第五話 運命のくじびき
夕食は、とんでもなく絶品だった。館がフランス調であれば、料理もフランス風だった。しかもコース仕立て。どれもこれも目に楽しい、美しい飾り立てで、さらには舌も喜ぶ味付けだった。
マナーなんて気にしなくていい、食べやすいようにお食べ、と桐生先生が言ってくれたので、私や他の生徒の大半がお箸を使ってご飯を食べた。けれども、桐生先生は気負う事もなく慣れた調子でフォークやナイフを扱っていた。
――というわけで、和気あいあいと夕食は済んだのだが、そのまま肝試しの準備、つまりペア決めをしようということで、私たちは隣の部屋に移った。
隣の部屋も夕食を食べた場所と同じくらい広々としていた。東側の壁は全て硝子張りの大きな窓になっていて、テラスと繋がっている。テラスの向こう側は、部屋から覗いた野原だ。窓の外はすっかり暗くなっていた。かろうじてテラスまでは見えるが、それ以上先を覗き込もうにも、硝子に反射する自分自身が邪魔でよく見えない。それくらい外に光源がなかった。
部屋の中にはふかふかそうなソファーが置かれ、丸くて華奢なデザインのテーブルがあちこちに三つほど並べられていた。テーブルが分かれて置かれているのは不思議な感じがするけども、もしかしたらちょっとしたパーティーをする時に使う部屋なのかもしれない。部屋の南端部には小さなキッチンがあり、紅茶を入れたりデザートを用意するくらいなら出来そうだった。本格的な料理には向かなさそうだ。
早速、吉村先生がキッチンに入り込み、紅茶を淹れてくれていた。桐生先生は用意してきたとかいう地図やくじを取りに部屋に戻っている。他の先生方がそんな風に動いているのに対し、小鳥遊先生はソファーにぐでんと横たわり、天井の煌びやかな明かりを見つめていた。
「居眠りでもするつもり?」
蘭子先輩が鼻で笑いながら小鳥遊先生に問いかける。先生は、いや、と短く答えただけだった。不潔で無遠慮であれば愛想もない。全く。
「はい、紅茶が入りましたよ」
吉村先生が笑いながら声をかける。近くにいた私と美樹が、キッチンに回り込んだ。
キッチンと言えども、私の家みたいに食器や料理道具でゴチャゴチャしているわけではない。壁際に真っ白で可愛らしいデザインの食器棚が置かれていて、硝子扉を開けてみると、ティーカップとスプーンがぶら下げられていた。カップの取っ手の部分が、ローマ数字を象ったピンにひっかけられている。スプーンも持ち手のところに小さな穴があり、カップと対応するように、そのすぐ下に刺された小さな針にひっかけられていた。
うちの家はカップは重ねて置いてるし、スプーンも引き出しに乱雑に置いているだけだから、その並べように驚きを通して呆れかえってしまった。
「一番から取ってくれる?」
神経質な吉村先生はわざわざそんな注文を付けてくる。ローマ数字で並べられているものが歯抜けになるのが嫌なのだろう。カップやスプーンに違いがある訳でもないのに。
「はい」
Ⅰのピンからカップを外し、そのすぐ下のスプーンも取って、吉村先生に渡す。私の隣では、うずくまった美樹が、食器棚の下の扉から真っ白な丸皿を取り出して、先生に渡していた。皿の方は並べているわけではないらしい。
「悪いけど、雪下さん、これ運んでくれる?」
美樹が渡した丸皿の上にカップを置き、そこに吉村先生が紅茶を注ぐ。美樹はハーイと明るく返事をし、適当に生徒たちにサーブして回った。私はひたすら順番にピンからカップとスプーンを外し、先生に渡し続けていた。
せっせと手伝いをしていれば、桐生先生も戻ってきたので、彼に紅茶を渡し、私と美樹も受け取ると、吉村先生は最後の分を自分用として注いだ。そうすればティーポットは見事に空になってしまった。どうやって量を調節したのだろう。大雑把な私には到底無理な気がする。
「初めて参加する人もいるから、改めて肝試しのルールを説明するね」
桐生先生はティーカップを片手に、テーブルの上に地図を広げた。みんながその周りに集まっているのに、小鳥遊先生だけカップを持ったままふらりと輪から離れる。何をするのかと思えば、キッチンからこちら側に突き出しているカウンターに置かれた砂糖に手を伸ばしていた。紅茶に入れるのかと思ったが、つまらなさそうに見つめているだけである。いや、話を聞けよ。
「えっと、ここが、広場ね。テラスの向こう」
小鳥遊先生のことはどうでもいいや。
私は桐生先生の広げた地図に目線を戻す。島の簡易地図だが、ほとんどが緑色で埋まっていた。その中央が白く四角に塗りつぶされており、おそらくこの別荘だと見当がつく。すぐ東側に大きな空間があり、広場、と丸字で印刷されていた。
「この広場からスタートして、西側へ行ってもらいます」
ちょうど別荘の後ろを通っていく形だ。
「そのまま、島の北西を目指してもらう」
すいすい、と桐生先生の指が左上へ上がっていく。島は北西に少しだけ突き出していて、ここから北西に向かうにつれ、標高も緩やかに上がっていくので、その突き出した部分は崖になっているという。
「一応、柵があるけど、あんまり崖の縁には近づかないようにね。崖の手前から森が開けてるから、そこにお菓子を置いてあるよ。到達したら拾って広場に戻ってくること。それから、行きのペアと鉢合わせにならないように、別の道から帰る。ここにもう一つ、通れそうな道があるからね」
お菓子って、地面に置いているのだろうか。間違って踏み潰したらどうしよう。
「真っ暗なんでしょ? 俺、そのお菓子、踏み潰しそうな気がします」
私の考えてたのと同じようなことを、新野が口走る。何だか、こいつと同じ発想なのはやだな。
新野の言葉に、桐生先生は苦笑し、手元の袋を掲げた。
「ここに懐中電灯があるから。ペアに一つずつ配るし、しっかり照らしてね」
「はーい」
新野が元気よく返事をする。桐生先生はもう一度微笑んでから、ぐるりと周囲を見渡した。その視線が一度、話を聞いてもいない小鳥遊先生で止まったが、しかし桐生先生は何を言うわけでもなかった。そして、テーブルの上に置いていたビニール袋を掴む。その中には、小さく折りたたまれた紙がたくさん入っていた。
「質問もなさそうだし、そろそろペア決めに移ろうか。このビニール袋の中に数字の書かれた紙が入ってるから、おんなじ数字だった人がペアね。僕らは十三人で奇数だから、六番だけ三枚入ってるよ」
「十三か」白神先輩が微笑んだ。「不吉ですね」
「やめろ」
盛大な溜息を吐きながら、本町先輩がそう言った。そして、まるで怖くないぞ――とでも言いたげな顔をしながら、ズカズカと桐生先生に近づき、ひったくるようにして、ビニール袋の中から紙を一枚、抜き取った。
その後を三年生の二人の先輩が続いたため、自然と学年順に引くことになった。蘭子先輩、桃瀬先輩、白神先輩が引いたのち、待ってましたとばかりに新野が飛びつき、次に美樹、私、そして佐々原さんが面倒そうに引いた。残った三枚のくじを、桐生先生は先に吉村先生に引かせてから、自分が引き、残った一枚を小鳥遊先生に手渡した。
「はい、じゃあ、開いてー」
桐生先生の合図と共に、私は紙を開ける。
1と書かれていた。
「高梨」新野が私の近くにやってくる。「お前何番だった?」
「私は――」
「1番の人、いる?」
――そう声を上げたのは、涼宮先輩だった。
げっ、と言いたくなるのを堪え、私はもう一度自らの紙を睨む。1番だ。やだ、嘘でしょ。部屋が佐々原さんと一緒なら、肝試しは涼宮先輩と一緒!?
「ひなちゃん、何番~?」
その時、ふわふわと微笑みながら、美樹がやってきた。
……ごめん、美樹。
「美樹こそ何番?」
私は美樹の手元を覗き込むふりをして、自分の紙を美樹の手の中に握り込ませた。そして美樹がもともと持っていた紙を抜き取る。
美樹は目を白黒させていたが、渡された紙の番号を見て、合点がいったらしい。ちょっとびっくりしたような顔をして、私を見ていた。
「美樹、お願い……」
こっそり両手を合わせて頼むと、美樹は仕方なさそうに肩を竦め、ぱっと手を挙げた。
「はーい、先輩、わたしです、一番」
「あら、そうなの」
涼宮先輩は嬉しそうに目を細めた。
「あなたと縁があるわね。部屋も一緒だし」
「そうですねぇ」
仕組まれた縁だけど、と内心で呟きながら、私はほっと胸を撫で下ろした。しかし、涼宮先輩の笑顔がすぐに消え、ぎらりと怖い目をしたので驚いてしまう。実は美樹が気に食わないのかと思ってハラハラしたが、その視線の先を見て納得した。彼女は桐生先生を見ていたのだ。
ファンクラブの一員なら、桐生先生とペアになりたくて当たり前だよね。桃瀬先輩も、きらきらした目で自分の紙と桐生先生を見比べている。
「高梨、だからお前、何番?」
無視されて悲しかったのか、眉尻を下げながら、新野が尋ねてくる。
「あっ、ごめんごめん、ええと……三番、だね。新野は?」
新野はちょっと残念そうに首を傾けて、それから言った。
「六番」
「あ、じゃあ、三人のとこ?」
「あぁ、あんた、六番なの?」
会話が聞こえたのか、蘭子先輩がこちらを見た。その指に挟まれ、ひらひらと揺られている紙には『6』と書かれていた。
「あと一人は……」
「私だわ。二人ともよろしくね」
鈴を転がすような声が聞こえてくる。吉村先生だ。振り返った新野は、綺麗な吉村先生ににっこりと微笑まれて、ぐでーんと鼻の下を伸ばした。うんうん、その気持ちは凄くわかる。
「じゃ、四番は誰だよ?」
きょろきょろと辺りを見渡しながら、本町先輩が尋ねる。すると、隣に立っていた白神先輩がにっこーりと微笑み始めた。
「いやぁ、先輩、四も不吉な数字ですよね」
「だからそういうのはい……」
勢いよく振り向いた鼻先に紙を突き付けられ、本町先輩は言葉を失った。代わりに、ひぃやぁというとんでもない悲鳴が上がる。
どうやら、白神先輩がペアだったようだ。
「変わり果てた姿で発見されるわけだな」
ふふ、と僅かに微笑んで上条先輩が言うと、本町先輩は大げさに頭を抱えた。わりと本気で怖がっているのだろう。
「上条先輩は何番なんですか?」
うずくまっている本町先輩をにこにこと見下ろしながら、白神先輩が尋ねる。上条先輩は親しげに本町先輩の肩を叩きながら、何気ない調子で答えた。
「俺は五番だよ」
「あっ」
驚いたように桃瀬先輩が声を上げる。上条先輩が首を傾げれば、彼女はこくりと頷いた。どうやらペアらしい。
「桃瀬ぇー!?」
素っ頓狂な声を上げながら、本町先輩が起き上がる。
「頼む、頼む、上条、俺と代わってくれ! 俺も後輩女子とがいい! いや、もう、いっそ、白神じゃないなら誰でもいい!」
そして上条先輩に縋りつくようにして頼んだが、上条先輩は半笑いのまま、ぺしゃりとその手を無情に払いのけた。
「断る」
本町先輩はまた悲痛な声を上げ、両膝を床についた。
桐生先生とペアじゃなくて残念がるかと思ったが、桃瀬先輩は満更でもなさそうに微笑んでいる。上条先輩は寡黙なタイプだけど、そこがクールでカッコいいって、一部の女子から人気がある。だから、桐生先輩とペアじゃなくて残念でも、上条先輩なら拒否する程度でもないのだろう。これが本町先輩や新野なら……いや、こんな想像は止めておこう。
とはいえ、桐生先生のペアはまだわかっていない。涼宮先輩も桃瀬先輩も再びギラギラした目で桐生先生を見ている。
――ちょっと待って。
残っているのは、あと、私、佐々原さん、桐生先生、小鳥遊先生だ。
ただでさえ恨み? を買ってるみたいなのに(身に覚えがないけど……)、ここで桐生先生とペアになってしまったら、私、ほんとに変わり果てた姿で発見されるんじゃ?
「さ、佐々原さん、何番……」
端の方で怖い顔をしている佐々原さんに、半ば突撃する形で私は駆け寄った。あの面子の中では、佐々原さんとペアになるのが一番マシだ。
けれども、ひょいと覗き込んだ紙には2と書かれていた。私は3だから違う。
と、いうことは。
「桐生先生か小鳥遊先生とペアってこと……?」
佐々原さんが吐き捨てるように言った。
わかるわ、その気持ち。特に佐々原さんは、桐生先生にもヘイトが溜まってるだろうから、最悪だろうな。私は桐生先生自体には何もないけど――う、すでに、背中に刺さる先輩たちの視線が痛い。
「二人とも、番号は?」
桐生先生がキラキラした笑顔を浮かべながら尋ねる。小鳥遊先生はまたソファーの上でぐでんと眠っていた。
「ええと……」
「二番ですけど」
刺々した声で佐々原さんが答える。
すると、桐生先生がより一層キラキラした笑顔を浮かべた。
「あっ、じゃあ、僕とペアだね!」
私に向けられていた鋭い視線が、佐々原さんに向いた。しかし、佐々原さんなら、かえって桐生先生を嫌っているくらいなので、問題ないと思ったのだろう。涼宮先輩も桃瀬先輩も安堵した様に視線を逸らした。
良かった。ひとまず安心――って、ちょっと待って。
「た、……小鳥遊先生と、ペア?」
震える声で聞けば、ソファーに倒れ込んでいる小鳥遊先生が、真っ黒な目をこちらにひょいと向けてくる。何も言わない彼の代わりに、桐生先生が笑った。
「そうらしいね。ふふ、タカナシペアだねぇ」
……何も嬉しくない。
はぁ、と溜息を吐けば、とことこと傍にやってきた美樹が背中を撫でてくれた。
「ありがとうねー」
美樹はにこにこと微笑みながらそんなことを言う。そっか。私がくじを入れ替えなければ、美樹が小鳥遊先生とペアだったのか。
私に恨みがあるらしい涼宮先輩か、不潔でテキトーでとりあえず最低な小鳥遊先生か。
……どっちもどっちだ。
「はい、じゃあ、今が……八時十分だから、八時半に広場に集合しようか。トイレに行くなり、上着を着るなり、みんなしっかり準備しておいてね」
桐生先生がそう言い、その場は一旦解散となった。
憂鬱な気持ちで出ていこうとすれば、今さっき廊下へ出たはずの白神先輩が飛び戻ってきて、危うくぶつかりそうになった。
「わっ、」
「うわ、ごめんね、高梨さん」
にこ、と白神先輩は微笑み、私を避けると、キッチンの方へ歩いて行く。
「どうしたんですか?」
「いや、薬飲むの忘れててさー。これ飲んどかないとまずいんだよ。あはは、本町先輩に言われるまで気付かなかったな。肝試しが楽しみすぎてね」
ニコニコと嬉しそうに白神先輩は言いながら、ポケットから薬を取り出す。それも、一種類や二種類の話ではなく、かなりの数の錠剤だった。彼は食器棚から硝子コップを取り出すと、蛇口をひねって水を入れ、錠剤を手のひらの上に取り出し始める。そんな量の薬、飲むのを忘れるって、相当じゃないか?
「そんなに肝試し、楽しみなんですか……?」
「だって、本町先輩とペアなんだよ?」
脅かし甲斐があるじゃない、と、同じく肝試しに行く側であるはずの彼は、良い笑顔で言うのだった。
1 涼宮・美樹
2 佐々原・桐生
3 ひな・小鳥遊
4 白神・本町
5 上条・桃瀬
6 蘭子・新野・吉村