいるのが奴隷解放の活動の仲間だ。他にも、都内に散ってるのを合わせて、大体300人程度。結構平民の協力者もいる」
「――300人!」
「この6年で、相当数膨らんだんだ。最初は、あの事件の生き残りの奴隷が集まってきた。それから伝手を頼ってきた北方奴隷やら地元の債務奴隷やら……奴隷身分からの解放を目標に掲げてはいるものの、助け合う以外に、なかなか出来る事がなくて、今まで来ている」
グラスの氷がカランと揺れる。
薄い茶色の水に溶けて、ゆるやかな紋を描いていく。
「謙遜し過ぎです、イリス様。準備はちゃんと進めてきてるじゃないですか。もう殆ど人数分の武器は揃ったんですよ。あとは、人事院に一泡吹かせて議会に直接訴えるだけじゃないですか」
セフィシスがあげた高い声が倉庫内によく響いて、談笑していた奴隷達がワッと沸いた。
「――武装って……」
「前の反逆と同じ過ちは犯さない。誰も殺さないし、殺される積りもない。だけど力に対抗するには、最低でも同じくらいの力が必要なんだ。そうでなければ、対話そのものが成立しない……。って、済まないな。いきなりこんな物騒な事に巻き込んで……」
熱を帯びた瞳がふいと上がって、視線がぶつかる。
ほとんどポカンと聞いていた隙だらけの顔を、慌てて左右に振って、ごまかした。
「び、びっくりはしましたけど……あの、ありがとうございます。教えて頂いて……。昼間もお忙しいのに、ずっと活動されてたんですね」
何故かふと笑んだイリス様の顔から、目が離せない。
聖女様はいつも忙しいし、身長差があって、こんな近くでゆっくり顔を見つめた憶えはあんまり無いような気がする。
「ミラノ。君に、教会を……教会で保護した奴隷達の事を頼みたい。いざ人が集まって事を起こすとしても、全ての奴隷が武器をもって立ち上がれる訳じゃないんだ。役人が武器を持たない奴隷を捕らえに来るような事があるかも知れない。彼らを、守って欲しい」
ついさっき、部屋に残してきたハーゼの事が一瞬胸裏に蘇る。
足枷を付けられて、傷跡だらけの細い身体。
ここに集っている奴隷達は少なくとも元気に見えるけれど、確かに、彼らのような奴隷ばかりじゃない。
さっきから自分の心臓の音が全身を鳴らしている。
ぎゅっと胸元を抑えて、湯気をたてる椀の上で、そっと息をした。
「――はい。私に出来る限り、奴隷の皆をお守りします」
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