第37話
男が消えた後、その場はしばらく緊張に包まれていた。
人がひっきりなしに行き交う雑踏にもかかわらず、いまだ怒りに震えて立ち尽くしている十羽、普段は見せないほど真剣な表情で思案顔をしている社長、そんな二人を見ながらオロオロしているモールの若い責任者。そして俺はというと、どう発言すればいいか分からず、ただただジッと佇んでいる。
そんな中、軽い溜息とともに状況を動かしたのは社長。彼女はゆっくり十羽に近づくと、ポンポンと優しく背中を叩いた。
「……社長……ごめん、熱くなった」
「そうね。ちょっと周りが見えてなかったかもね。でも……気持ちは分かるわ」
十羽が「ちょっと頭冷やしてくる」と言って、一人でその場から離れていく。
そして、社長の視線が俺の方へ向く。
「六道くんもごめんねぇ。ビックリしたでしょ~?」
いつものような温和な笑顔を見せてくれた社長にどこかホッとした。
「い、いえ……俺のことは気にしないでください」
社長は微笑を浮かべながら「ありがとう」と言うと、今度は責任者に話しかける。
「それで、どうしてこんなことになったのか教えてもらっても構いませんかぁ?」
笑顔のままなのだが、誤魔化しや嘘など許さないといった有無を言わせない雰囲気を醸し出す社長に、責任者も引き攣った表情で「は、はい!」と返事をした。
それから話をするために個室へ案内されて、そこで一体何が起きているのか責任者から聞くことになったのだが……。
「――――なるほどねぇ。つまりダブルブッキングになってるってことなんですねぇ」
どうやら今度のイベントで【マジカルアワー】のアイドルたちがデビューライブを行う予定だったのに、そこへさらに別の予定が横入りしてきたというわけだ。
それは責任者のさらに上の立場にいる人が受けた仕事らしく、責任者も今日の朝にそれが伝えられたとのこと。
そしてその横入りしてきた相手こそ、あの謎の男が務める会社だという。
「ん~それはちょっと筋が通りませんよねぇ。最初に許可を得たのはこちらですよぉ」
「え、ええ、はい、まったくもってその通りで……」
若い責任者は小宮と言って、今回イベントを任されるのは初めてらしい。それでも最初は順調に話を詰めていけていたのだが、突如こんなことになり彼もまた困惑しているとのこと。
「上の人に話をしてみては?」
そう当たり前のことを俺が口にするが、小宮さんは渋い顔を浮かべる。
何でもあの男が務める会社には、このモールの上層部の人が世話になっているようで、できることなら男の方を優先してほしいみたいだ。だから小宮さんに、【マジカルアワー】に何とか退いてくれるように頼めと指示を受けたというわけである。
「それはまた……」
思わず俺もこめかみに手を当てて溜息とともに言葉が零れ出た。
いくら世話になってる人に頼まれたといえど、こういう場合は早い者順ではないのだろうか。横入りさせるなどマナーが悪いにもほどがある。
小宮さんも、どちらかというとまともな思考を持っているようで、本当に申し訳なさそうに頭を下げている。
その時、小宮さんのスマホが音を鳴らし、彼は少し席を外すと出て行った。
二人きりになったところで、一応ダメもとで男のことについて尋ねてみることに。
「あの……どうして十羽さんは、あんな感じになったか聞いてみてもいいですか?」
「……そうねぇ。こんな場面に出くわした以上は、六道くんにも知っておいてもらった方が良いかも」
どうやら拒絶はされないようだ。何となくあの男と十羽の、いや、【マジカルアワー】との関係を察しているが確信はない。だから聞いておきたかった。
「あの人の名前は――原賀って言って、元……【マジカルアワー】の社員だったのよぉ」
「……もしかして例の俺の前のドライバーですか?」
「うん、そう。ドライバー兼マネージャーをしてたわぁ」
やっぱり予想が的中した。つまりあの男こそ、【マジカルアワー】に陰を落としている張本人なのだ。
「もう六道くんも気づいてると思うけどぉ、タマモちゃんが男を雇うことに反対してたのも、夕羽ちゃんがあなたに強く当たるのも、全部あの人のせいなのよねぇ」
「……一体あの男は何をしたんです?」
特に十羽のアイツへの怒りはかなりのものだった。単純に事務所を辞めた程度では、あれほどの激情には至らないのではなかろうか。
「原賀くんはね、十羽ちゃんが紹介してくれた人だったのよぉ」
社長が語る少し昔の話。
その時はまだ、所属アイドルも空宮、月丘、夕羽の三人しかいなかった。それでも徐々に夕羽が忙しくなってきて、これからのことを考えてマネージャーとドライバーを雇うことになったのだ。
そうか。確か十羽さんは、元々事務員だったもんな。
だから当時はマネージャーもドライバーもいなかった。
それで十羽に心当たりがあるということで、連れてきたのがあの原賀だったのである。
「彼はよく気が利く人でねぇ。だからドライバーだけじゃなく、アイドルたちのケアもできるようなマネージャーも兼任してもらうことになったのよぉ。本人も乗り気だったし、こっちとしても助かったしねぇ」
マネージャー業務も完璧にこなす有能っぷりを発揮していたことから、空宮たちも彼を信頼していたという。
「特に十羽ちゃんと夕羽ちゃんは、彼を信じていたわ。元々十羽ちゃんとは高校時代からの繋がりで、度々夕羽ちゃんとも食事を一緒にしたりと、仲が良かったようなのぉ」
なるほど。つまり誰よりもあの男を信頼していたのは、十羽と夕羽だったというわけだ。
「けどね、ある日のことよ。順調に仕事をこなしていた夕羽ちゃんだったけど、何故か急に受けるオーディションが次々と落ちるようになったのぉ」
「それは調子を悪くした……ということではなく?」
「ええ。いつものように万全に望んでいたわ。けれど能力的にも絶対受かるはずのオーディションでも、一次審査すら通らないなんてこともあった。それである時、怖ろしいことが判明したのよぉ」
「怖ろしい……こと?」
社長が若干間を置きながら、そして静かに口を開く。




