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キスに導く短編(陸奥)※挿絵アリ


「陽之助は働きすぎじゃ」


 その日の朝は、坂本さんの一言から始まった。

 本と書類の山に埋もれてうつ伏せで眠っていた陽之助さんを見かねて、坂本さんが珍しく苦言を呈したのだ。



「しかし、仕事が第一ですから」


 陽之助さんは、あくまでそう言い張った。

 就寝状況の悪さは、仕事に対する情熱から来るものだと。

 このくらいやるのは海援隊士として当然だと。


 ――さてそれは本当に当然のことなのか。


 もちろん答えはノー。

 坂本さんはもちろん、その場にいた長岡さんと中島さんも即答だった。

 そんな行き倒れのような状態で力尽きるのは異常だと。

 布団で寝ろ、と。


 ごく当たり前の助言をされて、更に軽く説教までくらった陽之助さんは、今日一日の過ごし方を坂本さんから言い渡された。

 逆らうことは許されない隊長命令だ。


 内容はというと、


『今日は仕事をせず丸一日ゆっくり過ごすこと』


 ――そう。お休みをいただいたのだ。




「しっかり休んで疲れを癒してくださいね」


 陽之助さんは、部屋の中央であぐらをかいて、何やらじっと思案している。

 彼のもとへとお茶をはこんできた私は、その顔をのぞきこみながらそっととなりに腰をおろした。


「いや、よくない。やることはたくさんあるんだ。無駄に休めと言われてもな……」


「むだじゃないですよ。根をつめすぎるのもよくないから、何も考えずにゆっくり休んで頭の中をスッキリさせなさいって坂本さん言ってたじゃないですか」


「おれの頭は、隙間なく仕事を詰めこんでいたほうがすっきりするんだが」


「だめです! 今日はなにがなんでもダラダラと過ごしてもらいますからね!」


 私だって隊長からお仕事を授かっているんだ。

『陽之助さんが気兼ねなくだらけられるように、そばで見守る』という大役を――!



「だらだらと言っても、何をすればいい? 今はおれなりにだらだらしているつもりなんだが……」


 湯飲みをかたむけながら、虚空をみつめて眉をよせる陽之助さん。

 その表情にだらけた様子は感じられない。


「そのわりにはなんだか深刻そうな顔をしてますけど……」


「海援隊の今後のことを考えていた」


「あ! それってお仕事のことじゃないですか! だめです! 禁止です!!」


 言ってるそばからこれだ。

 陽之助さんの頭の中は、いつだって海援隊のことでいっぱいなのだ。

 商売のこと、異国の事情、この国の経済や外交――私の想像も及ばない難しいことで頭が満たされている。

 以前彼が書き進めている文書をちらりと読ませてもらったことがあるけれど、もう何の話をしているのやら私にはとんと理解ができなかった。

 たしか商法についてうんぬんかんぬんと言っていたから、その分野の突き詰めたことが書いてあるんだろう。



「これ以上の無駄を求められると、おれは死ぬ気がする」


「そんなに暇な時間が苦痛ですか? なんでも好きなことをしたらいいんです。時間ができたらやろうって思ってたことを」


 ちょっと深刻に考えすぎだ。

 どうしてこうも真面目一辺倒なんだろう。


「……じゃあ本でも読むとするか」


「あ、それがいいですよ! 陽之助さん、読みたい本いっぱいあるって言ってましたし!」


「ああ、三冊ほど未読がある。今から読もう」


「はいっ! それじゃ、ごゆっくり。また様子を見にきますね」


 文机の上の洋書に手をのばし、ぱらぱらと項をめくりはじめた陽之助さんを見てほっとする。

 やることも見つかったことだし、私はおとなしく退散しよう。




 陽之助さんの部屋を出て二刻ほど経った。もうお昼だ。

 昼餉をつくり終えた私は、お膳を持ってふたたび彼の部屋をたずねた。


「陽之助さん、お昼ですよ。読書ははかどりましたか?」


「……ああ」


 てっきり本を広げて読みふけっている最中だとばかり思っていたら、彼は部屋の中央で黙ってあぐらをかいていた。

 目をつむって、重ねあわせるように両手を組み――……

 あれ? これってひょっとして座禅?


「なんですか陽之助さん、仏門にでも入るつもりですか……」


「今、人類の成り立ちについて考えていたところだ」


「壮大すぎる……! どうしちゃったんですか? 読んでいた本は?」


「読破した」


「早すぎません!?」


 机の上に積まれた三冊へと目を向ける。

 すべて洋書だ。この国の書物と比べて、どれもはるかに厚みがある。

 おまけに英文で書かれているものだから、とても二刻そこそこで読みきれるとは思えない。


「たった三冊だぞ。そう時間はかからない」


「あの分厚さだと、私なら一冊で何日もかかりそうですけど……」


「おまえはまだ文字の拾い方が下手なんだろう。一字一字追っていかずに、数行ずつ切り取って頭の中に吸収していくんだ」


「ごめんなさい、さっぱり分かりません……」


 声に出しながらでないと絵草子を読めないようなお子さま脳の私には、到底まねできそうにない技術だ。


「そうか、すまん……とにかく、もうやることが思い浮かばない。何でもいいから読みたい気分なんだが……」


 小さく息を吐いてお膳の前に座ると、陽之助さんは浮かない表情で箸をとった。

 私も向かいに座って、目の前に自分のぶんの昼餉を置く。



「でしたら、私が集めている本を読んでみますか? 挿し絵がいっぱいで、じっくり見ていたら時間もどんどん過ぎますよ」


「草双紙か……たまにはいいかもしれない。飯のあと貸してくれ」


「はいっ! いっしょに読みましょう」




 そうして昼餉を終えた私たちは、二抱えぶんはある本の山を前にして座っていた。

 黄表紙に桜表紙、浄瑠璃本や地口本なんかもある。

 自分で買ったものから雨京さんにもらったもの、あとは借り物もいくつか。

 全部で三十冊ほどはあるだろう。


「さぁ、陽之助さん! お好きな本からどうぞ」


 これだけあればさすがに夕刻まではもつはずだ。

 私は笑顔で本の山へと手を広げる。


「上から順に読んでいくか」


 座したまま目の前の山から一冊を手にとると、彼は静かに項をめくりはじめた。


 ――よし。

 先ほどまでの思い詰めた雰囲気はもうない。

 やるべきことが見つかれば、陽之助さんは燃える性分だ。



(そういえば私も、読みかけがあったんだった)


 ふと思い出して、高く積み重ねた本の山から目当てのものを抜き取る。

 ゆきちゃんから借りた、いろは短歌だ。

 最近は漢字も覚えてきて、わりとどんな種類の本でも読めるようになってきた。


 わからない字を見つけるたびに、陽之助さんに聞きにいっていたからなぁ。

 最初は「忙しい」とめんどくさそうにため息をつかれてばかりいたけれど……。

 習ったことを吸収していくにつれ、だんだんと邪険にあつかわれることもなくなっていった。

 陽之助さんは、言葉に出さなくともきちんと勉強の成果を感じ取って評価してくれる。

 だからこそ、私は彼からものを習うのが好きだった。

 二人で本に目を落としてあれこれと言葉を交わした日々は、私にとってとても幸せな記憶だ。



(……そういえば最近は、一緒に本を読むことなんてなかったからなぁ)


 気持ちが通じあって、今や恋仲だというのに。

 なんだか昔よりも二人で過ごす時間は減った気がするな。



 本を広げたまま、ぼうっとそんなことを考えていると、脇から声がかかった。


「……読めない字でもあるのか?」


 一瞬、どきりとした。

 すぐ隣に陽之助さんの顔があって、私が開く本の中身をのぞきこんでいる。

 ふわりと、彼の髪が私の頭上をかすめた。


「わ! いえ、ちがうんです……! ちょっと考えごとをしていて!」


「そうか。だったらいいが」


 びくりと体を浮かせながらあわてる私を見て、陽之助さんは不思議そうにぱちりと瞬きをした。

 そうしてまた、何事もなかったかのように自分の手元に視線をおとす。


「はい、あの、気になさらず、どんどん読んでくださいっ」


「ああ」



 ――どうしよう。

 なんだかいろいろ考えているうちに、落ち着かなくなってしまった。

 気持ちが昂ってそわそわして、隣に座る陽之助さんのことを意識しすぎてしまう。


 静かに本を広げる彼の顔を、そっと見上げてみた。

 気だるそうにふせた目は、せわしなく右から左へと文字を追っている。

 睫毛は長いし、鼻すじは通っているし、不規則な生活をしている割には肌のきめもこまやかだ。

 いつ見ても、整った顔立ち。



「……陽之助さんって、かっこいいですよね」


「……な……」


 私がため息まじりにつぶやいた一言に、彼は目を見開いて持っていた本を両手で閉じた。


 面白い。

 陽之助さんは出会った日からずっと、誉められるのが苦手だ。


「本を読んでる陽之助さんがとっても絵になっていたので、見惚れてました」


「おい、何を言ってるんだおまえは……」


「何を言ってるんでしょうね、わたし」


「からかうな。黙って本を読め」


 むっとして顔をそむける彼を見て、自然に頬がゆるんでしまう。

 どうしてこんなにも恥ずかしがりやさんなんだろう。

 本当はもっともっと、いいところや好きなところを誉めてあげたいのに。


 こちらに背を向けるようにしてあぐらをかいている彼の後ろ姿を見ていると、愛しくてたまらなくなる。

 きゅっと胸の奥がしめつけられるような感覚に、思わず私は立ち上がって、彼の真横に腰をおろした。

 そしてそのまま、ぴたりとくっつけるように、陽之助さんの肩に頭をすりよせる。



「……どうした?」


 一瞬とまどいの表情を見せたあと、困ったように小さく笑って。

 彼はまた静かに本を閉じた。


「こんなふうに、二人で過ごせるのが嬉しいです……すごく久しぶりだから」


「そうだな。すまない、あまり構ってやれなくて」


「いえ、私はお仕事をがんばる陽之助さんがいちばん好きですから」


「……そうか」


 ぎこちなくうなずいて、陽之助さんは私の髪をすくようになでる。

 指先が髪の間をすり抜けてゆくこそばゆい感触が、心地いい。


「このまま、陽之助さんが本を読んでるところを見ていてもいいですか?」


「ああ、構わない。一緒に読むか」


 そう言ってふたたびぱらぱらと項をめくると、彼は私にも見やすいように片膝の上に本を広げた。


「あ、ももたろさんですね」


「そうだ。途中からでいいか? 初項に戻ってもいいが」


「一度読んだ話なので、途中からで大丈夫ですよ」


「分かった。読もう」


 そうしてまた視線を落とすと、彼はすぐさま項をめくった。

 ぺら、ぺら、ぺらと。

 どんどん進む。それはもうよどみない速さで。

 どの項も、目に入るのはほとんど一瞬だ。



「あのぅ、陽之助さん……お話、つまらないですか?」


「つまらなくはない。それなりに面白い」


「ちゃんと読んでくれてます?」


「読んでる。犬はなかなか優秀なやつだな」


「わ、ほんとに読んでる! どうしてそんなにぱっぱとめくっちゃうんですかぁ」


 私の想像を超えた速読っぷりだ。

 端目からでは、ただぱらぱらと流し見しているようにしか見えない。


「どうしてと聞かれてもな……画面のほとんどが絵だから、読むところは少ないだろう」


「絵もじっくり見てくださいよ」


「絵は一瞬で全体像が目に入ってくるからな。そう長々と見るものじゃないと思うが」


「あ、それって世界中の絵師を敵にまわす台詞ですよ」


 こういった草双紙は、そのほとんどが絵を中心とした構成になっている。

 中央をどっしりと占拠する大きな絵と、空いた背景を埋める文字たち。

 お話も絵師が考えて添える場合が多いから、これはいわば、文章を含めて一枚の絵が成り立っているといってもいい。

 作者は、じっくりと絵の世界観に浸ってほしいのだ。



「じっくりか……」


「よぉく隅々まで見てみてください」


「……犬の足腰がしっかりと描けているな」


「陽之助さん、犬大好きですね」


 真剣な顔で絵と向き合う陽之助さんの微笑ましい感想に、思わず笑みがもれる。


「桃太郎一代記の絵は、人物の表情がおもしろいんですよ。さらっとしていて特徴的でしょう。この、数人で連れだって歩く場面とか……」


「……なるほど。たまにやたらと間のぬけた顔をしたやつがいるな」


「ふふ、そういうの赤本だとよくあるんですよ。変な顔ばっかり集めた本とかも出てますし」


「何だそれは、需要あるのか?」


「たしか、前に父も似たようなものを描いていました」


「そ、そうなのか。それはその……見てみたい気もするな」


 少しばかり言葉につまりつつ、陽之助さんは小さくうなずいてくれた。

 父の話をするたびに、なんだか緊張したように背筋を正すのが彼のくせだ。


「父が生きていたら、陽之助さんを紹介したかったです」


「……ああ。おれも、一言挨拶に行きたかった」


「ほんとですか?」


「当然だろう……この先も、ずっとおまえと過ごすつもりだからな」


「この先も……」


 ぼっと、火がついたように顔が熱くなる。

 そんなふうに考えていてくれたなんて……。



「おまえがそばにいてくれると、気持ちが落ち着く。どこで過ごすよりも居心地がいい」


「陽之助さん……」


 体をこちらに向けて、そっと私の肩を抱くようにしながら、彼は言葉をつなぐ。


「怠けるのは好きじゃないが、こうしている時間は別だな」


「このまま、二人でくっついていたいです」


「……それもいいな。本を広げるよりもずっと休まりそうだ、身も心も」


 手にしていた本をそっと畳の上に置いて、陽之助さんは私の頭を優しく撫でてくれる。

 少しだけぎこちないその手つきが、言葉にできないほど愛おしい。


「きょうは陽之助さんのこと、ひとりじめです」


「ああ。おれもおまえを独り占めだ」


 互いに見つめあって、やわらかく笑みをかわす。

 相手の息づかいが伝わるほどの距離だ。

 嬉しくて、恥ずかしくて、胸の奥が壊れそうにどきどきと高鳴っている。


 そうしてどちらからともなく顔を近づけて、互いの唇が触れあおうとしたその時――。




「陽さん、退屈してない? 差し入れもってきたよー」


 静かに障子が開き、何やら風呂敷包みをかかえた長岡さんが部屋へと入ってきた。

 彼はすぐさま笑顔を凍りつかせて、敷居を一歩またいだ姿勢のまま動きを止めた。


 私たちは、抱き合って固まっている。



 ――しばしの沈黙のあと、


「ごめん、なんかホントごめん……!」


 二度、三度と申し訳なさそうに頭をさげて、長岡さんは風のように去っていった。

 閉められた障子の前にはぽつりと風呂敷包みが置かれている。



「……長岡さんと少し話してくる」


「あ、う、はい……! ごゆっくり!」


「すぐに戻る」


 ふわりと私の頭に手を置いて苦笑すると、陽之助さんは小走りで部屋を出ていった。

 一人取り残された私は、耳まで真っ赤に染まる顔を両手で覆って、脳内で悲鳴を上げていた。


(見られたー! 恥ずかしすぎるーー!!)


 長岡さんは他人に言いふらしたりする人じゃないけれど、今後さらっと私たちの関係に触れてからかってきたりしそうだ。

 すごく想像できる!

 たぶんもう、さっそく陽之助さんがいじり倒されているはずだ……!!




 それから、たいして時間はかからずに陽之助さんは戻ってきた。


「話してきた。土産は、団子だそうだ」


 障子をあけてすぐに足元の風呂敷包みを回収すると、一仕事終えたかのように大きく一息ついて、彼は私の隣に座った。


「長岡さん、なんて言ってました?」


「明日の昼前までは誰もここに立ち入らないようにするから、遠慮なく二人で過ごせと」


「ほ、他には……?」


「いや、まぁ……あとは別に」


 この歯切れの悪さは、何か言われたにちがいない。


 ――だけど、もういいか。

 詳しく聞いて、耐えられないほど恥ずかしい内容だったら、たぶんもう一生長岡さんを直視できない。



「それじゃ、この部屋にいるかぎりは二人きりってことですね」


「ああ。ゆっくり過ごして、今夜は早めに寝よう」


「はい……!」





 私たちは、草双紙を片手に穏やかに談笑しながら日暮れまでの時を過ごした。

 そして夕餉をすませてお風呂に入り、今しがた布団を敷き終わったところだ。


「あの、ほんとに私も同じ部屋で寝ていいんでしょうか……?」


「もう二人分の寝床を用意しただろう。隣で寝るのは嫌か?」


「いえ! 嫌じゃないです! 嬉しいです!」


「……そうか。だったら布団に入ろう」


「はい。陽之助さん、おやすみなさい」


「おやすみ」


 灯りを消して、互いに布団にもぐりこむ。

 彼の布団との間には、やや距離があって、手をのばしても互いに触れることはできない。

 ただ、静かな息づかいだけが聞こえてくる。


 なんだか少しどきどきするけれど、彼がこうして早い時間に眠りにつくのは久しぶりのはずだ。

 今夜くらいは、静かにゆっくりと休ませてあげよう――。




 窓から差し込む朝日のまぶしさに、私は目を覚ました。

 いつの間に寝入ってしまったのかは分からないけれど、頭はすっきりと冴え渡っている。


「起きたか、おはよう」


 声のほうへと目をやれば、布団から半身を起こした陽之助さんがこちらに微笑んでくれている。

 かけ布団の上には、読みかけの草双紙が広がっていた。


「もう起きてたんですね……おはようございます」


「こんなに長時間寝たのは久しぶりだ。おかげですっきりした」


「それはよかったです」


 わざわざ休みをもらった甲斐があるというものだ。


「本もほとんど読めてしまったな。これで最後だ」


 そう言って手にしていた一冊をそっと閉じると、陽之助さんは積み上がった本の山のてっぺんにそれを置いた。

 やりきったと満足げな表情だ。



「すっごく有意義な一日でしたね」


「……ああ。でも一つやり残したことがあるな」


「え? 何ですか?」


 長岡さんからの差し入れも食べきったし、思う存分はねをのばして熟睡もした。

 私としては満点の一日だった。



「……隣に、きてくれないか?」


 少し照れたように目線をそらしながら、彼は軽く布団をめくる。

 となりに……ということは、布団に入れってこと?


「え、あの……いいんですか?」


「いいもなにも、こちらから誘ってるんだ」


「わ、わかりました……お邪魔します」


 どうしよう、足がふるえてしまう。

 きっと耳まで真っ赤になっているはずだ。


 ぽっかりと小さくあいた穴に足を通すと、中は陽之助さんの熱ですっかりあたたまっていた。

 隣どうし、肩がふれあう。


「昨日は邪魔が入ってしまったからな」


 肩をすくめて苦笑し、彼は優しく私の肩を抱きよせた。


 顔が、近い。

 ひとつの布団の上で向かい合うというのは、こんなにも緊張してしまうものなのか。

 私は、ばくばくと打ち付ける胸の鼓動を聞きながら、うつむいて身を固くしていた。



「――あの時の続きをしてもいいか?」


 優しい声色で私の髪をすく陽之助さんに、無言でこくりとうなずき返す。

 彼はそんなこちらの反応が嬉しかったのか、やわらかく目を細めてぐっと私の体を引き寄せた。



 そして、静かに唇を重ねる。

 やわらかな感触が心地いい。

 全身に彼の熱が伝わって、どうしようもなく鼓動がはね上がる。



挿絵(By みてみん)


「ようのすけ、さん――……」


「美湖……」


 一度体を離して息をつきながら見つめあったあと、もう一回。

 あたたかな布団の中で、ぎゅっと抱きしめあって、確かめあうように何度も。


 ……唇をはなすころには、もう私の体はふにゃりと溶け落ちそうだった。



「陽之助さん、すきです」


「ああ……おれも」


「だいすきです」


「……おれも、その……大好き、だ」


 普段は『好き』だともなかなか言ってくれないのに。

『大好きだ』なんて、子供じみた私の言い方を真似て照れ臭そうに――。


 そんなところが、だいすき。

 優しくて、ちょっぴりぎこちなくて、恥ずかしそうに気持ちを伝えてくれるところ。

 込み上げてくる愛しさに、思わず涙がこぼれてしまう。

 私はぐすりと鼻をすすりながら、指先で目尻をぬぐった。


「……美湖、どうした?」


 少し不安そうに眉尻を下げて、彼は私の頭に軽く手を添える。


「陽之助さんのこと、すきで……」


「だから泣くのか? よく分からんな……」


「だいすきって言ってくれたから、嬉しくて」


「……そうか。とは言え、泣かれるとやはり戸惑ってしまう」


 小さく息を吐きながら、彼はふたたび私を強く抱き締める。

 そうして、あやすように髪をなでてくれた。


「嬉し泣きも、だめですか?」


「そういう涙は、大きな仕事をやりとげた時にとっておいてくれ」


「それって、陽之助さんの泣きどころじゃないですか……私は、好きな人からの言葉が一番嬉しいんです」


「そうか? おれはこの手で何かを成せる日が来たら、その時はおまえに一番に喜んでほしいんだが」


「陽之助さん……」


 仕事第一の彼が、そんなふうに思ってくれていたなんて。

 きゅんと胸の奥にあたたかいものが広がって、私は思わず陽之助さんの懐に顔をうずめる。


「……泣きやんだか?」


「はい。おしごと、頑張ってくださいね。陽之助さんのお名前が、世界にとどろく日が楽しみです」


「いや、さすがにそこまでの規模は無理だと思うが……」


「目指すは、世界の海援隊ですよね?」


「それはまぁ……そうだな。頑張ってみる」


 乗せられてぎこちなく頷く彼に、私は満面の笑みを向ける。

 真面目で頑張りやさんな陽之助さんのことだ。

 きっと、どんなに大変なお仕事だってへこたれずにやり抜いてくれるはず。

 彼がその成果を報告してくれたその時は、誰よりもその努力をたたえてありったけの賛辞を送ろう。

 ……嬉し涙も、その日までとっておかなきゃいけないな。



「ふふ、またねぐせついてます」


 いくらか落ち着いて、布団の中で隣り合わせに座りながら。

 小さくぴょこんとはねる彼の前髪をそっと押さえて、私は笑みをこぼす。


「布団で寝たのにな……結局こうなるのか」


「ねぐせがつきやすいところも、私は好きですよ」


「なんだそれは……好きになる要素なんてないだろう」


「いえ、だってこうして陽之助さんの髪に触れられますから」


 頑固そうなねぐせを直すべく、さらりさらりと彼の髪をかきわけて整えていく。


「……自分でなおせる」


「そうですか? でもほら、ちょっとだけ目立たなくなりました」


「……すまん……ありがとう」


「はいっ」


 ぺたぺたとねぐせ部分を押さえつける陽之助さんはいつ見ても微笑ましくて、自然に笑みがこぼれてしまう。

 真面目で、いつだってきちんとしている人だから、こんなふうに隙を見せてくれる瞬間が私にとっては嬉しくてたまらないのだ。


「そろそろ起きるか」


「そうしましょう。また今日から普段通りの一日がはじまりますね!」


「ああ。やっと仕事ができる」


「頑張ってくださいね、陽之助さん」


 晴れ晴れとした表情の彼にそう告げると、かえってきた返事は今まででは考えられないものだった。


「坂本さんからも言われたことだし、今夜もちゃんと布団でねるか」


「あ、はい! それがいいですよ!」


「……ああ。早めに切り上げるから、夜まで待っていてくれ」



 ――待っていてくれ?

 それって……


「え、あ、あの! 今夜も隣に寝ていいんですか!?」


「おれはそうしたいと思うんだが……だめか?」


「いえ、そんな……! うれしいですっ!」


 言葉につまりながら目をそらす陽之助さんに、私はぎゅっと抱きついた。

 甘い甘い二人の時間は、もう少しだけ続きそうだ――。






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