30 わらわの勇姿を、とくと書け
目を開けたとき、見覚えのある白塗り天井が見えた。昨晩もここに泊まった客室だ。
厚い布団をのけて、ぼんやりと上体を起こす。
まだ外は薄暗い様子だが、部屋は暖かい、というより熱い。火桶が三つも置いてある。
「ラ、シュ、ディ~~!!」
すると横から、急に弱々しい声で抱きつかれた。
少し肩を離して見れば、端正な顔立ちが、赤い瞳に涙を浮かべてゆるんでいる。
「シャロム?」
生きていたのか?
生きているのか?
「そうだよ!! ねえほら、ディアナちゃん!! ラシュディが、ほら!!」
シャロムは興奮しきり、傍の椅子に座っていたディアナの肩をぺちぺち叩く。
「うにゃ……寝てない」
組んだ膝に額をつけるほど前のめりになっていたディアナは、びくんと背を正して、首を小さく振るった。
「ふむ。ようやく目覚めたか。この不良詩人が、また勝手に持ち場を離れおって。おおかたシャロムを探しに先走ったのであろうが、逆におぬしが捜索されるとは情けない」
そしてラシュディと目が合うや、懸命に真顔を作ってみせた。
ここにいるのは三人だけだ。
「ラシュディ、よかった。本当によかった……」
さてこのシャロムは本物なのか?
「ちょっと待て。ちょっと待て。シャロム、ちょっとそこに立ってろ」
再び顔を寄せようとしてくる彼女を制して、部屋の真ん中にまで離れさせる。
「え、どうして?」
「いいからよ。俺の言うとおりに動いてみろ」
シャロムは不思議がりながらも従った。
ディアナはさりげなく、火桶をずらして空間をつくった。
「そうだ。そこで足踏み。右、左、右、左、前、前、後ろ、後ろ、跳んで、しゃがんで、いち、に、くるっと回って、決めッ……よし、本物だな」
「えーっ、なに今の!? すっごく恥ずかしいんだけど!?」
「これは思いがけず尊いものを観られたのう」
ディアナはラシュディに、よくやった、と言いたげに拳を握って目配せをした。
「もう、ディアナちゃんまで何を言ってるのさ。それよりラシュディは、どうなの、身体は平気なの? どこか痛くない?」
「心配ねえよ」
「心配に決まってるでしょ!! きみったら、ほとんど裸みたいな格好で、一人で、あんな道ばたに倒れてたんだもん!!」
「……道端?」
ラシュディは目を細める。下水道で力尽きたところまでが、記憶の最後だったはずだが。
「また魔王に何かされてたんじゃないかって、このまま起きないんじゃないかって……」
「それを言ったらお前だろ。よく無事だったな」
「死んじゃったらどうしようって、ずっと心配で、ボクもう胸が……胸が……!?」
また泣きそうになっていたシャロムは、唐突に、血の気が失せたように固まった。
「……ねえ、ラシュディ……?」
それから思い詰めた声を絞り出すと、ラシュディの腕を取り、手のひらを自分の左胸に押し当てた。
「ぬ、な、何をさせておるのじゃ、おぬし、おぬしは!?」
「俺じゃねえよ。おい、シャロムお前、何やってんだ!?」
横でディアナが毛を逆立てている一方、シャロムは変わらず深刻で沈んだ表情。
「ねえ、ドキドキしてる?」
「あ?」
「ボクの胸、ちゃんとドキドキしてる?」
言われて感触に集中すると、気付いてラシュディも強張った。
妙に冷たい。
たしかにドキドキしてない。つまり――
「心臓が、動いてねえ」
例えるならば、氷の心臓。
そして同じ特徴の魔物を知っている。
「きみ、言ってたよね? ボクの命をもらうって」
「やめろ」
「ほら、あげるから、今だよ」
「お前の死にたがりには、もう付き合ってられねえ」
「だって、これだよ? ボク、きっと人間じゃなくなっちゃったんだ」
「俺にお前を、二度も殺させるな」
ラシュディは目を伏せた。
「でもこのままじゃ、またボクは、魔王に操られて、酷いことをしちゃうかもしれない」
「考えすぎだ。あの蛇野郎は、ちゃんと姫さんが倒した。俺はこの目で見たんだぞ」
表に立つべき役者を、それとなく強調する。
「それでも怖いよ。もういないって言われても、やっぱり、いつどうなっちゃうか……」
「ならばその命、わらわが預かろう」
ディアナが割り込み、ラシュディの手を胸から離させた。
「何事かあれば、わらわが責任をもって処断する。それでよかろう?」
「だ、ダメだよそんなの」
「北ロマーニャ王国が第二王女・ディアナ=ルネ=スパーダの言うことが聞けぬと?」
「えっと……」
「そなたが自分を許せぬ気持ちは理解できる。そなたは魔王に従い、民の命を多く奪った。これは人の法において許されるものではないことも事実じゃ。極刑は免れまい」
「だったら……」
「しかし今宵は祖霊の加護厚き特別な満月じゃ。きっと神の法によって恩赦が与えられ、刑の執行には猶予が設けられるであろう」
「ちなみに姫さん、その猶予はいつまでだ?」
「神のみぞ知る」
「おい」
ラシュディとディアナが気味よく言い合うと、シャロムは吹き出してようやく悲痛な面持ちを崩した。
「そも、わらら個人として言わせれば、勇者は死んだのじゃ」
芝居がかった口調で、ディアナは天に吠える。
「ああ、何故に、彼は女だったのか!? 在りし日の淡い幻想は敢えなく砕かれ星と消えた!! もう一度言う。勇者は死んだ!!」
「おう、まだ根に持ってやがるな」
「じゃあボクは……何者なんだろう?」
「どこにでもいる普通の村娘シャロム=レハンではないか。このディアナがお墨付きを与えたものに、何ぞ文句があるか?」
「でもそれじゃあ、父さんが……」
「もしも悪しき因習が、そなたと、そなたの愛する者に鞭打つならば、わらわの名を盾にするがよい」
「そうか……ボクはもう、勇者じゃなくていいんだ」
シャロムはぽかんとしてから、大仕事を終えた後のように呟いた。
誰もが、故郷の父親や、ディアナやラシュディでさえ、『勇者シャロム』であることに彼女の存在意義を見出していた。
だから今まで誰も言ってあげられなかった。
「他の誰がお前に石を投げても、俺たちは見捨てない」
「そうなんだ。それでよかったんだ。ボクは、父さん、よかった……よかっ、あぅ、あぁ……」
とうとうシャロムは感極まって、幼子のように泣きじゃくった。
吐くほど泣いたシャロムは、程なく疲れて眠りに落ちた。
ラシュディは場所を交代して彼女に布団をかけると、これで一件落着とばかりに肩を鳴らす。
「なんだか今日は初めて、権力の気持ちいい使い方を見た気がするぜ」
「左様か。ならば権力ついでに、詩人の本分を全うしてもらおうではないか」
するとディアナはその肩を鷲掴みにし、地味に力強く椅子に座らせた。
「勘の鋭いおぬしのことじゃ。夜光剣が何故、禁断の技か。はや察しておろう?」
後ろから耳打ちされて、ラシュディは二つの文言を思い出した。
『あなたが外に目を開くとき、光はすでにその内にある』
『陽の下を逃れた者にも、必ず上に月は輝く』
光の万遍ない慈悲深さを説いたものだと解釈していたが、これが夜光剣を知った後では全く違う意味が浮かんでくる。
「とりあえず、姫さんが敵じゃなくてよかったとは思うぜ」
月光の届く下は、もれなく必殺圏内。
もし放つ瞬間、ディアナの集中が乱れていたら、標的を絞る技術が甘かったら、あるいは、土壇場で人間を裏切るつもりだったら――少なくとも聖都全域が隅々まで、一瞬で真っ赤に染まっていたということだ。
「うむ。万が一にも、欠片にも、あの技が人間に向けられたらどうなるのか、などと民に不審がらせてはならぬのじゃ」
「で、俺に何をさせたいって?」
「此度の戦いで、わらわは侵略してくる魔王を返り討ちにし、臣民と街と守ることが出来た。しかし見方を変えれば、彼奴の命懸けの策に陥って、あの技を使わされたとも言える」
肩に伝わる指の圧から、ラシュディは彼女の悔しさを感じ取った。
「神々の戦争においても蛇の執拗さから、太陽の女神は不滅の炎を撃つことを余儀なくされた。そのせいで陽は弱まり、この世には冬が巡って訪れるようになったという。冬は草を枯らし、飢えと寒さによって人々の間に不和をもたらす大きな元凶じゃ」
「それと同じくらいのことを狙われたってか」
「取り越し苦労であればよいのじゃが、手は打っておくに越したことはあるまい」
夜光剣の存在と使い方を、ソロが熟知していたとしてもおかしくはない。
「姫さんも意外と考えてるじゃねえか」
「意外は余計じゃ」
「で、もう一度訊くぜ。俺は何をすればいい?」
「言わずとも分かるであろう? 無粋なやつめ」
すっとディアナの息継ぎが聞こえた。
「この戦いの記録と記憶を、他の王族や国々からの追及をかわすべく、あの技を用いた理由にやんごとなき正当性があることを強く示しつつ、臣民の期待と羨望を裏切らぬ程度にその危険性をぼやかし、英雄的行為として末永く語られるように気高く、嫌味にならぬ範囲で強く、賢く、美しく、子供にも人気が出る見込みで可愛らしく、混沌と争乱の冬を乗り越えたことを祝して、春の息吹を感じさせる豊かな筆致で、志半ばで絶えてしまった勇者の遺志を引き継ぐ者となりし、わらわの勇姿を、とくと書け」
「言われなきゃ分かんねえよ」
「やはり題名は、あれにならって『黄金の王女の物語』じゃな。分かりやすいものがよかろうて」
「だから注文が多い」
「素敵な副題もあるとよいな。わくわく」
「わかった。じゃあ、~アルテミシアの再臨~ってのはどうだ?」
「ほう、よいではないか」
これでまたしばらくは、詩人ラシュディとして生き続ける理由が出来た。
「ところで、ふと気になったんだがよ」
「何ぞ?」
「神は人間を許したってな。じゃあ神様を、誰が許すんだ?」
「ふむ。愚問じゃな」
するとディアナはつかつかと、窓にかかっている幕を開け放った。
徐々に夜闇が晴れていくなか、方々で怪我人の手当や瓦礫の撤去が進められていた。
広場では片側に冷たくなった者を寄せて布が被せられ、片側に大鍋を集めてまだ動ける者たちのために炊き出しが行われている。
「わらわはもう、許されておるではないか」
外縁に立つディアナの大人ぶった横顔を、朝日が赤らめていった。
終




