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15 人が人である限り


 それが今さっき現われたばかりなのか、はたまたずっと居たのに気配を察することが出来なかったのか。

 後者だと言われても納得せざるを得ないほどに悠然として、その者は竪琴(たてごと)を抱えて窓の縁に腰かけていた。

 髪も服も薄い白水色で、ぺったりと垂れた前髪が右目を隠しており、開いた左目は赤く濁っている。顔立ちも体つきも中性的な、彼とも彼女とも判じかねる風貌(ふうぼう)は、見た目に清涼感はあるものの、どこか生気に欠ける印象だ。

 袖無しの丈が長い衣装は側面に大きな切れ込みが入っており、挑発的に組んだ脚を(あら)わにしている。

 鳴らす竪琴は、氷の胴に水の弦を張られていて、およそ人間の手では作り得ないものである。


「ち、違う。これは、裏切りなんかじゃなくて、ボクは……」

「シャロム? そんなに奥歯をガタガタ鳴らして驚かなくてもいいじゃないですか」


 わななくシャロムに語りかけた声は、とても優しく、身も心も包み込むように温かく聞こえるものだった。

 だからこそ、ラシュディの背には悪寒が走った。

 見間違いではない。

 聞き間違いでもない。


「なんで、てめえが、こんなところにいやがる……」

「やあ、そう怖い顔をしないでくださいよ」


 警戒と敵意に満ちた眼差しを涼やかに受け流して、奏者は軽く腕を振るった。


「どうです? せっかくですから、一曲合わせませんか?」


 するとラシュディの眼前に氷の粒子が集まり、すぐに継ぎ目の無い竪琴になった。奏者が抱えているものと同じ型だ。

 だが次の瞬間には、ラシュディがそれに手を伸ばさなかったため、氷の竪琴は床に落ちて砕けた。


「ひどいな。受け取ってくださいよ」


 ラシュディが無言で睨み続けると、奏者は小さく肩をすくめた。


「……まあ、いいです。どうせ我々は、いつだって孤独なのですから」


 自分一人を指して「我々」と呼ぶ癖も、前に会ったときと変わらない。


「リリアン=ソロ……名前にかけた、笑えねえ駄洒落のつもりか?」

「我々の名前、憶えていてくれたんですね。嬉しいですよ、ノックス?」


 氷の奏者・ソロは、くすりと唇の端を歪めた。

 この微笑は、よく似ている。ラシュディが食うにも困るほど貧しかった子供時代によく見たものに。慈悲をうたって救いの手を差し延べながらも、その実は人さらいが品定めをしているような雰囲気とそっくりだ。


「どこからが、どこまでが、てめえの筋書きだ? いつから見張ってやがった?」


 ラシュディはソロに向かってにじり寄る。

 目端でちらり、まだ怯えた様子のシャロムを窺う。

 出来れば彼女をなだめ(はげ)ます言葉でもかけてやりたかったが、この氷の()り手を前にして、それ以上の気を逸らすことは叶わない。わずかでも及び腰になればそのまま全身を凍らされそうな心地だ。

 そうしながら、腰の鉄針に手をかけた。

 ところがひやり、喉に冷たく尖った感触を覚え、思わず撃つ前に止まってしまう。


「少し、余裕を持ちませんか?」


 氷の刃が宙に浮かび、突きつけられているのだ。


「そういえば、あれ、いつ終わるんですか? 『白銀の勇者の冒険記』……けっこう楽しみにしているんですけどね」

「こんなときに、何を言ってんだ?」

「ですからね。早く続きを書いてください、と言っているんですよ」

「だから何を――」

「そうしてくれないと、わざわざお前を見逃してあげた甲斐がないじゃないですか」


 頭の奥が熱くなるような、妙な違和感。


「ちょっと待て。どういう意味だ?」


 まずラシュディの記憶では、自分は勇者シャロムが殺されたと思って、絶望して逃げた。

 しかしシャロムの話では、彼女は彼を助ける対価として、死の前に休戦を受け入れたと。

 ところがさっきの台詞では、ラシュディを逃がしたことにはまた別の意図があるような口振りだった。


「要は実験みたいなものですよ。下手に英雄気取りの挑戦者を皆殺しにするよりも、一人くらい残して語り部にでもなってくれたほうが、我々の威を広く深く知らしめるためには有効なんじゃないかと、ね」


 ソロは優雅に弦をつまびいた。美しい音色だが、こと今に至っては、神経を逆撫でしているようにしか聞こえない。


「その意味ではノックス、あるいは、ラシュディ。詩人を名乗るお前は適任でした。だから、お前にはちゃんと、勇者の敗北と絶望をつぶさに書き伝えてほしいんです。それがお前の役目でしょう?」

「じゃあ、てめえは最初から……」

「ええ。元々、お前のことは生かして帰すつもりでしたよ」

「だったらシャロムは、何のために? てめえは俺を(えさ)に、こいつを引きずり落として、何をしたかったんだよ」

「まあ、ついでです。彼女もそれなりに強く育っていましたし、お前のことを特別に思っているようでしたから、こういうのも面白いかなと」


 ソロが手振りで指し示すと、シャロムは気まずそうに顔を伏せた。


「ふっざけんじゃねえ!! てめえはこいつの気持ちを利用した。信念を踏みにじった。こいつの、心の闇につけ込んで――」


 氷の刃が喉に食い込む。


「お前こそ、彼女の何を知っているというのです? いえ、そもそも、とても人間の心の本質というものを理解していませんね」

「てめえが人間を語るなよ」

()()()を抱えているとか、()()()が深いとか、そういう陳腐(ちんぷ)な言葉に頼っていると、的を外していることにすら気付けないものです」

「もういい、黙れ」


「いいですか? あまねく、()()()なんですよ。決して目には見えない、光の当たらない奥底の部分なんですからね」


 ちろりと舌を出して、ソロは含み笑いをした。


「さてそれ以前に、お前に文句を言う資格がありますか? お前が三年前に、王女暗殺の仕事をしっかり果たしていれば、こんな面倒なことにならなくて済んだんですよ?」

「黙れっつってんだよ!!」


 ラシュディは腹の底から湧いた怒りに任せ、氷の刃を払いのけた。幾分(いくぶん)か喉が裂けることも(いと)わない。


「やあ、すごい殺気ですね」


 妙に楽しそうなソロへ、お返しとばかりに、ラシュディは握った鉄針で首筋を狙った。

 だがそれは触れることも叶わない。

 寸前で、ソロの周りを覆う空気が重く固まったかのように、見えない力が攻撃を阻んでいる。

 とっさにラシュディは後ずさった。宙に残した鉄針が氷と化して砕け散った。一瞬でも手を離すのが遅れていたら、腕ごと凍らされていたことだろう。

 後から冷気の残りを感じる。


「でも無駄ですよ。我々にお前の攻撃は効きません。憶えていないんですか?」

「何でもてめえの思い通りになると思うなよ?」


 防がれることなど分かっていた。それより大事なのは、至近距離に迫ることで自然と、ソロとシャロムの間に割り入れたということだ。

 退いたラシュディはその手で、彼女の腕を掴んでいる。


「逃げるぞ、シャロム!!」

「おや、二人で一緒に戦ってくれるんじゃないんですか?」


 しかし逃げないとは言ってない。

 そして逃げるときは全力で、というのが信条である。


 黙りこくったままのシャロムを引いて、転がるように階下へ降りた。

 裏口の扉は隙間がびっしりと固い(しも)で塞がれていて、刃を立てても蹴飛ばしても、まるで開きそうにない。


「仕方ねえ、こっちだ」


 多少は人目についてしまうことを覚悟して、正面口のある酒場に回った。

 だが結論から言えば、ラシュディたちは誰にも見られることはなかった。客も店主も一人残らず息絶えていたからだ。

 いずれの死体も鼻と口に氷が張り付いて、涙さえ凍っている。

 この光景には見覚えがあった。挑んできた勇者の仲間を、暇つぶしだと称して長く苦しめたソロの残忍性。ふくらんでいく氷に眼球を潰されながら悲鳴すら上げられず悶える仲間の姿に、こんな死に方はしたくないと思ったものだ。


「相変わらず悪趣味な野郎だぜ」


 おぞましい記憶を振り払うように、ラシュディは駆け足を速める。


 そして表路地に出た途端、足裏に激痛を感じて転げた。


「ぐぁ!!」


 水たまりを踏んだとき、それが瞬時に氷の刃と化して貫いてきたのだ。

 思わず出た呻き声を聞いて、シャロムが我に返る。


「ラ、ラシュディ? 大丈夫!?」

「ああ、このくらい問題ねえ」

「ごめん。ボクのせいでそんな怪我を……」

「大丈夫だっつってんだろ」


 裏口が閉ざされていたことからして、これは誘導された結果だ。ラシュディは急ぐあまりに気付けなかった自分の不用意さと、そのせいでシャロムに心配させてしまう不甲斐なさに腹を立てた。


「やあ、いいですね二人とも。やはりシャロムは、他人の痛みに共感して歪める顔こそ素晴らしい。そこに罪悪感まで加わって、とても愛おしいじゃないですか」


 だがそれを置いても、わざわざ先回りして見下しに来ているソロへの、吐き気にも似た怒りが勝る。


「そしてラシュディ。お前はそう、必死に逃げ回る姿がよく似合っていますね。さすが、仲間を見捨て自分一人だけで逃げ延びた実績のある男です」

「ごちゃごちゃうるせえ」

「何をそんな恐い顔しているんです? 別に我々は責めているわけじゃないんですよ? むしろ褒め言葉として受け取ってください。逃げることは罪でも恥でもない。生ける者として当然の権利なんですからね」

「……もうやめてよソロ」


 ラシュディを庇うように、シャロムは揺らぐ脚で歩み出た。


「ボクが悪かったから、逃げないから、お願いだから、ラシュディを助けて」

「ふむ。ですがシャロム? 今この場で、お前が身の振り方を改めることと、彼を助けるかどうかを決める我々の意思に、何の関係があるんですか?」


 しかし泣きそうな声での懇願(こんがん)を、ソロは首を傾げて逸らすのだった。


「じゃあ、てめえはマジで何がしたいんだ」


 シャロムを引いて後ろに下がらせ、にじり足で自身も退きつつラシュディは問う。


「三年前に俺が姫さんをやっていれば済んでいたと言ったな? 先日もシャロムに襲わせていた。本当の狙いは姫さんか。そんな回りくどい手で姫さんを殺すことが、てめえに何の得になる?」

「そうですね……詩人であるお前になら、教えてもいいでしょう」


 するとソロは目を細めて小さく息を吐いてから、指を一つ立てた。


「ずばり、女神への復讐。雪辱を果たすために」


 王族ではなく女神と言ったあたり、神話時代からの因縁でもあるのだろうか――そう推察しかけたところで、しかしソロは二本目の指を立てた。


「あるいは、強者への挑戦。限界を超えた力を手に入れるために」


 まったく異なる動機が並び出たことに眉をひそめると、続いて三本目が立てられた。


「もしくは、王権社会の転覆(てんぷく)。真の自由と正義を求めて」


 さらに四本目。


「それとも、むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」


 ソロは口の端をゆるめ、その四本の指を突きつけてきた。


「どれがいいですか?」

「は?」

「どれでもいいですよ。好きに選んでくれて、我々の存在が人間たちの心を恐怖と畏敬で染め、末永く語り継がれますように」


 ラシュディは言葉を失った。

 元より、れっきとした回答が得られるとも期待していなかったが、これは余りにも人間を馬鹿にしすぎている。


「……お前の目には、まだ諦めの色がありませんね。ひょっとして、また逃げて態勢を整えれば何とかなる、とでも思っているんですか?」

「そんな理由も確かじゃねえ、下らねえことのために、シャロムの手を汚させたのかよ。今だって俺を簡単に殺せるはずなのに、何故そうしない? まどろっこしい、本当に、一介の詩人が書いた物語の完結なんか望んでるのか?」

「抵抗は無駄ですよ。言ったでしょう? 心は闇なんです」

「俺らを利用して、姫さんに、何を企んでやがる」

「そして闇は我々、魔の領分です。我々ほど心に通じているものはありません。愛も憎しみも、安らぎも恐れも、希望も絶望も等しく闇から出でる」

「……真面目に答える気がねえなら、もういい、黙れ」

「すなわち、人が人である限り、決して我々には(あらが)えない」


「ならば、(わらわ)が相手をしよう」


 対話がすれ違うところへ、突然の意気よい声。


「このディアナであれば、不足はあるまい?」


 振り返れば、まばゆい人影があった。


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