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39:“私”も捨てたものではなかったようです

「……」


 ケリュネアやスルトの過去を聞き終わり、言葉一つ放つことができない。

 しかし、これで合点がいった。


 なぜ、この森に生きる者たちが『森族』と名乗っているのか。

 ケリュネアがスルトを知る理由。

 おそらく鉱石が採掘されなくなった原因も、そこにあるのではないだろうか。


「私は『ケリュネア=エルフィアス』の記憶こそ持っていますが、もはや別の存在。

 その意志までは継いでいないのです。むしろ、私は彼女の意志に懐疑的ですらあった。

 愚かだとも……。そして、ここへ訪れた人間は、やはりみなが彼女の記憶通りの存在。とても信じることなどできはしなかった……あなた以外は」


「……」


 ケリュネアが言葉にしてくれた信頼の言葉にも、言葉が見つからない。

 そんな様子を見かねた巨鹿は気遣うように続ける。


「セブン、あなたが気に病む必要はないのです。いま話したのは遠い過去に夢を抱き、信念を貫いた結果、すべてを失った者のお話。でもこれで、私があなたの『計画()』を聞いたときに告げた言葉の意味が分かったでしょう」


「……ああ」


「あなたはそれを知ってもなお、止まることはないのでしょう?」


「そうだ」

 

 ケリュネアの言葉に即答する。

 そこだけは、なにがあっても躊躇うことは許されない。


「ふふっ。だからこそあなたには知ってほしかったのかもしれない。

 ええ、これもきっと私の意思です」

 

 小さく笑い声をあげるその表情に、顔も知らない誰かの微笑みが重なった気がした。


 そして、ふわり、とケリュネアと俺の間、白い大地の一部から光が舞い上がりはじめる。

 そこから現れたのは、よこたわる人型の輪郭。

 まるで眠っているかのように、穏やかな表情で瞼を閉じた女性。


 しかしその姿は、本当に『人』であることを疑いたくなるほどに美しい。

 顔の側面。地に垂れる髪の隙間から覗くのは、人間でも、獣人でも、魔族のものでもない長く尖った耳。


「まさか、この人が……?」


「そう、これが《精霊の加護》を宿す《核》です」

 

 その肉体は時が止まっているかのように、千年もの時間を経てもなお朽ちてはいなかった。


「これがお前の……。でもなんで——」


「——」


 俺が疑問の声を上げようとしたとき、目の前から、ふいに巨鹿の姿が消えた。

 それに続くように、きんっ、と響く波動にわずかに顔をしかめてしまう。


 ……ふだんよりも強く放たれたように思えたそれに、なぜか不安を覚えた。

 それはきっと、ケリュネアが思念を放っていると感じられるのに、俺には『言葉』が聞こえてこないせいもあったかもしれない。


「……おい、ケリュネア?」


 虚空へと声を投げるが、返事はない。

 代わりに——ぷつり、と唐突に何かが途切れたような感覚が、意識の端に引っ掛かった。

 それと同時に、淡い光を放っていた《核》から急速に失われていく光が、さらに俺の不安を煽る。

 

 壮絶な『ケリュネア=エルフィアス』の過去を聞いた直後、連続する不可解に思考が追いつかない。

 ただ一つ分かるのは、ケリュネアが何かを始めたということだけだ。

 いったいなにを——、


「お待たせしました」


「——え?」


 その言葉に対して疑問の色が濃く出てしまったのは、声にまったく悪びれた様子がないことに憤っているからでも、聞き覚えがない声だからでも、声がすぐそばから聞こえてきたからでもない。

 

「お、まえ、ケリュネアか?」


 ゆっくりと横たえていた身体を起こし、こちらへ蒼い視線を向ける女性へと途切れ途切れに声を投げる。


「……」


 彼女はそれを無視すると、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、まるで初めて見るかのように、その作り物のように美しく端整な肢体をしげしげと流し見たのち、少しだけぎこちなさげに手足を動かしながらこちらへ近づいて——、


「ふむ、二本足で歩くというのは不思議な感覚ですね。それに、あなたがこんなに大きく見えるのも新鮮です」


「うおぅっ!?」


 鼻先まで近づいて見上げてくる絶世の美に、反射的にのけぞって距離を取り、自分でも奇妙だと自覚できるほどの声を発してしまった。

 やはり、その発言の内容からして、その『中身』はつい先ほどまで目の前にいた巨鹿なのだろう。

 

「おや、その反応。照れているのですか?」


「……照れないやつがいるなら見てみたい」


 からかうような色は帯びていないものの、なにやら意外そうな表情で俺を眺めるケリュネアに、なぜだか悔しくなり、顔を背けて投げやりな言葉を返す。


「ふふっ。彼女()も捨てたものではなかったようですね。——さて、時間がありません。スルトのもとへ行きましょう」


 捨てるやつの気が知れない——、ん?

 

「スルトのもとへ、って、さっきの話だとお前は森の中から出られないんじゃ——」


 言葉を遮ったのは、宙から降ってきた太い木の根。

 その軌跡をたどり見上げれば、植物でできた天蓋が目に入り、そこで違和感を覚える。


 ——なんで空からの光が見える? ここは木の繭の中……っ!?

 ようやく気がついたときには、もはや木の繭に満ちていた《精霊》たちの姿のほとんどが見えなくなってしまっていた。

 そして、まるで身体を支える骨を失ってしまったかのように、繭はいよいよ崩壊を始める。


「早くこないと埋もれてしまいますよ?」


「お前、いったいなにを——」


 いつのまにか出口に立ち、金糸を揺らしながら顔だけこちらへ向けるケリュネア。

しかし、彼女は問いかけには応えることはなく、再び歩き出し、その姿は見えなくなった。


「あ、おいっ——っ!」


 慌ててそのあとを追い、がらがらと騒音を立てる繭から飛び出すと、突風が吹き、思わず足を止めて両手で顔を覆った。


 ——この音。

 視界が塞がれ、代わりに聴覚が周囲の状況を捉えた。

 耳元で唸る風の音に、大きな何かが羽ばたく音が混じっている。


 風の音が止み、重たいものが柔らかく地に降りた音がする。

 両腕を降ろすと、そこには——


「……」


 なぜか表情を硬くしたファフニルの姿があり、無言でケリュネアを見つめていた。

 少しだけ間を開けて、竜はぽつりと漏らす。


「ぬし、本当に……」


「はぁ、そんな顔をしないでください。私だって正直、不安は尽きません。が、……あなたしかいないのです。——頼みましたよ」


「ああ、任されよう……」


 背後にいるためその表情は見えない。

 だが、はじめは心底嫌そうな声音だった彼女の声は、最後には信頼する仲間へと向けるものに変わっていたように思えた。

 ファフニルもその言葉を胸に刻むかのように、まっすぐにケリュネアを見据え、うなずく。

 

 さっきから起こっている心をざわめかせる現象に、まったく要領をえない二人の会話。

 ついに堪えきれなくなり、気がつけば叫んでしまった。

 

「おい、二人ともっ。いったい何を言って——」

「セブン、今から私が言うことを、よく聞いて」


 振り返った彼女の、まるで先ほどまでと重ならない、別人のような口調と表情に。

 俺ができたのは、せめて彼女の意志を汚さないよう、口をつぐむことだけだった。


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