エルルとしての人生を
「ようやく自分に素直になれましたね。ハデス」
「え? え? て、テュポン……?」
寂しいし名残惜しいけどこのままでいるわけにもいかず、ユーゴくんと離れる。
触れ合ってない場所が急に冷え込んでしまった気がして、彼の袖を掴む。
もっと抱きつきたい。腕に飛びつきたい。彼の逞しい胸板に頬ずりしたい。
もっと触れ合いたい。キスしてほしい。ユーゴくんを求める感情が暴走しそうだ。
ボクたちの前に姿を見せたテュポンは、どこかいつもと雰囲気が違って見えた。
意識を失ったクルルを背負い、優しい顔色でボクを見ている。
「違うよ。私だよ、ハデス。長い間に飛ぶことも話し方も忘れてしまったのかい朴念仁」
「……し、シン……?」
その話し方も、ハデスに唯一悪態を吐けるのも、間違いなくシンそのものだ。
見た目はテュポン、お父さんそのものである。感じる魔力もお父さんのものである。
なのに、中身がシン? どういうことなんだろう。
「テューホーンはケーラを失ってからずっと研究を続けていた。一人であることを選んだ自分が、何をすれば君に忠誠の証を立てられるか。それこそが、彼が辿り着いた境地。己の魔力だけで時間軸に干渉し、死者を己の身に召喚する……ほんと、執念だけでこんな魔法を造ったんだから末恐ろしいよ」
「分かり易く説明して?」
「彼の身体に憑依しています」
「ありがとう君はいつでもそうやって長ったらしく話をするよね」
「そうでもしないとしつこく聞いてくる神様がいたからですね」
「あはは」
「ははは」
「落ち着けエルルなんか怖いから!」
……夢みたいだ。テュポンの身体であるとはいえ、ボクの目の前にシンがいる。かつて語り明かした唯一のボクの理解者がいる。唯一ボクと対等でいてくれる友人がいる。
ボクが死んでからも守り続けると、敬愛すると誓ってくれた人がいる。テュピンたちのご先祖様だ。ボクの親友だ。
「……クルルは」
「意識を失っているだけさ。さすがに少女の体躯で私との殴り合いでは一方的になるだけでね。さささっと意識を奪わせてもらったよいやーこの子も強いけどこの身体が高スペックすぎてむしろ手加減するほうで精一杯だったよむしろ君みたいな小さな身体が羨ましいよこの身体は正直ムキムキすぎる」
クルルは身体能力こそ人並み程度だけど、身体強化の魔法を使っていれば肉弾戦も決して不可能ではない。
むしろ黒の力を使って自分で戦うクルルだ。肉弾戦であり近接戦闘であればかなりの実力があるといっても過言ではないのに。
それでもシンは軽くあしらってみせたのだろう。自分が傷を負わず、クルルの意識だけを奪うなんて相当の実力差がなければ不可能だ。
……さりげなくテュポンの身体にケチを付けている。確かに過去の彼は痩せ型だったしテュポンほど筋肉もついていなかった。
それでも彼は類稀なる才能で身体強化の魔法を重ね掛けして、ボクに勝るとも劣らない実力を持っていた。
「君はどうするんだいハデス」
「え」
「どうするのかと聞いてるんだよハデスとして生きるのかその身体が滅ぶくらいまでは人間として生きてそこの彼とイチャコラよろしく一千年たまった愛情押し付けまくってらぶらぶあはーんな暮らしをしたいのか」
……ここまで口悪かったっけ?
でも、シンの言うことも最もだ。ボクはボクの望みを叶えてくれたユーゴくんと、傍にいたい。
ハデスとしてではなく、エルルとして。
「ハデス様っ!?」
「逃がすか――」
衝撃と共に階下からティオとハムちゃんが飛び出してきた。どうやらまだ戦闘中だったようだ。
……というか真っ先に脱落したと思ってたけど、ティオがハムちゃん相手にここまで戦えるとは思ってもいなかった。
案外強かったんだね、ティオ。いやテレサとかテュポンが当たり前のように強かったからそこを基準にしちゃっただけでティオが弱いとは思ってないんだけどね?
「役者が揃うようだほら聞こえてくるだろ足音が。この世界で君の味方になってくれる私の子孫だ」
「……テレサ」
「あーいてててて……大丈夫ですか、ハデス様」
階下から様子を伺っていたのだろう。階段を昇りながら声をかけてくる。
もう素顔を隠すつもりはないようで、どうやらユーゴくんに兜を壊されてしまったようだ。
「ハデス様? ……ああ、エルル様、でいいのかな?」
「……うん。そうだね、テレサ」
テレサにはもう見抜かれてしまった。ボクがハデスとしてではなく、エルルでいることを望んでいることを。
ボクたちの存在に気付いたティオとハムちゃんが戦いを止める。何が起きているのかを理解できていない二人は、手を繋いでいるボクとユーゴくんを見て目を白黒させていた。
今この場に、この戦いに関わった人たちが揃っている。防衛線で戦っているリフルちゃんやせるちゃん、クロエさん。氏族の当主たちを除いてだけど。
「ボクは……」
「その前に。そろそろ私は限界のようです。さすがに時間軸への干渉に必要な魔力は桁違いすぎて如何にテューホーンといえど長時間は不可能のようですねさすが私の力が分かれた一部だらしがない昔の私だったら七日ほど維持できると思うけど後世の人間にそこまで求めちゃダメですよねああもう時間だやれやれ時間ださてはてハデスがどういった答えを出すか見たかったんだけどなぁー仕方ないあとはテューホーンに任せるとしますかおやすみ」
「……ああ。お休み、シン」
「お休みハデス。いつか、来世で」
「うん」
「っ……!」
シンの身体から力が抜け、よろめいて倒れそうになるのを意識を取り戻したテュポンが堪える。
死者の召喚なんてボクですらできないことをやってのけたからか、額に玉の様な汗をかいている。
髪をかきあげながら、周囲を見て状況を確認する。
「……どうやら、答えが出てしまったようですね」
ボクを見て、嬉しそうな、悲しそうな表情を浮かべた。
クルルを床に寝かせ、力なく地面に座り込むテュポン。
ようやく状況が飲み込めたのか、戦うことをやめてボクを見つめるティオとハムちゃん。
剣を背負って無抵抗をアピールするテレサは、どこか嬉しそうにボクを見ている。
ユーゴくんがボクの手を強く握ってくれる。ユーゴくんから少しだけ勇気を貰って、言葉を出す。
「……冥界七氏族の当主たちよ。ボクは、この時代にてようやく望みを叶える事が出来た。
ボクを心の底から愛してくれる存在が、此処にいる。ボクが求めた愛を注いでくれる人が、此処にいる。
ボクは……せめてこの身体が朽ちるまで、エルルとして……生きたい。身勝手で我侭で君たちを裏切ることになるのはわかっている」
それでも。それでもボクは、エルルとして彼の傍にいたいんだ。
彼に愛してもらいたい。彼を愛したい。ずっとずっと抱いていた愛情を、抑えられる自信がない。
テュポンたちにボクの願いを断られたらどうしよう。不安しかない。彼らはハデスを求めて自分たちの文化を守り育んでいった。
その神が一時でも此処から去りたいと願ったのだ。普通ならば拒む。
「……それが、今のお前の幸せなのか。エルル」
「お父、さん……?」
「……今だけでも。今この瞬間だけでも。アワリティアでもなんでもない。一人の父親として……お前の幸せを望んでいる」
力なく微笑むテュポンは少し疲れたような表情で、眠っているクルルの頭を撫でる。
その目は誰の目から見ても、優しい父親そのものだ。