28 王女の決戦
『まったく、忌まわしいですね。月の光、その輝き』
蛇頭が舌を震わせる。
『そして、ああ、人間はまた裏切るのか』
風が吹きすさぶ。
『目に映るものばかりに惑わされて、煌びやかなものに易々と心を奪われて』
山脈が這い寄る。
『ですが、裏を返せばそれもまた人間。闇が豊かであればこそ』
「黙れと言ったな? それはこちらの台詞じゃ!!」
ディアナは腰を落として迎えた。
「飛剣・猛隼!!」
石剣を振り抜くと、斬撃が羽ばたいた。
そう、羽ばたいたのだ。
今までに見た飛剣が撃っていたのは反りのある刃状だったが、これは違う。大きさからして死運び鴉に並ぶ迫力で、かたちは猛禽。
それが両翼を広げ突撃していく様は、広場から歓声が上がるほど美しくも勇壮である。
「二連!!」
さらに返す刀で、二羽めの斬撃が追って飛ぶ。
「どうじゃ。わらわの気高さは、今や控えめに見ても人知を越えた。もはやただの“姫様パワー”にあらず。さしずめ……“姫様パワー・神話級”!!」
『小癪な真似を』
くちばしから突貫する一羽を、ソロは正面の首元で受けた。のこぎりで削るような鈍い振動が数拍あった後、斬撃は粒子となって飛散した。
続く二羽めを、脇からの牙が襲う。捕われた斬撃はわずかに、果敢にもその咥内へ潜っていこうとする気概を窺わせたが、程なくそれも掻き消えた。
いずれも致命傷を負わせた様子は見えず、山々はうごめき、城壁のすぐそばにまで迫ってきた。
暗い空を背景にしては遠近感もおぼろだが、この塔の頂上付近から見ても威圧感は大きく、星々をも覆い隠すほどである。
「壊剣・荒熊!!」
ディアナの発声とともに一瞬まばゆく、長大な金色が横振りから切り上げられ、北門を越えてきた一本の蛇頭を半ばまで粉々に吹き飛ばした。
柱のようだとも例えられた“姫様パワー”の塊は、神話級に至って真の形状を発現していた。
先端が太い五指に爪を具える野性の剛腕。
実際には当たらず掠めただけもこの威力。
射程は聖都全域を必殺の間合いに収めて余りある。
これにはソロも警戒したらしく、北門の向こうに退いた。
『さすがに、危ないところでしたね』
たちまち首の断面が盛り上がって、頭が再び生え出でる。
『その技は強い。しかし強すぎる。繊細な真似は出来ないでしょう?』
なおも余裕で挑発的なソロ。
「気遣いは無用じゃ。次の一撃は、決して芯を外さぬ」
毅然と、今度は上段に構え直すディアナ。
『我々の中にはまだ、お前を助けようとした、そしてお前が救おうとしている、彼女が生きています。見捨てるおつもりですか? もちろんそれで構わないと仰るなら、どうぞかかっていらっしゃい』
十一の蛇頭が口を開くと、まだ都市内に多く残っている氷や霜が、小さな無数の刃となって人々の脚を削いだ。そこかしこで上がる悲鳴が陰惨さを物語る。
「あの野郎、てめえからかかってきてんじゃねえか……っ!?」
加えて神話級の女神の力と張り合うべき魔王の攻撃とあれば、これだけで済むはずはなかった。
遠方かすかに、ラシュディは北の空から徐々に近付く風切り音を聞き分ける。
ソロは氷を操ることを得意としているようだが、普通に考えれば何も無い空中を一から凍らせるだけでも手間と労力がいるはずだ。
ではもし、最初から無尽蔵に氷が用意されていれば、奴はもっと速くて広くて強い攻撃をしてくるのではないだろうか。
「姫さん、上から来るぞ!! 打ち返せ!!」
ソロが首を揃えて前に倒すと、頭越しに氷弾が降り注いできた。一個あたりが、並の家屋よりも巨大なものである。
疑問の答えは、例えるならば、攻城用投石機。
真冬の極北領域には、たっぷりと弾の材料がある。そこから超長距離弾道で、遙か国境も山頂も越えて飛ばしてきたのだ。
「ちょこざいな!!」
ディアナは壊剣を振るい、氷弾を払って粉砕した。
一発、二発、三発と、しかし苦戦を強いられている。
まず壊剣が長すぎるため、ディアナの手で街に被害を出してしまわないように、不安定な足場で堪えるから動きがぎこちない。
さらに魔法の力か、地面すれすれで横殴りのような、人間の道具などではあり得ない軌道で飛んでくることもある。
そして何より、ディアナを直に狙った攻撃ではないのだ。
「く、抜かった!!」
そのうちに一つ、払い損ねた。
着弾の衝撃で建物や路地が壊れるだけではない。
破片がすぐさま周囲を巻き込みながら、点を線で結ぶように繋ぎ凍結させ、元の氷弾よりも大きな血混じりの花を咲かせた。負傷していて逃げ遅れた人たちは氷花に閉じ込められて、今度は叫ぶ猶予すら与えられなかった。
「貴様の目的は、わらわであろう!! 剣も盾も持たぬ者たちを踏みにじって何とする!?」
『だからこそ、ですよ。分かっているはずだ。我々だってこんな乱暴はしたくない。ですが、お前を独りにする方法としては最も着実ですからね』
第二波、氷弾の雨が再び襲い来る。
現にソロの言う通りだ。さばききれずに二発、三発と被弾して民の命が失われるごとに、壊剣の光る分量が目減りしていく。
次の第三波を許せば、いよいよ勝ち目が無くなる。
ディアナは努めて冷静であろうとする面構えだったが、剣を握る手は強張っていた。
「……もういい、姫さん。やってくれ」
ラシュディも拳を固めた。
「人質にされて、そのせいで関係ないやつらが殺されていくなんて、それはあいつが一番望んでねえことだ」
今ならまだ間に合う。ディアナなら跳んで、真正面から叩き潰せるはずだ。
「本当だったらよ、シャロムは一年前に死んでいたんだ。それを操り人形みたいに生かされた挙句に、このざまだ。でもあいつには、自分の命より大事なものがあるんだよ」
たしかにシャロムの勇者としての旅の始まりは、彼女が望んだものではなかったかもしれない。
世界なんかどうでもよかったと吐き出した胸の内は、ある一面で事実だったに違いない。
だがそれでも、我が身を省みずに戦って数多の命を救い、人々の笑顔を守ってきた旅路の果てにも嘘は無いのだ。
「姫さん。これであいつを助けられなくても、お前のせいじゃねえ」
これを聞いてディアナは、深く目を閉じた。
「……そうじゃな。許せ、ラシュディ」
「頼む」
「おぬしにそこまで言わせるとは、わらわの抜かり。守るべき優先順を、また違えるところであった」
「?」
「実は一つ、シャロム様……シャロムを傷つけることなく、確実に、あの蛇だけをぶつ切りにして葬る手段があるのじゃ。それを今まで黙っていたことを、許せラシュディ」
「おい姫さん、そりゃどういう――」
「禁断の技を使う」
開けたディアナの瞳の輝きは、王家の証である。
「聞け!! 憐れな蛇よ、こちを見よ!!」
ソロは掲げようとしていた首を止めた。
それだけ予想外だったのだろう。ラシュディも目を疑った。
「な、何やってんだ姫さん?」
あろうことか、ディアナは壊剣を解いて、石の剣を放り捨てたのだ。
手放して、どうやって攻撃するのか、ラシュディには想像もつかない。
『おや、それは何の真似です?』
王女は丸腰。両手のひらを相手に見せて肩の上に。
『降参の表れと受け取ってよいのですか?』
「ラシュディ=サルヴァン。何があっても、わらわを信じてくれるな?」
詩人にだけ伝える秘密の呟き。
『この身を捧げるから代わりに人間を見逃せ、などと殊勝なことを仰るおつもりで?』
ディアナは姿勢を保ったまま、ソロに対しては睨み返すばかりで答えない。
『何故黙っているのです!? 魔を統べる王が、人を統べる王に問いただしているのだ。礼節ある身をわきまえているならば、答えろ!!』
「言ったな、貴様!? ついに自らが魔王であると、侵略者であると告白したな!?」
くわっと荒げて、ディアナは腕を真上に伸ばした。
「見届けよ、者ども!! 刮目せよ、魔王!!」
意気よい声とは裏腹に、指の運びはたおやか。
さも、か弱い生き物を包み込むような、あるいは儚い落花を受け止めるような仕草で、空を結んで胸の前に降ろしていく。
「……これより放つ、見えない斬撃を見るがよい」
またもラシュディにしか聞かせない声量である。
「どっちだよ!?」
「正確には、すでに見えておるのじゃ。見え続けている、と言ってもよかろう」
「ますます意味が分からねえ」
「剣は天にあり。おぬしにだけ先にタネを明かせば、不可視の刃とは月光そのものじゃ」
「月が?」
「すなわち、見えているとは、斬られていると同義。彼奴とて目が開いておる以上、例外ではない。あとは定めて剣筋を絞り込むのみぞ」
理解が追いつかない。きっと誰にも分からない……それを目の当たりにするまでは。
「過ちを犯させるもの。罪の始原にして終結。その名は《孤独》魔王・リリアン=ソロ!! 今こそ終止符を打とう。我が“姫様パワー”の威光、しかと目に焼き付けるがよい!!」
大きく胸を張って、ディアナは声を通す。
『ならばいいでしょう。我が魔王の呪言、音に聞こえて語り継げ!!』
ソロは牙を剥いて、二枚舌を震わせた。
「スパーダ王室流剣術が最奥義……夜光剣・月影!!」
ディアナは両腕を前へ、ぱぁっと開いた。
刹那、十一本の蛇頭が断ち切れて宙を跳ねた。
呪言とやらを発する一瞬すら許さない。
さらにわずかな間を置いて、残った胴体もろとも八つ裂きの八つ裂き。
ばらばらになった氷雪は風に舞い、霜にまみれた土塊は瓦解して城壁をも押し潰す。
何かを飛ばしたりぶつけたりしたようには見えなかった。
ラシュディの目に映っていたのは、ただただ魔王の巨体……山脈が細切れになるという驚くべき結果の光景だけだった。




