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25 罪と密約


 暗闇のなか、苔むした煉瓦壁に片手を添えて早足、水音を立てて進む。


「何じゃ? いま、足が、わさわさ、さ、さてはねずみか!?」

「気にするな。ただのドブネズミだ」

「ねずみではないか!? 危険ではないのか!?」

「騒ぐな。怖がるほど寄ってくるぞ」


 ディアナは息を呑んだ。ラシュディの後ろ手に彼女の緊張が伝わってくる。


 そうしてしばらく互いに無言でいたところ、ふとディアナが、くいっと手を引いてきた。


「……あれと決着をつける前に、きっと話さねばならぬことがある」

「今じゃなきゃダメか?」

「今を逃しては、いつまた話す気になれるか知れぬ」

「まあ、いいぜ。ちょうど吐くにはうってつけの場所だ」


 ラシュディも歩みを少しだけゆるめる。


「で、何だって?」

「勇者が魔王を討つという伝説……それを作って広めたのが魔王自身であると、おぬしは推察したな?」

「ああ」

「それは半分正解じゃ」

「意味深だな」

「“姫様パワー”が無ければ彼奴には傷ひとつ付けられぬことを、結論から言えば、わらわは知っておった」


 ぴくり、意図せずラシュディの手は、わずかに力がこもった。


「知らされたのは、今月の初め、十五歳になる前の晩に……神話における悪神の従僕と、夢見ていた冒険物語における魔王とが、同一のものであると教えられた」

「教えられた? 誰にだ?」

「星見役、天を測る識者じゃ。王族の教育係も兼ねておる」

「じゃあ当然、他のお偉いさん方も皆ご存じなわけだ」

「神々の戦争を繰り返したくない。魔物との衝突を避けたい。それは我々も同じ姿勢であった。民も土地も費やされるばかりであろうし、何より今度こそ世界が滅ぶやもしれん」


 じわり、ディアナの手から返す力が強まった。


「そのために華々しい神話の陰で、悪神の従僕と密約を交わし、互いの地への不可侵を決めていた。そうして悪神の従僕は、魔王となった。あれは人を統べる王に対して、魔物を統べる王。地を治めるものとして、すなわち我ら女神の子孫とは対等の立場という名目じゃ」


 あくまで名目上じゃが、と苦々しく言い置いてディアナは続ける。


「これを聞いて、眠れぬ夜が続いた。おぞましい話じゃ。魔法使いとは魔物の血を色濃く継いだ者であり、支流に過ぎない人の身では、本流たる魔王に決して敵わぬとも教えられた。この意味が分かるな?」


「白銀の勇者は魔法使いだ。魔王を倒せねえ」


「それにも関わらず、かの伝説が広く信じられていることこそ、密約が生きておる何よりの証左。勇者が魔王を打ち倒すと予言されている限り、女神の子孫は戦わない。戦わなくてよい。言わば勇者は身代わりの生け贄。そうと知っていながら三年前、女王陛下や姉上らはシャロム様を、わらわの命を救ったからと賓客として招き、もてなし、もてはやし、旅の行く末に期待しているとまで言ったのじゃ。あの白々しい微笑みで!! こんな裏切りがあろうか!!」


 ディアナの親指爪がラシュディの手の甲に食い込む。


「そして、わ……わたしは、そうと知らずに笑顔で見送った。自分にはまだ力が足りない、資格が無いからと言い訳をして、ともに行きたい気持ちを押し込めて……あのとき飛び出せなかった自分を、未だに許せない」


 一年前から希望の続刊が出ず、消息も知れず、ずっとやきもきしていたところへ、大人になる前の心構えにと聞かされたのがこの残酷な仕組みだったのだ。

 ああ、だから――とラシュディは思い出して納得した――だから、あの山小屋でディアナは、敢えて剣を持たずに話を聞こうとしていたのだと。

 そう考えたら考えたで、いくら立場があるとはいえ、お茶をぶっかけてきたのはやりすぎじゃないかと腹立たしくも感じたが、とりあえずここは自分が大人の対応をすることにした。


「……わるかったな、姫さん。手紙を読まずに捨てちまってよ」

「ふん、まったくじゃ」

「いや実は、読んでたんだ。読んで無視してた」

「なぬ!?」

「ぞろぞろ鎧兵士が百人も登ってきたら、分からねえはずがねえだろ。本当は逃げるなんざ朝飯前だったんだぜ」

「ではあのとき、意図して捕まったとな?」

「俺に引導を渡せるとしたら、お前だけだと思った」


 ノックスとして殺しを生業としていた過去は、自分で選んだ道である。仮に縄で引き立てられ、打ち首になる間際でも、それ自体を悔やみはしない。

 だから今も、敢えて明かすことはしていない。

 許しを請うつもりもない。

 もしディアナが証拠をもって追及するならば、そのときはそれまでだ。誇らしく首を差し出すだろう。


「たったひとつ、姫さんがご執心だったシャロムの行方について、どうしようもなく無様に逃げ続けた俺が、ご期待に添えないってことだけ、申し訳ねえからな」


 ただ詩人ラシュディとして、図らずもソロの思惑に従わされたのは、生涯の恥であり、彼女たちへ負い目である。


「でもまあこの際、この場所だ。そこは水に流してくれていいんだぜ?」

「おぬしが言えた義理か!? ――ぁ痛っ!! 何じゃ、足を、足を噛むものがあるぞ!?」

「気をつけろ、ドブネズミだ」

「やはり危険ではないか!!」


 足を速める。背後から押し寄せる気配は、個々は小さくとも数が多い。


「ラシュディおぬし、よくも、こんな、暗がりを、脇目も振らず、走れるものじゃな」

「着いたぜ。この上だ」

「え? あ、うむ」


 急停止の後、格子蓋を押して登り、芝の上に這い出る。

 それからディアナを引き上げ、たかっているねずみを蹴飛ばした。


「ぷはぁ……ひどい目に遭った。清らなる空気が地上に満ちていることを、今いちど、天の神々に感謝せねばなるまいな」

「ほら姫さん、さっさと立てよ」

「無理じゃ、もう歩けぬ」


 ディアナが息を整えてから重たそうに頭を起こすと、そこにあるのは石柱の並ぶ大神殿の入り口だった。


「……何を呆けておるかラシュディ。ほれ、あとはもう登るだけではないか!!」


 するとたちまち、晴ればれと伸び上がり、揚々と先導するのだった。


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