13 いつか夢に見た希望
しばし張り詰めた沈黙の末、ラシュディが答えを決めた。
「希望の光だ」
「?」
「俺はずっと、魔王に負けてお前が死んだと思ってた。胸を貫かれてたもんな。それで生き残ったのは俺だけだって、絶望してたんだよ。だけどあいつは俺の話を信じなかった」
ディアナが実際に魔王の恐ろしさと対面していないからこそ言えたのかもしれないが。
「そしたらどうだよ。本当にお前は生きてるし、姫さんはお前よりも強いくらいだし。だったらもしかして、あいつがいれば、今度こそ魔王を倒せるんじゃねえかって、期待したくもなるだろ!?」
ラシュディは拳を固め、自分の胸を叩く。
「だからあいつは、俺が見失っていた希望の光なんだよ」
シャロムは不機嫌そうに目を細めた。
「顔に似合わず、とても詩的なことを言うね」
「詩人だからな。暗殺稼業からはもう足を洗ってる。あと、顔は余計だ」
「さんざん手を汚していたくせに」
「で、お前はどうなんだ? 魔物を殺すのさえ避けたがってた、命を大切にする優しいやつが、なんで躊躇いなく人間を手にかける?」
「優しい……ね。きみこそ随分と優しくなったんだ。昔はもっと、他人に興味なんて無い感じだったのに」
「話を逸らすなよ。あいつら街の人間は、お前が守ろうとしてたやつらだろ」
ラシュディは熱くなってきたが、シャロムは冷ややかなまま。
「それを、あんな見境のない危ねえ技まで……扱いきれないからって、神に誓って二度と使わないとか言ってたじゃねえか」
「その神こそが、敵なんだよ」
明らかに憎しみのこもった物言いだ。
「神を倒すためには、高いところから引きずり降ろさなきゃいけない。あいつらの権威は、それを支えている人間が作ったものだから」
「あいつら、ってのは……姫さんとか、王族のことか?」
「聞いたことないかな? あいつらは女神の子孫だって。生まれながらにして特別な存在なんだってさ」
「それは知ってる」
「だから、あいつらは人間を見下しているんだ。ボクたちの命なんかどうでもいいって、軽々しく思ってる」
「待て、シャロム。なんでそうなる」
「だって現に、あの王女様は、街があんなことになっても高いところから動こうとしなかったじゃないか」
「それが最善手だったからだ。他の王族は知らねえが、あの姫さんはあれで意外と、国民を守ることを一番に考えて、ちゃんと率先して戦えるやつだぜ」
「だったら、なんでそのお姫様が、進んで魔王を倒そうとしないのさ。あんなに凄い力を持っていながら、自分たちは高みの見物ってわけ?」
「だから、姫さんは今それをやろうとしてるんだろ。俺たちがどこに行こうとしてるのか、お前、知ってるんじゃねえのかよ」
「遅いんだよ!! 何年、何十年、何百年、放ったらかしだったじゃないか」
シャロムは苦々しく、自身が産まれるよりも昔のことまで持ち出してきた。とても一人で考えて至った結論とは思えない。
「……お前、魔王に何を吹き込まれた?」
どこまでも頑固なシャロムの様子に、ラシュディは薄気味悪さすら感じた。
「なあ、正気に戻れよ。お前は騙されてるんだ」
「ボクは正気だよ。自分の意思でこうしている」
「そう思わされてるだけだ。操られてんだよ。魔王の奴に」
「ラシュディ? きみこそ、あの子に利用されているだけだって、どうして気付けないの」
「俺を憐れむなよ」
「あいつらが守ろうとしているのは、人間の命じゃない。自分たちの権威や利益だよ。やっているのは偽善なんだ。ボクはそういうやつらの支配から人間を解放して、本当の自由を取り戻したいんだよ」
具体性の無い、耳当たりがよさそうな言葉ばかり並ぶ。
そして相変わらず固い表情の、空虚な笑みで、シャロムは左手を差し延べてきた。
「だから、ね? ラシュディ。またボクに力を貸してほしいんだ」
この誘いに乗って、手を取ること自体はとても魅力的だ。自分だけ逃げ延びたという罪悪感からも、きっと解放されるだろう。
「バカな妄想を垂れ流すのもいい加減にしろ」
だが、一蹴した。
「王族が持っている力を魔王退治に使わないから悪者だってか? それで魔王に味方することにしたって? 人間を助けるために人間を犠牲にした? 本末転倒だぞ。お前、自分の言ってることがデタラメだって、分かってんのか?」
「そう……ひどいよ、ラシュディ」
矛盾点を指摘されたことには耳を貸さず、シャロムの声に震えが混じり、差し出す手のひらは黒い雷剣を生成する。
「きみなら分かってくれると思ってたのに、ボクよりもあの子が大事なんだ?」
ラシュディは殺気を感じて総毛立ち、反射的に身を捻った。
最短で繰り出された突きは、首の皮一枚を焼き焦がす。
「あのとき、せっかくボクが、命懸けで逃がしてあげたのに……」
句切りごとに雷剣が振るわれ、ラシュディは避け続けるだけでも手一杯だった。
「きみときたら、ボクの苦労も知らないで、のうのうと生きて、よりにもよって、王女様なんかと仲良くなって、おまけに商売女まで引っかけて、いちゃいちゃして、これじゃボクが、バカみたいじゃないか!!」
大振りの攻撃を退いてかわし、逃走も視野に入れて間合いを保つ。
「商売女?」
「あの赤毛の」
「あれは商売人の女だ。意味が全然違うだろ」
「うるさいな。男のくせに、細かいことをぶちぶちと」
理不尽が過ぎる。
「とりあえず、お前の立場は分かった。もう、魔王を倒そうって気は無いんだな?」
「魔王はボクに真実を教えてくれた。討ち倒すべきなのは、高慢ちきな王族たちだ」
見据えてくるシャロムの瞳に揺らぎは無い。
「そうかよ。それじゃあ……」
深呼吸ひとつ、ラシュディも睨み返した。
「残念だがシャロム。お前を殺すしかねえな」
腰を深く落とし、前傾姿勢で瞬発の溜めを作る。
またいつでも鉄針を抜き撃てるように、手はベルトに沿えた。
「お前、俺を旅に誘って言ったよな? きみに殺されてあげてもいいけど、魔王を倒すまで待ってほしい……だから力を貸してほしい、ってよ」
「世間知らずだった頃の、たわ言さ」
「ボクの命をあげる代わりに王女様は見逃してあげて、とまで言ってた」
「……憶えてないね」
「魔王を倒す見込みが無いんなら、約束通り、その命を貰い受ける」
「やってみなよ。今まで一度も、ボクに勝てたことないくせに」
「ここから先は真剣勝負だ。お喋りは無しだぜ」
自らの言葉を合図にラシュディは、無拍子で鉄針を撃った。
鉄針は雷剣に切り払われるが、防がれることなど想定内。牽制しながら、間髪入れずにラシュディは地を蹴っている。
一直線に敵へ向かうのではなく、敢えて上に。そして両横の壁を交互に跳ね、瞬く間に宙へ昇った。
およそ人間の目は、上下方向に物を追うのが不得意である。そしてそれは歴戦の勇者であっても例外ではない。
わずかに遅れて見上げるシャロムに空中から投擲。
放った鉄針は寸でのところで避けられたが、あわせて綴じ紐を噛み切っておいた爆薬袋は、目の前で爆音と閃光を弾けさせた。
「くっ!!」
目を眩ませたシャロムは、後ろから聞こえた着地音に反応して、雷剣を横薙ぎに払う。
しかし空振り。
先ほどの着地音は、実は手近な瓦礫を投げ落として出したものだ。本当のラシュディ自身は音も無く降り立ち、シャロムの斜後に忍び寄っていた。
撹乱に次ぐ撹乱。こうして無理やりにでも、相手の死角に潜り込む。
ところが、隙だらけの脇腹に、逆手に構えたナイフをいざ打ち込もうとした矢先、ラシュディは不意に横殴りの衝撃を受けた。
白い雷球が、シャロムの身体の陰から飛び出してきたのだ。
「きみの癖なんて、お見通しだよ。ボクたちがどれだけ一緒に戦ってきたと思ってるのさ」
シャロムは振り向きざまに腕を振るい、白い雷球を立て続けに発生させた。
雷球は退路を塞いで取り囲み、四方八方から炸裂。
十数発もの連打を受けたラシュディは、飛びそうになった意識を、自ら唇を噛んで強引に覚醒状態へ留めた。
しかし身体は腰から力が抜けたようにふらつき、ゴミ溜めに背中から倒れ落ちる。
「がはっ」
そこへ追い討ちとばかりに、シャロムが腹を踏みつけてきた。
ラシュディの口元が吐いた血で汚れた。
「ほらね、またボクの勝ちだ」
黒い雷剣の先が、喉元に突き付けられる。
「ああ、まいったな。もう指一本も動かせねえ」
ラシュディは、ふっと小さく息を漏らして笑った。
「お前に殺されるなら、悪くはねえ死に方だ……だが、最期に一つだけ訊かせてくれ」
シャロムは訝しげに眉をひそめる。
「いいだろ? 冥土のみやげにさ」
「いいけど、何だい?」
「お前、終わったらどうするつもりなんだ?」
「どういう意味?」
「王族とかを倒して、お前の言う本当の自由とやらを手に入れたとき、お前は何をしたい?」
シャロムは押し黙って、しかし回答を諦めてすぐに斬りかかってくる様子でもなかった。
長い沈黙の間に、心なしか雷剣の刀身が細くなっていくように見える。
「……ボクは、勇者になんてなりたくなかった」
やがて開いた口は、沈んだ声で、ひっくり返るような告白を吐き出した。
「だけどボクには生まれ持った魔法の力があるから、皆が勇者を望んでいるから、仕方なく魔王退治の旅を始めたんだ。でも本当は戦うのなんて嫌だったし、どうしてボクはこんなことをさせられているんだろうって、ずっと考えてた」
きっと、だからこそ“姫様パワー”の存在を知ったとき、自分が汚れ役を押し付けられていると感じたのだろう。
「無責任に魔物と戦わせて、まるで便利屋みたいに扱ってくる人たちに、はらわたが煮えくりかえったこともあったよ」
そしていつも穏やかに微笑んでいたシャロムが、心にこんな闇を湛えていたことに、ラシュディは気付けなかった。
「すべてが終わったら、そうだね、普通の生活をしたかったな」
もしかしたら、気付こうとしていなかっただけかもしれない。今にして思えば、シャロムには、自分など及びもつかない清廉潔白な人物であってほしかったのだ。
「静かな山奥で木の実を採って、畑を耕して、豚や鶏なんかを飼って、山羊の乳でも搾って、のんびり暮らすの。たまに街で、きれいな服を買ったりして……ううん、自分で機を織って作るのもいいな」
いつか一緒に旅をしていたときにも語っていた将来の希望だ。
「誰にも邪魔されないで、誰にも嫌われないで、そんな普通の、平和な生活がいい」
「そうか。お前の夢が変わってなくて安心したぜ」
だからラシュディはあの山小屋で、自分だけでもそれを体現しようと努めていたのである。
「うん。きみとだったら、そういう未来があったかも。そう思ってたのに」
シャロムはおもむろに雷剣を大きく掲げた。
「……残念だよ。ラシュディ」
それから過去との別れを決意するかのように、雷剣の迸りを強め、一気に振り下ろす――その瞬間、シャロムの手首と太ももに鉄針が突き刺さった。
「っ!?」
声にならない叫びが、驚きの表情に浮かぶ。
不意打ちに成功したラシュディは続けざま、仰向けの姿勢から両脚をシャロムの腰と胴体に絡め、起き上がりの反動で倒して馬乗りになった。
「どうしてボクの、魔法を、あれだけ、くらって……」
「俺は昔、大道芸で痺れウナギの掴み取りをやってたことがあるんだ」
身体の末端まで動かせないほど痺れていたら、こんな流暢に喋れるわけがない。死んだふりや負けたふりなどは、強者を欺く常套手段である。
「なあシャロム。お喋りは無しって言ったはずだぜ。真剣勝負で、とどめを刺す段になって余裕を見せるんじゃねえよ」
「……きみから、話しかけて、きたんじゃ、ないか……」
「そうだ。本気で俺を殺したかったら、俺の言葉に耳を貸すべきじゃなかった」
シャロムは悔しそうに口端を歪め、手足をばたつかせるが、跳ねのけるほどの力は無かった。頼りの雷撃も弱々しい。
鉄針の溝に含ませておいた、即効性の麻痺毒が効いている。
「ラ、シュ、ディ……」
程なくシャロムのまぶたが落ちた。




