2 勇者は死んだ
濃緑色の茶と、三冊の本を挟んで二人、席に着いて向かい合う。
今や、灯りがいらない程度にまで日は昇っていた。
「じゃあ、まずは前提条件を確認しておくぞ」
ラシュディが話し始めながら茶を飲むと、それを真似するように、ディアナも杯に口を付けた。
すると、ずっと澄ましていた彼女の顔面がキュッと縮んで、まぶたと唇が固く結ばれる。
「苦いのか?」
しかし無言で首を横に振るディアナ。
「薬草茶だ。疲労回復に効くんだぜ」
「苦くなど、ない」
「ハチミツ入れてやろうか。それなら飲みやすいだろ」
「いらぬ。これしきの苦味に屈しては、王女の名折れじゃ」
「苦いって言っちゃってんじゃねえか」
「言ってない」
彼女は二口めに挑むが、今度は舐めただけで止まってしまった。よく見ると全身が小刻みに震えている。
「お前はいったい何と戦ってるんだよ」
そこでラシュディがハチミツ瓶を持ってくると、ディアナは部屋の隅を指差した。
「先から気になっておったのじゃが、あれは何ぞ?」
「?」
「ほれ、そこじゃ」
ラシュディは注視してみるが、何か変なものがあるようには見えない。
「虫のようなものが、うごめいておらぬか?」
「……いや、気のせいだろ」
向き直ってみると、彼女は薬草茶を美味しそうに飲み、得意げにふんぞり返っていた。そして瓶の中身は明らかに減っている。
「ところでラシュディ。話の続きはまだかの?」
「お前、マジで面倒くさいな」
改めて嘆息しつつも着席したラシュディは、今度こそ、と口を開いた。
「話の前提として、言っておくことがある」
卓上の本の、第一巻を手に取る。
「たしかにこいつは俺が書いた物語だが、頭だけで空想して作ったものじゃねえ。もちろん一部に脚色はしてあるが、大体は事実だ」
ディアナは表情を変えず、そんなことは当然知っているとでも言いたげだ。
「つまり、世に混沌をもたらそうとしている魔王も、それを討つべく戦う白銀の勇者も、実在する」
ラシュディは本をパラパラとめくる。
「さらに言えば、俺も冒険には同行していた。勇者シャロムの、最初の仲間である詩人ってのは、実は俺のことだ」
「おぬしの自慢話など、どうでもよいのじゃ」
ぴしゃりと言い切られた。今のが自慢に聞こえたのかと疑問に思うも間もなく、ディアナは続ける。
「聞きたいのは、最終巻を出せない理由じゃ。いやもっと正確に言えば、理由など無くとも、書いてさえくれればそれでよいのじゃが」
対してラシュディは、ここに至って俯き、押し黙る。
「どうした? 何故に語らぬ?」
「…………」
「魔王を倒した勇者シャロムの勇姿を、その後の行方を、おぬしの筆でもって世に知らしめればよいではないか。わらわもそれを待ち望んでおるぞ」
「……倒せてない」
詰められていよいよ、懺悔するように呟いた。
「勇者は死んだ」
「何を言っておるのじゃ?」
「他の連中もな。だが魔王はまだ生きている」
「何を言っておるのじゃ?」
「俺たちは、負けたんだ」
「何を言っておるのじゃ?」
同じ返事を繰り返しながらも、ディアナの目は次第に濁ってゆく。
「おぬしは生きておるではないか」
「ああ、生き残ったのは俺だけだ。俺だけが生きて……逃げ延びた」
「仲間を見捨てて、か?」
「もう無理だった」
「助けようとは思わなんだか?」
「手遅れだったんだよ」
ラシュディが口を閉じると、ディアナは肩を落として背を丸めた。
「シャロム様……」
か細い声で勇者の名を呼び、グッと拳を握りしめる。
深く呼吸した後、勢いよく顔を上げて、怒りのこもった瞳でラシュディを睨みつけた。
そしてラシュディの手から本をひったくり、三冊まとめて丁寧に食卓の端へ揃えて寄せたうえで、杯の中身を彼に向かってぶちまけた。
「言い訳はしねえぜ」
熱い薬草茶を真正面から被ったラシュディは、ひりつくような痛みを負いながらも、平然を装って小さな罰を受け入れた。
「見損なったぞ、ラシュディ=サルヴァン!! 詩人としての、おぬしの感性は高く買っておったのに、それをこんな、程度の低い嘘で誤魔化そうとして」
「まいったな。信じられねえかよ」
「貴様は、わらわの気持ちを踏みにじっただけではないぞ。言い訳のために人の死を粉飾するなど、実に悪辣!! まことに下劣!! 勇者の名をも侮辱し貶める行為と、恥を知れ!!」
「だが本当の話だ。こんな最悪の結末、書けるわけねえだろ」
ラシュディは手鼻をかんで、鼻に入っていた茶を抜いた。ディアナは眉間にしわ寄せて、革鞄から取り出した手巾を彼に投げつける。
「悪びれもせず、まだしらを切るつもりか」
「お前が信じないのは勝手だが、どうあっても事実は変わらねえ。あいつは心臓をひと突きされて死んだんだ」
「ならばっ!!」
ディアナは卓を強く叩いて立ち上がり、ラシュディを見下ろした。
「ならば行くぞ。案内せい!!」
「どこに?」
顔を拭き終わったラシュディは手巾を返そうとするが、平手で手首を打たれて落としてしまう。
「決まっておろう。極北領域、魔王の城じゃ」
「……どこに行くって?」
突拍子も無い舵取りに、ラシュディも理解が遅れる。
「魔王の城に行く、と言ったのじゃ」
「いやいやいや、なに言ってんだ、姫さん。マジで、なに言ってんだ?」
「おぬしの言葉が嘘かどうか、行ってみれば明らかであろ?」
「バカか、お前は!!」
そこに魔王がいなければ、ラシュディが嘘を吐いているということであり、逃げる余地を与えない――ディアナとしては、おそらくそういう目論見なのだろう。
「ああ、嘘だったら構わねえさ。実は俺の勘違いで、悪い夢か何かで、全てが丸く収まっているとしたら、それはそれで結構だ。俺も内心、そうであってほしいと願っている」
ラシュディはゆっくり席を立ち、ディアナを見下ろす。
「だけどな、俺の言うことが本当だった場合、お前はどうする?」
「魔王を倒す」
しかしディアナは目を逸らさずに、臆面もなく、とんでもないことを言ってのけた。
「わらわが魔王を倒せば、おぬしが筆を折る理由は無くなるであろ? わらわは書の続きが読めて、世の平安にも繋がり、勇者の弔いにもなる。誰もが幸せになれるではないか」
針路に巨大な氷山が見えてもなお全速前進を指示するが如し。恐ろしいほどのバカなのか、それとも、とんでもない自信家なのか。きっと両方に違いない。
「倒せたら、の話だろ?」
「だから倒すのじゃ」
「だーかーら、あの勇者でさえ太刀打ち出来なかったんだっつうの!!」
「わらわを誰と心得るか。北ロマーニャ王国が第二王女・ディアナ=ルネ=スパーダの辞書に『不可能』の二文字は無いのじゃ」
「三文字だろ!!」
「些細なことは気にするでない」
「だいたい、さっきから何なんだ。お前の自信はどこから来るんだ。何でもかんでも思い通りなると思いやがって。お姫様は神様かっ!?」
「そうじゃ!!」
ディアナは鼻息ひとつ、大きな青玉石のペンダントを見せつけるように、自身の胸元へ手を添えた。
「我が“姫様パワー”の力をもってすれば、魔王など恐るるに足らん」
その態度と言動に、ますます苛立つラシュディ。
「あのな、姫さん。いい加減にしろよ。ちやほやされて育ったお姫様が、お遊び気分で魔王退治だなんて、真剣な戦いで命を落とした勇者を、それこそ侮辱する話だぜ」
反論されたディアナは耳の痛い話をされたように、ハッとした表情になる。
「だが、遊びなどでは、ない」
上目遣いに見据えてくる彼女は、一瞬だけだが妙に大人びて見えた。
「とにかくダメなもんはダメだ。危なすぎる。そんなところに姫さんを連れて行けるか。自分の立場を考えろ」
「力のある高貴な身分だからこそ、前線に立つ義務があるのじゃろうが」
ああ言えばこう言う。やはり本気になったら退かないらしい。
「それにラシュディ、おぬしは勘違いしておるぞ」
澄まし顔に戻ったディアナは、おもむろに壁へ、剣を手にする。
「おぬしがわらわを連れて行くのではない」
そして柄を握りしめ、鞘で壁を三度、強く叩いた。
「わらわが、おぬしを、連れて行くのじゃ」
それを合図に、外で待機していた兵士たちがなだれ込んできた。




