18 王女の資格
民衆は迫りながら口々に汚い雑言を吐き、石を投げつけてくる。
「ちょ、いたっ、痛いって。これってまずいんちゃう? ますます相手の思うつぼやんか」
「だからって、ぶっ倒すのも説得するのも無茶だろうが」
仮にディアナの“姫様パワー”が万全であっても、街の人間には手を出せないだろう。
「そこはほらラッシーの、昔の何とかで、何とかしてーや」
「俺は魔法使いじゃねえし、そこまで便利屋でもねえんだよ」
同じように操られていたシャロムを正気に戻せたのは、薬草茶の香りと味が、ともに旅をしていた頃を思い出させるものだったおかげだ。
狭い路地裏や物陰に隠れてやり過ごしたり、道端の瓦礫や洗濯物を投げ返して適度に応戦したり。あるいは血の付いた足跡を追われないように、途中で後ろ歩きをしてから道を逸れるなどの工夫をしてもみたのだが、うまく逃げ切れないでいた。
どうにか民衆を撒いても、カレンの息が再び整うかどうかの絶妙な間で、またすぐに追いつかれてしまう。
「もう嫌やー、あいつら何なん? ウチに恨みでもあるん?」
「お前には無いだろうが、にしてもちょっと見つかりすぎだな。魔王が手引きしてやがるのか?」
カレンが荒い息で手を膝につき、ラシュディが舌打ちをしたところで、ディアナがおもむろに腕を上げた。
「……たぶん、あれのせい」
指差す先には、空に入り組んだ氷柱を止まり木にして、死運び鴉が十数羽も集まっている。他の場所にはおらず、ラシュディたちの頭上にだけ、揃ってこちらを見下ろして。
「うわ何やあれ? めっちゃおるやん!? きもちわるっ。こんなん聞いてへんで」
飛剣で討ち損じたというよりも、後から増援されたものという可能性が高い。まずは全滅したように見せかけ、ディアナを安心させて塔から降りるよう仕向けるのはソロのやりそうな手口だ。
「……すまぬ、カレン」
だがディアナはか細い声で、珍しく詫び言を口にした。
「すまぬ、ラシュディ。わらわの力が、足りぬばかりに、苦労を、かけて」
「謝るんじゃねえよ。調子が狂う」
「民の心を、引き留めることも出来ず、敵の言いようにされて、こんな不甲斐ない、わら、わたしを、許して、なんて、とても……言えない」
泣いている。
いつもの気を張った口調も崩れて、月の雫がこぼれるなどといった風流な言い訳はもはや通じようもない、駄々泣きである。
そんな嗚咽混じりの声に反応して、死運び鴉がゲキョゲキョと鳴く。
それを聞きつけてか、猛る民衆の駆け足音が再び迫ってくる。
「あかんって、こらあかんってー」
これはラシュディの知る限り、人間と魔物が初めて協力した歴史的瞬間であり、さらにある意味ではシャロムが平和を夢見ていた光景でもある。魔物と敵対していなければ、魔法使いが憎まれることもなかっただろうから。
しかしそのために魔王は、ディアナに犠牲になれと言っている。
「なあシャロム……お前が願ったのは、こういうことじゃねえよな」
「ラッシー、こっちや。ここ入れるで」
改めて人心を弄ぶ魔王への腹立たしさが湧いたところで、カレンが運良く扉の開いた家を見つけた。
ディアナを適当な椅子で休ませると、ラシュディは手探りに棚から蝋燭と火打金を見つけ出し、勝手に拝借した。この温かさで、少しは彼女も落ち着いたようだ。
「二階にも人はいねえ。幸い、祭で出払ってたみたいだな」
そして灯りが外に漏れないよう窓を毛布で隠す。
「何やラッシー、めっちゃ手馴れてんな。昔、ドロボウとかやっとったん?」
「俺は昔、船乗りをやってたことがあるんだ」
「……それ今、関係ある?」
「ほら、船はよ、明るい甲板の上と、暗い船内を行ったり来たりするだろ? 目が鍛えられてんだよ」
例えば光の無い場所へ行くときには、予め片目をつむって暗闇に慣れさせておけば早く対応できる。
ラシュディは自分の夜目が利くことを合理的に説明して、家捜しをすることへの躊躇の無さを誤魔化そうとした。
「ふーん、まぁええわ。それよりアナっち、足はどうなん?」
それで納得したかは知れないが、カレンはすぐに興味の先を切り替えた。
「えらいやん。めっちゃきれいなってる。さすがウチの傷薬やね」
「どっちかっていうと“姫様パワー”のおかげじゃねえか?」
カレンはディアナの靴を脱がせ、森での怪我の治り具合を確かめつつ、揉んで疲れをやわらげた。なおどちらかといえば、疲れているのはディアナをずっと抱えていたラシュディのほうであろう。
ラシュディが肩を回していると、カレンが目を光らせて指をわきわきさせてきた。
「ラッシーも腕、揉んだろか? ウチこれでもマッサージ得意やねんで?」
「いらねえよ」
「そら残念。マッサージ代ぼったくるチャンスやったのに」
「バカなこと言ってねえで……しっ!!」
ラシュディが指を立てて沈黙を促した直後、外が騒がしくなってきた。
「どっちだ?」「どこへ行った?」「探せ」「捕まえろ」「火あぶりだ」などと物騒な言葉の波がすぐ近くにまで来ている。
するとディアナは耳を塞ぎ、両足を椅子に乗せるほどすくみ上がった。
ラシュディはすかさず、声が漏れないよう彼女の口に手を当てた。
そうして三人、息を殺してひそむ。
そんななかでカレンはゆっくり、クロスボウに矢を装填した。
やがて|喧噪が遠ざかり、ラシュディもひと息吐いて手を離すと、ディアナは膝を抱えた姿勢でぶつぶつと呟き始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「おい、姫さん?」
「わたしは、姫じゃ、ありません」
「なに言ってんだよ。お前が姫さんじゃなかったら、何だってんだよ」
「もう、姫と呼ばれる、資格なんて、ない……」
ディアナは鼻をずずっと鳴らす。
「何だよ資格って。ひょっとしてあれか? あの首飾りのせいか?」
「あれが無いと、力が、使えない……わたしは、落ちこぼれの、ダメな子です……」
「あんなの、言っちまえばただの石ころが付いた金細工じゃねえか。天下無双の王女様が、そんな下らねえ物に縛られてどうすんだよ。なあ?」
「あれは、王家の、証、だから……」
暴君王女の自信は見る影もなく、言い返すのさえ今にも消え入りそうだ。
誰がどう見ても戦える状態ではない。
「あー、あかん。もう限界やーっ!!」
するとカレンが一声、いかにも外に聞こえるように大きく叫んだ。
「バカお前、静かに――」
それを止めようと振り返った瞬間、ラシュディは腹に鋭い痛みを感じた。
「あ、が……」
腹に当たった矢を押さえ、背を丸めて膝をつく。
「ラシュディ? 何が、何を……?」
混乱しているディアナとともに顔を上げれば、そこには淡々と次の矢をつがえながら冷ややかな眼差しをくれるカレンの姿があった。




