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儀式!(Embarrassment)

 金曜日十一時四十分。英語Iのテスト終了を告げる鐘が鳴ると、はじめは前の席の生徒に解答用紙を渡し、両手を上に挙げて思いっきり伸びをする。これで選挙、修理、テストの三連コンボから解放され、今度の土日はゆっくり休むことができるだろう。

「はじめちゃん、テストどうだった?」

 美緒がはじめの席まで来て声を掛ける。

「うーん、スケジュールがタイトだった割にはそこそこ出来たほうなんじゃね?」

「随分余裕ね」

「よゆふぅふぁずねへぇよ」

『余裕なはずねぇよ』と言おうとしたが、欠伸が混ざってしまい、意味不明な言葉になっている。

「とにかく、中間は終わったんだ。家に帰って寝る」

「あのさぁ、はじめちゃん。もしかして忘れてる?」

「忘れてるって何を? お前の誕生日、四月じゃん」

「そうじゃなくて、今日は大事な日でしょ」

「ああそうか、おれの誕生日、覚えててくれたんだ。おれ、新しいネットワークストレージが欲しいんだけど」

「誕生日から離れて! それに、はじめちゃんの誕生日じゃないじゃん」

 美緒は少しイライラした表情を見せる。

「わかった。悪かった。で、何だっけ?」

「もう、今日でしょ。今年度の生徒会が正式に発足するの! 午後から『なんちゃら式』みたいなのをやるらしいから、今日は残んないとダメなの」

 はじめのワイシャツの袖を、美緒は軽く引っ張っている。

「パス!」

「何言ってるの! そんなこと言ったらはじめちゃんに投票してくれた四百人の人が怒っちゃうよ!」

 美緒はワイシャツの袖を強く握り、はじめを左右に揺らす。

「冗談だってば。ところで何時に始まるんだ?」

「えっとねぇ、午後一時に始まるって聞いたから、十五分前に行けば……」

「おーい、はじめ、菅野さん、二人にお客さんだよ。どうやら面白いことになってきたようだね」

 駈が思わせぶりな態度ではじめと美緒を呼びつつ、教室後方の出入口に目をやっている。駈の視線の先には、制服のバッジの色から二年生と判断できる四人の女子生徒が立っており、一人がはじめと美緒に向かって手を振っている。四人のうち、二人に見覚えがあると思ったら、開票速報のMCだったことをはじめは思い出す。

「あの、放送班と新聞班なんだけど、今から『代替わりの儀』の直後までの間、密着取材させてくれる?」

「密着……ですか?」

「ええ。男子生徒初の生徒会役員に就任する様子を取材したいの。いいでしょ?」

「ちょっと待ってください。どうして事前にアポを取らず、今日の今日にこんな話をするんですか?」

「ごめんなさい。本来ならば先週の金曜日に申し込むべきだったんだけど、取材や選挙速報で忙しかったし、はじめ君も美緒ちゃんもなかなか捕まらなかったから……お願いっ! 私たちはただ写真撮ったりカメラ回したりしてるだけだから。ねっ」

 はじめと美緒は顔を見合わせる。駈は二人を見てニコニコしている。おそらく、この言い訳は嘘だ。彼女たちにとって、はじめと美緒の当選は想定外であり、生放送直後に泡を食って二人にオファーを出したのが実際のところだろう。

「なぁ美緒、どうする?」

「はじめちゃんに任せる」

「わかった」

 はじめは四人のほうを向く。

「わかりました先輩。いいですよ。でも、他の人に迷惑にならないようにしてくださいね」

「よかったぁ……。ありがとう」

「うん。 いい画が撮れそうだね」

 デジタル一眼レフとHDカムコーダーを持つ二人が満面の笑みを浮かべる。

「そう言うわけで、今から夕方まで、一緒に行動するわね」

「分かりました。それじゃ美緒、とりあえずどうする? 一時間くらい時間空いてるから、昼飯は『幸村の蕎麦屋』で済ますか?」

『幸村の蕎麦屋』とは学校の近所にある、店内が真田幸村グッズで埋め尽くされた蕎麦屋のことで、生徒の間ではその二つ名で通っているが、本当の名前は未だに知らない。

「ええーっ、デミグラスソースがかかったオムライスが食べたーい! オムライスぅ……」

 美緒が年甲斐も無く駄々をこねる。

「子どもかよ。まぁ、行きたいならそっち行くけどさ」

 取材をしている四人が苦笑している。はじめは美緒そして取材の四人とともに学校裏手にあるファミレスに向かう。

 金曜日の昼時、ファミレスは比較的混雑する時間ではあったが、奥のほうにある四人掛けテーブルを二ヶ所確保することができた。それぞれのテーブルにはじめと美緒、取材の四人の二手に分かれて椅子に座る。

「じゃあ、み、美緒、メニューでも見るか?」

「う、うん。そうだね」

 はじめは、なるべく取材の四人のことは気にしないように振る舞うが、どうしても四人の存在が気になってしまう。表情を見る限り、美緒もまた同じようにぎこちない感じに陥っていることが分かる。

「はじめちゃん、そう言えば、二人だけでこうやってお店で何かを食べるのって、初めてじゃない?」

「そ、そうだっけ?」

「そうだよ。いままではどちらかの親がいたり、つくもちゃんやカケル君とかがいたりしたからさ」

「ああ、そう言えばそうだよな」

「なんか『高校生になった』っていう感じがするよ。ワタシたちだけでこういうとこ来るようになったんだから」

「そうかぁ? たまたま小田井にファミレスが無かったから、そういう機会に恵まれなかっただけだろ?」

「違うよ。中学の時コンビニに寄るだけでも『悪いことしてるぜ。ヘヘッ』みたいな感じだったけどさ、今はファミレスに行っても何の罪悪感も感じないんだよ。これって成長したってことだよね?」

 美緒は大きく目を見開き、まっすぐはじめを見つめている。

 はじめは「うん。まぁ、そうだな」と答える。

「うわっ、これすごいキュンキュンする。この会話超カワイイっ!」

 はじめと美緒は四人のほうを見る。

「あっ、ごめんなさい。二人ともとってもカワイイからつい……」

「あの、注文してもいいですか?」

「ええ。どうぞどうぞ」

 はじめは日替わりハンバーグステーキのライスとサラダのセットを、美緒はデミグラスオムライスのサラダセットを注文する。

「そもそも、二人はどこで出会ったの?」

 新聞班が二人に尋ねてくる。放送班はHDカムコーダーを回している。

「出会ったと言うか、もともと幼馴染なんです。今、美緒は隣の『藁越』という字に住んでいるんですけど、小学校まではずっと家が近所で、気が付けば一緒にいたという感じです」

 はじめが質問に答える。

「立候補はどっちが先に決めたの?」

「どっちが決めたと言うよりか、クラスの子たちに候補者に祭り上げられちゃったんです。ワタシもはじめちゃ……関谷さんも、小学校中学校で生徒会はおろか、学級委員すらやったことが無かったんです」

「フフフ……今更呼び方変えても遅いわよ。ところで、もうチューくらいは済ませたの?」

「「してません! いきなり何て質問するんですか!」」

 二人は同時に全力で否定する。否定の数秒後、ウェイターが日替わりハンバーグステーキとデミグラスオムライスを運んでくる。

「そう……ごめんごめん。ところで、これから生徒会室で行なわれる『代替わりの儀』、私たち去年も取材で立ち会っているんだけど、今年はどうなるか楽しみで楽しみで」

 正式名称は『代替わりの儀』なのか。

「それはおれが『初めての男』だからですか?」

「うん。生徒会が発足して六十年。その長い歴史の中、女子生徒だけに許されてきた禁断の儀式に、初めて男子生徒が参加するんだもの。そりゃ……」

「禁断?」

「あまり私たちが色々言わないほうがいいんじゃない?」

「あっ、そうよね。私から言うのは筋違いか。ごめんごめん。詳しいことは生徒会室で聞いて」

 気が付けば、周囲のテーブルの客やウェイターがさっきからこちらをチラチラ見ているような気がする。いや、確実にチラチラ見られている。四人がかりで一組の男女の食事の様子を写真に撮ったりHDカムコーダーに収めているのだから、浮いてないわけが無い。

「なぁ美緒、ミニパフェでも食べるか?」

「いらない。そろそろ時間だし」

 いつもは『甘いものは別腹』などと言う美緒が珍しくデザートを頼まず、残りの水を一気に飲み干している。

「それじゃ、行こうか」

「うん」

 会計を済ませ、学校に戻る道すがらでも取材は続き、HDカムコーダーは回り続けている。

「緊張してる?」

「いや、もう今更あれこれ考えても仕方がないんで、なるようになれです。これは語弊のある言い方かもしれませんけど、もしおれや美緒が生徒会で大した仕事ができなかったのだとしたら、それは、おれたちを選んだみなさんのせいにしないとやっていけない時も出てくるかも知れませんね」

 はじめは歩きながら答える。

「ワタシも、立候補することになった時はどうしようって思ってたんですけど、今振り返れば、選挙活動って結構楽しかったなぁって思ってるんです。だから、これから始まる生徒会も楽しむことができたらなって思ってます」

「何だか優等生的な発言だよな」

 はじめは美緒の発言を軽く茶化す。

「そうかなぁ? ワタシは本心で言ってるんだけどな」

 校門をくぐると、来校者用の駐車場には、先ほどまでは見かけなかった黒塗りの高級セダン、正確に言えばメルセデス・ベンツEクラスが十台以上も停められている。

 班活動を始めるべくグラウンドに向かう数多の生徒たちと、黒いスーツに身を纏った運転手たちが並存する風景は、ミスマッチと言うべきか、それともシュールと言うべきか。また、ナンバープレートが長野や松本と言った県内のものだけではなく、大宮や練馬と言った他都県ナンバーであることも気になるところだが、『なんちゃら式』までもう時間がない。

 校舎に入ると、昇降口で駈がはじめと美緒を出迎える。

「二人とも、そろそろ時間だよ。行こうか」

「うん」

「そういえば、この学校の生徒会室ってどこにあるんだろう。先輩、知ってます?」

 はじめは新聞班と放送班の四人に尋ねるも、四人はただニコニコしているだけだ。そう言えば、学校の案内図には『生徒会室』の四文字は無かったはずだ。

「駈!」

「わかってるよ。行こうか」

 はじめと美緒は先頭を歩く駈の後を追い、その後ろを新聞班と放送班の四人追う。七人が五階まで階段を上がると、駈は「実はここから先は僕も足を踏み入れたことが無いんだ。それじゃ、行こうか」と言って、屋上に向かう階段をのぼり始める。

 七人は階段の途中に置かれている、おばけをかたどった関係者以外立入禁止の看板の横を抜け、中間にある踊り場までのぼり切る。

 踊り場は真ん中を境に石膏製の壁と鉄製のドアで仕切られており、ドアのすぐ横には、ICカードを読み取るカードリーダーと、カメラ付きインターホンが取り付けられている。

「はじめ。菅野さん。僕が行くことができるのはここまでだ。ここから先は生徒会の聖域サンクチュアリだよ。さぁ、インターホンを鳴らすんだ」

「あ、あぁ」

 はじめはインターホンの呼び鈴をゆっくりと鳴らす。待つこと十数秒。ドアの鍵の部分から解錠するモーター音が聞こえてくる。ドアノブを廻し、前に押してドアをゆっくり開く。新聞班のデジタル一眼レフの連続シャッター音が高い天井の中で反響している。はじめは、視聴覚室や音楽室といった特別教室のドアは外開きになっているが、このドアだけは内開きになっていることに気付く。日本の玄関のドアは水はけを良くするために外開きになっているが、欧米のそれは、緊急時にドアの前に大きな荷物や家具を置くことによって、他者の侵入を防ぐことができるように内に開くようにできている。確か中学三年の時、何かのきっかけで駈が披露した豆知識の一つだったはずだ。外国のホラー映画でよくある、畏怖の対象から辛うじて逃げ切り、コテージのドアの前に重たそうな家具を置いて一安心したと思いきや、超人的な力でドアが粉々になり、なすすべもなく凄惨な最期を遂げるリア充という展開はその最たる例だろう。もしかしたらこのドアも、教職員や他の生徒と一定の距離を取るという生徒会のスタンスを暗喩するものなのだろうか。いや、考えすぎか。

 はじめは美緒と顔を見合わせ、互いに無言のまま軽く頷くと、はじめからドアの向こう側に右足を一歩踏み入れる。続いて美緒が足を踏み入れ、最後に訪問者用ICカードを持った新聞班と放送班の四人が、次々とICカードをリーダーにスキャンしてから足を踏み入れる。

「それじゃ。二人とも頑張って」

 駈ははじめと美緒に向かって右手を挙げる。

「ああ」

「ありがとう。カケル君。じゃあね」

 扉が閉じられた直後、施錠するモーター音が聞こえてくる。

 踊り場から残りの段をのぼり切り、屋上に出ると、大小の樹木や芝生で緑化され、一番奥に軽量鉄骨造り平屋建てのペントハウスが建っているのが見える。

「これが……生徒会室!」

 どうりで学校の案内図を見ても、実際に校内を歩き回っても見つけることができなかったはずである。

「とにかく、中に入ろうか」

「うん」

 美緒はいつの間にか、はじめの上着の左の裾を掴んでいる。

 ガラス扉のエントランスから中に入ると四畳半ほどの玄関があり、三センチメートルほどの小さな段差を上がったところにフローリングの廊下が建物奥まで走っている。一番手前にある、ダークブラウンの重厚な両開きのドアには『Student Council Office』と打ち付けられた金属製のアルファベットが並んでいる。オフィスということは、この部屋が生徒会の執務室なのだろう

 はじめはドアを数回ノックする。しかし反応はない。はじめは数秒待ったのち、ノブを廻してドアを押し開け、中を覗いてみる。まだ中には誰もいないようだ。はじめと美緒は小声で「失礼しまーす」と言いながら中に入る。新聞班と放送班の四人は廊下で待機するらしく、中にいるのははじめと美緒の二人だけだ。

 部屋は教室一つ分とかなり広く、全体的にドアと同じダークブラウンで統一され、落ち着いた感じの室内には、大きな会議用テーブルに定数よりも多めの八つのレザーシートが収められている。その向こうには生徒会長専用と思しき黒檀で作られた大きなデスクが置かれ、その上にはラベルが貼られていない緑色の一升瓶一本と一合升六個が置かれている。一升瓶をよく見ると、まるでシャンパンのように口の部分が細い針金によってきつく縛られている。

 左右両側には参列者用と思しきパイプ椅子が八脚ずつ並べられ、更にテーブル後方に三脚、さらに後方には観覧者用と思しき四十脚ほどのパイプ椅子が並べられている。

 窓際にはレザーのソファに黒檀のテーブルで構成された応接セットが配置されている。パイプ椅子の存在を除けば、まるでテレビドラマに出てくる大会社の社長室のようだ。

『にい、当選したら美緒ちゃんと生徒会室でラブラブするの?』

 ふと、つくもの言葉がはじめの脳裏によぎる。

「いやいやいや、無いだろ。それは」

「何が無いの? はじめ君」

「うわっ!」

 声がするほうに身体を向けると、いつの間にか、新会長である中村つかさが首を左斜め横に傾けながらはじめを見つめている。美緒も隣で同じように頭を左斜め横に傾けている。

「あっ、いつからここに……いや、勝手に入ってすみません。どうやら一番最初に来ちゃったみたいで」

「何で謝るの? 今日からこの建物は、はじめ君と美緒ちゃんが自由に使っていいんだから」

「自由に?」

「ええ。自由に。あっ、そうそう。廊下の四人も入っていいわよ」

 つかさがドアに向かって声をかけると、新聞班と放送班の四人が入ってくる。四人は後方三列目のパイプ椅子の背もたれに貼られたタグを確認し、腰を下ろす。

「はじめ君、美緒ちゃん。二人の出番は後半あたりからだから、あそこの椅子に座って待っててね」

 つかさは後方一列目のパイプ椅子を指差す。

「「はい」」

 二人がパイプ椅子に近付くと、背もたれにそれぞれに『関谷はじめ』『菅野美緒』のタグが貼られているのを見つけ、腰を下ろす。中村つかさは会議用テーブル左側の上座側に立つ。

 壁に掛かった電波時計が十二時五十五分を回ると、それを見計らったように、参列者たちが途切れることなく執務室の中に入ってくる。

 新副会長・本郷みやこ、新会計・小室のぞみ、新書記・秋山あやがはじめや美緒と同じ後方一列目のパイプ椅子に腰を下ろし、この春に卒業した前会長・請地なぎは中村つかさと向かい合うように会議用テーブルの右側に立ち、はじめや美緒と同じ小田井町出身の前副会長・牧原さくらは左壁側のパイプ椅子に、風紀委員会委員長以下五名は左右のパイプ椅子に散らばる。前副会長・牧原さくらは、はじめや美緒の中学の先輩でもあるが、学年が三つ離れており、同じ時期に中学に通っていたわけでは無いので、はじめや美緒との面識は無い。

 続いて、それぞれ異なる制服を着た集団十人が入り、左右に五人ずつ分かれ、末席に腰を下ろす。制服を見る限り、藤高と同じ第二学区に属する公立・私立十校の女子生徒たちのようだ。学校によって異なるが、胸のバッジや腕章からして、全員が所属している学校の生徒会役員なのだろう。しかも、各校の順列は右から千鳥掛けに入試の難易度順となっている。

 班活動代表者会議議長は左右どちらのパイプ椅子に座らず、前会長・請地なぎと並んでテーブルの下座側に立っている。

 彼女たちに交じり執務室を訪れた各班活動の班長や、班長が男子生徒の班は名代である副班長、女子マネージャーたちで後方二列目と三列目のパイプ椅子は埋まり、最後に選挙管理委員会委員長・駒形かなが、紫色の風呂敷に包まれた何かを持った副委員長二名を従えて中に入り、入口の扉が閉じられ、総勢六十一名の女子生徒と一名の男子生徒が執務室に揃った。

「それでは、全員お揃いのようですし、時間にもなりましたので、そろそろ始めさせていただきます」

 両脇に副委員長を従えた選挙管理委員長・駒形かながテーブルの下座から、両側のパイプ椅子に座った参列者たちに呼びかけると、彼女たちは無言でうなずく。

「では、永らくお待たせいたしました。ご列席のご一統様に申し上げます。只今より本席におきまして、『長野県藤井高等学校第六十代生徒会・代替わりの儀』を執り行なわせていただきます」

 室内に数秒間の沈黙が走り、全員が軽く一礼する。

「本席お取持人、班活動代表者会議・議長であり、女子テニス班・班長でもあられます吾妻ひとみ様のお取持によりまして、生徒会会長職を譲られます方は、第五十九代会長・請地なぎ様です。従いまして、第六十代会長を継承されます方は、第五十九代会計・中村つかさ様です」

 駒形かなは一旦息を整え、口上を続ける。

「本席、媒酌の大役を仰せつかりましたわたくしこと、お見かけどおりの若輩者でございます。従いまして、再三再四ご辞退申し上げましたが、本席お取持人、班活動代表者会議・議長、吾妻ひとみ様のたっての仰せに従いまして、不肖ながらわたくし、この大役を力の限り相務めさせていただきます」

 はじめが周囲を見渡すと、誰もが真剣な眼差しで委員長に注目している。

「申し遅れまして失礼いたしました。わたくしは選挙管理委員会委員長・駒形かなと申します。以後、面体お見知りおかれまして、何卒万端宜しくお引き廻しの程、お頼み申し上げます。なお、流儀、流派、作法、様々に語り継がれておりますが、本校、長野県藤井高等学校の流儀をもちまして執り行なわせていただきます」

 はじめは、自分だったら噛んでしまうような長い口上をカンペ無しで語る姿に感心しながら、黙って駒形かなの姿を目で追う。

「しかしながら、未熟者であるが故、万一順序、動作、作法の差し違え等がありました節は、渡世のよしみ、平素のよしみをもちまして、何卒平にご容赦の程お願い申し上げます。さて、本来ならばご一統様のご尊名を読み上げますのが本意ではございますが、なにぶん式事長時間となりますため、まことに僭越とは存じますが、わたくし媒酌人の一存にて一切を省略させていただきます。その点何卒よろしくご了承の程お願い申し上げます」

 駒形かなの口上に、参列者一同が軽く一礼をする。ワンテンポ遅れて、はじめと美緒も軽く一礼する。

 駒形かなと介添人の二人が黒檀のデスクの前まで移動すると、介添人の二人が一合枡をテーブルの上に置き、駒形かな本人は一升瓶に手をかけ、左手で口の部分を厚めのタオルであてがいながら、右手の親指と人差し指で針金を緩めている。すると、ポンという高い音とともに、一升瓶の口の部分から白い泡が勢いよく噴き出してきた。どうやら中身は炭酸水のようだ。しかし駒形かなはそれにも動じること無く、また、噴きこぼれた液体をタオルで拭うことも無く、一合枡に炭酸水を五勺、すなわちおおよそ半分を注ぎ込んでいる。

「それでは、お取持人になり代わりまして、先代となられます請地なぎ様に申し上げます。新会長となられます、中村つかさ様に対して、持っておられますお気持ちだけ、御神酒の姿をお残し下さい」

 第五十九代生徒会会長の請地なぎは、両手でゆっくりと枡を持ち上げると、三口に分けて飲み、テーブルの上に戻す。

「ご列席のご一統様に申し上げます。この儀式は先輩諸姉各位ご注目のとおり、最高の名誉ある儀式でございます。立派な生徒会長となっていただくために、継ぎ足しをさせていただきます」

 介添人が一合枡に御神酒を継ぎ足すと、媒酌人である駒形かなは請地なぎの下座に立つ取持人で班活動代表者会議・議長である吾妻ひとみのほうに身体を向ける。

「お取持人に申し上げます。先代となられます請地なぎ様が、新会長となられます中村つかさ様に立派な会長になって欲しいと心を込めて残されました御神酒の姿です。とくとご検分願います」

 吾妻ひとみは枡を持ち上げ、正面左右を確認して軽くうなずくと一言「結構です」とだけ言い、枡をテーブルの上に戻す。

 駒形かなは、テーブルの上に枡が戻されたことを確認すると、口上を再開する。

「その枡は第六十代生徒会会長相続の枡でございます。本来ならばこの枡を、ご一統様御前に持ち廻りましてご検分願うのが本意ではございますが、なにぶん式事長時間となります故、その点よろしくご了解いただきまして、まことに略儀ながら枡の姿、その位置におきまして、よろしくご検分賜りますようお願い申し上げます」

 数秒間の静寂が流れる。

「それでは、お取持人になり代わりまして、添え言葉を述べさせていただきます。第六十代会長となられます中村つかさ様に申し上げます。この枡を飲み干されると同時にあなたは正式に第六十代生徒会会長となられます。既にお覚悟も十二分におありのことと存じますが、その覚悟の程を今一度確認されまして、心が決まりましたらその枡を一気に飲み干し、深くお納めください」

 その言葉とともに中村つかさは枡に口をつけると、そのまま枡に口をつけたまま三回に分けて御神酒という名の炭酸水を飲み干し、そのまま枡を垂直に起こし、一滴も残していないことをアピールした。

「当事者お二方に申し上げます。それでは、前会長により椅子を引いていただき、新会長にお座りいただきます」

 請地なぎと中村つかさは黒檀のデスクの後ろに回り込むと、請地なぎはレザーの椅子を後ろに引く。

「着席されれば、中村つかさ様が第六十代生徒会会長となります。どうぞ!」

 媒酌人の駒形かなは中村つかさに着席を促す。中村つかさが腰を下ろした瞬間、全員から割れんばかりの拍手が送られる。ワンテンポ遅れ、はじめと美緒も拍手を送る。

「おめでとうございます。これにて中村つかさ様が第六十代生徒会会長となりました。引き続き、当選証書授与式をさせていただきたく存じます。新役員の皆様はテーブル右側にお並びください」

 新会長となった中村つかさは椅子から立ち上がると、再び黒檀の机の前に移動する。そのタイミングを見計らったかのように、はじめや美緒と同じ後方一列に座っていた新副会長・本郷みやこ、会計・小室のぞみ、書記・秋山あやの三人が静かに立ち上がり、テーブル右側に向かって歩き始める。はじめと美緒は一瞬顔を見合わせ、慌てて立ち上がり、彼女たちの後ろにつく。

 媒酌人から選挙管理委員会委員長に戻った駒形かなが黒檀のデスクの前に立つと、同じく介添人改め副委員長の二人は、紫の風呂敷に包まれた何かを会議用テーブルの上に置き、結び目を解く。中から漆黒の木箱が現れると、副委員長たちはふたを開け、両手で丁寧に中から長方形の紙を取り出し、そのまま委員長に手渡す。

「中村つかささん」

「はい」

 つかさは前に出て、委員長と真正面に向かい合う

「当選証書 長野県上田市別所温泉 三年B組 中村つかさ 右は第六十回生徒会役員選挙会長職に於いて当選したことを証明するためここに当選証書を付与する」

 委員長は、当選証書の文面を読み上げると、つかさに当選証書を手渡す。当選証書がつかさの手に渡った瞬間、周囲から拍手が沸き起こる。

 以降、副会長、会計、書記と当選証書の授与が続き、委員長は『以下同文』と略することなく、一人ひとりに全文を読み上げ、当選証書を授与する。最後に、はじめが当選証書を受け取った瞬間、ひときわ大きな拍手が送られ、はじめは方角別に三回、深々と頭を下げる。

「それでは、名札の授与に入りたいと思います。会長、副会長、会計の二人、書記の二人の順に名札をお受け取りください。お受け取りになりましたら、順次歴代の生徒会役員の名札が埋め込まれている名札受けに挿し込んでください」

 選挙管理委員会の委員長と副委員長が後ろに下がり、手に名札を持った前会長・請地なぎが黒檀のデスクの前に移動すると、つかさを先頭に新役員たちが列を作り、前会長から名札を受け取る。はじめは列の最後尾に並び、最後に名札を受け取る。縦七センチ、幅三センチ、厚さ五ミリの柘植の板に黒い楷書体で『書記 関谷はじめ』と彫られている。

 柘植の名札を受け取った新役員たちは、会長から順に、会議用テーブルから見て左前方の、歴代の生徒会役員の名札がはめ込まれている壁まで歩みをすすめ、朱色の『第六拾代』のすぐ左に確保されているスペースに順次名札をはめ込んでいく。当選証書の授与と同様、最後にはじめが名札をはめると、再び大きな拍手が起きる。

「では引き続きまして、これより新役員就任の儀を執り行なわせていただきます。菅野美緒様、関谷はじめ様、机の前へどうぞ」

 選挙管理委員会委員長・駒形かなが再び媒酌人となり、はじめと美緒を前方へ誘う。美緒は明らかに戸惑いの表情を浮かべている。

 駒形かなと介添人の二人が黒檀のデスクの前まで移動すると、介添人の二人が四つの一合枡をテーブルの上に置き、二つの枡に六勺、残りの二つの枡に四勺の御神酒を注ぎ込んでいる。

「それでは、お取持人になり代わりまして、添え言葉を述べさせていただきます。第六十代会計となられます菅野美緒様に申し上げます。この枡を飲み干されると同時にあなたは第六十代生徒会会計となられます。既にお覚悟も十二分におありのことと存じますが、その覚悟の程を今一度確認されまして、心が決まりましたらその枡を一気に飲み干し、深くお納めください」

 黒檀の机の前で、つかさ新会長は美緒に軽く耳打ちすると、二人はそれぞれ右手に枡を持ち、真正面に向かい合ったかと思ったら、二人は互いに歩み寄り、そのまま己の左腕を相手の肩甲骨あたりに回して抱擁を始めた。そして枡を持った己の右腕を相手の後頭部に回し、その体制から枡に注がれた御神酒を三口半で飲み始めた。

 新会長と美緒が抱擁しながら御神酒を飲み干さんとしている様子を眺めながらはじめは、信州の田舎町の公立高校の生徒会で、どうしてこんな儀式が執り行われるのか、あれこれ思案を巡らせてみる。

 儀式のモデルはどこかの秘密結社の儀式や、昔の東映の任侠映画やVシネマあたりから影響を受けていると仮定した場合、この両者と共通していることは、余所者を仲間として迎え入れるにあたり、古参のメンバーと新米の間にある忠誠心(ロイヤリティ)の温度差を縮め、組織の運営に支障が生じるのを防ぐということだ。そこで、仰々しい儀式を通じて権威を見せつけ、古参と新米の力関係を明確にさせる。次に、新米に誓いを立てさせることによって、新米の潜在意識に宿る『良心の呵責』にダイレクトに訴求することにより、新米に見えない足かせをはめ、逸脱した行動を抑止させることこそが、この儀式の目的なのだろう。

 新会長と美緒との間で交わされている炭酸水の分量は新会長六勺に対し、新会計の美緒は四勺だ。これは、生徒会という組織内部におけるパワーバランスの差を暗喩しているのだろうか。

 ゆえに、はじめの推測……いや、もしかしたら憶測かも知れないが、それが合っているとしたら、美緒はこれからちょっとした『辱め』を受けることになるはずだ。

 御神酒とは名ばかりの炭酸水を飲み干した新会長と美緒は、互いの抱擁を解き放つと、美緒は新会長に向かって跪く。一方、新会長は自分の顔を美緒の顔に近付ける。一体何をするつもりなのだろうと思いながら二人に注目していると、新会長は美緒の顔に近付き、いきなり自らの唇を美緒の唇を重ねてきた。

 瞬間、美緒の目が大きく見開き、唇を重ねたまま、驚きの表情を隠そうとせず、右手で新会長の二の腕を何度もタップしている。同時に、白い柔肌が見る見るうちに赤く染まっていく。

 唇の連結が解き放たれた瞬間、満足げな表情をしている新会長がいる一方で、美緒は全身が脱力した状態のままレザーシートに身体を沈めている。後ろを見ると、新聞班と放送班はデジタル一眼レフと二台のビデオカメラでしっかりと一部始終を押さえている。副会長以下他の役員たちや参列者の他校の生徒会役員たちは、接吻に動揺したり、興味本位の態度を取ったりするかと思いきや、真剣な眼差しで二人を見つめている。

 はじめは、新聞班と放送班に密着取材の許可を出したことを後悔しながら、新会長と正面で向かい合い、覚悟を決めると、自ら新会長に歩み寄る。新会長は、はじめの耳元で「はじめ君は中身が少ないほうを手に取ってね。あとは任せて」とささやく。

 はじめは右手に枡を持ったまま、左腕でつかさ新会長の肩甲骨を押さえるかのように強く抱きしめる。女の子独特の、ほんのり甘い匂いがはじめの鼻腔を刺激する。新会長も負けじと、右手ではじめの身体を強く締め付ける。女の子を抱きしめるとは、こういうことなのか。

 つかさの身体は柔らかく、はじめは今までの人生で経験したことが無いホールド感を得ながら、升に注がれた四勺の御神酒を三口半で飲み干す。無味無臭だが、炭酸が、はじめの舌と喉をピリピリと刺激する。つかさもほぼ同じタイミングで飲み干したのか、抱擁を続けたまま口をはじめの左耳に近付けると、はじめだけにしか聞こえない大きさの声で「大丈夫。怖がらないで」とささやく。左耳を刺激するツインテールがくすぐったい。

 抱擁を終えたはじめは、つかさに向かって跪くと、まっすぐ彼女の顔を見つめる。つかさは、軽い微笑みを浮かべると、ゆっくりはじめに近付く。これからおそらく自分が考えうる、最悪のシナリオが展開されるであろうが、今更じたばたしても遅い。

 つかさは目線をはじめと同じ高さまで落とすと、両手で包み込むようにはじめの頬に触れ、そのまま顔を近づけ、美緒の時と同様に唇を重ねてきた。

 やっぱりそうか……。でも、女の子の唇ってなんて柔らかいんだ。いや、先輩に対して『女の子』だなんて失礼か。いや、それどころではない。

 はじめはつかさにされるがままの状態になっている。唇を重ねたままの状態での十数秒間の沈黙の後、つかさは唇を重ねたままの状態で何度も首を傾け、左手ではじめの後頭部を押さえながら、まるで酸素を求める金魚のように口を何度も半開きにしたかと思うと、半ば強引に自らの舌をはじめの中に送り込む。はじめはなすすべもなく、つかさの舌を受け入れ、自分の舌と絡ませながらも、心拍数が上がり、鼻息が荒くなりそうになるのを必死に抑えている。理性では拒絶せんとしても、自分の意思とは裏腹に、身体の一部に血液が集中しつつある。おそらく、この様子もやはり新聞班と放送班に撮られているのだろう。それに、この接吻は情愛からくるものではない。あくまで、部下に従順になってもらうための手段にすぎないのだ。たぶん。

 はじめは遠ざかる意識の中、辛うじて黒いレザーシートに腰を掛ける。二人を歓迎する盛大な拍手が、自分の意識からかなり離れたところで響き渡っているように感じた。

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