開票!(Eight o'clock)
「なぁ駈、こんなに朝早くから始めなくてもいいんじゃねぇか?」
「何を言ってるんだはじめ。今日の八時からいよいよ選挙戦が始まるんだよ。全校生徒が登校するこの時間を最大限に生かす手はないだろう。それに、あと少ししたら他の候補たちがやってくるから、その前にいいポジションを確保しなきゃね」
月曜日の朝七時三十分。はじめ、美緒、駈を含む一年A組の有志が集まり、藤井高校の校門をくぐったすぐ右という絶好のポジションを獲得し、午前八時の選挙運動解禁を今か今かと待っている。
「はじめ。菅野さん。今のうちに今日のスケジュールの流れを確認するよ」
駈はグループウェアを起動した自分のノートPCの画面をはじめと美緒に見せる。
「うわぁ、本格的ね」
美緒は思わず驚嘆している。
「まぁね。準備期間がほとんど無かったから予定の組み立てには苦労したよ。まず今日だけど、八時から八時半の間は朝立ちしてもらって、昼休みには選挙ポスターの承認申請を選挙管理委員会に提出してもらう。特に問題無ければ放課後には承認印が押されたポスターを受け取れるだろうから、みんなで手分けして校内中にポスターを貼るんだ」
「カケル君、そのポスターって何なの?」
「ああ、この週末に僕がフォトショップとイラストレーターで作った二人のポスターのデータが入ったSDカードをクラスの子に渡しておいたから、今ごろコンビニのコピー機でガンガン印刷してるんじゃないかな。そろそろ来る頃だと思うよ。おーい!」
駈は市役所のほうから手を振りながら歩いてくる二人の女子生徒に両手を振り返す。
「お前、なんか楽しそうだな」
「いや、そんなこと無いよ。ただ、こんな機会はそうそうあるわけじゃからね。そろそろ時間だよ。はじめも菅野さんも準備して」
「なぁ駈、こういう時って、どんなことを言えばいいんだ?」
「うーん、演説原稿までは手が回らなかったからなぁ……」
「まだ序盤だから、今日のところは自分の名前と『よろしくおねがいします』を連呼すればいいんじゃないかしら」
後ろから聞こえてくる女の人の声に、三人が一斉に振り返る。
「おおっ、これは会長候補のお出ましだ」
「会長候補?」
身長は一六〇センチくらいかと思われるが、少し茶色かかったツインテールをなびかせ、女子高生とは思えない八頭身そして紺色のニーソックス姿は、実際の身長よりも高い印象を受ける。
「ああ。現職で会長候補の三年生・中村つかさ候補だよ」
「おはよう。私が一番乗りだと思ってたのに、先に取られちゃったわね」
「お、おはようございます。何かすみません」
はじめはつかさに軽く頭を下げる。
「ううん。先に来たのはあなたたちだし、書記と会計だったら直接争うわけじゃないから問題ないわ。それに二人ともカワイイ候補さんね。もしかして二人は付き合ってるの?」
「「いえ、違います!」」
はじめと美緒は声を揃えて否定する。
「とにかく、あと三分で八時よ。関谷はじめ君、菅野美緒ちゃん。健闘を祈るわね」
つかさは少し苦笑しつつ二人を励ます。
「先輩も頑張ってください」
気が付くと、つかさが握手を求めるべく、はじめに両手を差し出している。
「はじめ。早速チャンスだよ。中村先輩と握手している画は学校新聞のいいネタになるだろうからさ」
生徒会長最有力候補の第一声を記録に収めたいのか、新聞班と放送班がカメラを構えている。
はじめは満面の笑みを浮かべ、中村つかさと両手でがっちりと握手をすると、手を握ったままカメラ目線を送る。
「ああ、ずるーい」
美緒がはじめとつかさの間に割り込み、握られた二人の手の上に自分の両手を載せると、一斉にカメラのシャッター音が校門前に響き渡った。
「いやあ、今朝はすごくおいしかったねぇ。想像以上に幸先のいいスタートだったよ。次の藤高週報の一面は、はじめと菅野さんで決まりだね」
帰りの電車の中、選挙参謀ぶりが板につきつつある駈が満足そうな表情を浮かべている。
「でもさぁ、今日一日でこんなに疲れるとは思ってなかったよ。ワタシもうヘトヘトだよぅ」
美緒が疲れ切った表情で答える。
「そうだよなぁ。朝立ちから始まって、休み時間や昼休みのクラス回り。そして放課後は原稿作りと、休む暇がないもんなぁ。ああ、腹減った!」
はじめは右手の掌で瞼を強く押さえつけると、少し上を見上げて何度も目をまばたきさせている。
「明日は明日で忙しいよ。朝立ちやクラス回りに加えて、放課後は放送班のスタジオで校内に流す政見放送を収録するからね」
「えーっ、なんだか超だるいよぅ」
はじめと美緒はしんどそうな表情をしながら座席の背もたれに思いっきり寄りかかる。
「でもな、駈。ありがとな」
「おいおい、礼を言うなら当選してからにしてもらいたいね。とにかく、来週の金曜日まで頑張ろう」
「うんっ!」
美緒が大声で応えたものの、他の乗客の注目を集めてしまい、急に全身を真っ赤にしながら小さく丸まってしまう。その姿を見て、はじめと駈はケラケラ笑っていた。
翌週金曜日の午後。体育館に全校生徒を集めて開催された立会演説会終了後、ただちに投票が始まる。
「はじめ、菅野さん。二人ともいい演説だったよ」
「そう……かな……、ワタシ結構噛んじゃったし、内容もあれでよかったのかなぁ」
美緒は顔を少し赤らめながらも、安堵の表情を浮かべている。
三人はあらかじめ配られた投票用紙を片手に、市の選挙管理委員会から貸し出された、実際の選挙でも使用されているというアルミニウム製の投票用紙記載台に散らばる。はじめは投票用紙の書記の欄には自分の名前を、会計の欄には菅野美緒と記入し、会長には現職の中村つかさ、副会長にも現職の本郷みやこの名前を書き入れ、同じくアルミニウム製の投票箱に投票用紙を入れると、ほぼ同じタイミングで投票を終えた美緒、駈とともに教室に戻る。
投票を終えた生徒は、順次そのまま帰ったり、班活動を始めたりしてもよいことにはなっているが、少なくとも、一年A組の生徒は誰一人帰ろうとはしない。これから開票作業に移り、夕方五時過ぎには当落がほぼ確定するからだ。
教室前方に吊り下げられている四十インチの液晶テレビの電源が入れられ、画面にはカラーバーが映し出されている。
教室の電波時計が午後三時を指した瞬間、液晶テレビに放送班とおぼしき二人の女子生徒が映りだす。
『お待たせいたしました。第六十回生徒会役員選挙・開票速報の時間となりました。司会は放送班班長・津田宏美と……』
『藤本貴子がお送りします』
『まずは、今回の候補者について振り返ってみたいと思います』
つい先ほどまでざわついていた教室が、一瞬にして静かになる。
『定数1の会長には三年生より三名の候補者が立候補していました。まずは最有力候補と目されていました現会計でB組の中村つかささんですが……』
コンピューター・グラフィックスで作ったと思われるスタジオセットの床面から、候補者の名前と顔写真が飛び出してくる動きは、とても高校生が作ったものとは思えない。司会の二人は役職別に各候補者の紹介を始める。
『さて、定数2の会計には二年生から三名、一年生から二名立候補者がおり……』
候補者一覧の中に、美緒の写真が映し出されている。誰からともなく歓声がわきあがる。
『そして最後に、委員会や班活動を統括する、同じく定数2の書記には、なんと学校史上最多の、二年生五名、一年生六名の候補者で争われる厳しい戦いとなりました。十一名の候補者はご覧のとおりとなっております』
生徒手帳用の写真をスキャンしたとおぼしき、若干粗めのはじめの写真が他の十名と一緒に映し出される。自身の写真写りの悪さに、はじめは思わず苦笑いをする。
『今回の選挙の最大の特徴としましては、先ほども申し上げたとおり、全体の定数6に対し、異例とも言える二十三名の候補者が乱立する厳しい戦いになっただけではなく、会長候補に一名、そして書記候補にも一名、男子生徒の立候補があり、当選すれば、学校史上初の男子生徒の生徒会役員が誕生することとなりますが、過去のデータによれば、男子生徒の立候補の記録はあるのですが、いずれも落選という結果に終わっています。さて、ここで開票センターと中継が繋がっています。開票センターの宇佐美智慧さん?』
『はーい。選挙管理委員のみなさんが、ここ、視聴覚室を開票センターにして、開票作業をしているところです』
画面の向こうでは、十名くらいの生徒が投票箱から投票用紙を取りだしたり、一枚一枚丁寧に投票用紙を確認したりしながら、結果をホワイトボードに書き込んでいる。
『一方、隣の視聴覚準備室では新聞班が、開票経過をもとにして当選確実の判断をする形となっています』
「なぁ駈、全校生徒千人そこそこの学校で、当選確実の判断ってなんだよ。国政選挙じゃないんだからさぁ」
「別にいいんじゃない。放送班が、そうしたほうが選挙が盛り上がるし面白いと思ったんじゃないか。放送班だって自分たちがやっていることに興味を持って欲しいと思っているだろうからさ」
『ピンポーン!』
『早速当選確実が出たようです』
映像がスタジオに切り替わる。
『三名で争われた定数1の会長ですが、開票率五%で最有力候補だった上田市出身、三年B組の中村つかささんが圧倒的な得票率で当選確実となりました。三年B組の前には、今日が学校放送デビューの佐々木恭輔がスタンバイしております。佐々木君?』
『はっ、はい。三年B組では、ご覧のとおり万歳三唱が行なわれ、中村候補自らが達磨に目を入れようとしているところです。早速中村候補にインタビューしてみたいと思います。おめでとうございます』
『ありがとう』
『書記、会計と生徒会役員を歴任され、いよいよ会長となりますが?』
『今までの生徒会役員としての実績を、生徒の皆さんがちゃんと見ていてくれたんだなと……』
全校生徒約千名の五%ということは約五十票。中村つかさがそのほとんどを自分のものにした段階で、新聞班と放送班は当選確実と判断したのだろう。いずれにしろ、驚異的な支持率だ。
『ピンポーン!』
『またここで当選確実が出たようです。定数2の会計ですが、うち一名の当選確実が出ました』
クラス中がざわめき始める。
『東御市出身で二年D組の現職・小室のぞみさんが当選確実を決め、残る枠は一つ。北佐久郡小田井町出身の一年A組のカンノ美緒さんと、同じく北佐久郡軽井沢町出身二年J組の……』
『スガノ美緒さんですね』
『あっ、失礼しました。菅野美緒さんと……』
ざわめきが溜息に変わる。美緒は他の候補と熾烈な二位争いを展開している。
『ここで、書記の途中経過を見てみましょう』
画面が書記の候補者一覧に切り替わる。
『最も激しい争いとなりました、定数2の書記ですが、当初の予想を大きく裏切り、各候補、票が割れております。現在の順位を見てみましょう』
はじめは教室最後方の自分の席でまっすぐ画面を見つめている。
どうせ落選するなら〇票で落選してしまうほうがある意味『おいしい』とはじめは思っていたが、速報によれば、開票率五%の段階で五票獲得しているため、全候補者十一名中四位タイにつけている。当選圏内の候補者ですらまだ一二、三票程度しか獲得できていない状態ではまだなんとも言えないが、今後も同じ比率で得票するようであれば確実に落選する。
『ピンポーン!』
『ここで、会計の残り1枠の当選確実が出ました』
ふたたび、教室がどよめく。
「一年A組、菅野美緒さん当選確実です。菅野美緒さん当選確実です」
どよめきが歓声に変わる。
クラス全員が美緒を取り囲み、グータッチを求める。美緒はどうすればいいかわからないまま、求められるがまま、されるがまま、クラスメイトのグータッチに応じる。
「はじめちゃーん。どうしよう」
「まぁ、ひとまずはおめでとう」
「もう、まるで他人事みたいに……」
「よーし、まずは万歳三唱だ!」
誰かの音頭で万歳三唱が始まる。クラスの皆は、はじめが候補者であることなどすっかり忘れているようだ。しかしはじめは自分でも意外と思うほど疎外感を感じることは無く、むしろデッドヒートを演じることにより下手に自分に注目が集まり、引っ張るだけ引っ張った挙句、自分自身の残念な結果によって、美緒の当選に水を差すことがなくなったことに安堵していた。
『ピンポーン!』
『一人目の書記の当選確実がでました』
はじめ以外のクラスメイトは美緒の当選に浮かれているのか、テレビのアナウンスに気付いていない。
画面が書記の立候補者の得票数一覧に切り替わった瞬間、はじめは己の目を疑う。
開票率五〇%の段階で、いつの間にかはじめは第三位につけており、しかも、現在の第一位、第二位を差し置き、真っ先に当選確実が打たれたのだ。
『一年A組、関谷はじめさんに当選確実がでました』
「はじめちゃん! 当選確実が出たよ!」
テレビに気付いた美緒が大声で叫ぶ。
「第三位なのに……」
はじめが思わず口にした一言が聞こえていたかのように、テレビでは当選確実を打った理由の説明が始まっている。
『第三位にいながら、関谷はじめさんに当選確実がでた理由としましては、放送班と新聞班の共同調査により、おもに関谷はじめさんを支持していた二年生、三年生分の開票作業が遅れていたためであり、開票作業が進むにつれ、第二位になることが確実視されたからです』
「さぁ二人とも、インタビューの時間だよ」
いつの間にか、放送班の中継チームが教室まで来て、生中継の準備を始めている。
駈はカメラの前へと、はじめと美緒の背中を押す。
「それでは会計に当選しました菅野美緒さんと、書記に当選しました関谷はじめさんへのインタビューを始めたいと思います。お二人とも、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「学校史上初の快挙を二つ成し遂げましたが、いかがでしょうか」
「二つ?」
美緒が首を傾げながら答える。
「はい。本校始まって以来、初めて同一クラスから複数の生徒会役員を輩出したこと、そして学校史上初の男子生徒の生徒会役員が誕生したことです」
クラス中が歓声に沸く。
「あ、あぁ……正直申し上げて、驚いています。当選できたのは、クラスのみんなと、投票して下さったみなさまのおかげです。ありがとうございました」
はじめは戸惑いながらも深々と頭を下げる。
「菅野美緒さん、一足早く当選を決めましたが、どんな気持ちで開票を見ていましたか?」
「はじめちゃ……関谷さんと一緒に当選できたらいいなって思っていました」
美緒のコメントに、クラス全員がはじめと美緒を冷やかす。
「よーし、菅野さんと関谷を全員で胴上げするぞ!」
誰かの音頭とともに、はじめと美緒はあれよあれよとクラス全員に持ちあげられ、四回宙に舞った。クラス全員の気持ちは嬉しかったが、生まれて初めての胴上げ。教室の中だったので、はじめは天井に頭をぶつけやしないかとはじめは内心ヒヤヒヤしていた。




