美湖と雨京(雨京視点)
いずみ屋の事件から約半月。
私は、美湖を伴って賑やかな大路を歩いていた。
商人の眼を通して眺める世は、めまぐるしく変遷を遂げる。
停滞する景気と、社会情勢から来る漠然とした不安、政への不信。それらを起爆剤として、何かが決定的に変わろうとしているのだ。
変革の前線にかぐら屋も乗った以上、引き返すことはできぬ。
脇を歩む我が妹は、退嬰の風を裂くがごとく軽やかに歩む。
陸援隊に身を寄せることで視野も広がろうと考えたが、甘かった。
「雨京さん雨京さん! 天麩羅やさんが出てます!」
「そうだ! 今日はお豆腐買って帰ろうと思ってたんです」
「あの子が 持ってる凧、お父さんの画がついてる!」
幼子と変わらぬその挙動に深く嘆息する。
「お前は今年、いくつになる?」
「一七です!」
「十を引いて調度良い程度だな」
「うう、ひどい。最近は本を読んだり手習いしたりがんばってるのに……」
肩を落としながら口をとがらせるその仕草もまた、ひどく幼い。
家族の情に包まれ、外界の醜さとは縁遠く育った娘だ。よからぬ男にたぶらかされはせぬかと、顔を見るたび気を揉まされる。
「嫁の貰い手があるといいのだがな」
半歩後ろを歩く美湖を横目で見やり、脇に立つ店舗ののれんをくぐる。
「神楽木さま、おこしやす」
目尻の皺をいっそう深くして、やわらかな声色で店主が出迎える。
幼き頃より通いつけたこの呉服屋は、父の代から変わらずこの老人が取り仕切っている。
無駄な売り込みもなく、仕事も美しい。京の商人はこうあらねばならぬ。
「久しゅうございますな。本日は女物の反物を見せていただきたく」
軽く振り返りながら、背後に立つ美湖を招く。
店内の様子が物珍しいのか、先程から落ち着きなく視線を泳がせている。
「こんにちは。一番安いもので大丈夫です。すぐ汚しちゃうので……」
遠慮がちにはにかむ妹を一睨みし、私はすかさず店主に告げる。
「質のよいものをお願いいたします。神楽木の家の者を、粗末な装いで歩かせるわけには参りませんので」
「雨京さぁん……高いの着ちゃうと安心して走り回れないです 」
「それでよろしい。今後は歳相応の振る舞いを身に付けなさい」
女としての意識に著しく欠けている。
年頃の娘ならば最低限身に付けておくべき作法すら、ろくに知らぬのだ。
こうして保護者の立場となった以上、矯正をはかるのは義務と言えよう。
「それじゃ、雨京さん好みのものを選んでください」
「構わない。ならば店主、仕立て人を呼んでいただこう」
仕立てを依頼し店を出たのは半刻後のこと。
陽の落ちかかる山間に、紫の帯が幾筋か。吹き抜ける風が舞い上げた一葉は、秋の衣を纏いながら地に落ちる。
「雨京さん、また遠くを見てる」
歩調を速め、美湖が視界を遮るように身を乗り出した。
「山間の景色が見事だ。見てみなさい」
「きれいですねぇ。私、秋の匂いが大好きなんです」
「私もだ」
今宵は太客へのもてなしに、季節のものを揃えてある。
いろどりとして良いものはないかと、自然物に視線が向かう。
店を離れても巡る思考は止められぬ。料理人の性というものだ。
「雨京さんは、突然無口になって空や山を見てる時がありますね」
軽やかに跳ねながら目を細める美湖は、勿体ぶった口調で私の半歩先を行く。
「考えごとをしている」
「いつも料理のこと考えてるんですか?」
「最近は家族のことも頭をよぎる」
「わ、本当ですか? かすみさん喜びますよ!」
手を打って喜色満面。
しかし、こちらの真意は伝わっていないようだ。
「かすみは勿論、お前のこともだ」
「え? わ、私のことも……?」
「手のかかる妹なのでな」
「うう、ごめんなさい。心配ばかりかけて」
眉尻を下げ、肩をすぼめながら隣を歩む足が動きを止めた。
私の言葉には見えぬトゲがあると、かつて父上から窘められたことがある。
どうやら相手を萎縮させてしまう物言いらしい。
「心配をかけるなとは言わないが、できる限り危険を避けて生きなさい」
「ど、どりょくします」
「ならばよろしい」
再び並んで歩をすすめる。
螢静堂には田中殿が待っている。
引き渡してしまえば、今度はいつ顔を見ることができるか分からない。
「雨京さん、はやくお嫁さんをもらったほうがいいです」
「どういう意味だ?」
「時々すごく寂しそうな顔してます。屋敷には今、太助さんしかいないし。一人で心細いんじゃないかなって」
「その程度で心細いなど……」
あるはずもない。
ないのだが、傍目にそう映ることもあろう。
このところ、妹たちの現状を思い眠れぬ日が増えた。
「雨京さんのお嫁さんになりたい人がたくさんいるって、この前かすみさんが言ってました」
「私の妻になりたいのではない。かぐら屋の女将という立場が欲しいのだろう」
「ひねくれすぎですよぉ、それ」
「言葉通りひねくれた人間なのでな。無欲で飾らぬおなごを探している」
そうそう出逢えるものではない。
生前の父上はよく縁談をもちかけてきたものだが、即座に切る私を見かねて、世継ぎの話をすることもなくなった。
「無欲で飾らぬといえば、美湖もそうだな」
「…………え!? ええええっ!?」
「冗談だ」
「びっくりするじゃないですか! 真顔で言わないでくださいっ!」
「珍しく頬が紅いな」
「雨京さんが変なこと言うから!」
妹同然の相手だ。庇護欲はかき立てられるが、そこにある情は妻に向けるそれではない。
「でも私、ちっちゃな時は雨京兄ちゃんのお嫁さんになるってはしゃいでたような……」
「そうだったな」
「うう、思い出したら恥ずかしくなっちゃうな」
「ままごとのようなものだろう。幼子には珍しくない」
両手で顔を覆いながら半歩後ろを歩む妹を見やる。
十年近く昔のこと。私がいずみ屋を訪れるたびに、背にしがみついてきたものだ。
実の妹であるかすみはそうした我が儘を一切口に出さなかったぶん、なおさら美湖の奔放な挙動に振り回される日々だった。
「私、本当に雨京さんのことが大好きだったんですよ」
「ほう」
「お兄ちゃんとして、ですけどね」
「光栄だ」
吐息とともに、かすかに笑みが漏れる。
後ろを歩む美湖に気取られてはいないだろう。
「螢静堂が見えてきた。急ぎなさい」
「はぁい。あ! 田中先輩が門のところで待ってくれてる!!」
弾む足音が脇を抜けるのと同時に、巻き起こった風が髪を揺らす。
背も髪も、あのころと比べて随分と伸びたものだ。
美湖の保護者役は、もはやかすみや私ではない。
それぞれが自らの生き方を選びとり、進路は別れた。
私は私の道を行こう。
色褪せぬ懐かしき日々に想いを馳せながら、私は螢静堂へと足取りを速めた。




