皇帝竜と魔女のヤクソク 後編
「あれから十三年、ですね」
在りし日の出会いを思い出す。あれから、エルルは少しでも母の負担を減らそうと一人で歩き、迂回した凍土で出会ったセルシウスを従えた。
当時は私もセルシウスも従うつもりは無かった。人間の世界に辿り着き、最低限の協力として衣食住の手伝いくらいはした。
その間に何があったかはわからないが、セルシウスはエルルと契約を交わし、家族となっていた。
私は誰にも従うつもりがなかった。だからずっとカードの中で傷を癒すことに集中していた。
ある日、突如としてエルルの手により私は外の世界に顕現した。
話を聞く限り、王都を襲う兵士たちを追い払って欲しいと。
私は断った。その程度のことで私の力を使うでもないと。
だが、私を封印した魔法使いの拘束力は尋常でなかった。私も抵抗したが、結局のところ、私の力で敵の兵士たちは逃げ出した。
それが過ちであったと気付かずに。
次の日、毎日笑顔で通っていた学院から、エルルが泣きながら帰ってきた。
その次の日も、泣きながら帰ってきた。
母親に悟られないように、必死に誤魔化していた。
次の日も、次の日も、次の日も。
どうして泣いているかはわからなかった。聞いてみても、エルルは答えようとしない。なんでもないと気丈に振舞っていた。
後にセルシウスから、群れの中で孤独に追いやられていると聞いた。エルルの力を恐れ、排除されていると。
あの日、我を使役した結果であるという解に辿り着くことは出来なかった。
『気付いているのだろう、ケーラ』
『あら……なにかしら?』
母親は、ケーラ・スペルビアは病に侵されていた。
ここ最近王国を中心に広がっている流行病だ。
ベッドの上での生活が中心となり、まともな生活も送れないほどに。
仕方無しに人の身を偽って家事をこなす。セルシウスが笑っていた。黙れ。
思えばこの時、私はケーラに同情していたのだろう。
彼女が罹った病が、手の施しようが無いものとわかっていたから。
少しでも症状を抑える薬もあったはずだが、彼女はその薬を買うことすらせずエルルの『これから』のために残していた。
何故、と問うと、必要だからとしか答えなかった。
エルルが泣きながら帰ってきていることに、彼女は気付いているようだった。
でも、ケーラはエルルをあやすことはするが理由を聞こうとはしなかった。
何度も何度も、いつか報われる日が来ると、受け入れてもらえる日が来ると慰めていた。
『ハムさん、お願いがあります』
あくる日、真剣な顔でケーラに言われた時、既に彼女の頬は痩せこけていた。
もう手遅れなのだな、と感じた。
『エルルを、お願いします』
『断る。薬ならば奪えばよい。貴様がエルルを守るのだろう?』
『そうね。……そう、したいけど』
わかっている。手遅れだと。柄にもなく、日々やせ細っていく彼女を見て焦っていた。
長く居過ぎた。故に情が移ってしまったのだろう。
力なく私に手を伸ばすケーラの手を、掴む。
あの日、私のブレスからエルルを守ろうと強く抱き締めていた手とは思えないくらいに、細かった。
暖かくもない。体温もほとんど感じられない。
『私はエルルを生んでからずっと、あの子の魂に魔力を与え続けてきたの。ハデスが覚醒しても、あの子の魂が飲み込まれないように。……それももう、限界なのかしらね』
出会ってからずっと、出会う前からずっと、ケーラはエルルを守るためだけに魔法を使い続けてきた。
不可解だった。三年ほど共に過ごしても、何故自らを省みず、命を惜しまずそれだけのことが出来るのか理解できなかった。
『何故だ。何故そうまでしてエルルを守ろうとする』
『親だからよ』
ケーラは何度もそう答えていた。
親子という概念を、家族という群れを知らぬ我には、理解できない。
『理解できん。理解できん。何故貴様ら人間は自分以外を守ろうとする』
『そう、ね……人間、だからじゃないのかしら』
『理解できない言葉よ』
『……そうね』
掴んだ手は、まだ離されていない。
『ハムさん。エルルを……お願いします』
知りたくなった。どうしてそこまで強く想えるかを。
かつての我は、不意を突かれたとはいえ五歳にも満たぬエルルに敗北した。
あの時のエルルもまた、自らよりも母を守ろうとして力を振るった。
『……わかった。わかりました。貴様の最後の願いとして。かつて我に唯一意志の力で勝ろうとした者に敬意を払い、その言葉と契約しよう』
片膝をつき、弱弱しい彼女の手の甲にキスをする。
もうすぐエルルが帰ってくる時間だ。今日もきっと泣いて帰ってくる。
それはどうしようもないことだ。辛いことかもしれない。
でも、この女性は娘の強さを信じている。私がエルルに協力してくれると信じている。
人間の意志は、かくも不思議である。自らよりも優先する者がある。その感情を、理解したくなった。
数千年を生きた我が、初めて人間に興味を持った。
頭を下げる。この感情を知るために、我は、私として、エルルを守ろう。
彼女を守り続けていれば、いつかケーラが抱いた気持ちを理解できるかもしれない。
ケーラが亡くなったのは、それから三日も経たない頃だった。
心を休める暇も無く、家が焼かれた。
エルルを、エルル様を守りながら、私たちは森へと逃げた。
廃屋を直して住み込めるようにした。
泣きじゃくるエルル様が少し鬱陶しかった。セルシウスに全てを任せて、どうにか生活するための基盤を築いた。
多少非合法な手を使ってでも金を稼いだ。
エルル様と会話することが増えた。
あの家で暮らしていた頃より口数は減ったものの、私たちとは普通に話をする。
ずっと、ずっと、よほどのことがなければ森から外には出なくなった。
『エルル様、街にいかないんですか?』
意地の悪い質問だとはわかっていた。
どう答えるのだろうか。誤魔化すのか。泣くのか。友人がいたはずだが、どうしたのだろうか。
石が投げられるのが怖いというなら、私が守れば外に出られる。
罵られるのが嫌なら、姿を消して街を歩けばいい。
でも、エルル様の答えは違った。
『いいの。だってボク、いちゃいけないバケモノだから。だからずーっと、ここにいる。死ぬまで、ずっと』
……そこで初めて、私は後悔した。同時に、戦慄した。
ケーラに甘えていた少女の面影など微塵も残っていない。
ただただ自分を追い詰め追い込んで自虐し続けていた。
感情の込められていない笑顔は、此処まで不気味だったか?
そこで私は気付いた。
友を失い、失意のままに母を失い、家を失い、もう心が限界なのだと。
任されたはずなのに。エルル様の未来を守ると。
なのに、なのに、なのにっ!
エルル様自体が、未来を諦めてしまった。
そこで初めて、エルル様に頭を下げた。
心から、エルル様、と叫んだ。
絶対に、絶対に、絶対に。
『貴女に忠誠を誓います。貴女が望むことを叶えます。貴女の未来を守ります。だから……もっと笑顔を、見せてください!』
少しだけ、ケーラの気持ちが理解できた。
私の言葉に微笑んでくれたエルル様が、どれほど愛しいと、守りたいと思ったか。
ハデスとのことなど関係ない。
エルル様が幸せを掴むまで、私は彼女を支える。
亡きケーラとの契約だけではない。私自身の意思として。
母を失ったあの日から、心はずっと死んでいて。いっそ消えてしまいたいのにそんな勇気ももてなくて。
そんなボクを、支えるって言ってくれた。
笑顔を見せて、と言ってくれた。
ずっとずっと、守ってくれるって。
お母さんの言葉が、真実だって示してくれた。
大事な大事な、ボクの家族。




