第二十話 自白
「――食えない」
四日目の朝。
私と杏里が食堂に入るや否や、聞こえてきたのはそんな声だった。今日は私も寝坊しなかったから、朝食の時間も大きく遅れることなく、食堂の席もほとんどが埋まっていた。
「……はい?」
本町先輩の前に、焼き立てのトーストを置いた森田さんが、不思議そうに目を丸くした。本町先輩は、青い顔をしてそのトーストを見つめている。
「毒が入っているかもしれないから、食えない」
「……警戒し過ぎですよ」
少し離れた席に座っていた白神先輩が、ややあって、無理に笑みを浮かべて言った。しかし、本町先輩は彼をギロリと睨むだけで、返事はしない。白神先輩が「藤堂千穂の幽霊が犯人だ」と言ってから、二人はギクシャクしている――というより、本町先輩が、白神先輩を許せないでいる様子だった。
すると、隣に座っていた新野が慌てたように明るい声を出す。
「やー、でも、森田さんは毒なんか入れないと思いますよ!」
「何があるかわかんねーよ。森田さんが入れなくても、例えば、皿に毒が塗ってあるかもしれないだろ」
「……そ、その通りっスね」
トーストにかぶりつこうとしていた新野は、慌ててそれを皿に戻した。気まずい沈黙が室内を包む。
少し迷ってから、私と杏里も、とりあえず席に座った。それで、空いている席は二つだけになった。もちろん、亡くなった二人の席だ。今晩は誰も死ななかったらしい――と不吉なことを思いながら、ちょっと安堵する。
「……何でみんな平気で食ってんだよ。人殺しがいるんだぞ」
本町先輩はじっ、と俯いたまま、青い顔で言う。すでにトーストを食べていた蘭子先輩が、ぱりぱりと音を立てて咀嚼してから、唇の端を上げた。
「別に平気って訳じゃありませんけど?」
その隣で、昨日とは違い、ばっちりとメイクをしている桃瀬先輩が、そっ、と食べかけのトーストを皿に戻した。
「ふん、まぁ、そうだな、毒を入れた張本人なら、平気でいられるよな?」
本町先輩はそう言いながら、ギッと桃瀬先輩を睨む。
「お前も随分と平気そうだよな。人が二人死んでんのに、何でメイクなんか出来るんだよ。どんな神経してんだ」
「そんな――」
桃瀬先輩がカッと顔を赤くする。すると、蘭子先輩がキッと目尻をつり上げた。
「自分が不安だからって人に当たらないでくれます? 普段通りに振る舞うことの何が悪いの」
毅然と言い放つ蘭子先輩に、本町先輩は反論を言いあぐねる。
「彩子だって、涼宮先輩と仲が良かったから、ショック受けてんのよ。自分だけ悲しいと思い込んで当たり散らすのは害悪だから止めて」
先輩相手とは言え、蘭子先輩は容赦なくピシャリと言い、不満があるなら言い返せとばかりに両腕を組んだ。
「彩子って呼ぶのはやめて」
桃瀬先輩は咄嗟にそう返した後、長い溜息を吐いた。
「それに、犯人なんか分かり切ってるんだから、そう疑心暗鬼にならなくていいと思いますけど」
ねぇ、と桃瀬先輩が、くるんと上がった睫毛越しに私を見つめる。
「あんたは、これから何人殺すの? 私たちも殺すの?」
「……私は犯人じゃありません」
「じゃあ証拠を頂戴よ」
桃瀬先輩は憂鬱そうに髪を掻き上げる。
「あんたが一番怪しいのよ。あんたが犯人じゃないって言うなら、証拠を見せてよ」
「証拠なんか……」
「だったら、他に誰なら殺せるの? あんたしかいないでしょ?」
「彩子、」
「何よ田中。みんなそう思ってるでしょ、私は代弁してるだけ」
止めようとした蘭子先輩に、桃瀬先輩はそう噛みついた。蘭子先輩もそれ以上は反論せず、上げた手をそのまま下ろしてしまう。
他に誰なら――?
そんなこと、私が聞きたい。
そう思った、その時だった。
「私が殺したの」
震える声が、空気を切り裂いた。
しん、と場が静まり返る。
「犯人は、私よ」
声をした方を、振り返る。
そう言って、じっ、と前を見つめているのは――吉村先生だった。
鈍器で頭を殴られたような気分だった。誰も何も言えなかった。吉村先生も何も言わなかった。
沈黙を破ったのは、一人でむしゃむしゃトーストを食べていた、小鳥遊先生だった。彼はトーストを食べ終え、ぱんぱんと手を払ってから、言った。
「どうやって?」
その言葉に、吉村先生はちら、と彼に視線を向ける。
「質問の意図がわかりません」
「……そうですね。じゃあ、どうやって涼宮さんを殺したんですか?」
「崖から突き落としただけです。高梨……ひなさんが森にいるとは知らなかったから、鉢合わせしなくて助かりました」
「密室を作ったのは?」
「窓から糸を通したんです。引っかけるだけの簡単な鍵ですから、そう手間ではありませんでしたよ」
――糸を使ったトリックはできなかったって、小鳥遊先生、言っていなかったっけ?
ハッとしたのだが、小鳥遊先生は否定せず、落ち着いた声で尋ねた。
「……じゃあ、紅茶に毒を入れたのは? ひなが飲んでも無事だったが、その後、あなたの愛猫が死んでしまった」
吉村先生は彼に目線だけを向けたまま、唇を歪めるようにして、薄く微笑んだ。
「それくらい、ご自分でお考えになったら?」
「……では、何故、今、ここで自白を?」
吉村先生は視線を下げ、穏やかに微笑んだまま言った。
「本当は昨日、紅茶を飲んで自殺するはずだったんですけれど、失敗してしまったから。あの場で、毒を入れたのは自分自身だと白状するべきだったんでしょう。でも、言い出すタイミングがなくて。……高梨さん、ごめんね、私のせいで疑われて」
吉村先生は奇妙なほどにっこりと微笑み、私を見る。私は動けなかった。
「……あなたが昨日、あのまま紅茶を飲んで死んでいたら、」
小鳥遊先生は目をスッと細め、いつになく真剣な顔をして言った。
「あなたの死も含め、全ての容疑が高梨ひなにかかっていたと思います。それをわかっていて、無関係な生徒を犯罪者にしてでも、自殺するつもりだったんですか?」
「まさか」吉村先生の返答は早かった。「遺書も用意してました」
吉村先生はそう言いながら、胸ポケットから、折り畳まれた小さな白い紙を取り出した。それをぱらりと広げ、テーブルに置く。
『すべて、私が悪いのです。恨むなら、私を恨んでください。 吉村薫』
小さな紙には、横書きでそんなことが書かれていた。確かに吉村先生の字だった。
「迷惑をかけてごめんなさい。私は、私たちは、藤堂千穂さんを追い詰めて、自殺に追い込んだんです。それなのに、私たちだけがのうのうと生きていくわけにはいきません。だから、殺しました」
吉村先生はそう言い、深く、頭を下げた。
――でも、吉村先生が犯人だなんて、私は思えなかった。
昨日の夜、吉村先生は私のところに来て、あなたが藤堂千穂の妹か、と尋ねたのだ。そして、藤堂千穂の弟妹が、姉の復讐の為に殺人を犯しているのだ、と言ったのだ。
あれが嘘だなんて思えない。それに、ここで自白するなら、そんなくだらない小細工をする必要なんかない。
吉村先生は庇ってるんだ――藤堂千穂の弟妹を。
小鳥遊先生なら、きっとそれに気付いてくれるはず。私はそう思った。けれども、小鳥遊先生はふぅと溜息を吐くと、深く頷いた。
「成る程。――あなたは明日、クルーザーが来るまで部屋にいてください。部屋から出られないように、外側から鍵も掛けさせてもらいますよ」
「えっ、小鳥遊先生……!」
思わず声を上げれば、小鳥遊先生は不思議そうな視線を私に向けた。
「どうした?」
「そんな、吉村先生が犯人だなんて、本気で思ってるんですか?」
「本気だよ」小鳥遊先生はあっさりと頷いた。「お前は優しいんだな。一歩間違えれば、全部お前のせいになってたのに、それでも犯人を庇うのか。……さぁ、吉村先生、部屋に行きましょう」
「勿論です」
吉村先生は立ち上がり、もう一度深く深く頭を下げると、食堂を出て行った。
誰も、吉村先生を呼び止めることはしなかったし、出来なかった。




