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10 聖都アルテミシア


 見晴らしのいい丘陵(きゅうりょう)を遙か横切る街道は白い敷石(しきいし)造り。馬車の車軸幅に合わせた溝が四本刻まれており、二台の馬車が行き交えるほど広い。

 街道を挟んだ彼方には、整列している無数の支柱に、葉の落ちた細木が寄りかかっている。地元の酒造りを支えるぶどう畑だ。

 この街道沿いに北へ進めば、王国第二の規模を誇る都市・聖都アルテミシアまで行ける。

 人口や街の規模は王都の半分にも満たないが、それでも充分に大きい。お姫様の目にかなう宿くらい見つかるだろう。

 またこれだけ視界がよければ道中、道化師に奇襲される心配もない。


「あのな、ラッシー、速い。速すぎやって」


 手応えを感じて佇むラシュディの後ろから、息の上がったカレンがよたよたとやって来た。彼女は追いつつくや否や、背負った荷物で潰されるように膝をつく。


「人間ひとり抱えて、あんな速く走って、なんで汗ひとつかいてないねん」

「俺は昔、鉄鍛冶場で下働きをしていたことがあるんだ。ちょっと暑いくらいで、どうってことねえよ」

「詩人っていうより、もう何でも屋やな」

「それに姫さんは軽いしな」

「たまにはよいことを言うではないか。だが、もう結構じゃぞ」


 通り過ぎる旅馬車の乗客から生温かい目で見下ろされたのが恥ずかしかったのか、それとも悔しかったのか、ディアナはラシュディの腕から降りた。

 そして口の割にまだ本調子ではないであろう彼女が無理して先頭を行きたがるせいで、歩みはさらに遅くなるのだった。


 都市を囲む城壁は街道と同じ白い石で組まれており、旅の目印として夜でも目立つ。


「見るがよい。あれが(うるわ)しの聖都アルテミシアじゃ」

「言われなくても見えてるし、知ってるぜ」

「有名やもんな」


 それより何より目を()くのは、天高きアルテミシア大神殿の尖塔(せんとう)である。

 政治と経済の中心こそ今は王都フローレンツァに譲っているが、ここはかつて神々の戦争の時代に、月の女神が降臨して悪神の従僕(しもべ)たちを退(しりぞ)けた地と伝えられている。

 すなわち王族発祥の地として神話上の特別でもあり、国内の神殿では唯一、現王城よりも高くそびえることを許されているのだ。

 女神の名を、そのまま都市の名としているところにも信心が窺える。


 そこを目指して城門をくぐれば、大衆酒場や食堂屋台が(のき)を連ねる目抜き通りが、人々の往来で賑わっていた。


「おおお、街じゃ!! 熱気じゃ!! 文明じゃ!! これにてようやく、人心地(ひとここち)つけるというものじゃ」


 客引きの声や楽器の弾き語りが方々から聞こえてくると、興奮したディアナはカレンの手をぐいぐい引っ張った。きっと彼女にはめったにない刺激なのだろう。

 むしろ、あの“姫様パワー”を使い果たした今だからこそ、一人の年相応の娘として目を輝かせているのかもしれない。


「アナっち、嬉しそうやね」

「当然であろ!! 花も咲かんばかりに灯火を集め、喧騒に混じって(かんば)しい肉の香りを漂わせるは、まさに夜の闇に対する人間の勝利の証ではないか。これぞ人と獣とを分かつ理性の光よ。げに素晴らしきかな、人間賛歌!!」


 いやひょっとしたら、単純に野宿から解放される喜びのあまり、少々おかしな精神状態になっているだけかもしれないが。


「その感じ、めっちゃ分かるわー」

「そうであろ? お、あれなど美味しそうじゃのう」

「お前らは、お祭りとかで血が騒ぐ連中か。それより姫さん、どこに向かう気なんだ? 先に宿を決めねえと、また目の下の()()が深くなるぜ」

「むぐ、はんううえあい。あえはあう」

「なに言ってるか分かんねーよ」


 途中の屋台で買っていたパニーノ料理、トマトで煮込んだ牛の胃を具に挟んだパンで、頬がいっぱいになっている。しかもそのパニーノを片手に、もう一方の手にはウナギの香草串焼きがちゃっかり握られていた。

 内臓肉は比較的安価な大衆食として人気であり、またリリアノ湖で捕れる魚は地元の名産だ。どちらも庶民派の味だが、お姫様も気に召したらしい。


 やがて人の流れに沿って都市の中心部、噴水を設けた広場に行き当たった。

 都市部ならではの貴重な上水道でリリアノ湖から綺麗な水を引いており、公共の水場も兼ねている。水場は市街地や浴場など他にも点在しているが、そのなかでもこの中央広場は最大規模である。

 そして噴水は、そこに遊び心を加えられる技術と財力の表れだ。

 広場に並んだ色とりどりの、木台に立つ玻璃(ガラス)灯籠(とうろう)が照らす噴水の上には、『祖霊祭まであと「1」日』と書かれた横断幕が掲げられている。


「今宵は祖霊祭(それいさい)の前夜であったか。なるほど盛り上がっておるわけじゃ」

「ここで稼がん手は無いもんなー」


 祖霊祭――毎年、最後の満月の晩に(もよお)される祭で、月の女神を(たた)えてその守護と祝福が永遠に続くことを祈る。

 つまり神話に則れば、ディアナの先祖を祀る行事であり、そのまま女神と王族の権威を再確認させるということだ。それが王都フローレンツァと聖都アルテミシアの二都市で開かれる。


「道理で、こんな夜中でも普通に門が開いてたわけだな」

「なにせ今年は特に大事な年じゃからな。聖都でも、より多くの旅客を集めたいのじゃろう」


 ディアナは食事で汚れた指を、こっそりラシュディの服の裾で拭いた。


「特に大事って、何がなん?」

「城の星見役が算定したところによると、今年は実に四百年に一度という、月が大きく見えるまれな日と重なっておるのじゃ。おかげで王都では威信をかけて、例年よりも五割増しで豪華盛大に催すと意気込んでおる」


 聞きながらラシュディは東から昇りかけている小望月(こもちづき)に目を向けてみたが、今日はまだ何の変哲もない。明日になれば、たった一日で大騒ぎするほどの違いが現われるのだろうか。

 しかしそうした疑問とともに、それ以前の問題にも気付いてしまう。


「本番は明日……なあ、姫さんよ。そんなに大事なお祭りだってんなら、もちろん、高貴なる身分のお前にも出番があるんだよな?」

「当然であろ。開催の式には祝辞を述べたり、祝賀行進を観覧しながら他国の賓客と食事会をしたり、大忙しじゃ」

「だったら、魔王退治になんか行ってる場合じゃなかっただろ。王女の責務はどうした」

「貴様が詩人の責務を全うしておれば済む話だったのじゃ」

「俺のせいかよ」

「まあまあ、ええやん。王都のは無理でも、こっちのには出られるんやろ?」

「左様。カレンの言う通りじゃ。こうして結果、間に合っておるではないか。何の不都合があろう」

「どれだけ無計画なんだ」

「それでこそ『冒険』よ。全く計画通りに進んでは、ただの旅行ではないか」

「巻き込まれるほうの身にもなれ」

「街に着いて気が大きくなってんねやろ」

「それよりもラシュディ、カレン、早く寝所(しんじょ)を確保したいのであろう?」


 噴水広場の真南に面して、ディアナの行く先にはアルテミシア大神殿が建っている。

 一般人用の拝殿(はいでん)部は十数本の柱に支えられた幅広い四角形、その奥に繋がる関係者用の本殿部は円筒形である。そこで夜の闇に溶けて見えない尖塔の天辺(てっぺん)が、手の届かない神秘性を醸し出していた。


 拝殿には広場から直接歩いて入れるようになっており、外壁は単調な造りに見えたのに対して、内壁には神話の場面々々を再現したという複雑な彫刻が所狭しと施されていた。

 そのほとんどが、神々と思しき者たちが異形の――一見すると普通の動物に似ているが、頭や脚の数が多かったり、いくつかの動植物を合体させたりしたような姿をしている――魔物を屈服させているものだ。

 足音が冷たく響くのも相まって、こうした妙に威圧的な、まるで厳格であることを強いてくるような空間は、ラシュディにとっては苦手で落ち着かない。

 そのなかで正面、賽銭壺(さいせんつぼ)を手前に控えて、ひときわ大きな彫像が祭壇上にあった。


 月の女神アルテミシアの像だ。


 古代ロマーニャ風の、長い一枚布を巻いて整えた簡素ながらも優雅な衣装。弓と矢筒を背負い、掲げた左手には一房のぶどうを掴んでいる。

 右手は何も持っておらず、代わりに剣が足元に突き立っていた。


「わらわのご先祖様じゃ。よく似ているであろ?」

「さすがアナっち、格好ええで」


 そして顔立ちは、北ロマーニャ発行の貨幣に描かれている肖像と同じで、言われてみれば、こうして決め顔で神像の格好を真似してみせたディアナにも面影がある。


「で、姫さん。こんな神殿なんかに何の用だ? わざわざ自慢をするためじゃねえよな?」


 そして賽銭壺には何やら文章が彫ってあった。


 曰く――『あなたが外に目を開くとき、光はすでにその内にある』


 ことわざや格言にしては、他では見ないものだ。ラシュディにとっては意味が抽象的で、わざわざここに記す理由が分からない。


「なんか、とは聞き捨てならぬな。ラシュディよ。前より思っておったが、おぬしには信心と敬意が足らぬのではないか?」

「そりゃそうだろ。お前みたいな暴君王女を誰が」

「よかろう。ならば貴様はここで待っておるがよい。ひとつ華麗(かれい)に話をつけて、わらわが尊敬されるべきだと証明してくれよう。見ておれ」

「いや、そういう態度が尊敬できねえんだが」


 ともかく意気込んでディアナは、本殿へと通じる扉へと近付き、衛兵に止められた。


「――関係者以外立ち入り禁止じゃと? だから通せと言っておる――関係者も関係者に決まっておろう――ここは神殿じゃ。神の家じゃ。すなわち、わらわの家に相違ない――気取っているわけでも、頭を打ったわけでもないわ。誰が可哀相な子じゃ!! ――この顔を見て、なぜ察しない。ほれ、よく似ているであろ――髪と目の色は、やんごとなき事情があるのじゃ――わらわは北ロマーニャ王国が第二王女――この格好が? 汚くなど、いや、たしかに破れて汚いが、やんごとなき事情あっての――ならば、しかと見よ。上質な織物ではないか――盗んできたわけなかろう。このディアナが、このディアナ=ルネ=スパーダが、卑しい真似など――だからつまり、やんごとなき事情が――百人の兵士が道化師に全滅させられて――なにを笑って――ええい、面倒な。この王家の証が目に入らぬか!!」


 大神殿を旅支度の拠点にしようというディアナの案は、難航に難航を重ねた末、現物証拠を突きつけて、態度の悪い衛兵を平伏せしめることでようやく巡航の運びとなった。

 それから衛兵に上役を呼びに行かせると、ディアナは喋りすぎで息を切らし、やり遂げた顔で戻ってきた。


「ふふん。どうじゃ、ラシュディ。わらわに、任せれば、ざっと、こんなものじゃ」

「これはよ、お前じゃなくて、首飾りが凄いんじゃないか?」

「ラッシー、それは言わんといたり」


 ディアナに聞こえないように小声で、カレンはしみじみとラシュディの肩を叩いた。


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