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苦手な方はご注意ください。

【FRE×脱出不可能】 “異例 irregular & exception„

作者: 九条智樹

 風雷寺悠真先生の『脱出不可能』の二次創作であり、拙作『フレイムレンジ・イクセプション』とのクロスオーバー作品となります。

※両作品のネタバレ等を含みます。

 目を覚ますと、そこは見知らぬ公園だった。


「…………どういうことだ?」


 ベンチ、遊具、公園の外の街並み、歩く人々。

 辺りを見渡してみても、知った風景は一つもない。

 何が起きているのか、と神代睦月こうじろむつきは自分が寝ていたベンチから立ち上がり、公園の端まで歩いてみる。

 変わらず、見たこともない街が広がっていた。


「俺はいったい何をしていたんだ……?」


 こんなところに来て公園で寝ていた、という自分の行動の理由が分からない。だが、思い返してみてもその前の記憶が見当たらない。


「普通に、皐月さつきと挨拶をして寝た――ような気がするんだが」


 曖昧だが、だいたい毎日がそんな感じだ。たまに無人島に放り込まれたりガレージの中に閉じ込められたりもするが、平常ならどこの家庭とも大差はないだろう。


「……分からないときは、とりあえず身体を動かしてみるに限る、かな」


 ひとりごちて、神代はそのまま歩き始めた。

 どういう訳かは思い出せずとも、適当に歩けば駅の一つや二つは見つかるだろう。そこから電車で帰ればいい。

 直感の赴くままに神代は歩いて行く。

 辺りを見渡せば、どこにでもある住宅街だった。ただ、どこか真新しさがある。アスファルトもすり減っていないし、電柱も汚れていない。

 ――ただ。


「狭いな……?」


 圧迫感がある訳ではない。だが、どの道も車が入れ違うほどの幅はなかった。住宅街ならこんなものだろうか、とも思うが、違和感は拭いきれない。

 やがて、しばらく歩いて、神代は首を傾げる。


「駅もなければ、まったく坂もないし……」


 何かおかしい。そう思った矢先だった。


「壁……?」


 ぺたりと、行きついた先に触れる。

 空色の壁が目の前にあって、それはぐるっと街を囲んでいるようだった。ただペンキで塗りたくったとは思えない、精巧なトリックアートのような完璧な空の風景だ。


「何なんだ、いったい……?」


 訳が分からず、その壁に沿って歩いて行く。

 しばらく歩くと、何か、大きな穴のようなものがあった。


「階段と、スロープか」


 今までの狭かった道とは違って、今度はトラックが三台くらいは並んで通れそうな幅の階段があった。巨大な工場の入り口みたいな、そんな雰囲気だ。そこだけ妙に薄暗いのも、気にかかる。


「早く帰りたいんだけどな……」


 はぁ、とため息と共に文句を言って神代はその通路へ足を踏み入れた。頭に『二重人格の科学者』の影がちらつくが、流石に関係はないだろう。




 ――やがて。

 延々、三時間か四時間かけて、神代睦月はこの街をくまなく歩き倒した。

 歩き倒した結果、分かったことはいくつかある。

 一つ。この街は五つの階層ブロックに分かれていて、蟻の巣状に配置されている。隣接した階層はあの広い階段通路で往来が出来た。

 二つ。この街には電車やバスといった交通機関は存在しない。偶然ではなく、繁華街やそれ以外の階層でも道幅が極端に狭かったから、そういうことなのだろう。

 三つ。この街には大人がいない。どれほど歩き回っても、最年長は二十歳そこそこで、下は結構な子供もいるが、どれも兄や姉と呼べるような相手が保護者のように接していた。

 四つ。そして、これが一番大事なことなのだが――……


「出口がない、ということだ」


 はぁ、と神代は頭を抱える。

 これだけ歩き回って分かったことは、本当にここは閉鎖空間だと言うこと。他の階層に出口があるかもと思いきや、行き止まりの階層が一番上と一番下に一つずつあり、完全に閉ざされている。


「何なんだろうな、これは……」


 そもそも、こんな街を内包したような建物の話など聞いたこともない訳だが。


「考えられる可能性と言えば、これもまた『脱出不可能』の一環か……?」


 あのリアル型脱出ゲーム『脱出不可能』も、形としては遊園地のアトラクションから始まった。こうして街を丸ごと作ってしまうことも出来なくはない。実際、国内有数の遊園地はエリア内がほとんど街みたいになっている。

 だが、しかし。

 その経営者であった長門嘉月ながとかげつは、神代睦月との一騎打ちの後に行方をくらましている。それに、経営も順調ではなかったと言っていた。こんな大規模に街を造れるとは思えない。


「訳が分からないが、まぁ、やることは簡単だな」


 結局。

 ある程度情報を集めたところで、分からないものは分からない。

 それでも、なすべきことは初めから一貫している。


「この脱出不可能の空間から、脱出してみせようじゃないか」


     *


 九月の末日だった。

 東城大輝とうじょうたいきは、学校帰りの足で、ぶらぶらと地下都市ジオフロントの第0階層――繁華街を歩いていた。


「……で、何で私を誘った訳?」


 横を歩いていたひいらぎが、じとっとした目を東城に向けている。

 心なしか、怒髪天を衝くと言う訳ではないだろうが、その長い金髪がふわっと浮いているような気がする。――実際、発電能力者エレキノである彼女の場合、怒りで静電気が発生してこうなることはあり得る訳だが。


「何でって、学校帰りにプレゼント買うなら、女子の柊を誘った方がいいだろ? 白川しらかわとか絶対うるさいし、四ノ宮(シノミヤ)誘ったら白川も漏れなく付いてくるし」


「そうじゃなくて。他の女の人へのプレゼント選びを女の子に手伝わせるとか、どういう神経してんのかって意味なんだけど?」


「言い方に棘があるな……」


「そりゃそうでしょ」


 ふん、と柊が横でそっぽを向くが、東城としては苦笑いするしかない。

 こうして東城が柊と地下都市を訪れた理由は単純で、ある人への誕生日プレゼントを購入する為だ。地上でもよかったのだが、うっかり白川に見つかるのも嫌だったし、地下都市なら生活している柊も詳しいだろう、と言う判断だ。


「頼むから手伝ってくれってば。真雪まゆき姉が変に期待してて困ってんだよ」


 そして、そのある人と言うのが西條さいじょう真雪。つまり、東城の姉だった。

 今日の学校の終わりに、西條の方から呼び出されたと思えばいきなり「明日、おねーちゃん誕生日だから」なんて言われたのだ。弟くんのプレゼント期待している、とも。

 そうなれば、こうして急きょプレゼントを探さなければならないのだが、そういうセンスをあまり東城は持っていないので、アドバイザーは欲しい。だから柊に白羽の矢が立った訳だ。

 ――が。


「ふん」


 こうして不機嫌になってしまっていては、どうしようもない。


「……なぁ、機嫌直せよ」


「別に怒ってないし」


「……何か食べる?」


「お腹すいて怒ってる訳じゃないわよ?」


 ぎろっと睨まれて、東城は素直にホールドアップする。


「……はぁ。まぁ、アンタにそういう気の利いたことを要求するのが間違ってるわよね」


 先に呆れられて、柊がふっと怒気を消す。


「で。真雪さんへのプレゼント選びを手伝ったら、私にはどんな報酬がある訳?」


「……ついでにご飯食べて帰りましょうか。俺の奢りで」


「じゃあ、仕方ないわね」


 それでどうにか手は打ってもらえたらしく、柊の機嫌は直ったようだった。


「……なんだかんだでご飯じゃん」


「何か言った?」


「何も」


 キッとキツイ視線が飛んできたので、東城もさっと視線を逸らした。


「しかし、何かちょっと思い出すな」


「何を?」


「いや、初めて会ったときさ。まぁお前からしたら久しぶりの再会なんだろうけど」


「あー。七海ななみがアンタを殺そうとしてたとき? 何かあった?」


「いやあのときって、柊が結構イライラしてただろ。で、何かと思ったらお腹が減ってただけだった、みたいな」


「……私を食いしん坊キャラみたいにするのやめてくれない?」


 ぐぅ……。


「……先に食事にします?」


「今のは私のお腹の音じゃないわよ!」


「いや、でも……」


 ぐぅうきゅぅ……。


「だから違うって! たぶん他の――……」


 そう言って、ばっと柊が後ろを振り返ると。

 一人の少年が地面に倒れていた。

 一生で早々見ない光景に絶句していた柊だったが、東城の方は違う意味で絶句していた。


「……既視感すげぇな」


 ぽつりとそう東城は漏らす。東城としては某宝仙陽菜ほうせんひなとの初めての出会いがこんな感じだったような気がしないでもない。


「何の話してるかは私には分かんないだけど、とりあえず助けるわよ」


「おう」


 そう言って、柊に続いて東城もその少年に近寄る。

 見れば、中々に顔立ちの整った少年だった。ただ空腹で倒れていると言う間の抜けた状況であるのに、きちんと画になってしまうくらいだ。


「ねぇ、どうした訳?」


「朝から何も食べてなくてな……」


 うぅ、と呻きながらその少年はどうにか答える。


「ここ繁華街だぞ。好きな店に入れよ」


「財布を持っていない」


「っていうか、正直な話一日くらい何も食べなくても普通は平気だと思うんだけど」


「この街を隅々まで歩いたら、思った以上にカロリーを消費したらしい……」


「馬鹿じゃねぇの……?」


 たかが九千人しか暮らしていないこの地下都市と言えども、街一個だ。人の足だけで歩くのはなかなか厳しい総距離になるだろう。


「とにかく、ファミレスみたいなところ行くか。奢ってやるから」


「すまん……」


 ふらふらとした足取りの少年を連れて、東城は「また面倒事かな……」と少し不安を抱えたまま適当な飲食店へと向かった。


     *


「ごちそうさまでした」


 ぱん、と手を合わせて少年は挨拶をすませる。


「はいはい。――で、神代睦月、だっけ。お前、何でこんな街をぐるっと歩いてたんだよ」


「知らない土地は、とりあえず駅を探すものだろう? まぁ、駅はなかったけれど」


 さらりと放たれた言葉に、東城は驚愕に顔を染める。

 当たり前だ。

 この地下都市は、超能力者がその存在を知られることなく暮らしていく為に造った都市だ。故に、その出入りには瞬間移動能力者テレポーターを必要として、外界とは完全に遮断されている。


「マジで言ってる……?」


「この街が出られない構造なのは把握しているけど。どういう仕組みなのかは分からないが、田畑や牧場はなかったがこうして食事が出て来ているから、どこからか食材を搬入しているんだろう? 見知らぬ人間が入り込んでもそんなに驚くほどのことじゃないはずだ」


「驚くことなのよ、それが……っ」


 はぁ、と柊がその長い金髪をぐしゃっと掴んで、ため息をつく。

 そういった搬入も、もちろん瞬間移動能力者が関与している。迷い込むことなどあってはならない。


「……何かのミスか?」


「あり得なくはないけど、少なくともそう簡単に起こる話じゃないわよ。――で、えっと。神代くん?」


「くんは要らない。――で、何だ」


「何も聞かないで、何も言わないでいてくれるなら、元の街に戻せると思う」


「……案外、拍子抜けするほど簡単なゲームだったな」


「ゲーム?」


「あぁ、いや。こっちの話だ」


 神代は手を振って誤魔化す。少しは追及したい東城ではあるが、こちらも一般人には超能力の話を隠しておかなければいけない。


「それで、神代。あなたの住んでた場所はどこ?」


「あぁ、じゃあ――」


 そう言って、神代は街の名を告げる。――だが。


「どこよ、そこ……?」


「は?」


 少なくとも、柊も東城もそんな街は知らなかった。


「……調べてみたけど、そんな場所見当たらないわよ?」


「そんなはずは……」


 柊が突き付けたケータイを見て、神代が動揺する。嘘を言っている様子ではなかった。


「他に知っている町は?」


「大崩壊地区……。そうだ、大崩壊地区なら分かるだろ?」


「……駄目だよ、神代。俺たちはそんな街を知らない」


「そんな、馬鹿な……」


 神代は一人うつむいて「これもゲームの延長線上か……?」とぶつぶつ言っている。


「……なぁ、柊」


「言わないで」


「まだ何も言ってないだろ」


「どうせ既視感バリバリとか言い出すんでしょ」


 実際そうだった。

 ほんの一週間前のこと。

 東城大輝と柊美里は、とある事情で時間旅行をしている。八十年だか九十年だかの未来でひと暴れして戻って来たばかりだ。

 そのときも、こんな風に互いの情報の認識を整理するのが大変だった。


「神代」


「……何だ」


「情報の整理がしたい。――俺たちの話を他言無用だと理解した上で、聞いてくれるな?」


「帰る為だ、協力くらいいくらでもする。さっさとしないと、また皐月がうるさいからな」




「――なるほど。超能力か」


「信じるのかよ」


「俺も、似たようなものではあるからな。お前たちのそれとは意味合いが若干違うのだろうが。――隠し事を明かしてもらったんだ。俺も見せておこう」


 そう言って、神代はごそごそとポケットを漁った。

 そして、取り出したそれを掌に乗せて、見せてくる。


「白い石だな」


「あぁ。財布もないがこれだけは持っていた。――そして、これは俺が使えばこうなる」


 ぶん、とそれを振る。瞬間、その石は刀へと姿を変えていた。


地形操作能力者ジオキノって訳じゃないわよね」


「シミュレーテッドリアリティ、だったか。そういうものを介していない。まぁ、俺自身も詳しい原理は分かっていないんだが。『月の名を持つ者』でも俺しか使えないようだし。その辺りは島鮮科しませんかせんせーにでも聞いてくれ」


「せんせー?」


「天才科学者だ」


「そのフレーズだけで信用ならなくなるな……」


 東城たちの知っている科学者と言えば、あの研究所の所長だ。邪知暴虐の傍若無人。そしてただの人の身でありながら最強の超能力者である東城大輝を圧倒してみせた、本当の天才だ。


「まぁ奇人変人の類ではあるが、基本的にはいい人だ、と思う」


「その人のせい、って可能性はないか」


「分からないが、どっちにしても大崩壊地区がないんじゃこの世界にはいないだろう。この地下都市にいたら、一発で通報されているだろうし」


「どんな人なんだ……」


 いるだけで通報されるとか、数々の変人を揃えている東城の知り合いの中にもそうはいない。


「要するに、この街から出ることは出来るが、そもそも俺の暮らしていた町はない訳だ」


「そうなるな。――残念ながら、時代か場所か。世界が違う」


「世界か、それは大きく出たな」


 はは、と神代は笑う。

 少年のような笑みで。

 だがどこかに、鋭い覚悟を秘めていた。


「パークや島は経験したが。まさか、今度は世界から脱出することになるとは。――面白いじゃないか」



     *


「――本当に何の手がかりもないな」


 それから約一時間。

 またぐるっと地下都市をめぐってみたが、何の異変も発見できなかった。


「俺たちの世界から神代を呼んだのか、神代の方からこっちの世界に来たのか。それが分からないと話にならないな」


「仮に私たち超能力者の仕業だとしても、犯人は分からないわね。そんな能力者に心当たりはないし」


「俺たちの誰かが仕組んだとしても、流石に世界を跨ぐなんて真似が出来るとは思わないが……。最悪の可能性でないことを願うが」


 神代がそう補足する。顎に手を当てて、何か考え込んでいるようでもあった。


「最悪の可能性?」


「第三の世界が俺を呼ぼうとして、失敗してこの世界に落ちたパターンだ。そうなると、こっちでどんな風に足掻いても何も見当たらない」


「……それはぞっとしない話だな」


「その何者かが見つけてくれればいいけど」


「各世界の時間の流れが同じ、という確証もない。下手をしたら、浦島太郎みたいなことになるかもしれない」


「本格的に詰んでるじゃねぇかよ……」


「あぁ。――わくわくするな」


 そんな状況で。

 神代睦月は変わらず笑っていた。


「正気か?」


「死ぬ心配はない。命を狙われてもいない。だったら、純粋にこの脱出ゲームを楽しめるってものだろう。正攻法が無理なら裏技を探ればいいだけだ。鍵なんか見つけなくても、チェーンソーと塩水があれば扉の方を壊せる、みたいなものだ。まぁ時間はかかったけど」


「……お前、大概だな……」


「最強の超能力者、なんて肩書よりはマシな部類だと思ってるぞ」


「どっちもどっちよ……」


 横で、柊が頭を抱えている。どうやら、彼女の中では神代のこの無軌道さは東城にも通じるものがあるらしい。


「とりあえず、まだ回っていないところを回ってみるか」


「でも神代。昼間に回った場所含めたら、もう見るところもないわよ?」


「俺が入れなかった場所があるんだ。そこを案内してもらいたい」


「入れなかった、ってことは、第3階層かしら。あそこはライフラインの基盤だから、許可なく立ち入れる施設なんてほとんどないし」


「大丈夫か?」


「行けるところとそうでないところの線引きはちゃんとするわ。それでいいわよね?」


「助かる」




「……そういや、俺、第3階層って来たことあったっけ」


「知らないわよ。ただ、普通に用事があるところじゃないわよ。私や七海はバイトで電気とか水道の仕事してるから月に何度か来るけど」


 そうして案内された第3階層は、少し異様だった。

 今までは第0階層から第2階層まではただの街、第4階層はほぼコンクリートの世界だった訳だが、ここは工場地帯と言おうか。乱立したビルを覆うように、剥き出しのパイプがクモの巣のように入り組んでいる。あれらが文字通りのライフラインなのだろう。

 周囲の壁も、他の階層のように空を映し出したりはされていない。無駄な労力はかけないようにしているのだろう。


「何か、物々しい雰囲気だな」


「基本的には、生活のしやすさとか無視してるからね。――それで、神代は何か見つけた?」


「電気や水道の建物はある程度察しがつくんだが。――あれは何だ?」


 そうして神代が指差したのは、紛うことなきただのビルだった。

 他の建物と違い、地下都市全土へ伸びて行くようなパイプもない。それに、そのビルには一切明かりが付いていなかった。


「あれは元研究所の一部。パソコンのデータとかも必要だったけど、スパコンなんてその冷房施設も含めて部品でしょう? だからビルごと瞬間移動能力させたって訳。――あそこは電気や水道を通わせてはいるけど、他の住民に影響はないから入れるわよ」


「なるほど、じゃあまずはそこから頼む」


「了解」


 そう言って、三人でそのビルを目指して歩く。

 目の前まで来れば、本当にどこにでもあるビルだった。そこらのオフィス街にあるような、平凡極まりない建物。


「ここが元研究所かよ」


「そりゃ人体実験なんてばれたら大変だもの。普通の会社に偽装はするでしょ。――入るわよ」


 柊はさっさと一人で中へと進んでしまうので、男二人が慌ててその後を追った。

 同時。

 パッ、とそのビルに灯りがついた。


「柊、電気でも点けたか?」


「……冗談でしょ。いくら電気を通わせているって言っても、点けたかったらそれなりの手順が要る。トイレの灯りじゃないんだから入っただけで点くようなシステムにはなってない」


 ぞわりと。

 全身が総毛立った。

 酷く嫌な気配がする。

 そして、それは的中していた。


『ようこそ、神代睦月くん』


 名を呼ぶ声がした。

 ただし。

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「この声、どこかで……っ」


『忘れたか。あるいは、それも含めた不良か。――まぁいい。用件は手短に済ませよう。元々これは、君を殺す為だけの計画だ』


「何を――っ!」


『知りたければ上がって来い。もっとも、それまでに生きていればの話だけどね』


 声が途切れる瞬間だった。

 ガシャガシャと、嫌な音が鼓膜に響き渡る。


「……おいおい、いきなりドンピシャ引いたのかよ。すげぇ運だな」


「軽口叩いてる場合じゃないでしょ。アレ、ガチでヤバイやつじゃないの……ッ!?」


 既に電磁波によるレーダーで姿を捉えているらしい柊は、僅かに震えているようだった。仮にも最強の発電能力者を名乗る彼女が、だ。


「いいから、逃げ――」


 柊の言葉は、最後まで続かなかった。

 それをかき消すほどの、けたたましい音が辺りを埋め尽くしたからだ。

 例えるなら、爆竹がぎっしり埋まった箱をダース単位で火にぶち込んだような、そんな音。――そして、東城は一度これに似た音を聞いた覚えがある。


「機関銃か……っ!?」


 とっさに回避していた東城が経っていた足元を、本当にハチの巣みたいに抉った後だけがあった。東城が体験したものよりも、連射速度も威力も段違いだ。

 そしてその射線を辿った先に、それはいた。

 真っ白い巨大な何か。

 SF映画なんかで見るパワードスーツそのものと言ってもいいだろうか。ロボットが鎧をかぶって動いているみたいな、若干の不気味さがある。


「あれは、月壊か……っ!?」


「知ってんのか?」


「要約すれば、ただの殺人マシーンだよ……っ」


 ぎりっと神代が歯を食いしばる音がした。それなりに、因縁の深い相手なのだろう。


「……中に人は要るか?」


「必要ない。完全にAI任せだったはずだ」


「なら、加減はいらねぇな」


 そう言って、東城大輝は拳を握り締める。


「お、おい……っ」


「任せとけよ。これでも、最強の超能力者なんだぜ?」


 それだけ言って、東城は地面を蹴った。

 その動きを感知してか、装備された巨大な機関銃の銃口が登場に向けられる。


「ちょ、バカ!!」


 柊の罵詈が飛ぶが、無視して東城は駆け抜けた。

 引き金を引いたらしい音を聞いて、東城は魔横へ跳んだ。爆発を生み出して、それに弾かれるような形でだ。

 その無理やりな挙動に追いつかなかったか、弾痕が先程まで東城が立っていた位置に無数に生み出される。

 だが、即座に銃口が東城を追従する。


「遅ぇよ」


 それが完全に動くより先に、東城は既に前へと飛んでいた。

 爆発による加速は、東城の十八番だ。その速力は幾千の超能力者の中でも、類を見ないほど。

 一瞬にして懐に潜り込まれて、その白い機械――月壊の動きにラグが生じる。


「終わりだぜ!!」


 東城が右の掌から業火を噴き出す。

 並の機械なら炎圧だけで粉々に砕け散る――はずだった。


「――っ!?」


 だが。

 威力に押されて後方へ吹き飛んでこそいたが。

 その月壊の白い装甲は健在だった。


「だから言ってんのよ!!」


 驚愕する東城の脇腹に柊がタックルする。同時、あの機関銃がまた火を噴いた。柊が突き飛ばしてくれていなければどうなっていたかは、言うまでもないだろう。


「何なんだよ、あの装甲!!」


「あれはおそらく、月の石だ。並の攻撃じゃ歯が立たないぞ」


 体勢を立て直そうとする東城の前に、神代が立つ。


「お前、死ぬぞ!?」


「大丈夫だ。――あれには一度勝ってる」


 地面を蹴る。

 左右にジグザグには走り巧みに月壊に照準を絞らせないまま、瞬く間に間合いを詰めた。

 同時、彼の手の中にあった石が光る。

 音はなかった。

 ただ、駆け抜けた彼の背後で、月壊の右腕がごとりと落ちた。

 最大の武器を失った月壊は、既にメインの回路まで切り刻まれていたらしく、ごしゃりと潰れるように倒れた。


「あの装甲は確かに硬いが、同じ月の石なら問題にはならないんだ。――どうだ、ご飯のお礼くらいにはなったか?」


 さらりと、本当にあんな殺人マシーンを相手にして何でもないように彼は笑う。


「……俺、最強の超能力者なんだけど……?」


「完全に霞むって言うか、あれで本当に人間なの……?」


 東城も柊もいっそ呆れる中、神代はさして気にした様子もなく「先に行こう」と言い出していた。


     *


「だんだん分かってきた」


 爆音を撒き散らしながら迫る無数の銃弾を避けながら、東城大輝は右手にプラズマの刃を生み出した。


「面制圧力なんか意味がねぇ。物理的な圧力が分散しちまってダメージが激減する。けど威力を一点に絞れば、俺の力でも十分に切り裂ける」


 まるで踊るように、東城はその弾丸の嵐をくぐり抜けて、月壊の懐へ跳び込む。


「今度こそ終わりだ」


 一閃があった。

 竹のように真上からバッサリと切断されたそれは、ぐらりとバランスを崩して倒れた。両断されれば、もはや殺戮マシーンではなくガラクタだ。

 あれからエントランスから通路に入った訳だが、そこに配置されていた新たな月壊を今度は東城が引き受け、無傷で屠ったところだ。その様子に、神代は目を丸くしている。


「……すごいな。俺の戦いを見ただけで、もう対応するのか」


「それくらい出来なきゃ、とっくに死んでたくらいには修羅場はくぐったよ」


「頼もしい限りだな」


「――あー。二人して何か友情めいたものが芽生えかけてるのは良いんだけど」


 はぁ、と柊が深くため息をつく。


「どうやらこの月壊。二機だけじゃないみたいなのよね」


「は?」


 間の抜けた声で聞き返した瞬間だった。

 ぎゃりぎゃりと凄まじいモーター音がした。それも一つではなく、無数に折り重なっている。


「え、おい。まさかまだ出てくんのか?」


「奥から出るわ出るわの三十機、ってとこかしらね」


「この狭い通路じゃ、複数の機関銃を避け切るスペースはないぞ……っ」


「そうね。()()()()()()()()、先手必勝って言う訳にはいかないし。――なら、残りは私が貰うわよ」


 言って、コキ、と柊が拳の骨を鳴らす。


「要するに、あの機関銃が火を吹く前に全部ぶっ壊せばいいだけでしょ」


 まるで何でもないようにった直後。

 柊の姿が消えた。


「――ッ! な、何だ!?」


「あいつは発電能力者。要するに電気を操る能力者だ。レールガンとかリニアとか、原理くらいは知ってるだろ? あれを生身で体現する」


「……そっちの超能力者とやらは、随分ぶっ飛んでいるな」


「お互い様だ」


 二人がそんなことを言っている間にも、破砕音が鳴り響く。だが、銃声は一発たりとも聞こえない。

 通路の遥か奥で、何かが崩れて落ちていく音だけが続いていた。

 やがて。

 全ての音が止んだ後、カツカツと靴音だけが聞こえた。


「――ふぅ。軽い肩慣らしにはなったかしら」


 そう言って、柊が通路の奥から戻ってきた。

 右手には真っ赤な刃――おそらくはアーク放電だろう――を光らせ、左手ではちゃらちゃらとパチンコ玉のような金属球――おそらくはレールガンの残弾だろう――を弄んでいる。


「……全部倒したのか?」


「一応ね。――アンタらと違って、私は最速の能力者よ? 先手必勝が出来るんだから、あんな機械じゃ相手にならない。それに、さっきの二機で手の内は分かってたし」


 確かに、既に神代や東城のおかげで、あの機械の行動パターンはある程度読めていた。仮に全ての月壊が繋がっていて自動学習し、行動を変えていたとしても、それが反映されるより先に全てを壊してしまえるのならば関係ない。

 そういう無茶苦茶な理論で、柊は全てを屠ったのだ。


「……怖い子だな」


「あぁ、死ぬほど怖い」


「聞こえてるからね?」


 ぴきっと柊がこめかみを引きつらせているので、東城はさっと視線を逸らす。


「さっさと奥に行くわよ。あの声の主が、どうせ今回の悪の親玉でしょ。ぶん殴って理由と理屈を問い質せば、神代も元の世界に帰れる」


「まぁ、それが一番分かりやすい脱出の方法だろうな」


「だが、君は脱出できないよ」


 言葉と同時だった。

 神代睦月の身体が、何かに弾かれるように吹き飛ばされていた。


「神代!?」


 東城も柊も、ただ驚くしかなかった。

 仮にも、二人ともが最強の一角に名を連ねる能力者だ。その二人の危機感知能力さえ磨り抜けた攻撃など、あり得ない。

 だが、実際にそれはあった。


「温くなったな、神代睦月君」


 そして。

 その二人すら無視して、男は姿を現した。


「長門、嘉月……ッ!?」


「流石に、声だけでなく姿も見れば間違えようはないか」


 どうやら、二人は既に顔を突き合わせていたらしい。だが、ただの知り合いなんてレベルではないのだろう。

 数多の修羅場をくぐり抜けた東城だからこそ、分かる。

 この二人の間にある殺気は、紛れもなく本物だ。


「誰だよ、こいつは」


「長門嘉月。俺の世界の住人で、俺に幾度となく勝負を仕掛けてきた」


「生憎だが、悠長に自己紹介からやり直しているほど甘くはないよ」


 同時、長門が地面を蹴る。

 コンクリートの床がめくりあがるほどの、馬鹿げた脚力だった。人間技を軽く超えている。

 迷わず神代へと繰り出された蹴りを、交差させた腕で東城が代わりに防ぐ。


「ッテェな、クソ……ッ!!」


 神代への蹴りに割って入った為、東城が受けた位置ではまだ威力は最大ではなかった。にもかかわらず、骨が折れたかと思うほどじんじんと痺れている。


「……邪魔をしないで貰おうか」


「冗談だろ。散々そっちの都合で巻き込んでおいて、今さら何を言ってやがる」


「――あぁ、気に入らないな。全く気に入らない」


 ぐしゃっと長門が自分の髪を握り締める。


「その眼だ」


 低く、低く、獣の唸るような子だった。


「神代睦月君と同じ、その眼。私を尽く邪魔する、その眼。――あぁ、気に入らない。消えてくれ」


「だそうだ。だから、下がっていてくれ、東城」


 神代はそう言って、目の前に立っている東城を制するように後ろへ下がらせる。


「こいつの相手は、俺がする。いや、しなきゃいけない。これ以上、部外者のお前たちを巻き込む訳にはいかない」


「……なるほど。カッコいいな。ヒーローだよ、お前は」


 パチパチと東城は手を叩く。

 自分の暮らした場所とは違う世界に放り込まれて、なお平然と笑って見せて。

 脱出の手がかりがない状況を楽しんで。

 目の前の敵から見ず知らずの人間を護ろうと、その身を張る。

 東城が憧れるような、そんな英雄だった。


「だけど」


 その自分を下がらせようとする手を掴んで、東城は言う。


「今さら引き下がれるかよ」


 これが彼ら二人の戦いだと言うのなら、そうなのだろう。

 二人だけで決着を付ける場面なのだろう。

 それでも。


「俺はお前を元の世界に帰す。そう言ったはずだぞ。だったらこんなところで投げ出せる訳がねぇだろ」


「だが、長門嘉月の力は――」


「関係ねぇよ」


 一言、切り捨てるように東城はそう言った。


「これでも俺は最強の超能力者――燼滅ノ王(イクセプション)なんだ」


 全身から真紅の業火を噴き出して、東城は目の前の長門を睨む。


「長門嘉月の策略もその力も。――全部、俺が焼き尽くす」


「――イクセプション、異例か。道理で似る訳だ」


 そして。


「俺もどうやら、その仲間みたいでな。イレギュラー、なんて長門は言っていた」


「なるほど。こんな世界にまで迷い込んできたお前にぴったりだ」


「それはお互い様だな」


 笑って、神代睦月と東城大輝が並び立つ。


「力を貸してもらうぞ。――長門嘉月を討つ為に」


「返してもらわなくていい。――俺の世界で暴れられるのは、こっちも癪だからな」


「話は済んだか」


 長門はそう言って、腰に手を回す。


「三人まとめてかかって来るといい。ここでの私は、残念ながら最強だ」


 取り出したのは、一本のナイフだった。

 最強の超能力者の東城からしても、月の石を持つ神代からしても、それはちっぽけな武器だった。

 はずなのに。


「来ないなら、私から行こう」


 地面を蹴る。

 姿が視界から消えるほどの速力だった。

 とっさにプラズマの刀を生み出して構える東城だったが、眼前に現れた長門のナイフは、そのプラズマすら切断した。


「な――ッ!?」


 あり得ない現象に、東城の身体が硬直する。

 このプラズマの刃の温度は、鋼の融点などを軽く超えている。そんなもので触れればナイフの方が焼き切れるはずだった。

 なのに。

 その刃は未だ銀色に輝きながら東城へと迫る。


「――ッ大輝!」


 咄嗟に柊がベルトを磁力で引き寄せて回避させる。だが、僅かに間に合わす、その頬をナイフが裂いた。

 ぼたぼたと、血が滴り落ちてコンクリートの乾いた大地を濡らしていく。


「俺の能力が効いてない……っ」


「それは私のセリフだよ。どうやら、私の『才能を封じる力』は、この世界の超能力には効果が薄いみたいだな。非常に効果が限定的だ」


「抜かせ……っ」


 限定的であれ何であれ、東城の防御をすり抜けてくる時点で、規格外もいいところだ。下手をすれば、東城の攻撃自体を無効化しかねない。


「――ならば、別のアプローチを試すとしよう」


 パチリ、と指を鳴らす。

 瞬間。

 さっきまで何もなかったはずの長門の背後に、白い鎧が現れた。

 それも、一機や二機ではない。隊列を組めるほどの数だ。


「月壊――ッ!?」


「能力を封じるこの私と、物理的な火力なら人一人をすり潰すことくらい訳ない月壊。その組み合わせならば、君たち三人くらいは退けられるだろう」


 同時、機関銃が火を噴いた。


「下がって!」


 柊が前に出て手をかざす。

 無数の弾丸は、それだけで磁力で逸らされて東城たちに当たることなく周囲いの通路の壁を抉り取っていく。


「月壊の相手は私が引き受けとく。大輝と神代は、二人で長門嘉月を――」


「させると思ったか」


 長門が地面を蹴り、真っ先に柊を狙う。

 月壊の相手で手いっぱいの柊には、迫るナイフを防ぐ手立てなどない。――はずだった。


「誰に、手を上げてやがる」


 そのナイフは柊の身を裂くには至らない。

 東城の左手が、そのナイフを握り締めて止めていたからだ。


「まさか、素手で――」


「テメェの相手は」


「俺たちだ」


 ナイフをほとんど奪われていた長門の腹へ、後ろから神代の蹴りが入る。

 吹き飛ばされた長門は、完全に月壊と分断される形になる。


「東城、その左手は……」


「クッソ痛いな……。まぁ、あとで肉体操作能力者セルオペレーターにでも治してもらう。骨も無事だし、今のところ支障はねぇよ」


 流石に握ったり開いたりしようとすると激痛が走るが、放っておく分には邪魔にもならない。滴る血を無視して、東城は目の前の敵を睨む。

 血の混じった唾液を吐き捨てながら、長門嘉月はゆっくりと立ち上がった。


「あぁ、まだ私の邪魔をするのか、神代睦月君……」


「当たり前だろう。俺は、元の世界に帰る」


「――いいだろう、ならば、私を殺すといい」


 東城の血がべっとりとこべりついたナイフを振り、長門はその血を払う。


「だが、今までの君のままではこの私には勝てないよ」


 突進を続ける長門だったが、既に何度も見ている。

 東城も神代も反応し、同時にその腹に掌底を叩き込む。


「――シッ!」


 だが、それすらもが想定通りだったとでも言うように、長門がカウンターでナイフを振るう。

 とっさに上体を反らした神代の右目の下を、そのナイフが浅く裂く。


「外したか……っ」


 吹き飛ばされていながらも、バク転を繰り返して威力を殺しながら長門は体勢を整える。


「無事か、神代」


「お前の左手ほどじゃない。それに、目の下だ。血で視界が塞がることもない」


「――が、それが今の君と私の実力差だ」


 まるで無傷であるかのように――あるいは、掌底を受ける寸前に後方へ跳んで本当にダメージを散らしていたのか――長門は嗤う。


「掠めた程度であろうとも、それを何百、何千回と繰り返せば失血で君は死ぬ。――まぁ、それより先に月壊があの少女の壁を乗り越えて君たちを踏み潰すだろうが」


「――だったら、次の一撃で決着を付けるだけだ」


「出来るのかい? 君の力は君が一番よく知っているはずだ。開く扉の見当たらないこの世界で、君の能力は何を開く?」


「開く扉がないのなら、扉を造るところから始めるさ。――それが、イレギュラーだろう?」


 神代は笑って、拳を握り締める。


「東城。一発デカイのをぶちかましてくれ」


「任せろよ」


 それ以上の言葉は必要なかった。それだけで、既に東城も神代も理解できた。


「行くぜ」


 右手に業火を纏い、東城は獰猛な笑みを浮かべる。


「頼むから、この一撃で死んでくれんじゃねぇぞ!!」


 硬く握り締めた拳を前に突き出すと同時。

 真っ赤な業火の壁が、長門へと襲いかかった。


「――ッ!」


 いくら能力を封じる能力と言えども、そもそものシステムが違う。故に、その効果は限定される。

 これほどの業火を完全に消し去ることはまず不可能。


「――だが、本命はその後だろう!」


 見越していたらしく、長門は炎を裂いた。

 そこには、神代の驚愕した顔があった。


「終わりだよ、神代睦月君!」


 そしてそのまま彼の頭蓋を貫かんと迫った、その瞬間だった。

 神代睦月の姿が消えた。


「な――ッ!?」


 ただ、後ろに。

 真っ赤な炎の尾を引いて。


「後ろだ、長門嘉月」


 長門が完全に振り向くより先に、神代が月の石の刀を振るう。

 だが、既に長門は後ろへ跳び去ろうとしていた。これでは、神代の方が僅かに遅い。ダメージはほとんど――


「甘ぇよ。俺を忘れてんじゃねぇだろうな」


 だが。

 振り向いた長門の背後には、既に東城が待ち構えていた。

 硬く握り締めた拳を、既に振りかぶっている。


「終わりだ、長門嘉月!!」


 二人の声が重なると同時。

 神代の斬撃と東城の拳が、長門嘉月の身体を挟むように激突した。

 どしゃり、と。

 長門嘉月が崩れ落ちる。


「最後のあの加速と方向転換……。ま、さか……。才能の扉をこじ開けて、この世界の超能力すら獲得したか……」


「さぁな。必死だったから、よくは覚えてないよ」


「あぁ、まったくイレギュラーだな、神代睦月君。だから私は、君が大嫌いなんだ」


 がはっ、と長門が血を吐く。


「とにかく、これで俺の勝ちだろう? 早く、俺を元の世界に帰してくれ」


「何だ、神代睦月君。まさか君が、未だにこの世界の秘密に気付いていないのか? 冗談はやめてくれ。本気だとしたら、君に敗北した私が惨めだろう」


「秘密、だと……っ」



「この世界から脱出する方法なんて、ありはしない」



 告げた瞬間、本当に時間が止まったような気がした。

 その言葉の理解を、神代も東城も拒んでいた。


「ふざけるな。入った方法があるなら、出る方法もある。それを聞く為に俺はここに――」


「あぁ、そうだよ。()()()()()()()()()、な」


「何だと?」


「おかしいとは思わなかったか。――君はこの世界に来る前、いったい何をしていた?」


「……それがどう関係する」


「思い出せないだろう? 何故なら、そんな記憶が存在しないから」


「――ッ!」


 神代は、この世界に来る前の記憶ついては何も話していない。気が付けばここにいたが、その前に何をしていたかは思い出せないとは、東城たちにも話していない。

 それを、長門は言い当てた。

 つまりそれは、長門は初めからその原因まで知っていると言うことに他ならない。



「君はね、神代睦月君本人じゃないんだよ」



 そして。

 長門はそう言い放った。


「あぁ、そしてもちろん、この私もだ。私も君も、ちょっとした間違いでこの世界に産み落とされた、間違いないイレギュラーだ」


「何を言って――」


「長門嘉月は、あるスーパーコンピューターを保有していた」


 神代の話など聞かずに、長門は続けた。


「それは経営の為であり、――君を殺す為でもある。神代睦月という人間のデータ、そして長門嘉月という私自身のデータを入力し、あらゆる状況を想定してシミュレートさせてきた。君はその度に私の予想を超えてきた訳だが、おかげで『より完璧に本物に近い』データが作れた」


「それがいったい……」


「そしてそのコンピュータは、どうやら超能力を獲得した。――そのデータを実際に具現化すると言う、ね」


「馬鹿な……っ! 機械が勝手にだと!?」


 神代が驚愕する。そもそも、今の時点で彼のアイデンティやパーソナリティを尽く否定されているようなものなのに、それでもその程度の驚きで済んでいるのは、逆に異様にも見えた。


「驚くようなことじゃないのかもしれねぇな。所長の燼滅ノ偽王(ヘレティック)は脳に埋め込んだマイクロチップ、要するに機械が能力を行使していた。スーパーコンピューターの中に本当に人一人を構築するだけの情報が足りていて、シミュレーテッドリアリティに接続するインターフェースも獲得していたなら、絶対に不可能とは言い切れねぇよ」


「そういうことだ。まぁ、ただの人間の手が机をすり抜けることも確率上はあり得る。それよりは随分とマシな確率だろうね」


「なら、貴様は……っ」


「あぁ、そうだよ。私は私に与えられた目的通り、君を抹殺しようとしただけだ。――まぁ一時の奇跡だ。こうしてシミュレートの結果、君を世界の加護とやらから解き放っても、私の敗北は変わらなかった。それが理解されれば、あのコンピュータも動きを止めるだろう。――安心したまえ。君は目的通り、この世界から消えることはできる」


 だが、決して脱出は出来ない。

 決して壊れない箱があったとして。

 入口も出口もないとして。

 そこにあるものを取り出すことは、誰にも出来ない。

 もちろん入れることも出来ない訳だからその仮定は成り立たないように思えるが、違う。

 それはボトルシップのようなものだ。組み上がった船は、決して瓶の中から出ることは出来ない。モデルとなった本物の船は、そんな小さな船のことなど知らずに大海を優雅に浮かんでいることだろう。

 それが、今回の顛末だ。


「……ふ。こんな事実を前にしても、まだ気持ちが折れないのか。流石だな、神代睦月君」


 長門はそんな感想を漏らしていた。


「……長門嘉月」


「のデータだが。何だ?」


「あのときのお前は、最後の最後でどこかに消えたからな。こうしてやりあえたのは、悪くはなかったよ。お互いにただのデータだったとしてもな」


「――ふ。そういうところが、大嫌いだったんだ……」


 やがて。

 まるで砂の城が崩れるように、長門の身体は光の粒子となって消えていった。

 見れば、後ろで孤軍奮闘していた柊の前の月壊も、つぎつぎと消えていた。


「……どうやら、そういうことらしい」


 はぁ、とため息をついて、神代睦月は曖昧な笑みを浮かべる。


「散々付き合ってもらって悪かったな。脱出は失敗。あぁ、本当に脱出不可能だったとは。これは敗北と言えば敗北だな」


 すると、神代睦月の足先が僅かに光の粒子へと変換されていた。もう、時間はないのだろう。


「会えてよかったよ、東城大輝。一時の奇跡、一夜の夢ではあったけど、なかなかに楽しい時間だった」


「……満足かよ?」


「何?」


「脱出に失敗して満足そうな面してんじゃねぇよ。――お前はこの世界から脱け出して、元の世界に帰るって言ったんじゃねぇか」


「だけど、俺は実際にはデータで――」


「だけどお前は、神代睦月だ。イレギュラーだ。どんな不可能な脱出も成し遂げた、正真正銘の主人公ヒーローだろう。だったら、諦めてんじゃねぇよ」


 そして、東城は拳を突き出す。


「お前なら、このふざけた結末も塗り替えてくれるんだろ?」


「まったく、酷い期待だな。――だが、やってやろうじゃないか」


 にやりと、神代睦月は笑う。


「また会おう、東城大輝」


「あぁ、またな」


 そして。

 神代睦月の姿は、完全に消滅した。


     *


 カーテン越しの日差しが目に刺さり、うっと重い瞼を上げる。


「朝か……」


 ちらりと時計を見れば、時刻は午前十一時。今日は土曜日なので、まぁまだ寝ていても許される時間ではある。

 もそもそと布団の中に身体を埋め直し、神代睦月はまた瞼を閉じようとした――そんなときだった。


「バカアニキ! いい加減に起きろォォオ!!」


 腹の底からの全力の叫びと同時、部屋の扉を文字通りに誰かが蹴破った。

 その乱暴さに一言文句も言ってやりたくなるが、その犯人――実妹である皐月の放つ怒気のオーラに気圧されて、何も言えなくなる。


「お、おはよう」


「おはようじゃないでしょ。今日は約束が――って、ちょ、大変!」


「ん?」


「ん? じゃない! 目の下から血が出てるよ!? え、あ、もしかして今のドアの破片が!?」


「いや、破片なんて飛んでないけど」


 おかしいな、と思って拭ってみれば、確かに目の下には血が滴っていた。

 まるで、ナイフで裂いたみたいな傷だった。


「手当てするから! 早くこっち!」


「あぁ、頼む」


「……どうして、バカアニキは全然平気そうな顔してるの? 普通、もっと慌てるでしょ?」


「どうしてだろうな……」


 この傷に心当たりは、まるでない。

 だが、どうしてだろう。

 頭の奥に唐突に浮かんだ、ちらちらと綺麗な炎に埋め尽くされた情景が、焼きついたように消えてくれない。


「ただ、悪くない気分なんだ」


 そっと目の下の傷に指を這わせて。

 その業火の奥にいた少年に、神代睦月は思いをはせた。



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