19 裏切りの天秤
「裏切ったのか? お前まで、あの野郎に惑わされたか?」
「うーん。裏切り、っていうのとは、ちょっとちゃうかなー。もともと、こうなったら、こうするつもりやったわけやしなー」
カレンの答える口調の軽さはいつも通りだが、間合いを保って対面する姿勢は筋が通っている。
普通ならば隙を晒すはずの射撃直後でも、手負いの男に跳びかかられたところで簡単に迎撃できるという密かな自信と実力の現れだ。
今さらにしてラシュディは、この商人の女が隠してきた爪の鋭さを思い知った。
「最初から魔王の手下だったってわけかよ」
「それも誤解をまねく言い方やんな。ウチは仕事をしとるだけや」
「じゃあ、どっちの味方だ?」
「そらもう、ウチはウチの味方やで。自分は自分を裏切らへんからな、絶対に」
そう言い切れることが、カレンの強さの源なのだろう。
「質問を変えるぞ。お前は姫さんの、敵か?」
「今となっては、な」
ディアナがすくむのも構わず、カレンは平然と言ってのけた。
「ほんまはな、こんなことしたくないねんで。アナっちが勝ってくれたほうが、何かと見返りも大きそうやしな」
「状況次第で、勝ち馬に乗り換えるってことかよ」
「まさかラッシー、今さら正義の味方ぶって、そういうのは許せへんとか言わんよな?」
「そんな正々堂々、真っ当な生き方なんざ、俺もしてねえから……なっ!!」
ラシュディは喋りながらこっそり紐解いていた、爆薬袋を放り投げる。
「せや、ラッシー。ウチな、ちょっと嘘いってたことあるねん」
時間を計って、ちょうどカレンの眼前で爆発するはずだった黒い粉末は、しかし何事もなくはらりと床に散った。
「空気に触れるだけで発火する爆薬。まあそこはほんまなんやけど……実はそれ、知り合いやなくて、ウチが作ったものなんや。魔法でな」
「……は?」
「ほんでもって、ウチが近くにおれば、発火のタイミングはコントロール出来る」
こんなふうにな、と続けた直後、ディアナの足に火花が炸裂した。先ほどマッサージと称して触れた際に付着させていたのだ。
「きゃぁっ、ぃあ……」
ディアナは椅子ごと倒れ、火傷した足を押さえて絞り出すようにうめく。
「姫さんっ!!」
「ラッシー、隙あり」
カレンから目を離した一瞬、再びクロスボウの矢が放たれた。
矢はラシュディの眉を削ぎ、頭蓋に弾かれて飛び過ぎる。致命傷こそ免れたが、流血で視界の半分を塞がれた。
「ありゃ、やっぱ横着して頭狙うんはあかんな。動くし、硬いし。初心を忘れるべからずって、そう思うやろラッシー?」
「知らねえよ」
「堪忍なー。でもアナっちが悪いんやで? あんな逆境くらい、かるーく跳ね返してくれんと、こっちも応援しがい無いやんか。なあ、アナっち? 予期せぬ事態を乗り越えられんと王女は務まらんって、あんたの台詞やで?」
次の矢を準備する時間稼ぎのためか、やけにカレンは饒舌だ。
だが声かけられてもディアナは返事すら出来ない。
「あんな大事な場面で、剣とペンダントが壊れるなんて驚いたやろ? セルペン商会印のツヤ出し油、よう染みてたもんな?」
「っ!? お前、そうか、あれまでもが、ソロの手引きかよ」
カレンが不自然な道で大荷物を運んでいた理由から、魔王が自ら前線に出てディアナと接触した理由までもが、一つに繋がった。
「だってああやってポイント稼いどかんと、いざソロやんが勝ったとき、ウチの取り分が少なくなるやんか」
「ソロやんって呼んでるのか、あいつを」
「そこはええやん。まあ、けどほんま、チャンスが来てくれてよかったで。女神の力があるうちは、どうやってもアナっちを殺せへん。ラッシーが一緒におるうちは、ちょっといっぺんには相手できん」
装填された矢が、心臓に狙いを定められる。
「けど今なら、アナっちも勝手には逃げられんやん。ウチには魔王の後ろ盾があるんや」
「魔王さえ利用する、している気かよ。いいように使い捨てられるのがオチだぞ」
「それラッシーには言われたないなあ。ウチはあんたが三年前に残した仕事を継いであげてんねんで? あんたの評判が悪くならんようにな」
「……どこまで知ってやがる?」
「こう呼んであげれば、ぜんぶ伝わるかな、先代さん?」
ラシュディはカレンに睨みを利かせながらも、耳では後ろにいるディアナの反応を窺う。どこまで聞こえているのか、あるいは聞いてどこまで察しているのか、今は定かではないが。
「あんたの銘柄は、ウチが二代目として有意義に使ったるから、安心してや」
カレンが引金を引くと、射出された矢はラシュディの胸を捉えた。
だがここでカレンは眉をしかめる。
「そうか。じゃあ、状況はともかく、聞きたいことは聞けたからよしとするぜ」
急所を撃たれたはずのラシュディが、胸を押さえつつも特に堪えた様子ではない。
「気になってたんだよな。森のときからよ」
それ以前に至近距離で腹を撃たれた一射からして、なおも普通に話が出来るほど余裕があるという不自然さに、カレンはようやく気付いたのだろう。
「あの銘柄の名前を姫さんが口に出したとき、それは誰だって、お前は訊き返したよな? あれが人名だって知ってたわけだ。古い言葉らしいのによ」
暗殺者ノックスの関係者だとすれば、理由も無くディアナに近付くとは思えなかった。
ラシュディは両手に掴む二本の矢を、平然として見せつける。
「だからこんなこともあろうかと、先が丸いやつに代えておいたぜ」
「あんた、何してくれてんねん」
それでも無傷とは言えず、実は受け止めた肋骨も臓腑もズキズキしているが、そんなことは悟らせない。
そのままラシュディは机の上に矢を投げ打ち、蝋燭を弾き落とした。
「ちょ、まっ」
いくら魔法使いカレンが爆薬を操れるとしても、直に火が触れれば爆発を抑えることはさすがに出来ない。
そうして足元からの爆音、閃光、発煙で怯ませ、それに乗じてラシュディは床を蹴った。
さらに机の角を踏んで跳躍。相手に構え直す暇もあたえず、その横面めがけて空中から膝を落とす。
「ぐぇぅ」
潰れるようにうめき倒れたカレン。
その後ろに回り、すかさずラシュディは脚で首を絞めた。抵抗脱出の余地も無い熟練の技術は、ものの数秒でカレンの意識を失わせる。
「名前の代金に、こいつは貰っとくぜ」
ぐったりと白目を剥いたカレンの腰から、念のためクロスボウを奪っておいた。
「さて、姫さんは無事か?」
改めてディアナに目をやると、床に手をついて上体を起こしつつも、腰から下には力が入らない様子だった。
「立てるか?」
後ろ頭が小さく振られる。
「俺に言いたいことはいろいろあるかもしれねえが、後で落ち着いて話すぜ。だから姫さん。今はここから離れるぞ。いいな?」
返事は無かった。だからラシュディは有無を言わさず彼女を抱え上げた。
やがてラシュディたちが辿り着いたのは、北の城門。
南門とは正反対に、ほとんどゴミの掃き溜めと化して久しい。長らく使われていないせいで錆び付き、ただでさえ脱出の用には不向きな門が、厚い氷によってうずたかい城壁と継ぎ目無く固められている。
「ここを越えれば、とりあえずは安全だろ」
ディアナを降ろすと、まずラシュディはゴミ溜めを漁った。
探り当てたのは、先に小さな板が付いてT字型になっている鉄の棒。暖炉の灰などをかき出すための道具である。
「よし。ちょっと曲がってるが、それがいい」
続いて自分の腰縄を解き、こぶを巻くように灰かき棒と結んで、鉤爪ロープの代わりを作った。
そして上に振り投げ、壁の縁に引っかけることに成功した。
「じゃあ姫さん、俺が先に登るぜ。後から引き上げてやる」
縄の張り具合を確かめ、氷壁に足をかける。
「……ラシュ、ディ」
きゅっと小さく、ディアナは震える指で裾をつまんでくる。
「あなたも……裏切るのか?」
問われる意味が、ラシュディにはしばし理解できなかった。
「そう言って、あなたひとりで、逃げる、つもり?」
「おいおい姫さん。今それを言うのかよ」
この期に及んで信用されていないのか。
元より他人から信頼されるべき人間ではないと自覚していたが、それでも今までの行いが無駄だったとでも言われているようで、さすがに腹に据えかねた。
「たしかに俺は、本来だったら姫さんには顔向け出来ねえ立場の人間だ。隠してすまねえとは思ってるし、疑うのは分かるけどよ、ぐずってる場合じゃねえだろ」
「でも、あなたには、わたしを助ける理由が無い」
「そんなことねえよ」
「そんなことある。こんな足手まといとなっては、なおさら」
実際、戦力にならないことは否定しない。だから逃げているのだ。
「分かってる。カレンの言ってた通り、わたしが弱いから悪いの。もっと強く、気高くいられれば、こんなことにならなかった」
またラシュディは、カレンのしたことを否定するつもりもない。
三年前なら自分も同じことをしていたかもしれないし、徹底して己の利益を優先しなければ生きていけない人間などいくらでも見てきたからだ。
「そこまで分かっていながらまだ、あなたにまでは裏切られたくないと、見捨てられたくないと思ってしまう、身勝手な自分がいる」
「ほんと今さらだな。別にいいじゃねえか。普通、人間ってのは身勝手なものだ」
しかしディアナは、ぶんぶんと髪を揺らした。
「普通では、ダメ、なの。王女だから、しっかりしないと……でももう、証が無くて、力も出せなくて。強くなければ、王女ではいられない」
「そもそも、それがおかしくねえか? “姫様パワー”ってやつの仕組みがよ。力が使えなきゃ王女様とは認められねえくせに、王女様だと認められてなきゃ力が出せねえんだろ? どう考えても順番がでたらめじゃねえか」
「ぶどうの樹には、ぶどうの実が成る……タネが先か実が先か、なんて悩めること自体が落ちこぼれの証拠。現に姉上や妹は、物心ついた頃には使えていたのに。だからわたしには、あの首飾りが必要だった」
神々の定めは、人の頭で考える矛盾など凌駕するということだろうか。
「これでは、誰かに助けてもらう資格さえ……」
裸足で立っていることすらままならず、うつむいて崩れ落ちそうになるディアナ。
それをラシュディは、振り返るなり彼女の両頬をぺちっと叩いた。
「だーもう、お前といい、あいつといい、いい加減にしろよ!! 何なんだ、資格だの義務だの。なんでそんな下らねえことにこだわって、自分で自分の首を絞めやがる!?」
すると彼女は腕を回して逃れようとするが、まだ足元がおぼつかないせいで後ろにすべり、腕を掴まれ余計に不格好となった。
「だったら、そのシャロムと、わたしと、どっちが大事なの?」
そして背の反り返った姿勢で、悔しそうに涙目で言い放った台詞がこれである。




