14 正しいことを続けていれば
ラシュディは道化師の正体が世間に気付かれないように、また傷と毒の治療のために、まずその派手な衣服を脱がせた。
それからシャロムを背負い、うらぶれた宿酒場まで運ぶ。
一階の酒場部分で酔いどれている客たちは呑気なもので、広場での凄惨な騒ぎを噂に聞いてもあまり深刻には捉えず、むしろ野次馬根性でわざわざ外へ見に行く者までいた。
馬鹿な奴らだと内心でラシュディは毒づいたが、おかげでこちらが目立たないのは好都合だった。
こんな隙間風の悩ましい粗雑な宿でも、さすがに祖霊祭の当日くらいは普通の部屋は埋まっているらしく、ラシュディは店主に心付けを多めに渡してようやく狭い屋根裏を借りた。
そして開け放たれた通気窓の傍にシャロムを寝かせると、安物の油に灯した薄明かりを頼りに、手首と太ももにカレンから買っておいた傷薬と包帯を巻く。
寝息に合わせて上下するシャロムの胸には、すでに包帯があった。だがこれは怪我のせいではなく、二人がともに旅をしていた頃から常に、己の性を隠すために締めていたものである。
だからラシュディもその意図を汲んで『白銀の勇者の冒険記』には美男子の風体を描いていたのだが、今のシャロムは包帯の他には最低限、腰を覆う肌着しか身に着けていない。
いくらか胸を潰していても、引き締まった身体のなめらかな線形は一目瞭然。もしこの姿をディアナに見られたら、勇者シャロム様に憧れる彼女の期待を大いに裏切ることになるだろう。
「いつかは姫さんにバレるにしても、魔王の件が片付いてからにしたいもんだな」
シャロムに毛布をかけて、またどうやってディアナを誤魔化すか考える。
そしてため息ひとつ、湯を沸かして薬草を煎じた。
するとその香ばしい匂いに誘われたのか、シャロムはゆっくりと身を傾け、ころんと寝返りをうってきた。
「よお、起きたか。調子はどうだ?」
ラシュディは何気ない様子を装って、さも自分たちの間には争いも確執も無いかのような体裁で語りかける。
「とりあえず、茶でも飲めよ」
「…………」
ところがシャロムは、口を固く結んで怪訝な眼差しである。
「温まるぜ」
「いらない」
「じゃあ、ハチミツでも足すか」
「いらないって」
「まあそう言うなよ。身体が冷えてると、頭まで固くなるからいけねえ」
「またボクを騙すつもり?」
「今さら、騙すも何もねえだろ」
ラシュディはまず自分で杯に口をつけて、毒など含まれていないことを示してみせた。それからその杯をシャロムの前に置いたが、なおも手に取ろうとはしてくれない。
「そこまで意固地なら仕方ねえ。無理にでも、口移しでも飲ませてやるぞ」
「な、ちょ、待って、ラシュディ。だったら自分で飲むよ。飲むから」
角度を変えた強引な攻め方にシャロムは堪えきれず、伸ばしかけていたラシュディの手をかわして杯を引ったくり、上体を起こした。
それから躊躇する間はわずかに、湯気の立つ濃緑色の茶をすすった。
顔をしかめて肩をすくめた後、深い息を吐く。
「どうだ、懐かしいだろ?」
「目の覚める味だ」
シャロムの頬が、少しゆるんだ。
「落ち着いたか?」
「……ねえ、ラシュディ?」
またすぐに口元は強張ったが、杯を眺めるその目からは警戒の色が薄れたようだ。
「あの子が、お姫様……王族の……三年前の、あの子、なんだよね? ディアナちゃん……ボクが、守った、殺そうとした……」
しばらくシャロムは断片的にぶつぶつ呟いて、磁気の狂った羅針盤のように、ぐるぐると思考の向く先を迷わせていた。
「あれは敵だ。ボクの敵なんだって、本気でそう思っていた。なのにどうしてだろう。あの子がとても、キラキラ輝いて見えた……今ならそれが、よく分かるんだ」
「まあ実際、光ってたんだけどな」
「ねえ、ボクは、何をしていたの?」
ゆっくり、顔を向けてきたシャロムは、今度は怯えた様子だ。
「本当にあの子が、人を人とも思わない偽善者なのかな? 王族の強い力で世界を支配して、人々から真の自由を奪っている、本物の邪悪なのかな? あんなに、真剣に、魔物と戦っていた」
先の戦いのなかでラシュディの説いていたことが、ようやく身に染みてきたらしい。
なお正直な話、ラシュディ自身は夜明け前の強襲に始まり、実に不当で非道な扱いを受けてきた。
だが現状においてそんなことはどうでもよくて、事の真偽は問題ではない。そもそも彼にとって真実とはさして重要なものではなく、ためになる嘘なら積極的に使うべきだというのが持論である。
「魔王の奴が何を話したか知らねえが、お前の目で確かめて、違うって思ったら違うんだよ。疑問を感じた時点で、もう答えは出てるようなもんだろうが」
「あの子の命を奪うことが、皆を救って、世界を正しいかたちに戻すための、仕方ない最小限の犠牲だって、聞いたんだ」
「だいたい何だよ。真の、とか、本物の、とか。そんな言葉を付け足すだけで後出しじゃんけんがまかり通るなら、俺だって本物の善人で、真の正直者だぜ」
「だって魔王が、世界の真実を……あれ? 魔王って、悪者……魔物を操って、人を襲わせている……」
シャロムの顔から血の気が引いていく。
「じゃあ、ボクは何をしようとしてたの? 何をしてしまったの? あんなやつの言いなりになって、沢山の人を……」
嗚咽して揺れる肩を、ラシュディはとっさに抱き留めた。
「これじゃあ、まるで、まるでボクが、魔物みたいなものじゃないか」
「もう考えるな。お前は悪くねえ」
「だって、ラシュディ!! ボクは、ボクは絶対にやってはいけないことをしたんだよ? 人間として、勇者として!!」
「そんなもん、騙す奴が悪いに決まってんだろ」
我ながら説得力が無いと思いつつ、自分のことは棚に上げるのだ。
「だからって、ボクのしたことが許されるわけじゃないよ。もう、どんなに償っても償いきれない、こんなボクに生きる資格なんか……」
シャロムの左手が黒雷を帯び、自らの首を焼こうとする。
とっさに手首を掴んで止めた、その腕自体はまだ芯から冷たかった。
しかし黒雷は貫くように熱く、触れるラシュディの指の端を焦がした。
「何やってんだ。ふざけんじゃねえ」
奥歯を噛んで痛みに耐えながら、それを悟られないように顔を伏せる。
「ごめん、だって、でも」
「いい子ちゃんが思いつめやがって。そんなに死にたきゃ、まず俺を殺してからにしろ」
「なんでラシュディ、そんなこと、言うの?」
「俺を知ってるだろ? 殺した人間の数も、重ねた罪の重さも、お前なんか俺の足元にも及ばねえよ」
「ボクときみは、違う」
「だからだ。恨みを買って、他人を不幸にして、死んじまえと罵られることなんざ日常だ。たった一握りの飯を物乞いするために犬のションベンを舐めさせられた日には、もう何も怖くないって吹っ切れたものさ。俺の故郷はゲロの吐き捨て場みたいな街だったが、そんなところにさえ居場所を無くした、どうしようもねえクソガキだったぜ」
「違う。きみは、立派な人間だよ」
「生まれつき、親の顔も知らない、胸を張ってお日様の下を歩くことも許されない身の上だ。生きる資格なんて上等なものは誰からも与えられた記憶がねえ。それでもドブネズミみたいに地べたを這って、恥も知らずに生きてきたんだ」
言いながら、ふとラシュディの脳裏にディアナの自信満々な笑顔が浮かんだ。「恥知らず」とは、いかにも彼女が使いそうな物言いである。
またこうも考えた――正義と潔白の例として太陽を挙げたが、月に連なるディアナはどうだろう。勇者シャロムの過ちを許すだろうか。あるいは暗殺者ノックス……詩人ラシュディを。
「そんな俺を差し置いて、勝手に死のうとしてんじゃねえよ!!」
でたらめな理屈と勢いとともに、抱きしめる腕に力を込めれば、くすぶる黒雷が消えていった。
二人の息の合間に、澄んだ弦の音色が外の遠くから、かすかに聞こえてくる。
「うぅ……う、う……」
「なあ、シャロム? お前は言ってたよな? 本当は勇者になんかなりたくなかったって。それは間違いないんだよな?」
落ち着くのを待ってから離れ、ラシュディは目を合わせて問いかけた。
「うん」
「魔王はそこを突いてきた」
「うん」
「それで姫さんを襲った理由が、人を守ったり世界を救ったりするためか」
「うん。うん」
シャロムは涙目で、絶えだえに答えた。
「だったら逆に、姫さんを殺す必要が無くねえか?」
「……うん」
矛盾を抱え、こじれていた責任感が解けていく。
「お前、本気で世界を救いたいと思ってたか? 今でもそう思ってるか?」
「そ、それは、もちろん……」
「勇者なんて肩書きは置いといて、一人の人間シャロムに訊いてるんだぜ」
「ラシュディ……」
「教えてくれよ」
促されて、何度も言葉を出しそうになっては呑み込むことを繰り返した後、ついにシャロムは絞り出すように言った。
「……どうでもよかった」
「もっと大きな声で」
「世界なんて、実はどうでもよかった」
「もっとだ」
「興味も無かったよ!! 何もかも、やれって言われたから。何だよ。ボク一人ががんばったくらいで救われる世界って、どれだけ狭いんだよ!! 魔王が世界を滅ぼすから? ボクがしくじった程度で滅ぶんだったら、本当にがんばらなきゃいけないのは、世界のほうじゃないか!!」
「お前の言う通りだ。じゃあなんで、そもそも勇者になんか――」
「でも、仕方ないじゃないか!!」
叫ぶにつれ、シャロムの身体が徐々に熱を帯びてくる。
「そうしなきゃ生きていけなかった。ボクだけじゃなくて、父さんも、多分、ボクが勇者じゃなかったら、殺されていた」
ラシュディは眉間にしわ寄せた。そういった世間があることは知っている。よくて鞭打ち追放、悪ければ殴り殺された末に死体を野晒しにされるとも。
「ボクの故郷ではね、魔法がひどく嫌われてた。魔法使いは災いを呼ぶ、魔物に取り替えられた子どもだって、怖がられていたから」
そしてこのような差別が、特に山間部や農村部などに根強いことは、魔物に関係しているのも事実である。魔物は何故か、自分からは魔法使いを襲わない。
そのせいで、奴らと同類であるとか、実は裏で操っているとか、その被害が多い場所でこそ悪い噂がまかり通っている。
しかしそれがシャロムに関わっているとは初めて聞くことだった。
「ラシュディにはこれ、まだ見せたことなかったよね?」
シャロムが髪を掻き上げると、そこには大きな傷痕があった。仮面を割ったときのものかと、一瞬だけラシュディは反省したが、どうやら違うようだ。
この傷痕はいくつもあって、いずれも古い。
「ボクが生まれてすぐ、魔法使いだと分かって、石を投げる人がいた。まだ赤ん坊で喋れもしなかったボクが、お前なんか死んでしまえって、生かしておいてたまるかって、誰かに思われたってことなんだよ」
「噂に聞く以上だな」
「でもボクだって、好きでこんなふうに生まれたわけじゃない」
小さな白雷を指先に瞬かせる。
「だけど、運良くって言っていいのかな? ボクには珍しい銀色の髪があった。そこで父さんは街で聞いた遠い国の物語を聞かせて、みんなを説得したんだ――この子は白銀の勇者だ。運命に選ばれた娘なんだぞって」
物心ついて間もない、他人と違うことを自覚していた少女には、過酷な道でも進む以外の選択肢が無かった。
ラシュディはかつて、他人を守るために命を懸けて当然だと言うシャロムのことを、始めは胡散臭い奴だと斜視していた。
だがいつしか、情と懐の深い人間だと信じるようになっていた。それまで長らく自分本位で生きてきた男には、とてもまぶしかったのだ。
だがこうして事情と心情を吐き出された今なら分かる――勇者の肩書きは世間にお膳立てされた偶像であり、シャロム自身は空っぽの器なのだ。
だからこそ何でも受け入れてきた。それこそ暗殺者の報復宣言から、魔王の甘言まで。
「だからずっとがんばってきた。なのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。ボクはただ、生きていてもいいよって、許してほしかっただけなのに」
では今の彼女を、誰が許せる?
誰にその資格がある?
「正しいことを続けていれば、いつかはみんなが許してくれるって、思ってた」
「……許されなくてもいいじゃねえか。生きていればよ」
「だけどボクは間違ってしまった!! いっそ昔のうちに辞めてしまえれば、あきらめてしまえれば、きみと一緒だったらそれが出来たかもしれないのに」
「もういいだろ、シャロム。もう、いいだろ」
「よくないよ。それでも『勇者』にこだわっていたのは、そうあり続けようとしたのは、やっぱりボクだ。そのせいで魔王にそそのかされて、ディアナちゃんを……きみも傷つけた。罪も無い人たちを、たくさん殺してしまった」
シャロムは小刻みに震える自分の手のひらを見つめた。
「最初は、ただの交換条件だったんだよ。話を聞くだけでいいって、魔王は言ってきた」
「交換条件だ?」
「きみを見逃してあげる代わりにって」
瞬間、ラシュディの胸に引っかかっていた疑念が、スッと腑に落ちた。
自分が魔王の目を盗んで逃げられた理由と、シャロムが魔王の手に落ちた理由とが、一つの線で結ばれた。
もし魔王が本気だったら、絶対に生きて帰れなかっただろう。
もし人質を取られていなかったら、決してシャロムは屈しなかったはずだ。
「それで魔王と喋っているうちに、いろんなものがひっくり返って、ぐちゃぐちゃになって、きみを助けるはずだったのに、こんなことになって……」
「だったら俺と――」
きっと、言葉だけを尽くしても足りない。
シャロムが求めている「生きる資格」やら「許し」やらを、口で言って与えるのは簡単だが、それだけでは決して彼女が自分自身を心から許すことはないだろう。
「――また一緒に、戦おうぜ」
ひとつ息を呑み込んでから、ラシュディは敢えて心にもないことを言った。
「い、一緒に? 戦う?」
「俺はこうして助かってる。お前だって生きてる。そして、魔王もだ」
本当は、逃げようと言ってやりたかった。
自分が生き延びて、シャロムを死なせないためには、二度と魔王なんかと関わらないほうがいい。どんなに汚く醜くても生き残った者の勝ちだという、幼い頃からの経験と信条からすれば、逃げの一手を勧めて然るべきだ。
「まだ何も終わっちゃいねえ」
現実問題、勇者の力では魔王にまるで歯が立たなかった。
また真正面から挑もうものなら、今度こそ間違いなく命を落とす。
だが、このままでは『白銀の勇者の物語』は完結しないのだ。
「言い換えれば、まだ負けてもいねえってことだよ」
詭弁じみた言い分で再起の衝動を促し、ラシュディは手を差し延べた。
「『勇者』であろうとしたことが間違いだったなんて、誰にも言わせねえからな」
「ボクで……いいの?」
「お前じゃなきゃ務まらねえ」
「でもボクは、ひどい罪を犯した」
「この旅が罪滅ぼしだって思えばいいじゃねえか」
「まだ、間に合う?」
「当然だろ」
心細い幼子のように訊ねるシャロムを、ラシュディは毅然として受け入れる。
応じて彼女が、おずおずと手を伸ばし、指が触れ合おうとしたそのとき、
「おや、また裏切るんですか?」
透き通るような弦の調べとともに、冷たい風が差し込んできた。




