第二話 悪意?
「はい、いいかな? ……うん、じゃ、かたっくるしいけど、注意事項を言うよ。この島は私有地とはいえ、一応、部活の合宿として来てるんだから、節度を持って過ごすこと。それから、崖が崩れやすかったり、柵が老朽化していたりするから、危ないところには近づかないこと――今年中には手入れしときたいけどね。あぁ、話がずれた。それから……」
船から降りて、すぐそこのちょっとした野原で、顧問の長い説明を聞く。
今回の合宿にやってきたのは、三年生、二年生がそれぞれ三人ずつ、そして私たち一年生が四人の、計十人である。(あと先生が三人いるけど。)天文部自体のメンバーはもう少しいるんだけど、卒業してしまった三年生は忙しい人が多かったし、在校生も、四泊五日の長い合宿に、予定が合う人はこれだけしかいなかったのだ。
みんなの前で話している桐生先生は何度も言うがイケメンだ。
ヨーロッパ系とのハーフかクォーターらしく、目鼻立ちが異様に整っている。どちらかといえば、線が細くて、甘いフェイスだ。にこりと微笑めば大体の女の人の目がハートマークになる。
その上、大したお金持ちの家系なのである。あの桐生財閥の三男坊であり、この島も桐生先生の私有地だ。天文部に置かれている高性能な望遠鏡や貴重な資料などは、全部彼のポケットマネーで揃えられている。
イケメン・金持ちときて、さらにこの先生は性格も良い。結果、うちの高校では桐生先生ファンクラブなんてものが出来ている。それも、きゃっきゃっと騒ぎ立てているだけなら笑って済ませられるけど、ギラギラと目に嫌な光を宿している女生徒も少なくないとか。
「事前に伝えてあるけど、この島は圏外だから、携帯は通じないよ。固定電話が一つだけあるから、本土への連絡はそれを使う。どうしても連絡しておきたいことがあったら、先生たちに言ってね。クルーザーはまた、五日後に迎えに来るから――楽しもう」
にこり、と桐生先生は微笑む。眩しい笑顔だ。
「じゃあ、僕はクルーザーを本土に返してくるよ。忘れ物はもうないね? そろそろ森田さんがくるはずだから、ちょっとそこで待っててね。吉村先生、お願いします」
桐生先生は吉村先生にその場を任せ、踵を返すと、クルーザーの方に走っていった。
彼がいなくなった途端、目の前に立っていた女生徒二人が悲鳴に似た黄色い声を上げる。
くすくすと身を寄せ合って笑うのは、三年生の涼宮理沙先輩と、二年生の桃瀬彩子先輩だ。話している内容は、やはり、桐生先生のカッコ良さに関するものだ。二人ともファンクラブの一員なのである。合宿にまで来てもこうなのかぁ、と思うとうんざりしちゃうけど、まぁ、それだけ桐生先生はキラキラにカッコいいんだ。アイドルと島で過ごすとなったらテンションも上がるよね。
と、その時、――突然、佐々原さんが溜息を吐いた。あからさまにトゲトゲした溜息に、三年生の涼宮先輩が視線を投げる。
「……何よ?」
佐々原さんも佐々原さんだが、涼宮先輩も気が強いことにはお墨付きの人である。ただでさえ吊り目がちなのに、さらに目じりがキッと上がった。
「文句でもあるの?」
「ないと思うんですか?」佐々原さんは陰湿に顔をしかめた。「ここに何しに来てるんですか? あたしは星が好きだから天文部に入ってるんです。不純な理由で騒がないでください」
ひどく冷たい言い様だ。涼宮先輩もカチンときたらしく、柳眉をぎゅっと寄せる。
「あんた、何言ってるの? 誰がどんな理由で部活に入ろうが勝手じゃない。星が好きだから天文部に入ってるあんたが一番偉いの?」
「偉いとかそんなんじゃなくて、正しいとは思います。どうして天文部の活動なのに、関係ない話ばっかり聞かされなくちゃいけないんですか? いい加減うんざりですよ。合宿中くらい天文部らしくしてくれません?」
「――そのね、星が好きでもないのに、ふらふら入ってきた、みたいな言い方やめてくれない? 星が好きなら、それが好きだってずっとアピールしてなきゃいけないの? あんたのそのアピールの方が、ずっと鬱陶しいわよ」
佐々原さんの言う事も一理ある――けれども、涼宮さんのハッキリした物言いに気圧され、彼女はうっと口を噤んだ。
……ていうか、何、島に着いた途端、言い争いしてるんだ。
ふと、思い当たる。さっき、船の中で、私や美樹も、彼女の前で気軽な発言をしたから、それも原因なのかもしれない。みんなみんなふざけやがって、ていう。
「……あの、佐々原さん、ごめんね」
ピリピリした空気に耐えられなくて、私は思わず声を上げた。
「私もさっき適当なこと言ってたもんね。でも、そんな、桐生先生だけ目当てで来てる人はいないと思うよ。みんな天文部としてやってきてるんだし、涼宮先輩なんて、桐生先生がいない時から天文部に入ってるんだから……」
と言いかけたところで、涼宮先輩が厳しい目を私に向けた。
「あんたはまた別でしょ」
……ん?
気が付けば、隣に立っている桃瀬先輩も鬼のような形相で私を睨んでいた。
――何か変なこと、言ったっけ……?
空気をほぐそうと思って声を上げたのに、余計に重くしてしまった。よくわからないままに口を閉ざせば、そこでやっと桐生先生が戻ってきた。その背後で、クルーザーがゆっくりと島を離れ始めている。
「あれ? 森田さんはまだ?」
桐生先生はこちらの諍いには気付かず、不思議そうにあたりを見渡した。そして、ふっと笑みを浮かべると、突然手を挙げる。
「いたいた」
彼が手を振っている方を振り返れば、森に続く小道から、初老の男性が歩いてきているところだった。初老で、頭髪に白髪が混じり、灰色染みているとはいえ、背筋はピンと伸びていて、足取りも確かだった。彼は私たち一行を見つけると、にこりと柔和な笑みを浮かべる。
「こんにちは。長旅お疲れ様です」
決して小走りで駆け寄ってくるようなことはなく、そのおじいさんは私たちの傍にゆっくりとやってきた。悠長というよりも、礼儀が正しいように見える。
「一年生の中には知らない人もいるかな?」桐生先生があぁと気が付いたような顔をした。「こちらは身の回りの世話をしてくれる森田さん。合宿の為にわざわざ先に来てもらってたんだ。今回もよろしくね」
「はい、こちらこそどうぞよろしくお願い致します」
ううん、どうにも、ただの身の回りの世話人には見えない。今はカーディガンとゆるやかなズボンを履いてリラックスした格好をしてるけど、ほんとはビシッとスーツなんかを着て、桐生邸で執事なんかしてるんじゃないかな。そんな妄想が膨らむ。
「じゃあ、とりあえず移動しようか。荷物を片付けている間に、夕食の時間になると思う」
「ご案内いたします」
桐生先生がみんなにそう呼びかけると、森田さんはまた頭を下げ、やってきた方向に戻っていく。この周囲は一面深い森に覆われていて、森田さんがやってきた小道の周りだけ、木々が伐採されたり、適度な整備がなされていた。
いつも通り、美樹とお喋りしながら歩こうと思ったら、その美樹は自分のスーツケースをガラガラと鳴らしながら、無造作に涼宮先輩に近づいていった。涼宮先輩はまだ気分を害しているらしく、怖い顔をしているが、美樹はお構いなしに声をかける。
「せんぱぁい、この間の話なんですけど、」
「あぁ」
美樹がのんびりと声をかければ、涼宮先輩もにこりと笑って、話しながら一緒に歩き出してしまう。美樹は涼宮先輩とも仲が良いのだ。
……でも、さっき、私と涼宮先輩の間でちょっとギスギスしてたのに、その後に涼宮先輩のところに行く?
相変わらずだけど、何を考えてるのやら……何も考えてないのかもしれないけどさ。ちょっとだけ不満だ。私は美樹ほど仲が良い人が他にはいないし。
仕方ないから一人で歩き出そうとすれば、たまたま隣に立っていた先輩がアッと素っ頓狂な声を上げた。
「あー、そっかぁ、圏外なんだっけ」
二年生の田中蘭子先輩だ。真っ黒のカバーに覆われたスマートフォンを見つめ、怪訝そうに眉をひそめている。
「どうかしたんですか?」
「いや、友達から連絡来てたのに気付いてなくてさ。明後日遊ばないかって聞かれてるんだけど……返信できないまま過ぎちゃうね」
答えながら、蘭子先輩が歩き出したので、その隣を並んで歩く。とても短い黒髪がさらりと風に揺れている。蘭子先輩は黒髪をベリーショートにしていて、それが真っ白な肌と彼女の細い顎のラインを際立てていてよく似合う。背もすらりと高く、モデルさんみたいだ。姉御肌な性格も相まって、女生徒からの人気が高い。天文部に関係のない友達でさえ、「二年生にすっごいカッコいい女の人いるよね!?」と目を輝かせていた。性格もカッコいいんだよと教えると、鼻息を荒くしていたが、大丈夫だろうか。
蘭子先輩は溜息を吐いたのち、ちぇっと舌打ちをした。
「桐生財閥って金持ちなんでしょ? 島に電波届かせることくらい余裕でしょうが。そーゆーとこ惜しんで何が金持ちよ。その名の通り、宝の持ち腐れだわ」
ズバズバ。サバサバ。竹を切ったような性格は相変わらずだ。
その言葉は誰に向けたわけでもなかったようだが、しかし、一歩前を歩いていた森田さんが優しい笑みを浮かべながら振り返った。
「ここはオーナーが、通信機器から逃れる為にご用意なさった場所ですので、電波が届かず、固定電話すら一つしかないんですよ」
そういう事情を知っているということは、やはり、森田さんはただの雇われではないらしい。
「ふーん」蘭子先輩は片眉を上げた。「じゃ、そこがオーナーに使われずに、ただの天文部の合宿に使われちゃってるってことは、オーナー様は通信機器から逃げられなかったってことなのね」
そう彼女が鋭く言えば、森田さんはハハと声を上げて笑った。
「いやはや、よくお気づきになる。そうですね。今の時代では、財閥の主がインターネットから遠ざかることは一日たりとも出来ますまい。心忙しい世の中ですよ」
「だったら、尚のこと、早く電波を届かせるべきよ。固定電話が一つだけなんて、それが壊れたらとんでもないことになるわよ」
蘭子先輩はスマホをひらひらと振りながら言った。その画面上で、彼女が溺愛しているシェパードが二頭、笑っている。噂によると、彼女が「行け!」と命令すれば、相手に飛び掛かって噛みつくくらい、彼女に従順なのだとか。
「近く、島全体を整備し直して、リゾート地として使えないか計画するそうですので。その時になれば電波も届くでしょう」
「来年の春までに何とかなるかしら。それであたしが来るのは最後になっちゃうから」
くす、と笑い、蘭子先輩は肩を竦める。どうでしょうね、と私も笑った。
そのまま雑談をしながら、森の小道を通り抜けていると、ふと視界が開けた。顔を上げれば、少し先に、大きな建物が立っている。
「あれが桐生家の別荘よ」
大仰に片手を広げ、蘭子先輩が教えてくれた。
「……立派ですね」
やっと口から出たのは、そんな言葉だった。けれども、「立派」だなんて野暮にも程があるだろう。
こういう館は、ドールハウスの展示会で見たことがある気がする。その時も、可愛らしい色合いと繊細な装飾に心が打たれたが、そんな館が今、目の前に、特大サイズであるのだから、もう何とも言えず感動的だった。
その別荘は、二階建ての洋館だった。壁は真っ白で、屋根は青と灰色を混ぜたような不思議な色合いをしている。屋根の天辺の部分に細々とした装飾があって、それは淡い翠色をしていた。正面の二階部分にはルーフバルコニーがあって、ここにも、柵の手すりの部分に花の蔓を巻き付けたような細やかな装飾が施されている。かなり年季が入っていて、ところどころ壁が黒染みているのだが、それがかえって趣がある気がした。
「フランスにありそうな館ですね」
称える語彙力がなくて、必死にそんなことを言えば、森田さんは嬉しそうに目じりに皺を寄せて微笑んだ。
「よくお気づきで。オーナーはフランスに長くお住まいだったので、この別荘をお建てになる際、フランス調にするようにと命じられたんですよ」
「へぇ……」
「ひなちゃん、顔ニヤけてるよ」
ふふ、と隣で蘭子先輩が笑う。
「だ、だって、こんな館で五日間も暮らせるなんて、夢みたいじゃないですか。お姫様にでもなったみたい」
「ふぅん? あたしはこういうので胸が躍らないタイプだからなぁ。でも、ま、ベッドはふかふかだから最高よ」
「寝床さえ良ければいいんですか? お姫様というか、騎士みたい」
「あたしはそっちの方が嬉しいわね。守ってあげようか? お姫様」
笑顔が無駄に眩しい。
「蘭子先輩に守ってもらえるなら、何に襲われても大丈夫ですね」
「あら、恐竜とかにに襲われたら流石に対処できないわよ」
「それ以下だったら対処出来るんですか……?」
そんな話をしていたら、森田さんがにこにことこちらを見つめていることに気が付いた。何だか恥ずかしくって、思わず口を閉ざしてしまう。確かに、綺麗な洋館の前でするには幼稚な話かも。森田さんはそんなことはまるで思ってなさそうだけど。
「入り口はこっちね。みんな靴を入れる袋持ってきてる?」
先導を森田さんと代わり、桐生先生がみんなを手招きする。玄関に十四人分の靴を置いているとごちゃごちゃするし、混ざっても面倒なので、それぞれが自室で管理することになっているのだ。
あっ、忘れた! ――と叫んだのはお馬鹿な野球少年・新野だけだった。
もともと、なろう投稿用の作品ではないので、毎話の切り方が難しい…。