11 日は沈み夜が訪れる
神殿は聖都一番の格式ある建物として、王族の別荘も兼ねている。
塔の中でも本当に宗教上の聖域、神官はおろか王族でさえ儀礼のときにしか立ち入れない真の本殿は、実は最上階だけだ。
それより下の長い塔は権威付けの水増し分であり、こうして迎賓館のような使い方もするのだという。
あくまで神を奉じる場所であるため、全体に過度な装飾こそ控えられているが、家具や調度品はどれも上質な造りだった。また相当な階数があって往復さえ苦労するにも関わらず、どこを見ても埃ひとつ無いほど掃除が行き届いていた。
おかげでラシュディにとっては、家畜や野生動物の声を聞かずに目を覚ますのは久し振りだった。
塔の高い場所は冷えやすく、暖炉の熱も回らないが、代わりに火桶――炭火を入れたまま持ち運びできるように、木板を巻いた陶器壺――を用意されているので防寒は抜かりない。
さらに高級そうな羽毛布団に包まれていたこともあって、いつもより深く眠っていたらしい。気が付いたらすっかり日も高くなっていた。
慣れない環境だったせいか、余計な夢を見てしまった。
一年前に氷の城の大広間で、魔王と戦ったときの記憶。いや、あれは戦いなんて上等なものじゃない。一方的に格の違いを見せつけられただけだった。
手を尽したこちらの攻撃を全て、魔王は玉座から腰を上げることもなく防いだ。対して魔王が腕を振るうだけで、次々と仲間が命を落していった。
そして最後に、氷の刃が勇者の胸を貫いた。
暖かく安らかな睡眠をとる度に、そこはお前の居場所ではない、一人だけ生き残るなんて許さない、早く冷たい死地へ戻ってこいとでも言われているように、決まって思い出す悪夢だ。
頭を冷やしたくて、風を浴びようと外縁に立てば、細めた目に街並みが映る。
行商たちが野菜や雑貨を露天に並べている噴水広場を中心に、大通りが放射状に伸びて、そこから巡らされる枝葉のような路地と建物。壁はごつごつした漆喰塗りで、屋根は色とりどり。
大まかに見て都市の南側は、旅客や商人を明るく迎え入れるために小綺麗な宿と酒場が多く、絵付きの看板が華やかだ。実際、ラシュディたちが昨日、通ってきたのは南門からだった。
一方で北側には、表立って客を招くような造りの店は少ない。
こうして真上から見るのは初めてだったが、実に全体、枯葉のようにくすんだ印象を受ける。木材を組んだだけのあばら屋や、人の住まなくなった家も割かしあるからだ。
それはきっと、北門が永らく閉ざされていることと無関係ではないだろう。
地元住民でも北の外れに足を運ぶ者は少ないのだから、外からの往来が無ければ当然、活気も無い。祭を控えてさえ淀んでいる。
そうした色の違いを眺めていると、突然、部屋の扉が無遠慮に開けられた。
「ようやく起きたか、不心得者め。わらわよりも長く眠りこけておるとは、おぬし、従者としての覚悟が足らぬのではないか?」
「いつ、誰がお前の家来になったよ」
「ぶどうの樹には、自ずとぶどうの実が成るものじゃ。自らの名を知らずとも」
相変わらずの返事を待たない姿勢で、のしのしとディアナが詰めてきた。
彼女は昨夜のうちに身を清め、ドレスも新調したおかげで、髪も瞳も輝かしさを取り戻している。たった一晩で目の下のくまは消え、そればかりか横に立って手すりを掴む指には、昨日まであったはずの細かい切り傷すり傷さえ痕も残っていない。
これもまた“姫様パワー”の効果なのか――尋常ではない回復力に、ラシュディは驚きよりも畏れを感じた。
目の前の少女が、姿かたちこそ普通の人間と変わりなく見えても、やはりどこか異質なものに思えたのだ。
「ときにラシュディ。あれを超えた先に、魔王の城があるのじゃな?」
そんな胸中を知ってか知らずか、ディアナはいつもの尊大な調子で、閉ざされた城門の彼方を指差し訊ねてきた。
荒れ放題な道無き道の果てに、見るも険しい、万年雪を擁する山々が連なっている。
その向こうは極北領域と呼ばれ、酷い寒さと魔物の凶暴さから人間の住めない場所とされており、地図上ではどこの国の領土にもなっていない。
魔王の力が太陽の光さえ歪めると伝えられ、事実ラシュディも、夏場はずっと日が沈まなかったり、逆に冬場はずっと夜が明けなかったりする不思議な体験をしたものだ。
「あの山……トラディム山脈……魔に侵された地と、神に祝福された地との境界線じゃ。極北領域と人間の国とを分かつために作られたとされておるが」
「作られたって、誰にだ?」
「それは知らぬ」
「そこが大事じゃねえのかよ」
「城の蔵書を紐解いても、不確かなのじゃ。おかげで識者の間でも意見が分かれておる。かつて神々の戦争の後に、悪神の従僕からの報復に備えて女神が拵えたという考えもあれば、逆に追撃を恐れた敵方が道を塞いだのだという説もある」
神話伝承に曖昧な部分があることにディアナはいささか不満そうだが、ラシュディはそれも仕方ないことだと思った。詩人の立場からして物語には必ず、多かれ少なかれ嘘や誤魔化しが混じることを知っているからだ。
「ともかく、それよりおぬし、勇者とともにトラディム山脈を越えたのは間違いなかろうな? そしてそこに目的の、魔王の城があるのも事実か?」
どうしても返事が欲しいのか、ディアナは同じ質問を繰り返してきた。
「ああ、そうだ」
「行き方は憶えておろうな? 案内は出来るか?」
「忘れるわけがねえ」
「ならば良し」
きっとまだ見ぬ旅路に思いを馳せて、彼女は鼻息ひとつ小さく笑う。その横顔だけなら無邪気なものだ。
「では、明日にはまた出立しよう。今日は存分に、おぬしも付き人として働くがよいぞ。そうじゃな。まずは式典に備えて、わらわを称える詩を――」
「おいそこは、今日くらいは休めって言ってくれるところじゃねえのかよ」
「休息を欲するとな? しかし残念じゃのう。おぬしが自他ともに認める忠臣なれば、特別に労ってやってもよかったものを」
「お前、選択肢なんて与える気、無いだろ」
妙に楽しげなディアナを尻目に、ラシュディはそそくさと部屋を出る。
「む、どこへ行く気じゃ?」
「ちょっとな。俺にも予定があるんだよ」
「何なのじゃ、それは?」
「男の野暮用に、高貴なる身分が首を突っ込むもんじゃねえぜ」
追求されると面倒なので、振り返り、敢えて下品な笑みを浮かべてみせた。
「まさか貴様、昼間から破廉恥な……待て。待ちやれ!!」
「姫様こそ、お待ちください。まだ準備は終わっておりませんよ」
それでも追ってこようとしたディアナだったが、すぐに神官と思しき老女たちに捕まり、祝辞読みの練習に連れ戻されていた。
塔の内側は地上から中心部が吹き抜けており、部屋は円周に沿って設けられ、柵付きの螺旋階段が階層を貫いている。
下りて裏庭へ続く通路の扉を開けると、若い女たちの談笑が聞こえてきた。
外で木桶に湯を張って足踏み洗濯をする彼女らは、先ほどディアナを捕まえていた老女と同じく丈の長い貫胴衣を着ていることから、ここの神官のようだ。月の女神を奉じているだけあって、神官職にある者はみな女性である。
「あーあ、ディアナ王女が来るなんて聞いてないわ」
「本当に、わがままで、考え無しで、世話をするこちらの身にもなってほしいですね」
「一人じゃ何も出来ないくせにね」
「あんなに服をボロボロにして、王女様なのに、みっともないったら」
「変な男も連れてきて、どこで何をしてたのかしら」
「せっかく大事な祭の日に、どうせならユノ様やセレナ様のほうがよかったわよ」
陰口の内容は散々で、かつての脱走王女と呼ばれた不名誉な時代が尾を引いているらしい。ただ実際、半分くらいはラシュディも共感できるところではあったのだが。
思えばディアナがカレンに心を許したのも、第一王女や第三王女の名前を引き合いに出して評価されたことが決め手ではなかったか。
図らずもディアナが抱えているかもしれない闇の一端を感じつつ、これ以上は深入りするつもりはなく、しかし格式張った権威ある聖職者が陰口を叩いているという構図が気に食わないのも事実であり、わざと水を差すように大きな音を立てて扉を閉めて引き返した。
街に出たラシュディはまず金商に行った。証文紙が無い代わりに、手のひらに墨を塗って判を押してみせることでも本人証明は可能である。
それから預金を引き落とすとその足で、北側の寂れた地域に向かう。真冬の、祭の当日だというのに、路上で飲んだくれがいびきを掻いているような場所だ。
そこでラシュディは、ある細道に入り、路面の格子蓋を外して地下に潜った。
鼻を突くような臭気とともに汚水が足元を流れるなか、煉瓦造りの横穴を壁伝いに進んでいく。
しばらくは暗闇だったが、壁の感触が湿った苔のあるものから乾いたものに変わると、等間隔に吊るされた薄灯りに迎えられる。
そこで通った灯りを数えていき、予定していた箇所で止まって、壁を四回叩きながら声をかけた。
「乾酪は腐りかけが旨い」
しばし後、合い言葉に応じて壁に偽装していた扉が開いて、しわがれた声がラシュディを招き入れる。
「ドブネズミの巣へ、ようこそアミーゴ」
巧妙に隠されていたそこには、酒場があった。ただし地上にあるものと比べて、カビの生えた部屋の隅から隅まで、店主や客の風貌も、雰囲気はひどく暴力的で退廃的だった。
品定めするような視線を浴びつつ、ラシュディは席に着いて安酒を注文。そうして杯を受け取るなり、店主に問いかけた。
「贈り物用の、特別な酒の注文は出来るか?」
店主の眉が上がる。賭け事に興じている他の客たちが、何気ない様子を装いながら耳をそばだてる。ラシュディにはその空気の変化が察知できた。
「……お客さん、好みの銘柄はあるかい? あるいは、いつ、誰をどんなふうに酔わせたいかって希望があれば、ご期待に添えるものを見繕うけど?」
互いに含みのある言い方をして、言外の意図を通じ合わせていく。
「幻の銘柄って評判を聞いて、まだ残ってるかどうか分からないんだが……」
「言ってみな」
「『ノックス』ってやつを頼めるか?」
店主は感心したように口笛を吹いた。
「お目が高いねえ。そいつは手を付けるだけでも金貨二枚……いや、三枚は必要だ。最低でもな。それだけの人気と価値がある。皆やっぱり、確実にお礼をしたいからね」
金貨一枚は、銀貨百枚分である。羽振りのいい商人でさえ簡単に出せる額ではない。
「三年くらい前までは、もっと安かったと聞いているが」
「需要と供給ってやつだよ。ああ、でも、残念だったな。『ノックス』は今、先約があるんだ。そっちに回っているから、注文してもすぐってわけにはいかない」
「つまりまだ、実在はするんだな? この近くに、本物が」
ラシュディは目を光らせた。
「ああ、予約しておくかい?」
「いや、それだけ確認できれば充分だ」
それから席を立ち、口を付けずに残した安酒を近くの客にゆずって店を出た。
祖霊祭の時期は、一年のうちで月が天高く最も力強くなるとされ、逆に太陽の力は落ち込んでいるのだという。
つまり、とても日の入りが早いため、どうせすぐ神殿に戻ってもまたディアナの無茶な要求に付き合わされるであろうと考えたラシュディが、長旅に備えて薬を買い込んだり、下水の臭いを落とすため浴場で汗を流したりしている間に、もう空は暗くなりかけていた。
横断幕の外された噴水広場では、昨日よりも噴水や神殿を照らす灯火を増やして備え、料理や酒を振る舞う出店屋台が並んでいる。そのなかで、所狭しと集まっている人々は、神殿に顔を向けて何かを待ち侘びている様子だった。
そんな広場を横目に、ラシュディは神殿の裏口からこっそり戻ったのだが、客室の扉の前ではディアナが待ち構えていた。
「遅いではないか、ラシュディ、貴様、このディアナを放置して、全体どこを流れ歩いておったのじゃ!!」
引き返そうにも、棍棒で武装した衛兵に退路を阻まれている。
「まあそう怒るなよ、姫さん。眉間にしわが寄っちゃあ、おめかしが台無しだぜ」
「誰のせいか!!」
ディアナが合図をすると、ラシュディは衛兵らに襟首を掴まれた。
「日が落ちるまで、もはや間も無い。貴様には、祝辞の前に前座を一興、詩なり弦楽なりと臣民の盛り上げ役を担わせる予定であったというに」
「でも俺、楽器は苦手だぜ」
「詩人なのにか?」
「吟遊詩人とは言ってないんだな、これが」
「まったく、肝心なところで役に立たぬ男じゃ」
「そもそも俺の仕事は、魔王の城までの案内役だったはずだが?」
「わらわが、それだけで済ませると思うたか?」
「すごい説得力だな。さすがは暴君王女……痛ぇよ」
ディアナは無言で、衛兵の目を盗み、ラシュディの脇腹をつねってきた。
そうして連れられた先は、神官たちが緊迫した空気で迎えてくる、塔の中腹の一室だった。
正面には外縁に繋がる大窓がひとつあり、噴水広場を見下ろせる。横には小窓がいくつも並んでいて、そこからも空を窺える造りになっていた。
「で、姫さん。ここで俺に何をやれって?」
どこの馬の骨とも知れないお前は場違いだ、とでも言いたげな老神官の視線を跳ね返すように、ラシュディはわざと軽い口調で訊ねた。
「余計なことはせず、黙って見ておれ」
ディアナは答えながら大窓の前まで行って立ち止まり、二人の神官に目配せをした。神官たちは彼女の両脇から腰に革帯を回し、長剣を差した。
悠然として動きにくそうなドレスに、不釣り合いなはずの実用的な武装が光る。
「おぬしには、わらわに対する敬意が足らぬ。だが、わらわが如何ほど臣民に慕われておるかを知れば、その不遜な態度も改まるであろう。今こそしかと目に焼き付けておけ。そしてそれを語り継ぐが詩人の領分ではないか」
「なるほどつまり、自分の格好いいところを見て、褒めてほしいと、そういうことか?」
この意地悪な問いへの返答より早く、外から鼓笛の音が高らかに届いてきた。拝殿の入り口前に整列していた衛兵たちの演奏だ。
日が完全に没して、これから祭の本番だと時間の区切りを告げている。
やがて金色に輝くディアナが外縁に立つと、仰ぐ民衆から歓声が上がった。なにせ本当に輝いているのだから盛り上がるのも無理はない。
「さすが姫さん、人気者じゃねえか」
ラシュディは口笛を軽く吹いて、ひとり微笑む。昼間に若い神官らの陰口を盗み聞いたせいで、実は密かに心配だったのだ。もしディアナが一般市民からも嫌われていて、この大事な場面で野次を浴びようものなら、目も当てられないところだった。
程なく歓声が落ち着くと、ディアナは自分の姿を精いっぱい見せつけるように両腕を広げてみせた。
「こんばんは、ごきげんよう。北ロマーニャ王国が第二王女、ディアナ=ルネ=スパーダです。今宵、大事な月を皆の者とともに迎えられることを幸せに思います」
朗々と彼女は、のじゃ口調を抑えて、より公に則して洗練された様子だった。そして広場にまで届く声量であるにも関わらず、凛として余裕を感じさせるのは、やはり王女としての威信というべきか。民衆もそれに聞き入っている。
「いつもあんな感じだったら、ちょっとは尊敬できるんだがな」
そんなラシュディの呟きが聞こえているかはともかく、ディアナは祝辞を続けた――祖霊である女神アルテミシアへ、またその他の天地にあまねく神々への感謝を歌として奏上し、そして王族と国を支えてくれる臣民たちを深く労った。
句切りにつけて身振り手振りを加える度に、その身から発せられる金色の粒子がふわりと宙を彩る。
「それでは皆の者、今宵こそは年を忘れて、呑み、食べ、歌い、踊りましょう。さあ、夜を照らすものたちに恵みあれ!!」
そしてディアナが締め括りに腕を高く掲げると、次々と周囲で爆薬の音が鳴った。広場の端から、また遠くは都市を囲む城壁の上から、空を突くように祝いの花火がバチバチと火柱を立てた。
小窓から覗いてみると、沸き立つ民衆は火の粉を浴びてもなお楽しそうだ。実際のところ市民にとっては、祭の信仰的な意味なんかどうでもよくて、たまに大騒ぎが出来ればそれで構わないのだろう。
ガラじゃないと思いつつ、ラシュディも少しだけ気がゆるむのを自覚した。
だがそれも束の間、赤々とした花火の映す夜空に、軽く四十体以上はあろう、羽ばたく影を察して目を見張る。
直後、黒い影の一体が風を切って急降下。
人の群れに飛び込んできたそれは、鋭い鉤爪で、浮かれて無防備だった市民を二人ほどまとめて引き裂いた。




