朝焼けを抱く
新緑の森の奥。
黒い木の幹の先に、薄紅色の花が幾重にも咲き誇る。
艶やかな漆黒の髪の女性が、この木を探し求めていた。
彼女が退魔師としての師匠になってから、私達は特別に強くなっていった。
戦乱の時代、強さは、安全に繋がる。
それが戦争に利用されるなんて想像する事もなく、私達は、無邪気に、強くなっていった――。
「……私、行かなくちゃ」
深い、黒。
星の無い夜空のような闇に、イオエルがぼうっと薄く浮かぶ。
ふたりの距離が、いつのまにか、遠くなりかけていた。
「待ってください! 俺も…………っ?!」
――届かない。
ぐっと胴体を掴むような力強い何かに、引き戻される――。
「幾億の夜を越えて、ずっとずっと、待ってた。でも結局、一番大切な流れ星に、私は、気付けなくて……。ごめんね…………」
「でもこうして、出会えた……!」
魔法拘束から脱するのと同じ要領で、謎の拘束力から抜け出す。
――今度こそ絶対に、離さない。
伸ばした自分の腕で、薄く輝く身体を、強く、抱き締める。
「………………っ」
ひとまわり小さな身体が、震える。
ずっと一緒にいる、約束。
その言葉のまま、彼女は純粋に、真っ直ぐに、待っていてくれた……。
「生きることを、諦めないでください。たとえ限りある命が終わっても、また新しく出会い、新しい大好きなところをみつけるんです。一緒に、何度でも。――愛しています…………イオエル」
「先生……アルヴァさん……っ……目を……目を開けて……」
ミラノは夢中で、全力で、薄紅色の回復魔法を掛け続けていた。
ユリウスとハーディスも手伝ってくれて、出血は止まっている。
なのに、まるで治癒を拒絶するかのように、ふたりとも全然目を覚ましてくれない。
「聖女様……もう……」
「まだです! 回復魔法が散らないうちは――――」
クレイの声に、強い想いで目をあげる――が、視界の端で起きた異変に、一瞬、息をのむ。
ざあ、と魔女イオエルの背中にあった黒い蝙蝠の羽根がほどけるように形を失い、人の大きさ位の、紫の羽根蛇が顕現した。
『――――遂に、この時が来たか』
「!! 聖女様、退がってください!」
「っ……!」
素早く身構えた剣士達を気に留めることなく、羽根蛇はぐるりと魔女のまわりを廻る。
『……この子が多くの人間に恨まれて築いた、戦争の無い世界。譲って貰った平和を守るのも壊すのも、お前達次第だ。我も自然に還る。あとは、好きにするがいい』
「…………ふっざけんな……。勝手に偉そうな事ばっかり、言うだけかよ! 神様的な何かだっていうなら、犠牲になった奴ら全員の命を返してみろ! まずはここに転がってる、ふたりからだ!!」
「クレイ……さん……」
――蛇と対峙したクレイの顔は、みえない。
『ふ……。意外だな、魔女探しの筆頭よ。……しかし…………。我は恨みの念をその身に返す。だが、人への愛には、幸いを返そう』
羽根をひろげた紫の体躯が、ぱあっと青色に輝いた。
「……?!」
羽根蛇が空高く翔んだ突風に青い雪が交じり、薄くなってきた夜空に、ひろく、舞い散る。
ふわりと落ちてくる、あたたかい、青い光。
青く輝く羽根蛇の姿は、空に溶けるように、消えていってしまった。
「……! ミラノちゃん、ふたりの様子をみてください」
「えっ……は、はい!」
ユリウスの声に、ぱっとふたりの手を取った。
冷たい手を暖めるように、強く、握り締める。
――ティユポーンは助けてくれそうな事を言ってた、けど、どうか本当に――……!
「…… ぅ……」
薄く目を開いたアルヴァが、小さく、白い息を溢した。
「っ……!! アルヴァさん……!」
「……俺は…………。イオ……イオエル…………ッ!」
はっと大きく目をひらいたアルヴァは、血溜まりのなかを這い、隣に横たわる女性を、必死に覗き込んだ。
彼はそっと、その白い頬を、優しく撫でる。
「……もうすぐ、朝ですよ。起きて下さい。あいかわらずの、寝坊常習犯ですね……」
「……そんなこと、ない。わたし、結構、早起きなのよ。歳のせいかもしれないけど」
暖かい声。
すう、とひらいた緑色の瞳。
「ふふ……みんな、私を倒しに来た筈なのに。助けたら、駄目じゃない」
そっとアルヴァに抱き起こされたイオエルは、少し困ったふうに笑った。
「セト――いや、イオエルってのが本当の名前か。……王様達の呪いは、どうなってる?」
ミラノの背中で、クレイの静かな声が、低く、落ちる。
――そうだ。
本当は、魔女を倒すことで、呪いが解けるはずだった。
「心配?」
「ああ。心配だな」
「……夜が明ければ、元気に目を覚ますわ。胸を張って凱旋なさい……。っ……」
そっと胸元を抑えた手を、アルヴァが拾いあげるように、丁重に握った。
「アルヴァ」
「はい」
――ずっと前から一緒だったような、静かな、呼吸。
支え合い、血溜まりに立つふたり。
そのむこうから、朝焼けが赤く、空を染めいてく。
「あなたと一緒に、いくよ。……もう、見失わないように……」
白い手が、アルヴァの頬をとらえる。
――けれど、その輪郭が、ほどけるように散りはじめた。
「っ……はい……。……待っています。今度は、俺が…………」
――傷は、治したのに――。
「先生……! ど、どうして……身体が……!」
「……この身体は、使い過ぎちゃったから。……追いかけてきてくれて、ありがとう……ミラノちゃん」
さらりとした茶髪が肩に流れる、いつもの、優しい笑顔。
その肩を、アルヴァの大きな手が、そっと抱きしめた。
ほどけていく。
赤い朝焼けが透けて、その姿が――消える。
朝日が、白く、差しこんできた。
どこまでも続くような、冬のはじまりの平原。
草原の夜露の匂いが、ざあ、と風のなかに満ちていく。
「……俺達は、あいつに、勝たせて貰ったのか……」
「戦争の無い世界が残ったのは、確かですね」
唇を噛んで眉を寄せたクレイの肩を叩いたユリウスは、抜身の剣をシャッと鞘に納めた。
「私にも、こんな結末が待っているとは予測出来ませんでした。――意外でしたよ。魔女の手下、ゼロファ=アーカイル」
はっとして、少し離れたところに佇んだ人影をみる。
すっかり忘れてしまっていたが、ふたりを背後から刺したのは、白い髪の、魔女の手下だ。
彼は蒼白な顔で、握っていた剣を、ガランと落とした。
「…………僕、は…………」
「――ゼロファ! お前、今度こそ逃げるなよ! 消えるのも禁止だ! お前が殺した仲間達のぶん、きっちり働いて貰うからな!!」
「クレイさん。ちょっと国際犯罪者をあの事業に入れるのは私が見逃しませんよ? 私、国防院総帥ですからね?」
「ぐっ……そこは見逃せよ……!」
そういうクレイとユリウスの後ろから、静かに、ハーディスが前に出てきた。
いつのまにか、手風琴と口風琴は、外している。
「……ゼロファお兄ちゃん。僕はずっと、ちゃんと話がしたくて、探してたんだ」
「……?」
蒼白な顔が、明るい青年の声に、ゆっくり、あがる。
「僕に、すごい力を教えてくれた。それで沢山の人達を護れたし、すっごく楽しかった。色々あったけど、僕は、これだけは絶対、伝えたかったんだ。――ありがとう。ゼロファお兄ちゃん!」
「……ハーディス……」
呆然としたゼロファの背中を、傍にいたソーマが、ポンと叩いた。
「ふふ、良い奴らだな。じゃあ今度は、俺が悪者になろうかな?」
「……ソーマ? う、わっ?!」
軽々とゼロファを抱き上げたソーマは、背中に巨大な黒翼を出して、ばっと大きく宙に羽搏いた。
「クレイ=ファーガス。ゼロファは逃げてないぜ? 俺が、こいつを攫って行くだけだからな~!」
「な……?! ソーマ、お前……!!」
ざあ、と巨大な黒翼の羽搏きが、旋風になる。
明るくなった空に、艶やかな黒い羽根が数枚、散り残った。
「……どいつもこいつも、都合のいい事言いやがって……。まぁ、俺もだが……」
「さて……、退路の隊員達は生きてますかね……。ミラノちゃん、大丈夫ですか?」
「……ぁ……」
ユリウスの声に、座り込んでいた自分に気付く。
なんだろう。
からだがふわふわして、どこか、現実感が、ない。
ユリウスの暖かい手をすり抜けて、ふらりとアルヴァの傍に寄り添う。
――ここで、あのひとは、消えていった。
うずくまったアルヴァの肩を、そっと、抱き締める。
「…………ぅ…………あああああぁぁぁぁ…………!!」
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