第二十話 月樹・オルゴール
ついに、一軒目のアパートへの引っ越し当日。
ベランダに立って外を見ていると、いつの間にかれいれいが隣に立っていた。
「ここが、今日から私たちの暮らす家になるんだね。なんだか実感わかないなぁ…」
「そうだね。でも」
僕はそこで言葉を切った。
なんとなく言うのが気恥ずかしくなって、すぅっと息を吸う。
「中学校に入学してれいれいとリズさんに出会えただけでもすごくうれしいのに、3人で一緒に住めるなんて……すごく、夢が叶った気分」
「私も。これから3人で助け合って暮らしていけるんだね」
そう言ってれいれいはベランダの柵から身を乗り出した。
「景色、綺麗だね~!前に見たのは夜景だったけど昼の景色もいいね」
「うん」
目を閉じると初夏の日差しが瞼に落ちて、温かい。
そうか、もう夏なんだ。
入学してから――兄弟に出会えてから、3か月。
時間がたつのは早いなとしみじみと思う。
不意に部屋の窓が開いてリズさんが顔を出した。
「あなたたちいつまで新しい家を楽しんでるの?るきあとれいっかも早く荷物整理しな」
「もう!リズ姉ったら、お母さんみたいなこと言って。ちょっとくらいいいでしょー」
「ふふふ、なんとでも言いなさい。私はもう家具と私の分の荷物の片づけ終わったから、近所に遊びに行ってくる。あとで隣の部屋の人とかにみんなで挨拶しに行こう」
「そうだね。じゃあ僕もそろそろ片付けしようかな。リズさん近所に遊びに行くって言ってたけどどこに行くの?」
「そ、それは秘密」
それと同時に窓がぴしゃんと閉まり、部屋のドアから外に出る音がした。
「リズ姉、どこに行くんだろうね」
「さぁ……。ここの近くに遊ぶところあったっけ?」
「ないと思う」
「そうだよね」
ふと下を見ると、ボブヘアの女の子がアパートから出てくるのが見えた。
「あっ、あそこ見て!あれリズさんじゃない?」
「ほんとだ!あっちの方向って……二軒目のアパートの方向か」
「たしかそこの近くには公園があった気がする。公園に行ったんじゃない?」
「そうかも。わざわざ公園で何するんだろ」
「うーん……まぁ、リズさんのことはともかくそろそろ荷物の整理始めよう」
そう言って部屋へと戻る。
大量の段ボール箱が見えた。
「うわっ、荷物いっぱいあるね。片付けるの大変そう……」
なにしろ山中さんが気を使ってくれて、もともと僕のものでなかったものもたくさん送ってくれたのだ。
僕は近くにあった箱を一つ取って、紐をほどいた。
衣類か。こっちのタンスに入れておこう。
次々と箱を開けていくと、新しいものがたくさん目について面白い。
れいれいも黙々と作業を進めているようだ。
……と、
「ねぇるき兄!これ見て!!」
「どうしたの?」
れいれいが手に乗せたものを差し出してくる。
少し色のくすんだ、小さな宝石箱。
「これ何?」
「開けてみて」
不思議に思いながらもれいれいの手から箱を取ると、ゆっくりと蓋を開ける。
「――!!」
懐かしい旋律が聴こえた。
高くて美しい、オルゴールの音。
〰〰〰〰〰♪
気づけばメロディに合わせて歌っていた。
「いつか夢を空に描いた季節~」
こんなものがあったなんて、僕は知らなかった。
お母さんはいつの間にこれを作っていたんだろう。
「また明日、また出会う度に~」
僕の歌声にれいれいの歌声が重なる。
玲香の「玲」はたしか、玉がぶつかって鳴る透明な音という意味。
――ほんとにその通りだな。
透き通るれいれいの歌声を聴きながらぼんやりとそう思う。
だんだんとゆっくりになるオルゴールの音は、やがて止まった。
僕らの思い出が詰まった一曲。
「こんなオルゴールががあったんだ。知らなかった」
「これね、竜巻の直前にお母さんがくれたの。私はいつも寝つきが悪かったから、毎晩のようにこの歌をお母さんに歌ってもらっていて。これからは一人でも聴けるようにって、これをくれたの」
そうか、たしかにあのころのれいれいは寝つきが悪かった。
――うっ……お母さぁん……私、また眠れない……
――泣かないで。お姉ちゃんとお兄ちゃんが起きちゃうわ。
――べ、別に泣いてないもん!
――はいはい。よし、いつもの歌を歌ってあげるからこっちにおいで。
――お母さん、僕今起きちゃった。僕にも歌ってくれる?
――あら、月樹も?じゃあ月樹もこっちにおいで。
そんなことが度々。
――オルゴールもらえるなら僕も寝つき悪くしたらよかった。ずるい考えだけど。
あの頃はお母さんの歌を聞けなくなる日がくるなんて微塵も思っていなかった。
歌は入っていなくても、その音だけでも、お母さんが作り出したその旋律が僕の手元にあれば、僕は――
「ねぇ」
「うわっ!」
突然れいれいが背中に覆い被さってきた。
妹とはいえ同年代の女子なんだからドキドキしてしまう。
「るき兄、私たち三人ずっと一緒にいようね」
「そ、そうだね。急にどうしたの?ちょっと重いから退いてくれる?」
「えー、重いとか言わないでよ」
れいれいの髪から漂う甘い香りにくらっとする。
実は別に重くない。
でも早く退いてほしい。
「るき兄大丈夫?」
そのときだった。
ガチャリとドアノブが回る。
「ただいまー。荷物のせいr……あ、あ…その、邪魔してごめん!!」
言い終わらないうちにバタンとドアが閉まる。
「あ、リズ姉だー。どっか行っちゃったね」
「どっか行っちゃったじゃないよ!!見られちゃった」
「見られちゃったらまずいの?」
「恥ずかしいよ」
「そうかなぁ。兄弟だからよくない?」
「とりあえず、探してくる」
まだ体温で少し温かいドアノブを回すと外に飛び出す。
リズさんは案外すぐそこに座っていた。
「リズさん!あ、その、あれは違うから……」
「あ?どういう風に違うの?」
腕に埋めた顔を少し上げて恨めしそうに僕を見るリズさん。
れいれいを横取りされて嫉妬してるのかな?
「いや、だから、その」
「もういいよ別に。るきあはれいっかと一緒にいなよ。私は別にあんたなんて……」
「え、僕が何?」
「あっ、いや、いやいやいや。なんでもない」
「そっか。ね、部屋に戻ろ。リズさんもれいれいと仲良くしてきなよ」
そっと手を差し伸べる。
「れいっかと仲良く??……あぁ、私の態度をそういう風にとらえたんだね。もうそのままの考え方でいいよ。うん。そうだね、もう帰るね」
リズさんは僕の手を無視して自分で立ち上がると一人で部屋に入っていった。
「リズ姉!どうしたの?」
「なんでもない」
なんでもない、か。
妹を取られて嫉妬してたなんて本人の前で言えないもんね。
なんだか微笑ましいなぁ。
「るきあ、なににやにやしてんの」
「なんでもなーい」
「おい」
「なんでもないってばぁ」
「あのさぁ!」
「わぁリズさんこわぁい」
とりあえず、平和な日々。
そんなことから僕らの波乱万丈の同棲生活は幕を開けたのだった。




