第三話 先輩たち(と犬)
桐生先生が重そうな扉を押すと、ギギギ、と軋みながら、それは内側へと開いていった。たまたま先頭に突っ立っていた私は、思わず情けない声を上げてしまう。
「うわーっ、すごーい!」
扉が開かれ、まるでお城のような美しさの玄関と、広く伸びていく廊下の先の階段だった。
玄関土間は黒光りするタイルが敷き詰められていて、上がり框からは深い臙脂の絨毯が敷かれており、それは舞台のレッド・カーペットみたいに階段の奥まで伸びている。上がり框の縁には金色のラインが入っていて、よくよく見れば、そこにも花柄が彫り込まれていた。たかだか一ミリもなさそうなラインなのに大した凝りようだ。
続く廊下は横幅が広く、五人くらいならゆうゆうと横に広がって歩けそうだ。左手には小さな扉が三つあり、その奥には左折して細い廊下が続いている。右手には大きくてより立派な装飾で飾られた扉が、距離を開けて二つ、並んでいる。
正面にある階段は、手すりがこれまた凝っていて、しかし塗料はなく、木材の艶のある暗い色をそのまま使っていた。あれこれ美しい色で塗り立てるよりも、こっちの方が上質で、温かく見え、絨毯の臙脂色とよく合っている。
「ここの別荘は夏ぶりにきたなぁ」
ふふ、と嬉しそうに桐生先生が笑いながら、靴を脱ぐ。
「桐生先生のとこって、いくつ別荘あるんですか?」
そう尋ねると、彼は輝かんばかりの笑顔を至近距離で浮かべながら、自慢げにする様子もなく答えた。
「うーん、数えたことないからわかんないなぁ」
数えないとわからないくらいにはあるんだ。それをあっさりと言ってのける様子にも、いかに金持ちか伝わってくる。何でこの人、教師なんかやってんだろ。
さて、私も靴を脱ごう。ささっと脱いで上がり框に登り、靴を掴んだところで、汚れが付いていることに気付いた。払ってしまえば済むんだけど、こんな綺麗な玄関でそんなことしていいのかな。
そんなことで悩んでいたら、欠伸をしながら入ってきた小鳥遊先生が、靴を脱ぎ捨てるようにして上がり框に登ったかと思うと、隣で私がしゃがみこんでいることも気にせず、靴と靴の裏をパンパンと勢いよく合わせ、砂埃を落としてしまった。ちょっとこっちに砂が飛んできた。しかも、その上、袋に入れるわけでもなく、引っ掴んだまま廊下へ進んでいく。
もー、ほんと、不潔。
私は砂埃をちょっとだけ手で払って落とし、家から持ってきたビニール袋に入れると、廊下に進んだ。絨毯がもこもこしていて気持ちが良かった。
*
「あのー……ベッドどっちがいい、とか、ある……?」
さっきから何も話してない。さすがに気まずすぎて、やっとこさそんなことを言ったら、佐々原さんはちらりと赤眼鏡ごしにこちらを見、ふん、と鼻を鳴らした。
「別に」
……さいですか。気遣いの欠片も通用しないらしい。
「じゃ、じゃあ、窓際の方、使うね!」
あはは、と無理やり笑いながら、私は窓際のベッドを叩く。
客室も玄関や階段と変わらないくらい豪華だった。床にはクリーム色の絨毯が敷かれていて、そこに赤茶色系統で文様がいろいろと描かれている。壁は淡い翠色で、カーテンは柔らかな生成り色をしている。全体的に優しい装飾だった
窓際に寄り、外を眺めてみる。もう空は赤く染まっていた。どこの窓から外を見ても、基本的に森しか見えない。東側の窓を覗き込めば、運動場くらいのサイズの野原が広がっていた。噴水を置いているわけでも、何か飾りをしているわけでもない。もしかしたら、気晴らしのスポーツとか、そういうことをするために空けているのかもしれなかった。
「ちょっと、邪魔」
「……ご、ごめんね」
いきなり睨まれたので、笑って誤魔化しながら窓から離れた。
なんで、同室が美樹じゃなくて佐々原さんなんだろう。美樹と夜遅くまではしゃいで寝る毎日を想定していたから、普通に、いやそれ以上に、ショックだ……。
「何?」
思っていることを見透かされたのか、ぎろりと睨まれる。
「なっ、何でもない! 私、先、降りてるね!」
もう、この空気しんどい!
佐々原さんは興味がなさそうに頷いている。それを見届け、私は急いで部屋から飛び出した。扉を閉めた瞬間、ガチャンと錠がかかる音がした。オートロックらしい。
ちょうど廊下に飛びだすと、隣の部屋から笑い声が聞こえてきた。扉が半開きのままなので、声が漏れているのだ。確か、美樹と涼宮先輩の部屋。二人とも大雑把な人だから、扉をきちんと閉め忘れてても気にしないのだ。
あーあ。私も美樹と同じ部屋が良かった。
仕方がない流れではあったけど。
二階は客室ばかりで、八つの部屋がある。中央に階段と、その正面に休憩スペースとバルコニーがある。東側の四つの部屋(二つずつ向い合わせになっている)を女性陣が、西側の四つの部屋を男性陣が使っている。
階段に向かおうとしたら、階段近くの西側の扉を開けて、誰か出てきた――三年生の、上条悠馬先輩だ。彼は私を見つけると、僅かに口角を上げた。
「上条先輩。下降ります?」
「あぁ」
「誰とおんなじ部屋でしたっけ?」
「本町だよ。先に降りたから、あいつ」
「なるほど」
それきり上条先輩は話さず、階段を降り始める。無口な人なのだ。決して怖くはないから、沈黙も大して苦しくない。その後を追いかけるようにして、私も階段を降りた。
上条先輩は三年連続でここに来ているらしいから、足取りに迷いはなかった。一階におり、手前の大きな扉を開ける。いそいそと私も付いて行って、その先を見て、また驚かされることとなった。
「貴族がご飯食べてるのって、こんなところですよね」
長いテーブルがどん、と置かれていて、そこに細身の椅子がいくつも並んでいる。壁にも暖炉や、蝋燭が立てかけられた装飾など洋風に凝っているし、天井を見上げれば、小ぶりのシャンデリアがあった。
……こんなすごいところに、宿泊費タダで泊まってるって、一生分の運を使い果たしてるんじゃなかろうか。
その部屋にはすでに先客がいて、三年の本町先輩と、新野、それから、二年生の白神京介先輩がいた。男子生徒は勢ぞろいしたらしい。
「やぁ」白神先輩がひらりと手を振る。「ちょうど、タカナシとは肝試しのペアになりたくないよねって話をしてたところだよ」
「えっ」
「ちょ、タカナシはタカナシでも先生の方っしょ」
慌てたように新野が口を挟む。白神先輩はにこにこと笑ったまま、首を傾げた。全く、この先輩は人をからかうのが好きだ。
白神先輩は病弱らしく、あんまり活動的でない為に羨ましい程の美白だ。さらに、中性的な顔立ちだから、女の子にも見える。そんな彼が、ラグビー部で大柄な本町先輩と、野球部でよく焼けている新野の間に挟まれているのは異様だった。何だかいじめられてるみたいに見える。
「その並びだと、いじめてるみたいだな」
おんなじようなことを、上条先輩は言いながら、本町先輩の前の席に腰を下ろした。すると、いじめてるみたいだと言われたのを気にしたのか、新野がすぐさま立ち上がり、上条先輩の横、白神先輩の前にそそくさと座り直した。こういう時に変な気を使うところが、やたら犬っぽい。
「新野は白神先輩と同じ部屋なの?」
問いかけながら、新野の隣に座れば、彼はビクッと跳ねた後、こくこくと頷いた。
「そう。そう」
「夜中に怖い話をたくさん聞かせてあげる約束をしてあるの」
くす、と白神先輩が微笑む。ウッと隣で新野が青い顔をした。あと、何故か、無関係なはずの本町先輩も真っ青になる。彼は両腕で自らの身体を抱くようなポーズを取って言った。
「お前の怪談はシャレにならねぇんだよ」
どうやら、被害者だったらしい。それを聞き、新野がさらに隣で震え上がる。
「こ、後輩を苛めるのはどうかと思いますけど」
声がひっくり返ってるよ。
「えー? まぁ、それもそうかな」
白神先輩はウーンと悩むような声を上げながら、下唇を人差し指でなぞり、考える仕草を見せる。
「じゃあ、今年も先輩に聞いてもらおうかな」
「だったら」と、上条先輩。「俺と部屋代わってやろうか?」
「お願いします!」
「やめてくれ!」
新野と本町先輩の声が被った。
何をそんなに真剣になってるんだか。思わず笑ってしまえば、二人にギロリと睨まれた。
「お、お前は白神先輩の怖さを知らないから笑ってられるんだよ」
新野がぶーぶーと文句を言ってくる。
「あんたは知ってるの?」
「本町先輩から散々愚痴を聞かされたよ」
「ふーん。どんな怖い話なの?」
新野に聞いているのに、彼はそのまま視線を本町先輩に投げる。内容までは知らないようだ。
すると白神先輩が、柱時計をちらりと見た後、両肘をテーブルに着き、前のめりになって、いやーな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、時間もあるし、一席、打とうかな?」
「一席って、落語か」
すかさず突っ込んだのは上条先輩だけで、私たち三人は揃って震えあがった。藪蛇だったかも。
「ご飯食べた後、肝試しでしょ、やめてくださいよ」
あたふたと新野が止めようとしたが、いやな笑みは消えなかった。
「肝試しか。じゃあ、リクエストにお応えして、肝試しにまつわる怖い話を」
「リクエストしてないです!」
新野が喚く。けれども白神先輩は無視して、口を開いた――