12 死を運ぶ風と雷
一瞬にして、広場に悲鳴が響き渡る。
この襲撃者を、ラシュディは『白銀の勇者の冒険記』にも書いた旅の経験で知っている。
あの怪鳥は、漆黒の翼は片側だけでも並の人間を覆い隠せるほど巨大であり、角度によっては苦悶の人面模様が浮かんで見える。
巨体の割に痩せこけて骨格が浮き、それどころか顔面に至っては骨が露出しているため白い仮面のようにも映る。
しかもギザついた鉤爪を有する脚が四本も生えていて、器用に物を掴むことが出来るのだ。
「急ぎ、民を誘導して可能な限り兵舎に避難させよ!! 衛兵らは、ありったけの弓と火で迎撃に当たるのじゃ!! かかれ!!」
ディアナの指示は迅速で、命じられた神官は高齢の二人だけを残してすぐに階下へ降りていった。
「それはいいが、姫さんも、そんなとこにつっ立ってる場合かよ」
「鳥などに恐れをなしては、王女の名折れではないか」
ラシュディはディアナにも退避を促すが、言っても聞かないのは予想通りだった。
腕を引いても頑なで、“姫様パワー”はその細い少女の身体を石像のように重くして、てこでも動きそうにない。
「ただの鳥なわけあるか。奴らは死運び鴉だ。あの勇者シャロムでさえ苦戦を強いられた連中だぞ」
「ほう、あれが……博物誌で名前はよく知っておるが、実物を見るのは初めてじゃ」
そして険しく目を懲らす彼女は、感嘆しているような台詞に反して、その声には怒りの色が滲んできていた。
「だが、剣も盾も持たぬ者をいたずらに蹂躙せんとするその所業、到底見過ごせぬ」
ディアナにはディアナなりの許せない線引きがあるのだろう。
書物でしか知らなかったものを目の当たりにしているという点では、崖道で道化師に襲われたのと似た状況のはずなのに、あのときのような好奇心が満たされた喜びは見受けられない。
「下がっておれ、ラシュディ」
「奴らを追い払う当てでもあるのか? あれだけの数は、俺も初めてだぞ」
ラシュディが小窓から再び外を窺うと、死運び鴉は次々と広場を襲撃していた。逃げようとしている者を正確に狙っているようだ。おかげで民衆の混乱が酷く、互いに押し合い倒れた者をも踏みつけて、人間同士が原因の怪我も少なくないだろう。
しかも死運び鴉は巨体の割に俊敏で、人間を爪で裂くと同時に反動で飛び上がり、狡猾にも上空を陣取り続けている。
衛兵の弓もまるで当たる気配が無い。
「世の中には、戦いに命を懸けるべき身分と、そうでない身分とがある。そして我が《剣》の名は、圧倒的に前者じゃ。そうであろ?」
「その通りでございます、ディアナ様」
「さすが王女様は聡明でいらっしゃる」
なおも自信たっぷりなディアナが同意を促すと、神官たちは申し訳程度の抑揚で返事をしながら大きく首を縦に振った。
そしてディアナがひと呼吸するごとに、身体から金色の粒子が舞い立っていた。
粒子は踊るような軌跡を描きつつ、次第に、剣にまとわって集う。
「魔物を、追い払う、などと寛容に済ませるつもりはない」
柄に手をかけて深く膝を落とす。
「まさか姫さん、ここから攻撃するのか?」
「剣術は王女の嗜みじゃ。斬撃くらい飛ばせなくてどうする」
「そりゃもう剣術じゃねえよ」
「括目せよ。スパーダ王室流剣術が奥義……飛剣・猛隼!!」
「っていうか、斬撃を飛ばすって何だよ」
やがて狙いを定めて抜刀一閃――剣先から溜めた光は解放され、空を裂く刃となり、標的に向かって飛翔した。
それはまるで、枝を発つ鳥が一度沈んでから昇り行くように、闇に孤月を描いて。
線上に連なっていた死運び鴉を、三羽ほど、まとめて首を刎ね飛ばす。
「やっぱり、ただの“姫様パワー”じゃねえか」
ラシュディがつっこみを入れている間にも、敵方の反応は早かった。
光る斬撃が塔から放たれたものだと察したらしく、動きを読まれにくいように蝶のようなヒラヒラした飛び方を織り交ぜて、一部がこちらに向かってきた。
だが死運び鴉たちは、肝心の、接近戦こそディアナの得意であることを理解していなかった。彼女を爪にかけようと近付いたものは、間合いに入った端から、縦に横にと輝く剣筋に両断されていく。
「不遜の魔物が、寄らば斬るぞ!!」
「寄らなくても斬ってただろ」
「いちいち揚げ足をとるでないわ。それより早う、血を拭え」
「どこか怪我したのか?」
「怪我ではないが、ここじゃ」
ディアナが指差す自分の頬には、赤黒い血が小さく付いていた。
「死運び鴉は氷の心臓を持ち、生きながらにして死体のように冷たく、切っても血を流さない――博物誌にはそう書かれておったのに、実際は、少ないながらもそれなりに出るものなのじゃな。書物だけでは分からぬこともあるということか」
「あれだけ至近距離で、返り血をたった一滴しか浴びてないのに、まだ不満そうだな」
「服を汚さずに戦うことは、王室流剣術においては基礎中の基礎ではないか」
「超高等技術じゃねえかよ」
しかも、事前に知っていれば完璧に避けられたと、常人との格の違いを教えてくる。
そんなディアナを警戒してか、死運び鴉はまだ十数羽が残っているものの、宙に留まって攻撃の手を控えてきた。
「ふふん、もっと褒めてもよいのじゃぞ?」
「言ってろ」
上機嫌な彼女の頬を服の袖で拭い、軽口を叩いて余裕を装いながらも、ラシュディは四方八方に目を配る――死運び鴉は、極北領域に棲んでいるはずだ。それが何故、今日に限って、こんな大勢で山を越えてきた? 誰か指示を出している者がいたりしないか?
すると広場の端に、見つけた。
感覚としては不思議なものだが、引き寄せられるように、目がそこへ向いていた。玻璃灯籠の陰に半身隠れて、仮面の道化師がこちらを窺っている。
目が合った、ような気がした。
同時にラシュディは、今すぐ飛び出して行きたい衝動に駆られた。どうしても確かめたいことがあるからだ。あの仮面の下を、ただの好奇心などではなく、ひとつの使命感として。
「ほらよ姫さん。すっかり玉の肌だぜ」
「うむ、苦しゅうないぞ」
森のときとは違って、今は“姫様パワー”が充分。道化師からの雷撃が届く距離では到底ないし、側近の神官もいるから寂しがって泣くこともないだろう。
ここで自分が離れたところで何も問題ないはずだ。
「して、ラシュディ? どこに行くつもりじゃ?」
しかしディアナは空中の死運び鴉に睨みを利かせたまま、こっそり後ずさるラシュディを咎めるように呼び止めた。
「なに、ちょっと小便だよ」
「またつまらぬ嘘を」
「じゃあ姫さん、面白い嘘でもご所望か?」
「小気味よく、耳に入れる価値あらば」
「だったら例えば、下の広場にあの道化師が紛れているのを見た……ってのはどうだ?」
「少しは気を利かせたであろう、その冗談に乗るとして、ただの詩人であるおぬしが何をしようと?」
「ああ、詩人らしく、冒険譚を肴に酒でも飲み交わそうかと思ってな」
ラシュディは嘘と真実を混ぜこぜにして、その境目を悟られないように緩い態度を続けた。
「そんなわけで、ちょっくら行ってくるぜ」
「おぬし一人でのこのこと、殺されねばよいがな」
「心配いらねえよ。なんたって俺は昔、勇者の仲間だったことがあるんだ」
「心配などしておらぬ。ただ、わらわの許可無く勝手に死ぬのは許さぬと、そう言っておるだけじゃ」
背中でラシュディと話しながらも、また一刀、ディアナは飛剣で遠くの死運び鴉を切り抜いた。
その間にラシュディは、足早に部屋を出た。どうせディアナは民を守る都合、この場を離れられないのだから、無許可だろうと同じことだ。勝手にさせてもらおうと。
反対側の部屋に向かいつつ、編み縄のベルトを解き、ナイフの柄の穴に通して結ぶ。
そうして作った重り付きロープを、周囲に誰もいないことを確かめてから裏庭の木に投げ、引っかけて窓から脱出した。このほうが階段よりもずっと早い。
民衆の避難は期待したほど進んではいなかった。逃げ道を塞がれているからだ。
弓兵を蹴散らした死運び鴉が地上に降りて、建物の陰にひそんだり、人間を盾にしたりと、ディアナの射線から逃れるようにして広場を囲んでいる。
だが今の状況、ラシュディにとって少しだけ好都合な部分もあった。誰にも見られていなければ、何だって出来る。
さも無造作に、しかし確実に足音を消して、縄に結んだままのナイフを振り回し、遠心の勢いを乗せて後ろ姿の死運び鴉に飛ばした。
その短い刃で肉を裂くのではなく、目標は首元のもっとも弱い一点、衝撃で骨を穿つ。
飛ばない鳥など大した相手ではない。倒した後はすぐにナイフを腰に隠し、逃げる方向を間違えた一般市民を装った。
それから騒乱の人混みを流れに逆らって掻き分け、ラシュディは道化師がいた場所を目指した。例えばここでは、人々の頭上を飛び跳ねてでも行ければ早いのだろうが、ディアナの視界に入っている手前、ただの詩人にそんな芸当は出来ない。
「……!?」
倒れていた人を踏まないように足元を注意したそのとき、ラシュディは異変に気付き、鳥肌が立った。
地面を黒い煙が――いや、雲が這っている。
耳を澄ませば、小さいながらもゴロゴロと鳴っている。
そんな不自然な雲が明滅を始めたときには危険が近いことを、自分は知っている。
「お前ら、とにかく逃げろ!! 高いところへ上がれ!!」
この混乱のさなかで耳を傾けるものなどほとんどいないと知りつつも、辺り一帯に警告を叫び、ラシュディ自身は灯籠の上に登った。
直後、耳を裂くような轟音とともに無数の黒い雷が立ち昇った。
腹の底を掻き回されるような振動に続き、焼け焦げたにおいが漂ってくる。
倒れて折り重なった人々からは呻き声すら上がらない。
あの無作為かつ広範囲に伸びた黒雷の枝がここにまで届いていたらと思うと、難を逃れたラシュディも運が良かっただけだと自覚した。
そうして久しぶりに嫌な心臓の高鳴りを感じながら、最悪のかたちで開けた視界に、膝をついて仮面と肩だけ覗かせている道化師の姿を再び認めた。
あの雲は間違いなく、黒雷の使い手である道化師の位置から広がってきていた。
「何を、やってんだ、お前は!!」
ラシュディが思わず発した怒声に、道化師はこちらに顔を向けて様子を見ているようだった。しかしラシュディが降りて詰め寄ろうとすると、すぐに跳びすさり、灯りの少ない北側の路地へ逃げていった。
夜闇に道化師の鮮やかな色の服はよく目立つ。
道化師のほうは探りながらの逃走であったが、追走するラシュディの足つきは慣れたものだ。しかも入り組んだ道に至って周囲に人目が無くなれば、追跡者はさらに加速できる。
そうして距離を縮めつつ、石を拾い投げつけた。
狙いは的中、角を曲がろうとしていた道化師の横顔を捉え、仮面を打ち割った。
これはまぐれではない。ラシュディは道化師の正体が自分のよく知る人物だと予想をつけて、その走り方の癖を踏まえて試した結果である。
仮面を失った道化師はよろめき、腕で顔を隠そうと慌てた拍子に帽子が落ちた。
やがて細い路地裏、そこかしこに腐った木材や生ごみが溜まっている場所で、行き止まりに当たって道化師は立ち尽くす。
「シャロム!!」
宙を漂う白い雷球が照らす、肩口までかかる銀色の髪に、ラシュディはかつての盟友の名を呼んだ。
おもむろに振り返った道化師は、浅い褐色の肌に端正な顔立ちで、紅玉石にも似た双眸が睨みを利かせてくる。
見間違うはずがない。忘れるはずもない。
あの白銀の勇者・シャロム=レハンがそこにいる。
「やっぱり、お前だったのか。生きてたんだな」
だが笑顔の仮面とは裏腹に、素顔はぞっとするほど冷たい顔つきだった。
「でも、なんでお前が姫さんを殺そうとしてるんだ?」
見たこともないシャロムの表情に、対するラシュディも気を引き締めた。
「姫さんだけじゃねえ。何の関係もないやつらを巻き込みやがって、どういうつもりだよ」
再会の喜びや、安堵の息などを、ぐっと堪える。
「魔王はどうした? 倒せたのか?」
シャロムは、ふと視線を落とした。
「だんまりかよ」
ラシュディはため息を吐いて、辺りを軽く見回した。
「しかし、まさかここでまた会えるとはな」
喋りながらも耳を澄ませ、近くに人の気配が無いことを確かめる。
「憶えてるか? 初めて俺とお前が出会った場所だ。神殿を抜け出して遊んでいた姫さんを、俺が狙っていて、お前に邪魔されたんだよな」
「……うん。それからきみは、ボクに付きまとうようになった」
思い出をすくうように、ようやくシャロムは口を開いた。
「門外不出の暗殺術……目撃者は絶対に殺す、とか言ってね」
この馴れ初めが意味するところは、すなわちディアナの知らない『手品』のタネである。
「三年も前のことだろ。青くせえ。今じゃ考えられねえことだが、余計なことを喋っちまった。本気の俺に勝てる奴が師匠以外にいるなんて、思ってもなかったからな」
「それなのに、あんな大勢の人がいるところで、まさかきみが動くとは思わなかったよ」
「あれだけ強くて、しかも他人にまで優しいとか、完璧じゃねえか。なあ、シャロム?」
「腕も鈍っていない。きみは一流の暗殺者だ。ねえ、ラシュディ=サルヴァン=ノックス?」
再び両者の視線が絡み合う。
「そんなお前が、なんで今になって、姫さんを狙う」
「そんなきみが、どうして今さら、あの子を守るのかな」




