1 王女襲来
「とくと続きを書け」
まだ飼育小屋の豚や鶏さえ鳴かない夜明け前。
若くして深い山腹での隠遁生活を営む青年・ラシュディ=サルヴァンは、いきなり家に押し入ってきた鎖帷子の兵士たちに捕われ、たちまち木板の床に組み伏せられた。
そして困惑のさなかに頭上から聞こえた女の第一声がこれである。
声そのものは小鈴が転がり鳴るような、未成熟さが前面に押し出された、いわゆる苦労知らずな少女の印象だ。
「おぬしがラシュディ=サルヴァンであろ? 相違ないな?」
しかし台詞回しの尊大さと、強いる状況の理不尽さからして、ただの小娘であろうはずもない。
目標を数の力で素早く拘束し、一方的に要求を伝えた後で本人確認をするという、手際と順番がでたらめである。
しばし答えずにいたラシュディは、今度は髪を引き掴まれ、食卓机の脚に上半身を縄で括り付けられた。
床の木目を見るにも苦労する暗がりで、目の前にうっすらと、毛織の靴を履いた足が浮いている。
卓上から届くかすかな松脂の灯りを受けて、そこから辿るように頭を上げていけば、細いふくらはぎと、組んだ膝を隠すドレスの裾、腰に添えた小さな手指、ペンダントの乗った慎ましやかな胸元を経て、不機嫌そうにこちらを見下ろす少女の顔が窺えた。
瞬間、ラシュディは全身が鳥肌立ち、心臓をギュッと掴まれたような心地になった。
輝く黄金色の長髪は、まるで夜空を支配する月光のようだ。
そしてあどけない顔立ちに、青い瞳は首を飾るものと同じ青玉石かと見紛うほど澄んでいる。
「改めて問う。おぬしが、ラシュディ=サルヴァンじゃな?」
そして睨みつけながらの、この語気の強さは、問いかけというよりも決めつけであった。
「ああ。そういうあんたは、ディアナ王女様……だろ?」
「いかにも。北ロマーニャ王国が第二王女・ディアナ=ルネ=スパーダとは、わらわのことであるぞ。世捨て人のような生活をしている割には、よく知っておるではないか」
ふふん、と胸を反らしてみせる少女ディアナは、本来であれば一介の青年と接点などあろうはずのない立場の人物だ。
「さすがに有名なんでね。おてんば姫だの脱走王女だのと呼ばれていたお姫様が、今月でもう十五歳になったって噂はよ」
「幼い日の不名誉な渾名など忘れたわ」
居心地の悪い話題をさらっと流して、ディアナはラシュディの目を覗き込むように首を傾けてきた。
「して、ラシュディよ。もちろん分かっておろうな?」
「煮るなり焼くなり、好きにしな」
ラシュディは小さく唇をゆるめた。
「よい心掛けじゃな。では、どこまで進んでおる? いつ仕上がるのじゃ?」
「……どこまでって、何がだ?」
「何が、とは何か?」
二人の顔に疑問符が浮かぶ。
「待て。姫さん、あんた何の話をしてるんだ?」
「続きを書け、と言ったはずじゃが?」
「いきなりの寝起きで憶えてねえよ」
するとしびれを切らしてディアナは、卓上にあった革の手提げ鞄を乱暴に掴んだ。
「この際、先ほどからの、失礼な口の利き方には目をつむろう。わらわは寛大じゃからな」
「寛大なやつは、問答無用で人を縛ったりしねえ」
「しかし、わらわにここまでさせておいて、知らぬ存ぜぬで通すつもりか」
中から本を取り出して一冊ずつ、兵士に手渡して、丁寧に向きを揃えて足元に並べさせる。
闇に慣れてきたラシュディの目に、本の表題が映った――『白銀の勇者の冒険記』――それは悪の魔王を倒すと予言された伝説の、勇者の旅の軌跡を描いた物語だ。
「題名にはもう一捻り欲しいところじゃが」
「分かりやすくてなんぼだろ」
そして著者名には、ラシュディ=サルヴァンとある。
「しかし、内容は素晴らしい。王立図書館に所蔵されている名著『幻竜奇譚』や『海底物語』の連作にも引けを取らぬ、むしろ勝っているとさえ、わらわは思っておるぞ」
「そりゃどうも」
「旅をしながら仲間を集める第一巻。特に、最初の仲間である詩人と徐々に友情を深める様は微笑ましかった」
床に置いてある本を、
「街から街へと渡りながら、各地の魔物被害から人々を救う第二巻。岩に刺さった聖剣を抜き、強敵に備えて必殺技を習得した場面には心が躍った」
ディアナは順に指差していき、
「さらに四天王との戦いが激化してきた第三巻。仲間との死別を乗り越えてなお戦う姿には胸を打たれた」
最後に、本の置かれていない床を示す。
「……で、続きはどうしたのじゃ? これから魔王城に乗り込んで決戦という山場も山場で、どうして一年以上も止まっておる?」
「それはその、あれだよ。俺たちの戦いはこれからだ、ってやつ」
「未完成品を体よく整えただけの間に合わせに用は無い」
「っていうか、なんだ、用件は本のことだけかよ」
相変わらず険しい調子のディアナをよそに、ラシュディは大きく息を吐いた。
「何ぞ、他に心当たりでも?」
問われて一瞬、ラシュディは目を丸くした。それからすぐ細目になり、大げさに肩をすくめてみせた。
「いや、まさか。俺は清廉潔白で有名な男なんだ。生まれてこの方、嘘なんか吐いたこともねえ」
「それは嘘じゃろ?」
「正直に告白すると、食い逃げと立ち小便くらいはしたことあるぜ」
「どうでもよいわ。ともかく答えよ。あれの続きはいつ書き上がるのじゃ?」
「…………」
「黙して語らず、か?」
「いろいろ忙しいんだよ。畑とか林とか、手入れが必要だからな」
「では致し方ない。おぬしの身柄は城の地下牢で預かるとしよう。他に為すべきことが無ければ、執筆にも専念できるであろ」
「おいおい待て待て!! 干し肉や腸詰めだって作らなきゃいけねえんだぞ!?」
いつしか扉と床の隙間が明るみ、鶏の朝を告げる雄叫びも届いてきている。
「なに案ずるな。牢の中では、おぬしを賄う食事はちゃんと出る」
「なるほど、それなら安心……じゃねーよ!!」
ラシュディは身震いし、踵で床を蹴り鳴らす。
「だいたい、さっきから無茶苦茶だぞ。本の続きが読みたいからって、いきなり兵隊連れて作者の家に押し入ってくるなんて普通じゃねえ」
「わらわはこの件について幾度も、幾度も手紙を送ったのじゃ。つい先週にもな」
ディアナは床に立ち、ラシュディの脛をゴツンと蹴った。
「いかにわらわが、勇者の活躍を知りたがっているか、拍手喝采の大団円を望んでいるか、粛々と認めた。それも直筆で。だのに、待てど暮らせど返事は一向に無かった。期待を裏切られ続けた結果がこれじゃ」
「わるいな。うちに来る手紙は全部、読まずに山羊の餌って決めてるんだ」
「貴様こそ無茶苦茶ではないか。わらわは、こんなくすぶった気持ちを抱えたまま年を越したくないのじゃ」
さらに蹴った。
「よいか? わらわは何も、難しいことを強制してはおらぬ」
悶絶するラシュディに、ディアナは鼻が触れ合わんばかりに顔を近付けてくる。
「ただ、書け、と言っておるだけじゃ。な?」
「それが出来たら苦労しねえよ」
舌打ちして、わざと目を逸らすラシュディ。
「とにかく今は、諸事情あって無期限断筆中だ。もう書けねえし、書くつもりもねえ」
「理由は?」
「言えねえな」
「ふむ……」
するとディアナはおもむろに背を伸ばし、卓上の松灯りを眺めた。
「この家……よく燃えそうじゃのう」
そして木造の壁を見回し、ぽつりと不穏なことを口走る。
「おいバカ!! やめろ、マジで!!」
とっさに叫んで顔を上げたラシュディは、深い青に射すくめられた。たかが十五歳の小娘とは思えない、強い引力を具えた瞳だ。
色こそ違うが、かの『白銀の勇者の冒険記』に描いた勇者の瞳にも似た印象があった。気高く、相対する者の心を吸い寄せるような。
「……こういうやつは、本気になったら退かねえんだよなあ」
「?」
「ああもう、仕方ねえ」
観念してラシュディは、大きくため息を吐いた。
「そこまでするつもりなら、理由だけは聞かせてやる。だがな、姫さん、あんたが期待した通りの内容だとは限らんぜ。それでもいいか?」
「闇に葬られるよりはよかろ」
「よし分かった。じゃあその前に、兵隊を外にやってくれ。いいか? これは、お前にだから話すんだ。特別に」
兵士たちは迷いを見せていたが、ディアナは意外なほど素直に納得し、ラシュディと一対一になるように人を払った。
「では話すがよい。いや、その前に……」
椅子に座り直したディアナだが、口を開こうとしたラシュディを手振りで制する。
「もてなしの茶はまだか?」
「客のつもりか!?」
「わらわは貴賓であるぞ」
「自分で言うな。っていうか、これじゃ動けねえよ!!」
「まったく、手のかかる男じゃ」
「お前が言うな」
ディアナは面倒くさそうに腰を上げると、ラシュディの斜後にしゃがんだ。
「む? く……っ」
そこで縄を解こうとするも、予想より固くて手こずっているようだ。
やがて業を煮やしたのか、すっくと立ち上がり、やや乱暴な足取りで戸口まで行くと、外の兵士から長剣を一振り借りて戻ってきた。
縄を切ってもらったラシュディは背伸びをし、両手足をぶらぶらさせて身体をほぐしつつ、ディアナを観察した。
彼女はこちらに背を向けて、剣を壁に立てかけている。
「姫さんよ、あんた、不用心だぜ」
ディアナの手が柄から離れたところで、ずいっと詰め寄った。
こうして迫ってみると、彼女の背丈は胸の高さまでしかなく、今までに見てきた十五歳の娘らに比べても一層、小柄で華奢に映った。
「誰にも見られてない、護衛もいないこの状況で、本当に俺を解放するなんてな」
敢えて威圧的に顔を歪めてみせたラシュディに対し、振り返ったディアナは背筋を伸ばして何故か誇らしげだ。
「心配無用。王が民を信じずして、どうして民が王を信じようか」
微妙に質問と答えが噛み合っていない気もするが、こういう変なところで自信たっぷりなのも、あの勇者に少し似ている――そう思ってラシュディは、自分の黒髪をぽりぽり掻きながら、呆れたように表情を崩した。




