9 力の使い方 向ける先
地に顔をうずめるほど見事なうつ伏せで倒れるディアナ。
「もうちょい休んだほうがええみたいやね」
カレンに支えられ、近くの倒木に腰を下ろす。
「くぅ、屈辱じゃ。わらわの“姫様パワー”さえ万全なれば、こんな森など瞬く間に踏破してくれようのに」
「思うんだが、その“姫様パワー”ってバカみたいな呼び方はどうにかならねえのか?」
ラシュディは、周囲に目を配りながら立木に背をもたれさせた。
「バカみたいとは言うでない。大昔に、国際会議で定めたのじゃぞ」
「公式かよ」
「大陸を割らんばかりの喧々諤々とした議論の末、最後はクジ引きで決まったと」
「そいつら、暇だったのか?」
「足並みを揃えるには必要なことであったとな」
「聞くたびに気が抜けるし、東の言葉と西の言葉とが、ごちゃ混ぜじゃねえか」
「だからよいのではないか。大陸全土に通じていて、丸く収まっておる」
同じものを指す言葉でも、国と地域によって差や特徴がある。基本的にどこの人間同士でも会話そのものは自然に通じるが、人によっては若干の違和感を覚えることもあるだろう。
例えばカレンが「ぶどう酒」のことを「ワイン」と呼んだり、「道化師」のことを「ピエロ」と呼んだりするのは、大陸のなかでも陽気で情熱的な人間の多い南西部でみられる傾向だ。
「力」を「パワー」と表現するのもこれに準ずる。
一方で「姫様」の部分については書き文字の特徴が表われている――書き文字でもっとも広く使われているのは、神々の戦争よりも古い時代に知恵の神が授けたとされる二十六の神聖文字――ディアナは「姫様」の頭文字が「H」だと言っていたが、この辺りの国では北ロマーニャの「Principessa」やノルマンドの「Princesse」のように「P」で始まる書き方が普通であり、「H」となるのは「Hime」と表記する極東地域だけだ。
「だとしても、もうちょっと高貴な身分ってのに相応しい名前があるんじゃねえのか」
「それもあろうが、いや、肩の力が抜けるくらいが丁度よいのじゃ。なにせ、そのために決めた名前であるからのう」
「?」
「“姫様パワー”……これが立派な正式名称であるからこそ、敢えて手前勝手な悪事には使うまい」
言われてラシュディは想像してみる――たしかに、仮に世界征服を目論む野心家の女王がいたとして、戦争侵略の切り札が“姫様パワー”だというのは不格好だ。
人間同士の醜い争いで、目的が残虐非道な、血と鉄にまみれたものであればあるほど似つかわしくない。
また立場と言葉を変えてみたとして――
・王女「わらわの“姫様パワー”で民を守ってみせよう」
・勇者「ボクの“勇者パワー”で世界を救うよ」
・魔王「我々の“魔王パワー”でお前たちを滅ぼしてあげましょう」
三番目はダメだ。一番目と二番目はまだしも、三番目のだけは台詞と場面が釣り合わないにも程がある。とても物語の最高潮で書けるものではない。
「それよりウチが気になるんは、二人とも、なんでそこまでするん?」
そこへ口を挟んできたカレンに、二人の首が向いた。
ディアナはきょとんと、何を尋ねられているのか分からないとでも言いたげな様子で。
片やラシュディは、腹を探られたことを警戒する獣のように。
「だってな、本の続きを求めてってのは聞いたし、続きが楽しみなんも分かるんやけど……そこまで無理するほどかなって」
カレンが目をやったのは、ディアナの足の包帯や、汚れたドレス、傷んだ髪。
「ふむ……隠すことでもないが、どこから話したものかのう」
ディアナは服の上からペンダントをさすり、しばし回顧にふけって、一度だけ肩を震わせてから、おもむろに口を開いた。
「……ノックス、というものを知っておるか?」
「何だそれ?」
「誰やそいつ?」
「南ロマーニャの古い詩編にある言葉で『夜』という意味じゃ」
ディアナはラシュディとカレンをそれぞれ細目で一瞥し、続ける。
「その名を冠した、稀代の暗殺者がおる。それが三年ほど前に、わらわの命を狙ってきた」
「なんで名前なんか知ってるん?」
「後々で使いに調べさせたのじゃ。そしておそらく、其奴に間違いないと思われた」
「殺し屋が自分で名乗るわけねえけどな」
「ノックスは日蔭の世界では有名な人物で、狙った標的は決して逃さないと評判だったそうじゃ。一晩で千人を殺したことがあるとも、万人の護衛をかいくぐって要人を仕留めたとも、それでいて誰も本当の顔を知らぬとも」
「なんか噂は盛ってそうやけど、ちょっと格好ええな。なあラッシー、これモデルにして書かんの? 売れそうやん」
「誰が書くかよ」
『白銀の勇者の冒険記』から、カレンは詩文伝承に商品価値を見出していたらしい。彼女は金の匂いを感じて食いつくが、ラシュディは腕組み眉間にしわ寄せた。
「今にして思えばその高名も、むべなるかな。当時はまだ、わらわ自身が“姫様パワー”を扱えなかったこともあるが、それを置いても凄まじい気迫に圧倒された。奴は覆面で顔を隠しておったが、あの目だけは決して忘れ得ぬ」
ディアナは膝を抱くように身を縮める。
「わらわが本気で命の危機を感じたのは、十五年の半生であの一回きりじゃ」
「だけど姫さんは生きてる。ノックスは失敗した」
「左様。それほどの脅威から守ってくれたのが、他ならぬ勇者シャロムよ」
「まあ、標的に殺気を感付かれてる時点で、殺し屋としては二流なんだが」
「命の恩人ってわけなんやね」
「うむ。奸賊の刃がわらわに迫り、すわ一大事というそのときに、彼は迅雷の如く颯爽と駆けつけたのじゃ」
「何それ、めっちゃ格好ええやーん!!」
「白銀の髪を優美にたなびかせ、果敢にして正義一徹。あれを勇者と呼ばずして何と言う!!」
顔を上げたディアナの頬が、ほの赤く色差した。
「で、その勇者様を追って旅を始めたわけだが、姫さん。改めて、その決心は鈍ってねえか?」
「それは愚問じゃな、ラシュディ」
「兵隊百人が犠牲になって、お前もボロボロになって、まだ魔王の城を目指すのか?」
「散った兵士のことは遺憾じゃが、なおさら、ここで立ち帰っては王女ディアナの名が廃るではないか」
「それは、身分とか体裁なんて下らないものを取り繕うために、自分や仲間の命を危険に晒すってことじゃねえのか?」
「わらわ一人だけの名誉や、手が届く近場の命の問題ではない。あの道化が魔王の刺客であるという確証は無いが、何らかの敵対勢力が牙を剥いてきた事実がある以上、敗走したままでは臣民の心が安まらぬ」
わざと責めるようにしたラシュディの問いに、返すディアナは乙女の表情から一転、国を背負った王女の顔だ。
ここまで彼女の肉体への負担が激しく、しかもカレンという余計な同行者まで増えた現状、いざというときにラシュディの『手品』でも守れる保証が無い。
「諸般、確かめるためにも、行かねばならぬのじゃ」
だから返答が半端なものであったり、子供じみた意地を張っていたりする様子であれば、次の街に着いたところで止めさせるつもりだった。話して聞かなければ、勝手に降りることさえやむを得ないと思っていた。
「望んでいない事実が待っているかもしれねえぜ」
「予期せぬ事態をも乗り越える度量が無くては、王女は務まらぬ」
「アナっち、格好ええでー!!」
「ふふん、褒めてよいぞ」
「……褒めはしないが、そこまで言うなら仕方ねえ。果てまで付き合おうじゃねえか」
結果、ラシュディが気持ちを新たにさせられた。
そんな折、一瞬かすかに枯れ枝を踏む音が聞こえたのは、もはや直感と言ってもいいだろう。
ラシュディだけが反応して振り向いた先、なだらかな斜面の遠い上方で、木漏れ日の合間に派手な配色の人影を発見した。
半身を木の幹に隠して道化師は、気付かれた、ということに気付いたのだろう。外れかけていた仮面を右手で押さえ、左手で小さな黒い雷球を作る。
同時にラシュディは立ち上がり、腰のナイフと鉄針に指先で触れつつ、ディアナを庇うように前へ出る。
一触即発の睨み合いは、ラシュディにとっては長く重く感じられるものだった。
「む、何事じゃ?」
「どうしたん、ラッシー?」
しかし実際には、ディアナとカレンが異変を察して小首を傾げるまでの、ほんの短い間のことだったのかもしれない。
いずれにしても、この場では道化師が退いた。ディアナが背を反らしてそちらを覗こうとするより早く、道化師は翻って姿を消したのである。
「……姫さん、先を急ぐぞ」
「なぬっ?」
“姫様パワー”が切れている今こそ好機であるはずなのに、あちらも消耗して戦えないのか、それともひょっとして、希望的観測として、本当は戦いたくないのか。
「ちゃんと掴まってろ」
ともかく相手の意図が読めない以上、この森に長居するのは得策ではない。そして返事を待たずラシュディは、ディアナをがばっと抱え上げた。
「出たー!! ほんまもんの、お姫さま抱っこやーん!! アナっち、ええなあ。憧れるわぁ。羨ましいわぁ」
「言ってねえでカレン、お前も走れ」
揺れ落ちそうだったディアナが首に回す腕に力を込めたのを確認するなり、ラシュディは全速力で駆け出した。




