第1話(1) 王家に仕える者
のんびり書いていきたいと思います。お手柔らかに。
しん,と静まりかえる王宮の中で響く,二つの足音。
やがて一つの扉の前で止まると,そのうちの一人が扉をたたく。
「はい」
中から返事が聞こえると扉をたたいた人物がゆっくりと扉を開け中へ入る。それに続いてもう一人もまた中へ入る。
「あら,サザールじゃないの。珍しいわね。どうしたの?」
中には気品を身にまとった若い女性が一人,窓辺で本を手にし座っていた。淡い緑の瞳に色素の薄い髪色は,彼女をさらに魅力的にさせている。
「今日はリアネ様の新しい侍従を紹介しに来ました」
と,サザールと呼ばれた男性は背後にいる彼女を見やる。一歩前に出たその少女は,ぎこちなさを残しながらお辞儀をする。
「ルチアです。よろしくお願いします」
彼女の瞳は燃えるように紅く,それを映えさせるかのように漆黒の黒髪が腰まで流れていた。
彼女を見た王女は,何かに魅せられるようにじっと彼女を見つめる。
「あの,私の顔に何か?」
「あ,ううん何でもないわ。ただ,美しいと思ってしまって」
「……ありがとうございます」
褒められた彼女の表情は喜んでいるというよりも,どこか憂いを含み,とても寂しそうに見えた。
「それでは,私がいては会話も弾まないでしょうから失礼しますね。ルチア,王女を頼みます」
「はい」
サザールが去った後,リアネは口を開く。
「ルチア,ここに座って?」
「そんな……私の身分でリアネ様の向かいに座るのは……」
「いいじゃない。ここには私たち二人しかいないのよ,って言っても駄目かしらね。じゃあ命令。ここに座って?」
「……分かり,ました」
白を基調とした部屋は落ち着いていて,だけど華やかさを忘れてはいなかった。そんな調度品の中に自分がいることにルチアは違和感を感じてしまう。
おずおずと椅子に腰を下ろしたルチアに,リアネは質問をしていく。
「年は?」
「十六です」
「あら,私と近いわね。私は十八よ。ルチアはどうしてこの仕事をやろうと思ったの?」
「仕事を……探しに王都に来ていて……張り紙があったので応募してみたんです。そしたら合格したので,それで」
「そうなの。親元を離れて大変だろうけど,私も支えるから遠慮しないでね」
「支えるだなんてそんな……。私がリアネ様を支えなくてはいけない立場なのに」
「ふふ,いいのよ。私嬉しいの。周りに同年代の女の子っているにはいるけれど,みんな殿方の話とか家の自慢ばかりで退屈してたから。ルチアが来てくれて,これからいろんな話ができるかと思うとすごく嬉しい」
「そんな風に言ってくださるなんて……ありがとうございます」
他人行儀な振る舞いをするルチアにリアネは少し不満に思った。彼女はすでに妹を持った気分でルチアに接していたからだ。
「ねぇ,ルチア。そんなによそよそしくしなくてもいいわ。……そうだ!その敬語,やめない?」
「えっ?」
「それがいいわ。ルチアも敬語なんて疲れるでしょう?私はあまり好きではないの」
「で,でも」
「私がいいって言ってるんだからいいのよ。今すぐは無理かもしれないけれどそうして?ね?」
しばしの沈黙の後,リアネの期待のまなざしに耐えきれず,結局はルチアが折れることになった。嬉しそうなリアネに不安げだったルチアの表情が少しだけ和らぐ。
「リアネ様は,その……いつもここに一人でい,るの?」
目上の人間に対しての慣れない言葉遣いに苦戦しながらルチアも質問する。
その質問に一瞬だけ目を伏せてからリアネは答えた。
「そうね。私は体が丈夫な方ではないから,あまり出歩いたりはしないわ」
「そっか。寂しくはない?」
「えぇ。みんな優しいし,不満もない。ただ……」
リアネの次の言葉を遮ったのは,誰かが扉をたたく音だった。
「どうぞ」
「失礼します」
扉が開き一人の男性が現れる。落ち着いた雰囲気をまとい,深い蒼の瞳はそれを表しているようだった。慣れたように室内に入り歩を進めると,背を向けているルチアに気がつく。
「おや,先客ですか」
「ルチアよ。今日から私に仕えるの」
「よろしくお願いします」
「ルチア,彼はトゥルーラ。私の,婚約者」
「どうぞよろしく」
立ち上がって挨拶をしたルチアにトゥルーラはつかつかと歩み寄り,手を差し出す。ルチアが差し出された手をそっと握ると,トゥルーラは彼女を引き寄せた。
慌てて身を離そうとするも,腰に手を回され離れることができない。
「あ,あの……!」
「トゥルーラ!」
「今夜,中庭に来い。……すみません,からかってみたくなったもので。貴女の顔を見に来ただけなのでもう戻りますよ。それじゃあ」
彼はいたづらを楽しむかのように笑って部屋を出て行った。
残されたのは少し気まずい雰囲気。それを破ったのはリアネだった。
「ごめんなさい。彼,女性をからかうのが好きみたいで……。悪気はないのよ」
「謝るのは私の方だよ。リアネ様の……婚約者なのに」
「ルチアにまで気をつかわせて……困った人だわ」
眉を下げて困った表情を見せるリアネだが,その瞳は彼を心の底では憎んでいないように見えるとルチアは思った。だけど,なぜ困ったと言っているのにそんな風に相手を思えるのか,その気持ちが理解できなかった。
「でも,好き,なんでしょう?」
「……えぇ。惚れた方が負けなのよ,結局」
穏やかな日差しが差し込む中でそうつぶやいたリアネは,やはり美しくて消えてしまいそうだと感じさせた。
「あら,いやね。こんな話するなんて。今日は戻っていいわよ。明日からよろしくね」
「うん……」
会話を強制的に終わらせるリアネに,ルチアはかける言葉も見つからずそのまま部屋を後にした。
事前に教えてもらった自室に戻ろうと廊下を歩いていると向こうから見覚えのある人物が歩いてきた。先ほど会った,トゥルーラだった。
「よぉ」
「どうも……」
挨拶だけを交わして立ち去ろうとしたルチアだが,腕を掴まれ立ち止まる。
「何ですか」
「さっきの言葉,忘れていないよな?」
「忘れてはいませんが……行きません」
拒否の言葉に彼の掴む手が強まる。思わず顔をしかめたルチア。
その表情に気づかないのか,彼はそのまま言葉を紡ぐ。
「いいか,絶対に来いよ」
自信に溢れたその言葉にルチアは嫌悪感を抱いた。彼をにらみつけるように見るが,次にルチアが表したのは驚きの表情だった。
彼の瞳に浮かぶ,沈んだ感情。からかっているはずなのに,本人はそれを心から楽しんでいるようには見えなかったのだ。
「分かり,ました」
放っておけないと感じたのか,ルチアが発したのは了承の言葉だった。
満足したように,うなづいて去るトゥルーラを見やりながら,ルチアは小さくため息をつく。初日からなぜこんな災難に合ってしまうのだろうか。服の中に隠していたペンダントにそっと手をやる。
「……大丈夫」
自分の目的を失わないように,そう呟いた一言は誰に聞かれるでもなく静寂の中へ吸い込まれていった。
***
その夜。どこか遠くで梟の鳴き声が聞こえる静かな中,月明かりでほのかに照らされる王宮の廊下をルチアは歩いていた。
「明かりはいらないわ。ありがとう」
傍から見たら独り言のように見えるのだが,ルチアには見えていた。精霊の姿が。
この力は普遍的なものではなく,極めて特殊な力なのだがあまりにも稀であるため認知している人の方が少ない。仕え始めたばかりなのに,騒ぎにはしたくなかったルチアはできるだけ力を使うことを控えようと思っていたため,精霊の質問にそう答えたのだ。
重い足取りで廊下を進み,月明かりできらきらと照らされる中庭の中央にある噴水へ腰をかける。絶え間なく水が溢れ出る噴水の水面はゆらゆらと映し出す月をゆがめていた。
「私も……」
言いかけた言葉を途中で止め,ルチアは立ち上がった。足音がした方に体を向けると,昼間よりは幾分楽な格好でトゥルーラが立っていた。
「約束は守ったんだな」
「トゥルーラ様がおっしゃいましたから」
「そこはもっと可愛らしく言ってほしかったところだが……まぁいい。お前もここに座れ」
噴水を囲むように円形に木々や花が植えられ,2,3人が座れそうな椅子がいくつか設置されている。そこの1つに腰かけたトゥルーラは自分の隣を指す。
「私はそこに座るような人間ではありません」
「身分ってやつか。面倒だな,全く」
「それで,何か用がおありですか」
「……いや,別に」
夜空を見上げながら,そっけなく返事を返すトゥルーラ。呼んだのはそっちの方なのに……と不満げな表情をルチアは浮かべる。
「ただ……話がしたかっただけだ」
「そう,ですか。トゥルーラ様はずっとこちらにいらっしゃるんですか」
トゥルーラの国はネオ王国の隣に位置するラック王国の王子だ。婚約者と言えども嫁ぐのはリアネでありそうなところだが,トゥルーラがこちらにいるのは何故だろうか。そんな疑問を口にする。
「いや,もうじきあっちに戻る。父上が行ってこいとうるさかったからな。お前はどこの出だ?」
「ネオとラックの境からです」
「ネオとラックの……もしかしてネオのエルヴィン領の土地が壊滅したところか?」
「はい」
「家族は」
「亡くなりました。みんな」
「そうか」
同情するでもなく淡々と発せられる言葉。トゥルーラの言葉にはどこか冷ややかな感情が入り交じっているように聞こえた。
「トゥルーラ様は,リアネ様を愛していますか」
「どうだかな。俺にとって結婚は,国のいさかいを一時的に収めるものだと……そう教えられてきたからな」
「寂しくはありませんか」
「お前に何が分かる」
一歩踏み込んだ質問をしてしまったとルチアはすぐに気づく。彼の冷たい瞳は暗い夜のなかでもルチアの胸を突き刺した。
恐れるわけにはいかないと,視線を逸らさずにじっと見つめていると不意にトゥルーラの表情が緩む。
「お前は強いな」
「え?」
「強い女も好きだが,もう少し女らしいともっと好きだ」
「……おっしゃっている意味が分かりません」
「いい。お前はそのままで。さて,夜も更けてきた。部屋に戻っていいぞ」
変な人だと思いながら一礼をして戻ろうとするが,背を向けた瞬間に見えた彼の表情にルチアの足が止まる。しばらく迷った後,ゆっくりと彼の隣に腰を下ろした。
「何だ」
「今日の私の仕事は終わりました。今は何の役柄もない私です。……もう少しだけ話し相手になってあげます」
前を向いてそう言い切ったルチアにトゥルーラは笑い出す。そして,ルチアの頭を大きな手でわしゃわしゃとなでた。
「わ……っ!トゥルーラ様!」
「お前は面白いな。言葉に甘えて話し相手になってもらおう」
話してみると初めに抱いた感情はあっさりと消え去り,思っていたよりもずっと国のことを考えているとルチアは話しながら考えていた。彼の言葉は少し冷たく感じるが,今はそれが彼を守る盾であるように思えた。
「お前には夢があるか」
「夢,ですか。私には……。トゥルーラ様は?」
「俺か?……恥ずかしい話,国民全員が幸せでいられるようにしたいと思っている」
「全員が幸せに,ですか」
「ばかげた話だとは自分でも分かっている。でも,幼い頃に叔母がこう言っていたのを最近思い出すようになってな」
“幸せは周りの人も幸せにするのよ。”
その言葉にルチアも聞き覚えがあった。懐かしい記憶の中で,母も似たようなことを言っていた気がした。
「そうやって幸せが広まって,幸福な国にしたい。そのためにはまだやらなくてはいけないことはたくさんあるけどな」
「素敵だと……思います」
ルチアのその言葉は本心から出たものであった。ただ,その中に自分は入ってはいない……入ってはいけないと思いながら。
不意に涙が零れる。慌てて立ち上がると,顔を見られまいと深く頭を下げて別れを述べ,部屋へと駆け込んだ。
「なんで,涙なんか……!私は何を……期待しているというの」
その場へと座り込みただ静かにこらえきれない涙を流した。彼女を照らすのは欠けた月明かり。ただ静かにその夜は更けていった。
***
突然ルチアの様子が変わり引き止める間もなく行ってしまった後,トゥルーラは小さくため息をついた。
「いるんだろ。出てこいよ」
「勘の良い方ですね全く」
物陰から,長髪を月明かりに照らされ銀色に輝かせるサザ-ルが現れた。
「聞いていたのか」
「えぇまぁ。遊ぶのは結構ですが,くれぐれもリアネ様にご心配をおかけなさいませんよう」
「分かっている。……結末が同じなら俺は俺らしく生きるだけだ」
「そうですか……。夜は冷えます。トゥルーラ様もそろそろお戻りください」
「あぁ……」
サザ-ルが去った後もトゥルーラはしばらくそこで欠けた月を見つめていた。