第一話
王都の大通りを一台の馬車が往く。
太陽が昇り始め、教会で弥撒が行われ、職人達も起きだし、鍛冶工房では竈に火を入れられ、鉄を打つ音が聞こえ始め、屋台ではそんな人を狙ったかのように、良い匂いがし始め、空になった胃袋が「くぅくぅ」と食事を求め始める。
朝のこの時間帯は、見習の小僧が親方や他の職人の朝食を近くの屋台に買いに行ったり、冒険者達がギルドの帰りに屋台を冷かしたり、採れたての魚や果実を並べる店もあり、大賑わいだ。
「……はぁ」
頬に手を当てつつ馬車の外の喧騒を見つめ、意識せずとも少女の口からは、溜息が出てしまう。
それに気づかない筈もない隣に座る侍女は、心配した様な表情で溜息を吐く少女に話しかける。
「ユリアーナお嬢様?どうかなさいましたか?」
「え?ああ、別になんでもないのよ。うん、なんでもない」
ため息を吐いていた少女――ユリアーナは、必死になって侍女の言葉を否定するが、その言動からは説得力がないのは、ユリアーナ自身も気が付いているだろう。
「……そう……ですか?」
「ええ、そうよ」
あからさまに何かあると分かる溜息と態度だが、侍女はユリアーナの言葉に従い渋々と引き下がる。
しかし、その顔からは未だに心配だと書いてある。
ユリアーナはいつも心配してくれるそんな侍女の様子を見て『申し訳ない』という気持ちと『放っておいて!』という、相反する気持ちを抱いていた。
本当の所は、ユリアーナは悩んでいた。
ユリアーナ=フォン=イッテンバッハは、このルーマー王国の貴族であるイッテンバッハ男爵家に生を受けた。
ユリアーナは人よりも魔力が多く、10歳になっても日に日に彼女の魔力量は増えていた。
魔力量が増えることは良い事だが、それは良い事ばかりではなく、問題もあった。
それはユリアーナが、未だに上手く魔法が使えないという事だった。
日に日に増えていく魔力、それをうまくコントロールする事が出来ず、発動したとしても威力がまちまちであった。
例えば攻撃魔法を放てば、今にも消えそうな炎と呼べない小さな火になり、薪の種火として小さな火を出そうとすると、全てを燃やし尽くす様な業火になってしまう。
こんな不安定な魔法では、魔物と戦う事もままならないし、味方に当たってしまう可能性もある。
生活に使おうと思っても、消し炭の食事を取りたいと思う者はいないだろうし、焦げた調理器具を必死に洗いたくはないだろう。
更に残念な事に、この国で貴族とは『魔法が使えて一人前』と言われており、これは初代国王が「貴族ならば、あらゆる力を持って民を守らなければならない」という言葉を言っていた事から、そうなってしまった。
その教えや慣習自体に異を唱えるつもりのないユリアーナは、流石に成人するまでには何とかしたいと考えていた。
しかし、魔法というものは奥が深く、如何せんすぐに魔法の腕が上達する訳でもない。
更にユリアーナの魔力が多い事と彼女の性格からして、チマチマした魔力制御の訓練は相性が悪かった。
それでも必死になって何度訓練するが、中々上手くいかず、自分の魔力に振り回され、悶々とする日々を送っていた。
(それもこれもアルノのせいだわ!)
心の中で葛藤するユリアーナは幼馴染の顔を思い浮かべ、己の怒りをぶつけるが、一向に鬱憤が晴れるものではない。
その幼馴染のアルノという少年が、ユリアーナの溜息の原因の一端である。
アルノルト=フォン=クラインミュヘルは、クラインミュヘル男爵家に生まれた長男で、両家の当主の仲が良い事から、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。
クラインミュヘル家は代々騎士の家系ではあるが、魔法も使える。
魔法がうまく扱えないユリアーナは、よくアルノルトに馬鹿にされていた。
(昨日だってそうよ)
ユリアーナは昨日起こった出来事に悪態を吐きながら思い出す。
いつものように自宅の庭で一向に上手くならない魔法の練習をしていたユリアーナの前に、アルノルトはニヤニヤと笑いながらやってきて、いつものように文句を言ってきた。
「やーい!ユリアはいつになったら魔法が使えるんだ~?」
「う、うるさいわよ!アルノ!アンタだって、まともに剣を振れないくせに!」
アルノルトにからかわれたら、いつものように言い返してしまうのもユリアーナだ。
幼い頃から何度も繰り返されるこの罵り合いは、もはや挨拶の域に達している。
両家の使用人も『いつものか』と微笑ましい気持ちで見守るほど、このやり取りは習慣化されている。
「ち、違うし!父上の剣が重すぎるだけだし!」
「私だってそうよ!そうよ!人よりちょっとだけ魔力が多いからなんだから!」
「ふーん……そんなこと言ってると、立派な淑女になれなくて生き遅れるぞー」
「な、なんですって!」
しかし、いくら貴族の子弟として教育を受けた二人と言えども、まだまだやんちゃがしたい年頃の10歳だ。
ベタな台詞であっても、馬鹿にされれば、否応なく反応してしまうのも仕方がない事なのだろう。
その上、このやり取りは屋敷が隣同士で幼馴染という都合上、何回も何十回も何百回も繰り返されていた。
そして、とうとう積りに積もったものが、爆発したとしても……それは必然であり、いつかは起こり得る出来事だっただろう。
「もぉーいい加減頭に来た!私は悪くないわよ!つ、杖が悪いのよ!」
「へぇ~……でもそれって、ユリアの父上が用意してくれた、ユリア専用の杖じゃないのかよ?」
「そ、そうよ!で、でも、残念ながら私には適さなかったのね!そ、そうね。私に適した杖があれば、ま、魔法なんて余裕よ!ほ、本当よ!」
そう、ここでこんな言葉を発さなければ、この後『少し調子に乗ったかな』ぐらいで済んだであろう。
しかし、そうは問屋卸さないのがこの世の中なのだ。
一回の失敗、一回の失言が、後々大きな負債となって降りかかるのが人生の世知辛い所でもある。
「わ、分かった!だ、だったら、今度ある学園の試験で、ユリアが言う杖で、ユリアの凄い魔法を使ってみせろよ!」
「え、ええ!分かったわ!そんなの余裕よ!私の本気見せてあげるわよ!か、か、覚悟しなさい!」
しかし、売り言葉に買い言葉なのか、はたまた一度見栄を張ってしまい、取り返しのつかない所まで行ってしまったせいなのか、ユリアーナはもう後戻りはできなくなってしまった。
その後、アルノルトは「確かに約束したからな!」と捨て台詞の様なもの吐きながら隣の屋敷に帰り、ユリアーナはアルノルトが帰る所を、腕を組んで見送り、完全に居なくなると「やっちゃたーーーー!!!」と心の中で絶叫し、一人頭を抱えた。
そう、それが昨日の出来事だ。
「…………はぁ~~~~~~」
ユリアーナは昨日の事を考えると、たった今侍女に心配されたばかりなのに、再び重いため息を吐いてしまう。
駄目だと分かりながらも10歳の己には、この出来事が一番重要なのだ。
「お嬢様?」
「な、なんでも…………なくはないわね」
「……いかがしましょう?」
「そうね。今日のところは学園を休もうかな」
「かしこまりました」
侍女が恭しく頭を下げ、御者に「お嬢様は今日、学園をお休みになるので屋敷に引き返すように」と告げ、行き先が屋敷に変更となる。
その事に申し訳なく思い、ユリアーナは目の前の侍女に何か話題を振る事にした。
もしかしたら、昨日の出来事の解決法があるかもしれないと、藁にも縋る気持ちも無きにしも非ずではある。
「ねぇ、カミラ?何か面白い話はない?」
「面白い話ですか……そうですね。これは私の友人に聞いた話なのですが、なんでもこの王都には『夢が叶う武器屋』があるらしいですよ」
「ゆ、夢が叶う?武器屋で?」
「ええ。とは言いましても、友人曰く『酒場の与太話』と言っておりましたけど」
ユリアーナは侍女のカミラの言う『夢が叶う』と『武器屋』という単語に、自分の中の何かが刺激される。
どことなく、諦めかけていた気持ちに、ほんの少しばかり火が付いた。
(も、もしかして、これは神のお導き!?ぜ、絶対にその店の場所を聞きださないといけないわね!そこに行けば私も魔法を使えるかもしれないわ!)
「へ、へぇ~。そ、それは変わった話ね」
「そうですね。確かに変わった話ですね。それを言ったのは冒険者の方らしくて、私の友人がその方に惚れていまして――」
「ち、ちなみにだけど、その武器屋ってどこにあるか知っているの?」
そこでその武器屋の話を終え、その友人の恋愛話をしようとする侍女のカミラに、ユリアーナは興味のない振りをしつつ、情報を引き出そうと必死になる。
(あれ?お嬢様には恋愛話は早過ぎたのかな?でも、あの悩み様はアルノルト様と何かあったと思ったのだけど……違ったのかな?)
しかし、友人の恋愛話をぶった切られて、武器屋の事を聞くユリアーナはあまりにも不自然であり、カミラはユリアーナが恋愛の話は未だ興味のない事だと勘違いした。
「それで、もう一度聞くけど、ど、どこにあるのかしら?」
(そうよね。まだお嬢様には恋愛よりも、冒険譚よね)
興味なさげに聞こうとするユリアーナを見て少しほっこりしつつも、カミラは心の中で一人「うんうん」と首を振り納得し、冒険譚というか、都市伝説に近い『夢の叶う武器屋』の話をすることにした。
「ふふっ、私が集めた情報によりますと――曰く、本通りにある『黄金の小麦亭』の角を裏路地の方に抜け、そこからつきあたりを右に曲がり、三番目の交差路を左に曲がる。すると、そこには異国の文字で『浪漫武器』と書かれた看板が掲げられた店ある。そこの店主に『浪漫を買いに来た』と告げれば、夢が買えるらしい。君も叶えたい願いがあるのなら、その扉を叩くといい――とのことです」
侍女のカミラが歌うように語るその話に、ユリアーナは『一言一句聞き逃さん』とばかりに前屈みになりながら耳を傾ける。
勿論カミラはユリアーナのその姿勢を、その態度を、まるで気付いていないかの様に振る舞うのを忘れない。
「へ、へぇ~そうなの?…………いえ、別に興味はないのだけどね」
「左様ですか」
「ええ、左様よ」
ユリアーナは「興味がない」と言いつつ、しきりに外を見て何かを探すその仕草は、完全に「興味がある」と言っているようなものであるが、カミラはそこにツッコむ様な野暮なことはしない。
出来た侍女である。
先ほどまで沈んでいたご令嬢が、ソワソワしながら馬車の外を眺める。
それだけでカミラは満足し、慈愛の目でユリアーナを見つめるだけで、多くの事は語らない。
そして、外を見ていたユリアーナは、馬車が少し進んだところで丁度『黄金の小麦亭』を発見する。
(あっ!あった!あったわ!後は屋敷に帰った後にこっそり抜け出して……よしっ!)
(ふふっ、お嬢様は可愛いなぁ~)
そんな互いの想いなど知る事なく、馬車はイッテンバッハ家の屋敷に向けて進んでいく。
かみ合っているようでかみ合ってない主従を連れて。