15:《森の王》の感情、伝説の魔族の涙と煽る銀の従者
「この窪地一帯を使ってもらって構いません」
「こんなに……いいのか?」
「ええ。ここなら森族の民と無暗に接触することもないでしょう」
たしかに窪地の壁は人間二人分ほどの高さがあり、森の奥を窺うことはできない。
これなら幾分か人間の民も森族のツルキィたちも活動しやすいのではないだろうか。
——どれだけ史実を漁っても、人間と魔族が共生したという話はない。
それ以外の者とだって同様だ。
俺だって、先日まで魔族は人を襲う存在としか思っていなかった。
だから、今はまだ。
——でも、この国から始める。
少しずつ、少しずつだ。
「ありがとう。これだけあればかなりの収穫量が見込めそうだ」
ケリュネアとの約束を果たした俺は、これから農地として利用する場所まで案内してもらっていた。
その場所は予想以上に広く、使い勝手の良さそうな場所を用意してくれたケリュネアへの言葉は自然に感謝の念がこもる。
「……樹は伐採してかまわないんだな?」
——この窪地の中だけでも密林と呼べそうなほど草木が生い茂っている。
全て伐採しなければ収穫の量は厳しいものになるだろう。
だが——、
先日のケリュネアが姿を現したときのことを思い出す。
俺は、この巨鹿が森の何かと繋がっているように感じてしまったのだ。
だからもし、ケリュネアにためらう素振りがあれば——、
「窪地の中に限り、許可します」
巨鹿は淡々とその言葉を紡ぐ。
俺はケリュネアの瞳から感情の気配を読み取ろうと横目に見た。
——なんだ? この気配。
そこに悲しみや苦しみのようなものは感じない。
けれど、窪地を眺めるその瞳からはどこか郷愁めいたものを感じた。
「……ありがとう」
確かなことは分からないけれど。こいつが苦しんでいないのなら。
身勝手だと理解して、それでも誠意だけは込めて感謝を伝える。
「ああ、一つ忠告を」
だしぬけにケリュネアが言い放つ。
そして傍らに立つ俺の近くまで首を降ろし、見つめてくる。
なんだろう?
「なにか、危険でもあるのか?」
わずかに首を振り、ケリュネアは俺の問いを否定する。
俺の身体より大きな顔はそれだけでそよ風を生んだ。
「この土地の精霊たちは大地の上に実りがないことを嫌います」
「どういう意味だ?」
「つまり、仮に植物たちを伐採しても半日放置すれば——開拓のやり直し、ということです」
……それは、
「すごいな精霊」
俺は思わず苦笑気味になってしまう。
だけど、その特性をうまく利用できれば……。
俺は期待に胸を膨らませた。
城へ戻って早急に準備しなければ。
「そういえば、さっきの話だけど——」
話題を変え、側にあるケリュネアの見ると、
「……」
そこには樹皮でできたような皮膚を、顔の中心にぎゅっと寄せた巨鹿のしかめ面が。
これはなんの感情の気配か——目を見なくても分かるな。
あからさますぎないか……。
「そんな顔しないでくれよ。危険はないってわかってるだろ?」
俺は拝むように両手を合わせて、巨鹿に請う。
申し訳ないとは思う。だけど、俺はもうあいつを一人にしたくない。
「あなたの『計画』とやらの話と違いませんか?」
「今はだめだ。いきなりあいつは無謀すぎる。段階を踏まないと……」
「——はぁぁっ……わかりました」
目の前の俺に盛大な溜息を浴びせかける巨鹿。
その吐息は深緑の香りがした。
「——なぜだっ!?」
悲壮感あふれる声で吠えるファフニル。
あの伝説の魔族とうたわれた存在が表情をゆがめ、その瞳には涙すら浮かべでいた。
「何度も言ってるだろ。お前を連れ帰ったら大混乱になる。
……この森に来たときの、同じ魔族の反応を忘れたわけじゃないだろう?」
街中が阿鼻叫喚の渦に呑まれるのが目に浮かぶ。
ただでさえ、今の俺に国民の信頼はないんだ。
絶対に収拾がつかなくなる。
「ぬしは我の主だぞ! 眷属がそばにいて何が悪い!」
「だーかーらー」
駄々っ子か!
こいつ、俺より何百歳も年上なはずだろ……。
ファフニルしか知らないけれど、竜は寂しがりなのだろうか?
——数分前、俺はファフニルが森で暮らして良いとケリュネアから承諾を得た、と伝えた。
孤独を嫌がり、欲しくもない宝を奪って誰かと殺しあう。
そんな歪んだ形だとしても、他者との関わりを欲したファフニルだ。
きっと大喜びしてくれる。——そう思っていたのに。
——結果、予想とは真逆の反応で大騒ぎしはじめた。
「そこ! そこの小娘は良くて、なぜ我はダメなのだ!」
ファフニルは前足の指を、俺のそばにいるクロさんへ向けて吼える。
目の付け所は悪くない。
彼女は獣人。
本来、人間の中に居てはいけないとされる存在だ。
「——ふん」
俺が何かを言う前に、クロさんは失笑だと言わんばかりに鼻を鳴らす。
その瞳はファフニルを見据えて不敵に笑っていた。
「おい黒いの、お前の目は節穴か? 今の私のどこが獣人に見える」
……すごく喧嘩腰だなクロさん。
彼女は頭部の耳の覆うように鉢がねを身に付けていた。
もともと髪が長く、後ろで括っていたそれを降ろせば、もはやその姿は人間にしか見えない。
——その鉢がねは、先の戦闘で壊れ、持ち帰った彼女の兜の一部。
意外なことにツルキィは鍛冶師らしく、修理すると申し出てくれたが、彼女は断った。
そして代わりに、その破片を鉢がねに加工してもらったというわけだ。
表面には派手過ぎない意匠が施されており、クロさんの雰囲気によく似合っている。
もはや防具ではなく、装飾品と言っても差し支えない出来栄えだ。
うん、ツルキィは良い腕をしている。
——現実逃避気味の俺をよそに、二人の争いは激化しようとしていた。
「! ……ほう、気づいておらぬなら教えてやろう。見た目は誤魔化せても、その獣臭さは隠せておらぬぞ」
ニヤリィ。
「なんだと」
「やるか?」
売り言葉に買い言葉。
両者は口元は嗤い、目は笑っていないという器用なことをしながら睨み合う。
ぶつかり合い、周囲に撒き散らされる魔力と闘気。
因縁があるせいなのか、それとも全く別の理由でもあるのか、相性は良くないようだ。
……ツルキィが見送りに来るのを止めて正解だったな。
「やめろふたりとも」
嘆息しながら、今にも殺し合いを始めそうな二人の間に割って入る。
「うぬぅ……」
「申し訳ありません。お見苦しいところを」
俺の一言で、片方はしぶしぶといった雰囲気で、もう片方は跪き、両者は大人しくなる。
「これから開拓もある。なるべく会いに来るから我慢してくれ」
俺は手を伸ばしてファフニルの鼻を撫でる。
やはりこの黒曜石のごとき鱗は、見た目以上にすべすべで触り心地が良い。
「……約束だぞ」
不機嫌そうに言うファフニルだが、その瞳は心地よさそうに閉じられ、尻尾が揺れていた。
「ああ」
「あまりに遅いと城まで行くからな」
「冗談でもやめてくれ」
俺は真顔で即答する。
たぶん本当に来るだろうな……。
なるべく時間を捻出しないと不味い気がする。
「では、そろそろ戻りましょうセブン様」
「うん」
クロさんがそう切り出し、俺はファフニルから離れた。
たぶん心配なんてあまりされていないだろうけど。
だからといって、無駄に国王が城を開けるわけにもいかないよな。
「安心しろ黒いの。お前がいなくても、我が君は私がお守りする」
「ああんっ!?」
「だからやめろって!」
俺たちが《拓かずの森》から出てしばらくの間、ファフニルの遠吠えは聞こえ続けた。
セブンがファフニルやクロを「二人」と呼ぶのは、彼のある種の「気持ち」の現れです。
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