第三話
木の根や石があり歩きにくい地面。
木の枝や葉によって日が遮られ薄暗い視界。
どこからか聞こえてくる魔物の遠吠え。
ユリアリーナはなぜだか森の中にいた。
いや、なぜだかではない。
それはこの黒髪黒目の青年――ヴェルンドに連れてこられたからだ。
「なんで私がこんな所に……」
ユリアーナは歩きながら愚痴を漏らすが、ヴェルンドと獣人のメイドは、彼女を気にせずどんどん森の奥へと進んで行く。
10歳の貴族令嬢であるユリアーナは、当然山道に慣れておらず、そして、10歳という年齢の為、まだ体が小さく歩幅も小さい。
すなわち、普通に歩いてもヴェルンド達から距離が離れていくのだ。
「ちょ、ちょっと早いってば」
ユリアーナが非難する様に、いや縋る様にそう言うと、ヴェルンドは振り返り今気が付いたかのように謝る。
「ああ、すまん」
そう短く謝り、少し歩く速度を緩める。
実際に言われてから気が付いたようだが、どうもヴェルンドの目は前しか向いていない。
ユリアーナがあの変な武器屋に入店した時は、やる気のない様な、こちらに興味のない様な瞳で見られていたのだが、ユリアーナが依頼した後から彼の瞳が光り輝いている。
「はぁ……もう、何が何だか分からないわ」
再び愚痴をこぼして、置いて行かれない様に必死でヴェルンド達の後を追った。
ここでなぜユリアーナ達が森の中にいるかというと、変な武器屋の店主のヴェルンドが言うには、ユリアーナの欲する杖を作る為にこの森でしか手に入らない『あるもの』が必要らしい。
それもその必要な『あるもの』は使用者が自分で手に入れないと意味がないという事なので、温室育ちの令嬢であるユリアーナも王都の外にある危険な森へと足を運んだのだ。
確かに「杖を作る為に必要だ」言われたらついて行くしかない。
ユリアーナが無理な注文をしたのだから、金だけポンと出すのではなく協力すべきだ。
しかし、貴族令嬢のユリアーナはこんな森に来た事がなく、はぁはぁと息を切らし、薄暗い森をびくびく怯えながらも、必死にヴェルンド達の後を追う事で精一杯だ。
「ね、ねぇ。まだ森の奥に行くの?」
「ああ。もう少しだ」
「そ、そう」
ユリアーナは息を切らせてヴェルンドに問うが、先程から「まだだ」や「もう少しだ」ばかりで、どれぐらいの距離があるのか分からない。
それに疲れのせいなのか、それともこの黒髪黒目の青年の態度の悪さのせいなのか、ユリアーナは「敬語を使う」という事を早々に放棄している。
ヴェルンドも言葉遣いをとやかく言うつもりはないのか、まったく気にした様子がない。
しかし、犬耳メイドはユリアーナが敬語を使い忘れた瞬間に、射殺さんばかりの視線を向けていたが、その事にユリアーナもヴェルンドも気が付いていない。
この事は、誰にとっても幸いだったのかもしれない。
そして、森の中だというのに魔物の姿が見えない。
獣の遠吠えのようなものは聞こえるのに、姿を現さないのだ。
普通ならおかしいと思う筈なのだが、ユリアーナには分からない。
だが、その理由は簡単だ。
時折、犬耳のメイドが「失礼します」と言って消え『何か』の断末魔が聞こえてくる。
つまりは、そう言う事なのだろう。
そして、ヴェルンド達はピクニック気分でしばらく歩くと(ユリアーナはバテバテだが)、一行はこの世のものとは思えない、とても綺麗な泉に辿り着いた。
「ねぇ……こ、ここは?」
「ん?ああここか?ここは『妖精の泉』だ」
ユリアーナがヴェルンドに聞くと、彼は何でもないように答えた。
「え?……嘘よね?だって――」
ユリアーナが言葉を続けようとするが、それを遮る様にその泉が光り輝くと、そこから妖精が現れた。
「………………」
その光景に彼女は言葉をなくし、立ち尽くす。
ユリアーナの心の中には信じられないという気持ちがあったが、この景色が嘘ではなく本物だと訴えかけるほどの光景が目の前にあるせいで、否定の言葉が出てこない。
「どうだ?中々綺麗だろ?」
「……う、うん」
何でもない様に言う青年の声色とその表情を見て、ユリアーナは不思議と納得してしまった。
ユリアーナ達が辿り着いたのは、物語上でしか語られていない伝説の『妖精の泉』であると。
あまりにも綺麗な光景にユリアーナは何故だか怖くなり、無意識の内にヴェルンドの服の袖を掴んでしまう。
それを視界に捉えた犬耳メイドの視線が(以下略)となったが、ユリアーナはヴェルンドの服の袖を掴んだおかげで、またもや不思議と少し落ち着いた。
「おーい!アデーレはいるか?」
ヴェルンドがそう口にした瞬間に妖精の泉が光り、ユリアーナがその煌きの眩しさに一瞬目を閉じて開くと、そこには絶世の美女が泉の上に浮かんでいた。
その美女は薄い布を纏い、背には蝶の様な羽が生えており、金色に輝く髪を靡かせ、翡翠の様な瞳でヴェルンドを見て、おかしそうに笑った。
『ふふっ、其方はいつも失礼な奴じゃな。『妖精女王』と呼ばれ敬まわれる妾に、そのような口の利き方をするとは。其方、万死に値するぞ?』
「ははっ、そう言うなよ。俺とお前の仲だろ?」
『フフフ、そうよな。妾と其方の仲じゃ、言ってみただけじゃ。全く腹も立てておらん』
これほど近くにいるのに、ユリアーナには精霊女王のアデーレの声は聞こえず、ヴェルンドが一方的に何か喋っているようにしか聞こえない。
これは精霊の言葉が普通の人間には理解できないから、当たり前の状況だ。
「それで、このお嬢ちゃんの杖を作りたいんだが……前に話していた『アレ』をやりいたんだよ」
『ほう。以前に言っていた『アレ』を、かの?そう提案するという事は、理論だけでなく実用段階まで漕ぎ着けておるのか?』
「ああ、頑張ったんだぞ。どうだ?実現したら面白そうだろ?」
『フフフ、確かにそうであるな。妾も見てみたいのぉ。しかし、その童は精霊に愛される器かの?』
「ああ~それは今から試してみようかと思ってな」
『其方はいつもそうじゃな』
ヴェルンドは妖精女王と楽しそうに会話をしながら、その最中に何度かユリアを指さす。
その行動をユリアーナは理解出来る筈もなく「もしかして、私は妖精の国に連れて行かれるのだろうか?」と心配しながら成り行きを見守っていた。
「ね、ねぇ?私何されるの?ねぇ?」
「なに、そんな怯える事じゃねぇよ。じゃあ、アデーレ。やっちまってくれ」
『分かった』
「大丈夫なのよね?ねぇ?連れていかれないわよね?」
そして、ユリアーナは意味の分からない内に、あれよあれよと話が進み、妖精女王アデーレから放たれる光に、ユリアーナは包まれる。
「ぎゃーー!!あわわあわわあわーーーーー!!」
「……女としてその叫び声はどうなんだ?お嬢ちゃん」
「うるさいバカーーーーーー!!!!!!」
ヴェルンドはユリアーナの残念な叫び声を聞いて、何とも言えない表情をしながら光が収まるのを待った。
そして、光が収まり中からは、ユリアーナと彼女の掌に座る妖精がいた。
そう、ユリアーナは本人の意思とは裏腹に、風の妖精シルフと契約させられたのだった。
「……何これ?」
その言葉を最後に、ユリアーナは妖精との契約に魔力を使い過ぎたのか、慣れない長い山道を歩いた疲労のせいなのか、はたまた、今の状況がよく分からなくなったので脳が安全装置を発動させたのか、定かではないが、彼女は白目を剥いて意識を失った。
風の妖精シルフとの契約に見事成功したユリアーナ達は、王都の裏道の奥まった場所にあるヴェルンドの店である『浪漫武器屋』に戻っていた。
「じゃあ、俺は工房に籠って『最高の杖』を作るから、後はフランに任せるぞ」
「はい、かしこまりました。ヴェル様」
フランと呼ばれた犬耳メイドは、ヴェルンドに深々と頭を下げる。
そして、ヴェルンドは『最高の杖』とやらの製作に入る為に、店の裏手にある工房に向かった。
「……んんっ……あれ?……森は?妖精の泉は?」
それと入れ替わるようにして目が覚めたユリアーナは、キョロキョロと周りを確認する様に店内を眺める。
「あれ?私、森に居た筈なのに……もしかして、夢?」
「いいえ、夢ではございませんよ」
「え?あっ!」
ユリアーナの独り言に反応したのは、ヴェルンドに付き従っていた犬の獣人のメイドだった。
変な武器屋にいること自体がおかしい、洗練された空気を纏うメイド。
ダルそうな表情なのに、どこか知性と品のある黒髪黒目の青年。
ユリアーナは以前も思っていたが、再びこの店を見ると、やはりこの店は何もかも不釣り合いのように感じてしまった。
すると、思考の海に潜っていたユリアーナに近づく犬耳メイドに気付き、彼女は犬耳メイドに目をやる。
「申し遅れました。私、フランツィスカと申します。シュミット家のメイドをしております。以後お見知りおきを」
「私はユリアーナ=フォン=イッテンバッハ……って、そうよ!本人に聞くのを忘れていたけど、ヴェルンドって名前に『フォン』が付いていたけど、あの人貴族なの?私あんな人知らないわ」
ユリアーナも貴族の子弟であるが、全ての貴族を覚えている訳ではない。
しかし、王都で暮らしている身としては、最低限王都に居る貴族の名前を覚えさせられる。
だが、彼女は黒髪黒目というあんな目立つ容姿の貴族がいる事や、その貴族が武器屋を営んでいることや、そして何より『シュミット』などと言う家名を聞いた事がなかった。
「はい。ヴェル様はシュミット伯爵家のご当主です。失礼ですが、ユリアーナ様も言葉遣いにはお気を付けください」
「は、伯爵!?」
それを聞いてユリアーナの顔は真っ青になる。
先ほど迄、彼女が失礼な態度を取り続けた青年が伯爵家の当主だったのだから、彼女の顔色も悪化するだろう。
貴族の子弟、しかも、ユリアーナの家は男爵家なので、家格が下位の家の子弟が、上位の家の当主に、知らなかったとはいえ失礼な態度をとったのだ。
それは貴族社会では、傍から見た人が「お気の毒に」と声をかけることも躊躇われる程の大失態だ。
(う、噓でしょ?)
というよりも、伯爵家の当主がこんな所で武器屋をやっている方がおかしいのだ。
これが噓で勝手に貴族家を語っていると言われた方がまだ納得できる。
しかしながら、この国の国民なら貴族家を語るという事がどういう事なのか知らない者はいないだろう。
貴族を任命できるのは王だけだ。
そう、貴族家を勝手に語ると言うのは、王の言葉を語る事だ。
つまり、国家反逆罪並みの処罰対象に当てはまる。
まとめると、普通の精神を持った人間なら『そんな事をする筈はない』のだ。
「……お、終わった」
「……少し脅しすぎてしまいましたが、ヴェル様は大変器の大きなお方なので、今日の発言や態度は気になさらないでしょう。しかし――」
犬耳メイドはそこで言葉を切って、項垂れていたユリアーナを威圧する様に見つめる。
「――言動には、くれぐれもお気をつけ下さい」
「は、はいっ!」
使用人が貴族家の令嬢にこの様な態度を取るのは無礼にあたるが、ユリアーナは本能的にこの犬耳メイドに逆らってはいけないと感じ、首を何度も縦に振った。
ユリアーナの態度に満足したのか、犬耳メイドはにこりと笑う。
「では、ユリアーナ様。杖の作成には一週間程かかりますので、一週間後にまた来て下さい」
「わ、分かりましたわ」
「それと一番大事な事ですが、この店で見た事話した事は全て、誰にも話してはいけませんよ?」
「……はい」
ユリアーナは犬耳メイドにビクビクと怯えながらも、本人にとっては冷静で気丈な態度を取り、店を後にした。
帰る際に、犬耳メイドに全身のサイズを測られたが、もう気にしない事にする。
「もう、なにがなんだ……か?」
ユリアーナが呟きながら、武器屋のドアから出ると……何故だか酒場に居た。
「え?あれ?」
「おう、お嬢ちゃん。アンタも『浪漫武器屋』の帰りかい?」
「え、ええ」
「ガハハハッ、そうか。それなら今度からは、その扉を使うといい。裏道は嬢ちゃんには危ねぇからな。ガハハハッ」
「あ、ありがとう」
ユリアーナは自分の身に何が起こったのか分からず、「ガハハハッ」と笑う筋骨隆々の大男にお礼を言って、只々首を捻りながら酒場を後にする。
そして、振り返り看板を見ると『黄金の小麦亭』と書かれていた。
つまり、あの武器屋からこの酒場まで転移したことになる。
「なんなのよ……もう!」
ユリアーナはこの瞬間より憤りを覚えながらも、もうあの店では何が起きても驚かない事を決意した。
ユリアーナが屋敷に帰ると、流石にこの時間まで出歩いていたので、両親にこっぴどく怒られた。
それはもう一時間近く怒られた筈なのだが、今日の出来事が信じられず、説教は上の空だった。
そのおかげかせいか分からないが、いつもは辛く苦しい説教も右から左に通り過ぎてしまい、あまり記憶に残らなかった。
それから一週間。ユリアーナは夢見心地で普通に学園に通った。
幼馴染のアルノルトが、必要以上にユリアーナに絡むのもいつも通りだ。
いつも通り過ぎて、あの日の出来事が夢であったように思ってしまう。
そして、あの日より一週間が経った。
ユリアーナは学園の試験の日の朝に、杖を取りに再びあの理不尽な『浪漫武器屋』を訪れた。