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第二章

 翌日、放課後。藤俐は待っていた。

 待っている間、ラディが拾ってきた情報を暗記するほど見てみるが、記憶に引っかかる情報がない。本人も小さな出来事だと言っていたし、正直ここから突破口を見つけるのは難しいかもしれない。

「藤俐? 今日は帰るの?」

 どこかのんびりとした、聞き慣れた柔らかい声にスマートフォンをしまい、振り返る。

 舞形(まいかた)風花(ふうか)がきょとんとした顔で、それでも笑顔で鞄を抱えてやってきた。

 病的に白い肌も、痩せすぎた矮躯も、病人そのもので痛々しい。だけどその笑顔だけは、健常者にすら出せるかわからないほどの輝きを見せていて、藤俐にはそれが眩しかった。殆ど風花にしか見せない穏やかな微笑で、柔らかく迎える。

「今日は何もないんでね」


   †


 ――同じ時刻、部室では。

「……………………」

 雨宮紗緒は待ちぼうけを食らっていた。

「…………」

 かなりの時間、待っていた。

「……」

 だけど藤俐はおろか、誰も来なかった。

「……、これ酷いですよね? わたし怒っていいと思うんです」

 ぶつぶつと呟いている。独り言なのか判然としないが、表情からは言葉ほど怒っているようには見えない。

「あれだけ思わせぶりに別れたんですから、何かアクションあっていいと思うんです。……むしろ逆効果? そうなのでしょうか? 藤俐先輩の場合、単に期待を裏切りたいだけな気がします」

 しばらくぷくうと頬を膨らませていたが、自分で頬を指で突いて空気を抜き、微笑に戻る。

 計算高く狡猾で冷徹なプレイヤーとしての瞳に真剣に恋する少女の微笑は、相反する要素のはずなのに矛盾なく両立していて、他者から見れば不気味に感じただろう。

「仕方ないですよね。ちょっと脅かしちゃいましょう。女の子を待ちぼうけさせる藤俐先輩が悪いんですからね」

 悪戯を思いついた少女の笑みは、どこまでも無邪気だった。

 スマートフォンを取り出し、チャットアプリを起動する。

 文章を打ち込みながら、愛しい先輩がどんな反応をするか楽しみで仕方なくて、少女はくすくすと笑い続けた。


   †


 部屋に入っていいかと聞いた時、風花は若干驚いていた。

「風花の部屋に来るの? 珍しいね」

 風花の部屋と言っても、風花の家ではなく、病院の個室のことを指している。風花は家ではなく、ホスピスという施設で暮らしていた。

 もう治らないと宣告された病を持つ人々が、治療ではなく苦痛を緩和するための入院施設。おそらく死ぬまで、ずっと風花はそこで暮らしていくのだろう。

 彼女の心臓には爆弾がある。生まれつきの病魔と言う爆弾。人口で埋め込まれた補助心臓、毛髪が全て抜け落ちるほどの強い薬を使って、何度も手術を繰り返して、最近はようやく病態が落ち着いてきている。激しい運動やショックがなければ、あまり健常者と変わらない。髪だけはウイッグを着けざるを得ないが、日によって好きに髪型を変えることができると、本人は本当に気にしていないようだ。今はショートボブのウイッグを付けている。一番見る頻度の多い髪型だ。

 風花の話に出てくる人物に、家族の名前は殆ど出ない。特に、両親の名前は。

 年々弱っていき、タイムリミットの近づく娘を見るのが耐えられない――風花の親は、そういう弱さを持つ大人だった。見舞いにもほとんど来ない。治療費だけ払ってはいるが、それだけだ。

 風花は二十歳まで生きられないと宣告されていた。事実、藤俐と同い年なのだか、風花の学年は一学年下になる。出席日数不足で留年してしまったのだ。それでも死ぬまでは普通に学校に通いたいと、いつ死ぬような発作が出るかわからないような状況で、それでも相当無理をして通っている。正直それがいいことなのかどうか、藤俐にはわからない。だけど風花が望むなら、それを叶えるのも一つの接し方なのだろうとは思う。

 だけど少女自身はそんな(したた)かさを持っているのに、その両親が持つ弱さに苛立ちを覚える半面、共感を持っている自分もいて、正直藤俐も風花をどう思っているのかはよくわからない。

 ただ、風花が藤俐の《願い》の根源にいることだけは、確かだ。

 ポンポロロンと風花のスマートフォンから着信音が鳴った。チャットアプリの着信音だ。

「ちょっといい?」

 律儀に断りを入れてから確認する。無言でスマホを取り出してチェックするのが藤俐の周りでは普通なので、風花はそのあたりは丁寧だった。風花は基本的に誰に対しても態度を変えない。家族だろうが医者だろうが藤俐や友人だろうが、――風花に無意味な悪意を持つ奴に対しても。

 画面を見た風花の顔が曇った。

「藤俐、何か忘れていることない?」

「……ないけど?」

「そう」

 言葉少なに返事を打ち返していく。藤俐も特に気にしていなかったが、ブォン、と今度は藤俐のスマートフォンが震えた。画面を確認する。

『フーカがサオと連絡を取っている』

 ロシアンブルーのアイコンの横に出た一文を見て、藤俐の思考が一瞬止まった。

『いつからだ?』

『履歴を遡っているけど、以前から知り合いだったみたいだ』

 チャットでラディと対策を練る。知り合い? いつからだ?

「なあ、いいニュースか悪いニュースかよくわからないニュースか、とにかくニュースがあるんだが」

「ええ? 藤俐がそんなこと言うなんて珍しいね」

「同好会に希望者が出てな。雨宮紗緒って言うんだが」

 すると、風花は目を輝かせた。

「そっか! やっぱり紗緒、来たんだね!」

 ――風花の喜びの声が、藤俐の裡で暗く変わる。

「知り合いか?」

「うん。親友だよ」

 おくびもなく言い切る風花は、屈託がない。

「ねえ、紗緒がここに来たいって言ってるんだけど、いいかな?」

 いい、とも、ダメだ、とも言えなかった。風花は戸惑いの無言をイエスと捉えたようで、ケータイから電話をかけ、今いるこの場所の名前を告げる。


「風花さん! 先輩!」


 わかってはいた。覚悟はしていたつもりだった。

 それでもどこかで、人違いであってほしいという甘えた希望を抱いていたのも事実だ。

 そんな甘えは、《ゲーム》で通用するはずもなく。

 雨宮紗緒は、現れた。

「紗緒、久しぶりだね!」

 制服が似合うとか、風花と親しげに楽しく会話する様子を見ていると、日常が浸食されていくような不快感が生まれていく。

「あ、藤俐先輩! 昨日ぶりですね!」

「ちょっと来い」

 そして藤俐は、最悪の失敗をしてしまう。


   †


「……っ!」

 雨宮紗緒を部屋から引っ張り出し、非常階段に無理矢理押し込む。

 壁側に押し付け、壁に手を押し付け、逃げないように、逃げられないように。

「あ、これ噂の壁ドンですか!? わ、わわわ!?」

 シチュエーションに舞い上がっている。ように見える。

 だけど、それは偽物の反応だと、藤俐にはわかった。

「……何で風花を知っている?」

 ダメだ、と理性が忠告する。それなのに視界が赤くなることが抑えられない。声が低くなるのが止められない。

 少女はそんな藤俐の反応をまるでわかっていないかのように、首を傾げた。

「いやあ、偶然ですね。びっくりしまし」

「いつからだ?」

 ポケットからツールナイフを取り出し、刃を?敵?の喉元に向けた。

「俺は元から偶然を信じる方じゃない。けどこんな状況、誰だって偶然だと信じるわけがないだろ」

 向けてしまった。

「…………」

 本当に、見た目は何もわかっていない、ただの女の子にしか見えない。どこか庇護欲を掻き立てる、無邪気さと無防備さを孕んだ(かお)

 だが、藤俐の敵意と焦燥に反応したかのように、少女は天使のような、どこまでも透明な微笑を浮かべた。

「後で風花さんに聞いたらいいと思いますよ? 《ゲーム》に関することは、何も話していませんから」

 それよりも、と少女は話を変える。

「このナイフは、どういう意味ですか? わたしと、敵対する、と?」

「お前が風花を巻き込むなら、」

 それでも、と言葉を続けようとして。

 藤俐は完全に硬直する。同時に直感で分かった。

 ――失敗した。

「風花さんが大事なんですね。そんなに冷静さを失ってしまうぐらい」

 声色はむしろ愛しさが宿る。熱のこもった甘さすら込められていた。

 だが気配は、凄まじい敵意と殺意に完全に塗り替えられている。

「判断を間違えてしまうってわかっているのに、我慢できなくなるぐらい、大事なんですね」

 藤俐は動けない。

 天使のような微笑を浮かべているのに、なのに瞳だけは、

「いいなあ……羨ましいなあ……」

 嫉妬が、羨望が、憧憬が、愛が、欲望が、

 敵意で掻き混ざり、混沌とした闇色となって、藤俐を貫いていく。

 血と蜜を混ぜて水で薄めたような蠱惑的な熱情が、藤俐を覆っていく。

 同時に広がっていく、あのおぞましい、死の気配。

「もし風花さんがいなくなれば、わたしは風花さんに替われるのかな?」

 殺意に欲情しているかのような熱情に、死そのもののようなおぞましい気配に、藤俐は動けない。

 少女は唇を舐める。

 体勢では追い詰めているのはこちらなのに、少女の静かな激情に完全に追い詰められている。

 少女はナイフの刃の部分を握りしめた。反射的に引こうとして、でも少女の手を流れる赤いものを見てしまい、更に動けなくなる。

 少女は掌が、指が傷つくのを一切構わずに藤俐の腕ごとナイフを下に引く。躊躇いを無視して少女はもう一方の掌で藤俐の頭を包み込むように抱き寄せて。


 そのまま、唇が重ねられた。


「――――!?」

 少女は目を閉じて、激情に幕を下ろしたかのように遮断している。

 藤俐が恐怖からの硬直、それを塗り替える程の驚愕から我に返るのに、二秒強を必要とした。

「……っ!」

 藤俐は自分からナイフを手放し、壁を押し出す勢いでようやく少女からわずかではあるが距離をとれた。

「何、をっ」

 混乱する頭が情けない。

 だが言葉を発することができたことで、少女の激情が消えている――藤俐から見て、完璧に隠されたことに気付いた。

 少女は先ほどの蠱惑的な微笑とは程遠い、人間らしい苦笑を浮かべてくる。

「ダメですよ、簡単に女の子との約束を破っちゃ。だからちょっと脅かしちゃいました」

 大丈夫ですか? 

 そう訪ねる上目遣いの瞳は、最初に部室に来た時と変わらず、どこかおどおどとした、庇護欲を掻き立てるもの。

「実はわたし、今のがファーストキスなんです。……これぐらいはいいですよね?」

 だけど今のは間違いなく現実だったと、不安げに訊ねるその手にはナイフが、喉元には小さな傷が、赤を帯びて残っている。

「風花さんを巻き込むつもりは、ありませんよ。それだけは安心してください」

 穏やかな微笑は、何も知らなければ誰もがきっと安心を覚える類のもので、たった今みせた激情を知っている藤俐は、そんな微笑をすぐさま平然とできる少女に恐怖を覚える。

「戻りましょう。風花さんが心配しますか、」

 何故か少女が言葉を詰まらせた。少女の表情が困惑に変わる。

「あ、えっと、覗く気とかじゃなくて」

「うわっ!?」

 意外過ぎる人物の声に、藤俐は思わず声を上げた。

継未(つぐみ)さん、あの、どこから見てました?」

「……壁ドンから?」

「全部じゃねえか」

 少女と藤俐からの両方の言葉に、丸顔にミディアムヘアのゆるふわパーマをかけているどこか年齢不詳の女性は、ごめんなさいごめんなさいと頭を下げた。

 緊迫した空気がそれだけで弛緩していく。

「えっとね、紗緒さん。そういうのはまだ早いと思うの、お姉さん。そういうのはね、結婚初夜にするものなの、わかる?」

 どこかほわほわとしたおっとりとした口調に現代にそぐわなすぎる価値観は相変わらずだった。

「はあ」

 少女も毒気を抜かれたようで、僅かに小首を傾げて困惑を表現すると、

「藤俐先輩、継未さんとお話ししたいことがきっとあると思うんで、口止めはしないので好きなだけ話しちゃってくれますか?」

 そう言うと、少女は先に戻っていく。

「待っ」

「藤俐くん」

 女性はあくまで柔らかく、それでいて有無を言わせない強い調子で、藤俐を制止した。

「紗緒さんは風花を傷付けないから。大丈夫だから、行きましょう」

 話さないといけないことがあるからと、舞形(まいかた)継未(つぐみ)――風花の三歳年上の姉はおっとりと、だけどはっきりと言い切った。


   †


 紗緒は先に戻ることにした。何を隠そう、継未を呼んでいたのは自分ではあったけど、正直最初から覗かれているとは思わなかった。継未は頭はいいがどこか天然ボケが入っており、時折非常に間が悪い。だが極端に争いを嫌うその性格から、自分が藤俐を挑発しすぎて本当に《願い》を潰し合うことにならないように抑止力として呼んだのは正解だった。あの独特のほわほわとした空気を生み出す才能はさすが姉妹だと思う。

 それにしても、好きな女の子の前だと簡単に激昂する藤俐の焦燥と敵意は――背筋にゾクゾクとくるものがある。

(ずるいなぁ)

 風花に危害を加える気は全く無いのだが、あの稚拙な紗緒への、敵への害意は、一瞬で激情と熱情が飽和してしまう。そのぐらいに、

(気持ち良かったなぁ)

 自分が他者とどうしようもなくズレているのは自覚している。人として、どうしようもなく残酷な《願い》を叶え、叶え続けている以上は、ずっと相容れることはないだろう。

 だからもうしばらくは取り澄まして、激情も熱情も敵意も殺意も、《ゲーム》のプレイヤーにしか、駆け引きとしてしか見せるつもりはなかったのに。

 でも、理解っていた。

 雨宮紗緒は、本当に伏見藤俐が大好きなのだから。

 その彼に、どんな種類の感情であれ、強く強く紗緒に向けられたら――自分の感情は簡単に引っ張り出されること。

 もっと我慢強いかと思っていたが、思っていた以上に自分は藤俐にぞっこんらしい。

 ピリ、と左手から痛みが走る。

 治そうかと思ったが、すぐに却下した。ついでに奪ってしまったツールナイフと、喉元の小さな痛みと同じく、彼からのプレゼントだ。じっくり付き合っていこう。

 滴り落ちる血液を、唇に塗っていく。

 衝動って怖いなと、少しだけ思った。

「本当にファーストキスだったのにな」

 もう少しシチュエーションが整っていたらと少しは思う。だけど、唇の血の紅を舌先で味わっていくと、そんな僅かな不満が掻き消えるほどの、感じたことのない幸福感に包まれる。

 思い出すのは、目の前にいる自分を敵として認識していたにも拘わらず、こんな僅かな傷を与えただけで躊躇と後悔の入り交じった戸惑いと恐怖に満ちた無表情を浮かべる、大好きな人の姿。

(あれは駄目ですよ、先輩)

 全てを奪いたくなってしまう。先輩の心も身体も、《願い》も《絶望》も全て――

 自分がこれだけ他人に執着するのはきっと彼が最初で最後だろうと、本気でそう思えた。

 ふう、と意識的に息を吐く。

 やっと同じ舞台に上がれた。ならもっともっと愉しく踊らなければ、勿体ない。

 ただでさえ、《ゲーム》というとても面白い舞台があるのだから。

 藤俐が何を選び、何を切り捨て、何を知って、何を傷つけ、それでも前に進もうとするのか、立ち止まり迷うのか、諦めるのか。

 その繰り返しの取捨選択の果てに、藤俐は何を得られるのか。

 今の紗緒の望みは、だたそれを見届けたい。それだけだ。それだけでいい。

 それは藤俐の傍にいれば、充分叶うものなのだから。

 そのためにはまず、紗緒の力とプレイスタイルを藤俐に理解してもらう必要がある。自分は有用であると見せなければならない。

 既に種は蒔いてある。プレイヤーは近いうちに自分達と戦うだろう。

 その時は紗緒も、プレイヤーとして、一切手加減なく《願い》を蹂躙し、プレイヤーの最後の支えである《願い》の象徴である《討伐案内者(マスコット)》を奪い、徹底的に相手の心を折ろう。

 その時が来るのが想像するだけで愉しくて、紗緒は喉の奥をくつくつと鳴らしていたことに気付いた。風花になくて、紗緒にあるもの。《ゲーム》での関係は、親友であっても共有する気は一切なくて、だから紗緒は絶対に隠し通そうと、そう決めていた。

 一旦咳払いし、紗緒は親友の病室に戻る。扉を開ける前には、もう普段の表情に戻っていた。


   †


 藤俐は継未と共にホスピスと併設されている喫茶店に寄った。

「それは藤俐くんがいけないよ」

 話をすべて聞かせると、案の定という感じでお花畑な言葉が返ってきた。

「連絡もせずに待ち合わせをすっぽかしたら、怒っても仕方ないと思うよ」

「あんたそれ、敵に対してもそう思うの?」

「でも紗緒さんも女の子なんだよ?」

 藤俐は内心、頭を抱えた。風花の姉というのを除いても、特に恋愛観において価値観が全く違いすぎる。白馬の王子様を本気で夢見てるようなお花畑な思考は藤俐には不可解だ。藤俐からすれば全く情報が集まっていないのにわざわざ相手のペースに乗る方がどうかしているとしか思えないのだが、継未は『デートをすっぽかした』と斜め上に旋回した発想をしたらしい。少女との関係を知らなかったというのもあるが、こうなると思ったからあまり頼りたくはなかった。

「雨宮とはいつから知り合いなんだ?」

 さっさと話を戻すことにした。

 継未もこの《ゲーム》のプレイヤーだ。といっても、争いを極端に嫌う小心さと優しさと天然さで、藤俐と同じく勝利した経験は、知る限りではない。

 継未の《願い》も勿論知っている。『妹の病気を自分が代わりに引き受けたい』という、おそらく大事な人が病気になったら誰もが思うであろう、ありふれた《願い》。

 だが生命に関わる部分は《ゲーム》でもかなり難しい〝賞品〟らしく、完治はできなかった。風花の心臓の痛みを軽減すること、致命的な発作を起こさないようにすることと引き換えに、継未の心肺機能は極端に落ちている。だけどそのおかげで、風花は学校に通えるまで回復したのだ。そうでなければ学校に通うなんて無謀なことはできるわけもなく、病室でスパゲッティ状態になっていただろうと思う。それでも寿命は変わらないらしいが、殆どの《討伐案内者(マスコット)》はそこまでが限界だろうとラディは言っていた。《討伐案内者》の性質によって得意不得意な《願い》はあるらしいが、継未の《討伐案内者》はその中でも治癒に向いている方だったとのことだ。

 そういった経緯もあって、継未のことはプレイヤーとしても風花の関係者の中でも、一番信用していると言っても過言ではない。さらに言うなら、本人の性格が夢見がちな天然ということもあって、嘘をまともにつけるとは思えないというのもある。

「紗緒さんが中学二年の時。風花とあなたが三年生だったころなんだけど」

 ちょうど話の転換といったところで、店員がナポリタンにカレーにピッツァにカプチーノにパフェにチーズケーキにと、注文したものが机の上にずらずらと並べられた。見ているだけで胸焼けがしそうだが、いつもの事だから藤俐も無視する。

 通常の生活に問題はない程度にとは言え、心肺機能が低下した上に『二人分の生命の維持』ということで、極端にカロリーを必要とするらしい。これでも今日は少ない方だ。ただ風花が言うには、昔から継未は食べることが好きだったようなので、正直どこまで副作用なのかよくわからない。

 そんな割とどうでもいいことを考えていることに気付かず、継未は本当に嬉しそうに食べ始める。

「あ、紗緒さんの話だったよね」

「まあ、あんたのペースでいいけど」

 食べている時の幸せそうな顔を見ていると、先ほどまで張りつめていた緊張がバカバカしくなってきた。

「出会ったのは紗緒さんが中学二年の時なんだけど、プレイヤーと知ったのは三年生になってから。紗緒さんと風花は一年違いの友達で、仲良くしてたみたい」

 食べ方はマナーに忠実で丁寧で綺麗な食べ方だった。舞形の家族は裕福で穏やかではあったが、おそらく藤俐と同じ時期から変わってしまった。両親は風花と向き合えなくなり、継未は一番向いていない性格であるのに《願い》の潰し合いという過酷な《ゲーム》のプレイヤーになった。

 きっと、風花が空を飛んだあの時から。

「正直なところ、紗緒さんについてはよくわからないの。風花と仲良くしてくれてるのは確かなんだけど、ほら、あの性格だから」

 思考が途切れた。人の悪口を言えない継未は言葉を濁したが、藤俐は察する。

「《ゲーム》上ではあんたと雨宮はどういう関係なんだ?」

「敵対はしていないの。私のスキルは治癒だから、紗緒さんが必要な時に治癒する代わりに紗緒さんにジュエルをもらってる。紗緒さんも私を守ってくれてる。私のスキルは奪うより私が使う方が上手くいくから。あと多分、風花の為にも」

 最後の言葉は曖昧だった。沈黙の隙間を埋めるように、継未はひたすら食べ続ける。

「藤俐くんは紗緒さんのこと、嫌い?」

「好きになれるか」

 あんな厄介なのは《ゲーム》に関係なく絶対ごめんだ。

「そう。でもね、プレイヤーとしては絶対強いから。すごく強いの。……怖いくらい。それに、紗緒さんは本当に藤俐くんのことが好きだから。でもね、紗緒さんにとって藤俐くんは白馬の王子様だから。運命の(デスティニー)だから」

「マジで止めろキモすぎる」

 ぞわっとした。こいつ本気でそう言ってる。

「運命とか偶然とか、そんな言葉が一番嫌いだ」

「でも、あると、思う、よ?」

 何故かカタコトで答える。継未は強く言われると萎縮してしまうタイプだ。幼少のころから慣れている藤俐に対してもこれなのだから、箱入りもいいところだと思う。悪い男に一番引っかかりそうなタイプだ。

「俺は雨宮のこと知らないんだけど、きっかけとか知ってるのか?」

「それは知らないの。教えてくれた人、とだけ言っていたけど」

 教えてくれた人? 何をだ。

「あのね、紗緒さんと敵対することだけは、止めてほしい。無理なお願いかもしれないけど……紗緒さんは傷つけることを、躊躇わないから……」

「俺が負けるのを心配してくれてるのか?」

「それもあるけど、それだけじゃないの」

 継未は手を休め、目を伏せる。それ以上は話す気はなさそうだった。

「雨宮の能力は知っているか?」

「…………」

 初めて、あからさまに沈黙が落ちた。

「ごめんなさい。私からは、言えない。紗緒さんは何を言ってもいいって言ってたけど、それは私が言えるわけがないのをわかっていて言ってるから」

「脅迫か?」

「……違う。その理由も、言えない。ごめんなさい」

 それ以上は何を突いても出そうになかった。

 もっと問い詰めることはきっとできる。だけど、風花の姉という立場じゃなくても、継未は優しすぎる。何より藤俐が信用している数少ない人物なのだ。

 他のプレイヤーの情報は確かに貴重で、だからこそ継未が今まで言わずこれ以上も言えないということは、相応の事情があるということで。

 だから甘いと言われても、これ以上追及する気にはなれなかった。

「そっか。ありがとう」

 立ち上がる。これ以上風花とあの少女を二人きりにさせるのは怖かった。

「藤俐くん、あの」

 いつの間にかチーズケーキを食べながら立ち上がっていた。その皿を机に戻せと言いたいが、黙って聞く。

「紗緒さんのこと、真面目に考えてあげて。風花の為にも」

「善処するよ。その皿さえ置いてくれたらな」

 それだけ答えた。継未は初めて食べながら立ち上がっていたことに気付いて、恥ずかしそうに座る。

 思い出す。先程の非常階段でのやり取りを。

(もしあいつが本気だったら)

 負けていた。それ以外に想像できなかった。

 熱情も激情も敵意も殺意も、あれは本物だった。 

 ただでさえ、《ゲーム》は精神面がスキルの活用性に左右する。少女の実力は、おそらくあの激情が源となっている。

 その上で、激情を駆け引きに利用する狡猾さを併せ持っている。

(勝てる気がしない)

 もし、少女が今、本当に《ゲーム》をしていたら間違いなく、風花は利用され、藤俐は負けていた。少女が引いたのは、ただの気まぐれでしかなかった。それ以外に引く理由が考えられなかった。

 藤俐はただの気まぐれに、生かされた。

 次があるなんて、そんな都合のいい話がある訳がない。


   †


 紗緒は風花の部屋に戻る。

「紗緒? 大丈夫?」

 風花が心配そうに、こちらを見ていた。

「え? ええ」

 その意味を理解して、少しだけ申し訳なく思う。風花は紗緒を、本当に親友として大事に思ってくれている。

「そう言えば、継未さんが来ていましたよ」

「お姉ちゃんが? 今日は千客万歳だね」

「万来ですね」

 すぐさま訂正する。こうしたやりとりはいつもの事だった。

「藤俐先輩は継未さんとお話があるようで、多分しばらくは戻らないかなと思いますよ」

「またお姉ちゃん、食べてるのかな? 美味しくご飯を食べるの見てると幸せになるよね」

 そうですね、と紗緒は頷く。

「あまりうまくいってる感じじゃなさそうだね」

「そうですね、藤俐先輩は手強いです」

「仕方ないよ、藤俐は紗緒みたいな天然であざといタイプは嫌いだもん」

「あの、もう少し言葉を選んでほしいんですけど」

 苦笑する。風花は案外毒舌というか、言葉を選んでくれない。だけどその飾らない言葉も気遣いつつもハッキリ言う芯の強い部分も、紗緒は眩しく思う。

(これでいい)

 紗緒には本当に、風花を《ゲーム》に巻き込むつもりはない。藤俐への感情とは全く別のベクトルで、風花が紗緒を大事にするように、風花を親友として大事にしているからだ。

 左の掌と指にできた傷がピリピリと痛む。風花の言葉が心を《ゲーム》から日常に戻していく。その相反する感覚が心地いい。

 ずれている、とはっきり思うのがこういう時だった。


 ――此処に、わたしはいない。


 しばらく他愛ない会話をしていると、藤俐が戻ってきた。表面上は先ほどの稚拙な激情は見られない。二の轍を踏む気はないらしい。少し残念に思ったが、風花の手前表情には努めて出さないでおいた。

「お姉ちゃんは?」

「喫茶店でまだ食べてるよ。またダイエットとか言い出すんじゃねえの?」

「お姉ちゃん、太ってないけどね。顔が丸いだけだと思うんだけどな」

「それが嫌なんじゃないですかね? 風花さん、それ継未さんに言ったらまた泣きますよ」

「面倒な性格だな、本当」

「でも風花、お姉ちゃん大好きだよ」

「それはわかります。ほんわかしますよね」

「し過ぎて眠くなる時があるけどな」

「あるある。お姉ちゃんってきっと、前世は日向ぼっこしていたおっきな猫だと思うな」

「おっきなを言うとまた傷つくと思いますよ、継未さん」

「なんで? おっきな猫、可愛いよ」

 やはり継未を呼んでよかったと思う。共通の知り合い(家族)というのもあるし、継未の雰囲気は自然と周りを柔らかくさせる。風花にも共通する、独特の包み込む雰囲気はその場にいなくても話題にするだけでほんわかさせる。

 だが藤俐は紗緒への警戒心から無意識だろうか、風花の頭を撫でる。よくわかってない風花は、それでも無意識に自然と身を委ねている。

 藤俐がこちらを観察しているのがわかるが、藤俐こそわかっているのだろうか。

 風花が頭を撫でさせるのは、藤俐だけということに。

 幸せそうな風花の微笑は紗緒がその気になりさえすれば一瞬で壊せるものだということには気付いておいて、その根源はどこから来ているのか気付こうともしないのは、好きな人とはいえ、少しどうかなとは思う。まあ風花も風花だとは思ってはいるけど、自分はそこまで親切じゃない。

 だから曖昧に、思わせぶりに微笑を返すだけにとどめておく。

 風花を撫でる藤俐の目に、姫君を守る騎士のような覚悟を見て、藤俐と風花に対する感情が、ちくちくちくちくと刺激され、それをいつ爆発させようかと考えるのが、あまりに愉し過ぎて――それ以上は、だから考えない。今はまだ。

『明日の放課後、部室に来い』

 短いメール文が、紗緒のケータイに入っていた。

 アドレスは登録されていなかったが、誰から来たのかはすぐにわかって、だから紗緒は、そのメールを保存した。



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