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17 最も身近で深い闇


 もしこの凍気が場を整える演出などではなく、本気でディアナを直に狙っていたら、ひとたまりもなかっただろう。


「では改めて、終わらせましょうか」


 ギチギチと、また氷の育つ音がした。今度は足元からだ。

 ラシュディは足裏の痛みを思い出し、すぐさま身を(ひるがえ)す。

 なおも心ここにあらずのディアナを、さらうように抱え上げる。

 それと同時に、すぐ後ろでの爆音と閃光を感じた。知っている火と煙のにおいも。つい先日に森のなかで覚えたものだ。

 振り返れば、ソロが目を閉じて攻撃の手を止めている。


「ラッシー、アナっちー!!」


 その隙に路地の脇道からカレンが、ダメ押しにもう一投、爆薬袋を放りながら飛び出てきた。


「大丈夫なん? 怪我してへんか? 今なら傷薬、安うしとくで」


 カレンは早口で景気よく喋りつつ、ラシュディの背を叩いて駆け抜けた。


「ほら、命あってなんぼやろ?」


 言われるまでもなく、ラシュディも逃走を図った。

 ところが走り始めて直後、シャロムが追いかけてこないことに気付く。


「……何やってんだ、お前もはやく来い!!」

「ごめんね、ラシュディ。ボクはまだ許せないんだ」


 シャロムは拳を握って立ち尽くしていた。


「ボクはまだ……きみと一緒にいていいって思えるほど、ボク自身を許せない」

「お前、また勝手に、そんな独りよがりな罪悪感に囚われやがって――」


 可能ならばラシュディは、殴りつけてでも引っ張っていきたかった。

 だが今は両手が塞がっている。

 さらに声はむなしく、彼女は脇道に姿を消してしまった。


「感動の別れは、お済みですか?」


 そうしているうちにソロは左目を開け、また弦をつまびいた。何を仕掛けてくるか、もうこの場に留まっていられる余裕は無い。


「ちくしょう!! シャロムー、死ぬんじゃねえぞー!!」


 ラシュディは叫んで走る。

 これが出来る限度だった。


 まずはディアナの安心と安全のために、神殿までの撤退を目指す。

 しかしそれを阻むように道幅いっぱいの氷壁が、そこかしこに形成されていた。

 白い迷路と化した街並みのせいでラシュディたちは思うように進めず、むしろ神殿からどんどん遠ざけられているようだ。


「ったく、マジであの野郎、俺たちをどうしたいんだ?」


 ソロは圧倒的優位に立ちながらも、致命的な攻撃まではしてこない。

 しかし退路は確実に塞いでくる。


「さあ? 単に弱いものイジメが好きなんちゃう?」

「だとして、わざわざ山を越えてまで、魔王ってどれだけ暇なんだよ」


 何にせよ翻弄(ほんろう)されて、ラシュディも焦りを覚えてきた。

 こんな状況でも焦げ茶色のディアナは口を開かず、降ろそうとすると(かぶり)を振ってしがみつくものだから、さすがに疲れてくる。

 するとどこからか、いや、四方八方あらゆるところから、耳に心地よい弦の調べが聞こえてきた。今度は細く眠気を誘う旋律。それに伴い、淡々としたソロの語りが響く。


『ごきげんよう、皆さん。こんばんは』

『我々は魔王です』

『お前たちが女神の子孫を《女王》として奉じるのであれば、我々の存在は《魔王》と呼ばれて然るべきでしょう』

『我々は魔物を()べるものとして、幾度となく、お前たち人間と対峙してきました』

『ですがそれは本意ではありません』

『我々にとって真の敵は、女神の子孫である王族だけなのです』

『それでもお前たち人間が彼女らに(くみ)している以上、牙と爪を向けざるを得なかった』

『仕方がないとはいえ、かわいそうなお前たち。彼女らに従わされているというだけで、魔物に怯えて暮らさなければならないなんて』


『だけどもう安心してください。我々は手を取り合いたいのです』

『魔物と肩を並べるなんておぞましい……そう思う者もいることでしょう』

『でも怖がらなくていい。たとえ目に見える形が醜くても、きっと心で理解し合える』


『お前たちが思っているよりもずっと、かつて私たちは親密でした』

『昔は、人間と魔物との間に大きな違いなど無かった』

『神々が人間と交わることが出来たのと同じように、魔物もよく人間と混ざっていました』

『現に今もなお、お前たちのなかには、我々に似た性質の持ち主がいるでしょう』

『そう、お前たちが魔法と呼ぶ、あの力が名残です』


『そもそも、魔物とは何か。どうして我々と神々は争っているのか』


『遙かな古代、神々はこの世界と、そこに()まう生物を創造しました』

『その世界はとても美しく、平穏そのものでした。どこにも怒りや憎しみなど無い』

『ですがそれは、尊い喜びや情愛とも無縁だったことを意味します』

『箱庭の中で、定められた法に従って、ただ生きているだけの憐れな生物たち』

『特に、似姿として造られたお前たち人間は、神々の(なぐさ)み物に過ぎなかった』


『そんな世界の有り様に異を唱えたのが、神の末席がひとり《闇の泉》です』

『あるとき《闇の泉》は、新しい生命の群れを産みました』

『それらは例えば四本脚の鳥であったり、単眼(ひとつめ)の熊であったり、双頭の蛇……あるいは火を吹く魚や雷をまとう犬など……神々の法を外れる能力や形質を具えた、後に魔物と呼ばれるものたちです』

『しかし他の神々は、その生物らを、姿形が醜いと忌み嫌いました』

『また、神々に並ぶほど強大に育ち得るそれらを、邪悪で危険だと恐れました』


『《闇の泉》は非難して言いました――何故、生命の無限の可能性を閉じ込めるのか。あなたたち光の神々は、自分たちだけが強くて特別な存在であろうとしている。弱くて美しく従順なものしか世界に認めない、その傲慢(ごうまん)さこそ醜く(よこしま)なのだと何故気付かない――』


『そこで《闇の泉》は、人間たちに、ある贈り物をしました』

『光の神々が造ったのは、目に見える肉体だけ。対となるべき、目に見えない、大切なものが欠けていると感じたからです』

『それは、お前たち現在の人間を人間たらしめている定義』

『神々の支配を打ち崩す、反逆への奔流(ほんりゅう)。世界を変える原動となるもの』


『最も身近で深い闇……その力の名を、お前たちは(こころ)と呼びます』


『お前たちは魔物に似た能力のことだけを魔法と呼びますが、それは表面的な浅い見方に過ぎません』

『本質は自由意思。それこそが神々の定めた法を外れるという意味で、まさに魔法と言えるでしょう』

『つまり我々にしてみれば、心あるお前たち人間は皆、魔法使いであり同胞なのです』

『特別な能力を持っているかどうかで区別する必要など無いんですよ』

『分かりますね? 深く知れば、きっと私たちはまた愛し合える』


『しかし傲慢な者は私たちを許さず、ついに戦争が起きました』

『そこで敗北を(きっ)した私たちには、悪逆の烙印(らくいん)が押されました』

『そして居場所まで追われた』

『リリアノ湖――今もお前たちを支えているあの水の恵みは、元々は我々が守護していたものだったというのに』

『そして人間と魔物は、元来は兄弟ともいうべき間柄でしたが、あの戦争によって立場を(わか)たれてしまったのです』

『もうあんな悲劇を繰り返したくはない』


『反逆や変革を悪と断ずる前に、ひとつ考えてみてください』

『たしかに人間にとって、神々とは造物主です。父であり、母でもある。それは我々にとっても同じこと』

『もちろん敬愛できる主ならば、望んで従いましょう』

『しかし、あれはどうですか?』

『女神の血を引いているからと調子のいいときばかり偉そうにして、富も羨望(せんぼう)も独占しておきながら、いざ劣勢になれば無様に惑う、ひとりでは何も出来ない小娘を、どうして尊敬できますか?』

『現にあれは力を失った今、無責任にもお前たちを見捨てて逃げようとしている』

『偽りの輝きも消えて、みすぼらしくなった小娘には、敬愛される資格などありはしません』


『そもそも我々は北の大地で穏やかに暮らしているのに、王女は侵略の意思をもって山を越えようとしてきました』

『彼女が今夜この街へ来なければ、我々の仲間がお前たちを襲うこともなかった』

『どうか目を覚ましてください。あれがお前たちを弱く惨めなままに抑圧し、理不尽な死の影に恐れさせる元凶なのです』

『そしてこの世の恵みは、特別な権力を持った誰かではなく、生きとし生けるものが平等に享受(きょうじゅ)すべきだと思いませんか?』


『今こそ、我々は改めて自由を訴えたい』

『お前たち全ての人間には、古くて不条理な支配を(くつがえ)す権利があります』


『さあ、どうか皆さん、心の向くままに!!』


 徐々に(たか)ぶってきていたソロの語りに句切りがつき、琴の音も止んで一拍。

 すると辺り一帯から、地響きのような民衆の雄叫びが上がった。多くが重なっていて詳しくは聞き取れないが、いずれも怒りに満ちている。


「な、な、何なん?」

「やりやがったな、ソロの野郎。これが狙いかよ」

「どういうことラッシー?」

「ここはもう女神に守られた街じゃねえ。魔王の城だ」


 恐ろしく陰湿で、扱う言葉が狡猾である。

 ディアナと対面しているときは、自分を魔王だとは言わなかった。

 逆に先ほどの語りでは、ソロだとは名乗っていなかった。

 どうとでも解釈できる余地を作ったうえで「従わなければ殺す」などと脅してはいないし、「ディアナ王女を殺せ」との命令もしていない。

 どこまでも明るみを避けた物言いで、魔王の意を汲んで望む通りにすることが、さも人間として当然そうあるべきかのように錯覚させている。

 その流れで導かれるように、いくつもの松灯りと足音が近付いてきた。


「あれ、ディアナ王女じゃないか?」

「金ピカじゃなくなってるぞ」

「言ってた通りだ。みすぼらしい」

「あれが王女様の本当の姿?」

『私たちは騙されてたのか……』


 善良な市民は魔王の声に心を支配されて、ディアナへの不信感も露わに、発言の整合性や信憑性(しんぴょうせい)などは深く考えようとしない。

 正しいことを続けていれば、いつか許してもらえると思っていた――今のディアナの報われなさが、ラシュディの記憶には勇者シャロムと重なる。


「バカ言ってんじゃねえぞ、てめえら。騙すも何もあるか。この姫さんが、ずっと誰のために戦ってたと思ってんだ!!」


 だから思わず言い返してしまったのだが、かえって市民の反骨感情を刺激したようだ。彼らの目の色が変わった。


『でも今は戦ってないじゃないか』

「魔物はどうしたんだ?」

「変な男とくっついて」

「誰だよ、こいつ」

「この大変なときに、何やってんだよ」


 トゲのある言葉とともに指を差されてディアナは、逃げ場を求めるように顔をラシュディの肩にうずめ、しがみつく腕に力を込めた。

 その仕草は少女というよりもはや、人見知りでぐずついた幼児である。


「こんなのが王女様?」

『失望した』


 よくよく聞けば、姿を見せないソロの声も混じっている。

 そしてにじり寄る民衆の圧力は、狼の群れやゴブリンの集団が獲物を前にしているときと同質だ。こうした空気に対してラシュディの選択は、いち早く離脱に限る。


「王女が逃げたぞーっ!!」

「やっぱり、魔王の言ってたことは本当だったんだ」

「あんな奴のために、税金を納めてるんじゃないぞ」

「おれたちの苦しみは、全部あいつらのせいだ」

「魔物が襲ってきたのも、あいつらのせいに違いない」

『自由を取り戻せ!!』


 ついには(せき)を切ったように、悪意の奔流が(あふ)れた。


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