第1話(3)
部屋に入ると,来客の姿はまだ無かった。
「早かったわね。あら,トゥルーラ?」
「何やら楽しそうな予感がしたから着いてきたんだ」
「そうなの?いいわ。せっかくだし外で楽しみましょう。ルチア」
「分かりました」
リアネの指示で,ルチアは廊下に出て何人かの侍女に声をかける。準備にも時間がかからず,後はリアネの兄の姿を待つばかりとなった。
二人を部屋から連れ出し,用意したテーブルと椅子に案内していると,小走りでかけてくる音が聞こえた。
「ごめん!仕事が長引いてしまって遅れた」
「お兄様!大丈夫,たった今から始まるところなのよ」
「そうか……なら良かった」
ちら,と彼はルチアに視線を向ける。何事かと見つめていたルチアは思い出したように彼に礼をとった。
「あ,は,初めまして。ルチアと申します。先日からリアネ様付きの者として働くことになりました」
「初めまして。僕はエリス。リアネから話は聞いているかな」
「はい」
「お兄様,あんまりルチアをいじめないであげてね」
「いじめるだなんて,人聞きが悪いなあ」
「優しすぎることも時にはいじめのようなものですよ」
「トゥルーラまで」
エリスがやって来たことで,一気に場が明るくなる。給仕をしながら,優雅に談笑する三人を見やった。彼らは気品に満ちあふれ,その場に居る侍女たちは魅せられたように彼らを見つめている。
けれど,ルチアだけは違っていた。平民の出のルチアからすれば,侍女として仕えている彼女たちもまた,自分より身分の高い出なのだ。あわよくば気に入られて妾にでもしてもらえるだろうが,ルチアにはそんな気も無い。家族らしく楽しそうに話をする姿を見て,ルチアの胸は小さく痛む。いつもの癖でそっと胸元に隠したペンダントを握りしめる。
「そうだ。今日はルチアに話があって来たんだ」
「え,私にですか?」
慌てて意識を三人に向けて,居住まいを正す。
「リアネのところに新しく来た侍女がとても優秀らしいって王宮内でも噂されているよ。そこで近々開催される鷹狩りに出てみないかって話が持ち上がったんだ」
「私が鷹狩りに……」
「ああ。君の実力が試される機会でもある」
「危険じゃないの?」
「大丈夫,場所も王宮管轄の森で行うし,女性も多数参加するんだ」
ルチアを心配したリアネが眉を下げてエリスに問うが,優しい笑みは崩れることなく彼女の頭に手が乗せられる。
「もちろん,ルチアの意思を尊重するけど,リアネの為にも出て欲しいというところが本音だけどね」
「私の?」
「侍女の評判はそのまま主人の評価に繋がる。二人の婚約をより確固たるものにすることが出来る催しでもあるんだよ」
「なるほどな……。俺は賛成しかねる」
険しい表情でエリスを見据えるトゥルーラにその場の誰もが息を呑む。それくらい今の彼は普段よりも暗い雰囲気を醸し出していた。
「で……でも,良いことなんでしょう?お兄様も安全だって言っているのよ」
彼のそのオーラに負けじとリアネも言い返す。淡い緑色の瞳が揺らいだ。ため息を一つついたトゥルーラはあきれながらも言葉を返す。
「そんなの建前でしかないだろう。本当の目的は何だ」
「目的も何も今言ったことが事実だ」
「どうだか。この国は隠し事が多いからな」
「あの!……私,出ます」
冷たい言い争いに発展しそうなところをすんでの所で断ち切る。四人の間に気まずい沈黙が訪れた。意を決してルチアは口を開く。
「リアネ様の評判に繋がるかどうかは分かりませんが,確かに私の力がどこまで通用するか確かめる良い機会だと思います。認めてもらえなければ,リアネ様をお守りすることは出来ないでしょうから」
「ルチア」
「トゥルーラ様が心配してくださるのは嬉しいですが,これは私へのお話です。ですから,私の判断で,鷹狩りに参加します」
迷いなど一切感じさせない瞳でトゥルーラの目を見る。その真剣さを捉えたのか,トゥルーラは諦めたように再びため息をつく。やがて好きにしろと言わんばかりの態度で徐に立ちあがり,その場に背を向けて歩き出してしまった。
止める間もなく,残された三人は困ったように顔を見合わせる。
「お兄様もルチアも気にしないで。彼,いつもああだから」
「トゥルーラの言いたいことも分かるんだけどな。……ルチア,本当にいいのか」
「先ほどそう申し上げましたが」
「分かった。私から報告しておこう。鷹狩りの規則は後で伝えさせる。ルチアは自分の鷹があるか」
「ここには居ませんが,呼べば来ます」
「まあ,ルチアは自分の鷹がいるのね」
話題は楽しいものに変わり,そこからしばらくはルチアの鷹の話やエリスの腕前についてなど,和やかな雰囲気で時間が過ぎていった。一時間ほど経った頃,エリスが呼び出された為,お開きとなった。
リアネを部屋に送り届けてから,エリスはルチアに声をかける。
「どうかされましたか」
「鷹狩りの件なんだが,トゥルーラが言っていたことは間違ってはいない」
「それは……どういう……?」
「僕も詳しくは分からない。けれど何か良くないことが起ころうとしている。来たばかりで負担をかけてしまって悪いけど,気をつけてほしい。リアネも狙われることが無いとは言えない」
その真剣な態度にルチアは深くうなづいた。自分の主人が傷つけられるのかも知れないのだ。また体力作りを再開しようと,エリスと別れた後,そう考えつつリアネの居る部屋へと戻った。
「ルチア,そろそろドレスが届くと思うから仕立屋を迎えに行ってもらえるかしら」
「うん。行ってくる」
ぱたぱたとまだ庶民らしさの残る足取りで向かう彼女を見送り,小さくため息をつく。彼女が来てまだ一日しか経っていないというのにリアネは気づかされていた。トゥルーラのいつもと違う態度に。
普段であれば侍女のことなんて話題にもしないというのに,気に入っているのか,やたらと割り込んでくる。さっきのことだってそうだった。彼女が怪我をしようが何だろうが彼には関係のないことのはずなのに,いつものやる気のなさそうな態度はどこへやら,食い下がってきた。それに……と彼をよく見ているリアネだから分かる些細な変化を頭の中で並べていると扉がノックされた。
あまり来客の多くないリアネは誰だろうと首をかしげながら一人,扉の外に向かって返事をした。
***
王宮はルチアが思っているよりも広く,歩いている途中で迷ってしまった。
「方向音痴ではないと思ってたけど……ここはどこ?」
変な場所に来てしまっていないか心配になるが,何人かとすれ違っているので怪しい場所ではないのだろう。誰かに声をかけようかと思ったが,みんな他人に構っていられるほど暇ではないようで,誰もルチアを気にかけない。迷子だということすら気づいていないのだろう。
「絶対待たせてるよね……仕方ない」
人気の無い場所に入り込み,小さく言葉を紡ぐ。周囲に淡い光が舞った。
「王宮の正門に案内してもらえる?」
その光は分かったとでもいうように一度明るく光る。彼女はこの国では珍しい魔力持ちの少女であった。光の正体である精霊の姿は魔力持ちにしか見えず,力を隠しているルチアはなるべく見つからないように精霊を手の中に収め歩き始めた。楽しそうにはしゃぐ精霊に相づちをうちながら目的の場所へとたどり着く。
その背後に銀色の長髪がなびいて揺れたことには気づかずに。
「お待たせしました」
帰りはさすがに覚えたようでしっかりとした足取りでリアネの部屋へ戻った。
しかし返事はなく,不審に思って足早に室内に入るとそこにリアネの姿はあった。ただ,どこか瞳は虚ろでまるで魂を吸い取られてしまったかのようだ。
「リアネ様?」
彼女の元へと駆け寄り,赤い瞳が心配そうに覗き込む。そっと肩に触れると,はじかれたように身体を揺らし,瞬きをした。
「あれ?私……寝ちゃってた?」
「大丈夫?何かぼーっとしてた」
「何でかしらね」
小さく笑ってごまかすリアネに首をかしげる。本当に心当たりが無いのか,さっきまでの雰囲気はとうに消え去ってやって来た仕立屋と談笑を始めた。
朝頼んだものが夕方には出来上がっているのだから,本当にすごい。そう感心しながら,ルチアはリアネに見立ててもらったドレスを身に纏う。濃紺色が彼女の美しさを際立たせ,けれど上品さを忘れてはいないそのドレスは,さすが王宮御用達の仕立屋と言うべきか。その場に居た同じ侍女たちも,自ら手がけた仕立屋でさえも魅せられずには居られないほど似合っていたのだ。
対し,リアネもまた,王女の品格を漂わせ,儚さを助長するようなデザインで色もアイボリーと人々の注目を集めるだろうことが容易に想像出来た。
「さ,準備も出来たし行きましょう」
「本当に私なんかが行ってもいいの?」
「いいのよ。貴女は私の後に倣ってもらえれば問題無いわ。大丈夫」
おずおずとリアネの後ろに着いていく姿はまるで本当の妹のようで,リアネもふ,と笑みが漏れる。
扉を開け,廊下に出ると待っていたとばかりに小さなため息が聞こえてきた。トゥルーラは大分前から待っていたようで,いつものことだとは思いながらため息をつかずにはいられない。
「女の支度は準備がかかるのだから,いい加減慣れてちょうだい」
「エスコートする俺の身にもなって欲しいところだがな」
婚約者らしく自然と手を取り歩き出す姿は誰がどう見てもお似合いの二人だった。どうしたものかと呆然と二人を見送ってしまったルチアはその場で一人立ち尽くしてしまう。部屋に戻ることも出来ずにそろそろと,慣れない豪華なドレスに苦戦しながら何とか歩いて行くことにした。
歩きながらふと昔を思い出す。母は私をどこに出しても恥ずかしくないようにと庶民がいつ使うのか分からない作法をあれこれと教えてくれた。ダンスのステップ,歩き方,食事の作法,挨拶の仕方……思い出せば懐かしく一人小さく笑ってしまう。役に立たないと思っていたものがこんな時に役立つなんて人生は分からないものだと,どこか憂いを含んだ表情を浮かべる。
相変わらずペンダントはそこに存在しており,触れれば幼いながらも彼と一緒にダンスをした光景が蘇る。
「アース……」
自分より二つ年上の自慢の恋人だった。今の姿を見せたい相手がもうどこにも居ない。それがルチアにとってどれだけ悲しいものか,知るものは誰も居なかった。
不意に涙が零れる。十六歳のルチアにとってここは独りぼっちの世界なのだ。けれど,弱音を吐くことは絶対にしなかった。自分には果たすべき目的がある。そう自分を奮い立たせて,涙をぬぐい,前を向いた。
「ルチア!」
前方からルチアのことを呼ぶ声が聞こえてくる。暗闇に目をこらすと,先ほどトゥルーラにエスコートされていったはずのリアネが駆け寄ってきていた。
「リアネ様?」
「あぁ良かった……。突然居なくなるから心配したわ。慌てて戻って来ちゃった」
「ごめんなさい」
「いいえ。気づかずに先に行ってしまった私も悪いの。ごめんなさいね。今度は私がエスコートするわ」
「え!」
有無を言わせず手を取られ,ただリアネに着いて行くことしか出来ないルチア。楽しそうに歩くリアネを見て姉が居たらこんな感じなのかも知れないと内心で思いながら転ばないように歩く。そんなルチアを気遣ってか,普段よりゆっくり歩くリアネは鼻歌を歌い出しかねないくらい上機嫌だった。
会場であろう入り口にたどり着くと,そこはもうすでに賑やかで,楽しそうな音楽とともに人々のざわめきが流れてくる。
「急にどこに行ったのかと思えば,忘れ物か」
「そうなの,大事な忘れ物よ」
放置されたトゥルーラが入り口に立っており,二人の会話からどうやら自分は物扱いをされているようだと気づき,ルチアは恥ずかしそうに身を縮こませた。
「私が先に入るからルチアは後に続いて一礼してから着いてきてね」
「う,うん」
不安そうにうなづいたルチアの頭を撫でて,隣に立つ彼の手を取る。その様子を見ていたルチアはぼーっとしていたらまた置いて行かれてしまうと,首を振って深呼吸をする。
王女の登場に会場内では拍手が起こる。その後ろに続くルチアにはほとんどが気に止めなかった。しかし,若い男子達は違う。これまで幾度となく出てきた夜会に,見たこともない若く美しい女性が現れたのだ。緊張で顔を上げることすらできないルチアは気づかないが,その視線ははっきりと彼女に集まっていた。
やがて拍手も止み,再び賑わいを見せたところで彼女に視線を持って行かれた男達はわっと王女であるリアネに集っていった。王女に挨拶をしながらも向くのはその後ろに居る存在。
いつもはあまり感情を出さないルチアが,今だけは困ったように辺りを見回している。その姿さえも可愛らしく,是非自分が手を取ってあげたいと考える程だった。
「ご機嫌よう,皆様。今日はお越し頂きありがとうございます」
「いえ,こちらこそお招き頂きありがとうございます,それで……」
「是非楽しんでいらしてね。では」
そう言ってリアネが手を取った相手は隣に立つトゥルーラではなく後ろのルチアだった。その行為に苦笑し,トゥルーラが恭しく一礼をしてその場を離れる。
「ルチアは何が食べたい?」
「え,あ,トゥルーラ様は良いの?私,居ない方が……」
「何言ってるの。言ったでしょう,自由だって。私は貴女と過ごしたいから誘っているのよ。それとも,私じゃ不満?」
「ううん!本当は緊張してて……リアネ様が居てくれるならすごく嬉しい」
照れたように笑うルチアに周りが感嘆の息を漏らす。二人が並んで歩く姿は,まるで姉妹のようで一部ではあの令嬢は誰なのかと噂されていた。