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邂逅!(Encounter)

第2部文が短いので、引き続き第3部分をアップロードいたします。

 翌土曜日の十三時三十分。はじめは工具一式が入ったツールボックス片手に、駅入口交差点の角地に建つ、軽量鉄骨造りの三階建ての建物の前に立っていた。

 手帳にメモした住所にやってきたはいいものの、どう見ても何かの会社の建物であり、一般的な住宅には見えない。

 一階はピロティになっており、一台の赤いイタリア製ハッチバックが停まっている駐車場と、自動ドアの入口しかない。

『小田井超短波放送株式会社 Otai Frequency Modulation Broadcasting K.K.』

 毎日とは言わないまでも、何度となくこの道を通ってきたが、少し目立たない場所に置かれている黒御影の社名標を見て、この建物がなんのために存在しているかを初めて知る。この町にはケーブルテレビ以外に放送局があったのか。超短波放送とは、日本国内においてテレビのアナログ放送が終了した今、専らFMラジオ放送を意味する言葉となっている。

 はじめは自動ドアのボタンを押し、おそるおそる中に足を踏み入れると、そこにはエレベーターと階段が並んでおり、ベルベットのロープが無言で階段への立ち入りを拒んでいる。エレベーターの呼び出しボタンを見ると、『御用の方は三階へ』と印刷されたラベルシールが貼られている。はじめは指示どおりエレベーターに乗り、『3』のボタンを押して上に向かう。

 約二十秒後。エレベーターの扉が開くと、そこはいきなりオフィスになっていた。

 オフィスとは言っても、はじめの父親が経営する町工場・株式会社藁越精密機械工業の事務室のような、所狭しとねずみ色の野暮ったいスチール家具が並び、様々な書類が平積みされている、雑多な感じとは全く異なり、目測で百平方メートルはあるであろうスペースの真ん中に、ひょうたん型の大きなテーブルが置かれており、椅子が何脚か収められている。左側の壁の手前半分はお揃いのバインダーがぎっしりと並んだ本棚、奥半分には複合機、小さな自動販売機、年代物の食器棚、ダイヤトーンのスピーカー、通信対戦型ダーツマシンそしてDJターンテーブルが置かれている。

「お前、何の用だ」

「わかばっちにこくりに来たのか?」

 はじめの視点から見て左右斜め下のほうから、同じような声をした女の子の声がする。視点を動かすと、顔立ちがそっくりな二人の女の子が怪訝な表情をしながらはじめをじっと見つめている。髪型は片方がポニーテール、もう片方はツインテールと異なるが、おそらく双子であろう。

「どーやら年上好きの高校生とみた」

「高校生を虜にするとは、わかばっちもなかなかの天然小悪魔系ですなぁ」

 はじめは、この子たちは何を言っているのだろうと思っていると、二人の後方から別の女性の声が聞こえてくる。

「あらあら。ここは勝手に入っちゃダメよ」

 まだ幼さが残る顔立ちに黒くてまっすぐな長い髪。雪のような白い肌。就職活動をする女子大生が着るようなブラウスに紺色のタイトスカートというシンプルかつきっちりとした服装だが、その印象に似合わぬ大きな瞳と、ブラウスの中にハンドボールが二個入っているかのようなはちきれんばかりのバストに、はじめは思わず釘付けになる。おそらく美緒よりも一回りから二回りは大きい。

「わかばっち、本日二人めのチャレンジャーだよ!」

「果たしていつものように『ごめんなさい』のクリティカルヒットが炸裂するのか、それとも陥落してラブラブになるのか……」

 双子は勝手にわけの分からない司会進行と解説を始めている。

「あっ、あの、おれはそうじゃなくて……おれは関谷はじめっていいます。藁越の菅野さんから紹介されまして……、直して欲しい物があるって聞いたものですから……」

 先ほどまでノリノリだった双子の動きが一瞬固まる。

「あらあら。ごめんなさい。修理の方だったんですね。実は二階のスタジオで使っているCDプレーヤーのうち、一台が動かなくなって、もう一台は音飛びが頻繁に起こるようになっちゃったんです。あっ、申し遅れました。わたくし、FMあさまの三里塚わかばっていいます。よろしくおねがいします」

「あっ、はい」

「ところで、ここは何をする場所で……。表の社名を見る限りではFMラジオの放送局のようなんですけど」

「ええ。おっしゃるとおりFMラジオ局ですよ」

「えっ、小田井にFM局なんてあったんですか?」

 長野にあるラジオ局と言えば、長野市内にあるSBCラジオと松本市内にあるFM長野の二局というのが長野県民共通の認識のはずだ、

「あらあら。ご存じでは無いようなので、簡単にご説明しますと、うちは小田井とその周辺をサービスエリアにしたFM放送局なんですよ。表にある『小田井超短波放送株式会社』は正式な名前で、普段は愛称の『FMあさま』って呼んでます」

「はぁ……。いや、とにかく見てみます」

「おねがいしますね」

 わかばは身体を双子のほうに向けて話を続ける。

「それからあいちゃん、まいちゃん。今日はどうしたの? 今日は放送の日じゃないでしょ?」

「うん。そーだけどさぁ……。ここに来ると何か楽しいことが起きるから。今日みたいに」

「つい来ちゃうんだよね」

「「ねー」」

「だったら二人とも。お客様にご挨拶は?」

「おう。わたしは小田井北小学校五年一組・千原あい」

「おなじく、五年一組・千原まい」

「そしてあるときは史上最年少のパーソナリティでディレクター」

「だがそれは『世を忍ぶ仮の姿』! して、その正体は……」

「最強のカードファイター・千原あい!」

「カードファイトの覇者・千原まい!」

 二人はしたり顔をしながら、はじめには理解不能なポーズを取っている。

「あらあら。まいちゃん。手がピンと伸びてないわよ」

「ええっ、伸びてるよう!」

 アンタが仕込んだのか!

 はじめは心の中でわかばに突っ込みを入れる。

「それじゃ、私ははじめ君をスタジオにご案内するから、二人は大人しく待っててね」

「ふあーい」

 双子は椅子に座ると、各々のトートバッグから色違いの携帯ゲーム機を取り出してプレイを始める。

「それじゃあ、ご案内しますね」

 はじめとわかばはエレベーターに乗り込み、首からぶら下げたICカードを、エレベーター備え付けのリーダーにかざしてから2のボタンを押す。どうやら関係者以外は二階には行けない仕組みになっているらしい。

 二階は三つのスタジオが並んでいた。

「はじめ君に来てもらって、本当に助かっちゃいました。電気屋さんはアンテナ工事に行っちゃうし、レンさんはお孫さんの顔を見に先週から東京に行ったきりでしたから。壊れているCDプレーヤーは一番奥の第三スタジオの副調整室に置いてありますから、そこで見ていただけますか?」

「あっ、はい」

 途中、通路から手前と真ん中のスタジオに目をやるものの、中には誰もいないようだ。

 わかばの後を追うように、第三スタジオの副調整室に入る。三階ではまったく気が付かなかったが、喫茶店で流れるBGM程度の音量で、今放送されていると思しき楽曲が建物の中に流れていることにようやく気付く。マイケル・ジャクソンのビリー・ジーンか。

「このプレーヤーと、このプレーヤーなんですけどね」

 わかばが右手と左手の人差し指で二台のCDプレーヤーを指差す。

「わかりました。とりあえず見てみます。あと、動作確認に使いたいんで、アンプとヘッドホンはありますか?」

「アンプ? 私、よくわからないんで、ここにある機械、自由に使って下さい」

 わかばさんの視線の先には、複数台のアンプやCDプレーヤー、MDプレーヤーなどが積まれている。

「あっ、わかりました」

「それじゃ、わたしはまだ仕事が残っていますので、終わったら三階に来ていただけますか?」

「はい。そうします」

 わかばが副調整室から出て上に戻る。はじめは二台のCDプレーヤーを床に置き、自らもあぐらをかくと、ツールボックスから取り出したはんだごてを通電させ、先端が熱くなるまでの間にCDプレーヤーの筐体を外し、それぞれの内部を確認する。その結果、一台は電源部の接触不良。もう一台はCDの情報を読み取るレーザーピックアップレンズと、ディスクを回転させるスピンドルモーターに問題があることが判明した。つまり、一台は修理可能で、もう一台は部品の取り寄せが必要であるということだ。

 結局、修理ができなかったもう一台は一旦はじめの家に持ち帰って修理することになった。

「ありがとうございます。本当に助かりました。是非お茶でも飲んで行って下さい。あとお菓子もありますから。あっ、お茶はなににします? イングリッシュ・ブレックファーストとアールグレイとダージリン、アッサムがありますけど?」

「あっ、それじゃ、イングリッシュごにょごにょ……で」

 紅茶の名前をすべて覚えきれなかったはじめは、辛うじて覚えていた名前の一部を、後半部分をごまかしながら答える。

「シンプルなものがお好きなんですね。あっ、どうぞおかけになってください」

「はい……」

 はじめはひょうたんテーブルの椅子の一つに腰掛ける。それから間もなく、わかばがティーポットとティーカップをはじめの目の前に置こうと前にかがんだ瞬間、ちょうどはじめの視線の高さに、ブラウスからこぼれ落ちそうな巨大な胸の谷間が飛び込んでくる。それと同時に、シャンプーの残り香なのか、長い黒髪から醸し出されるいい香りがはじめの鼻腔を強く刺激したその刹那、後ろから誰かに目隠しされる。目隠しとはいっても、よく恋愛漫画やテレビドラマ等で見かける、両手で相手の両目を隠す、所謂『だーれだ!』ではない。左の掌だけではじめの視界を覆ったかと思ったら、次に右手ではじめの股間を握り始める。大きさ、まぶたに感じる柔らかい感触そして香りから、はじめは両手の主が大きさからして女性であることを見抜くが、股間を揉みしだかれている今、その指摘を口に出す精神的な暇は全くない。

「ひ、ひゃっ!」

 はじめの声が思わず裏返る。

「もう、女の子みたいな声を出しちゃって。結構カワイイとこあるのね」

 少しハスキーではあるが、女の人の声だ。そして自分の口を、はじめの耳元まで近づけると「キミ……。凄いねぇ。今度おねえさんと『いいこと』する?」と囁く。

 はじめは自分の視界を遮る女の人の左手を引きはがし、思わず首を右に動かすと、すぐ目の前で少しボサボサになったショートカットの女の人がはじめの目をじっと見つめている。あと三センチ、どちらかが顔を前に動かしたら確実に唇が重なる距離だ。はじめの脳内で、ビリー・ジーンの歌詞がオーバーラップする。

「なっ、なんなんですか。初対面なのに……」

「ごめんごめん。ちょっとやりすぎだったね。でも、初対面じゃないよ」

 彼女は股間から右手を離し、隣の椅子に座る。

「初対面じゃないって、どういうことです?」

「あたしのこと、覚えてないの? あれだけ何度も逢瀬を重ねたのに酷いわ」

 少し芝居掛かった口調で彼女は答える。

「逢瀬? どこでです? おれは女の人と逢瀬を重ねてはいませんよ」

「してるじゃない。朝と夕方に」

 はじめは朝と夕方の行動を思い出す。家を出て駅に向かい、毎日ではないが、時々お茶や缶コーヒーを買うためにコンビニへ寄って……って、もしかして!

「あのう、近くのコンビニで働いてます?」

「正解。ようやく気付いたね。私は佐倉みのり。よろしくね」

「は、はぁ。関谷はじめです」

 今の行為が単なるじゃれ合いなのだとしたら、この佐倉みのりという女性はかなり人が悪い。

「ところで三里塚さん」

 はじめは気を取り直してわかばに声をかける。

「わかばって呼んでください。みなさんそう呼んでますから」

「あっ、はい。三里……わかばさん。先ほどの修理の件なんですけど、一台は直ったんですけど、もう一台は部品を取り寄せなければいけないので、一旦お預かりさせていただいてよろしいですか?」

「はい。もちろんです」

「分かりました。それじゃあ、修理が終わったら連絡しますんで、今日はこれで失礼しま……」

「待って。行かないで」

「は?」

 わかばの引き留めに、はじめは一瞬戸惑う。

「来ていただいたついでで申し訳無いんですけど、もう一つお手伝いしていただきたいことがあるんですが、よろしいですか?」

「ええ、いいですよ」

 どうせ時間はある。今家に帰ったところでやることと言えば飯食って寝るだけだ。

「それでは、みのりさんの後に付いて、お仕事を手伝っていただけますか?」

「はぁ……」

 はじめと佐倉みのりは建物の外に出ると、そのまま徒歩で五分ほどの距離にあるコンビニに向かい、店内に入り、レジにいる制服姿の中年女性と軽い挨拶を交わしながらそのままバックヤードの中に入っていく。はじめが、自分も中に入るかどうかを躊躇っていると、いきなりみのりがはじめの右手首を掴み、そのまま中に引きずり込むと、すぐさまドアを閉めて鍵をかけた。

「飲み物は充填したばかりみたいだから、しばらく誰も来ないよ」

「あっ、いや、その……」

 みのりは右手の人差し指で、石膏の壁に寄りかかったはじめの左胸のあたりをぐりぐりと撫で回す。

「大丈夫。私にすべてを任せてくれたら、あとは身体が勝手に動いてくれるわ。身体は正直だから。君は私の言うことを聞いていればそれでいいの」

 みのりは妖艶な声で語りながら、はじめをまっすぐ見つめている。

「そ、そんなもんなんですか?」

「そんなもんよ。そういうわけで、このケースを運んでちょうだい」

 いきなりみのりの口調が普通に戻る。はじめは胸をなでおろしながら、みのりが指差す青い折りたたみコンテナの箱の両脇に手をかけて持ち上げると、みのりはバックヤードのドアを解錠し、手前に引き開ける。はじめはみのりとともに売り場を経由してそのまま店の外に出る。

 先を歩くみのりの後を、折りたたみコンテナを手に持ったはじめが続く。みのりは元来た道を戻り、再びFMあさまの建物の中に入るかと思いきや、何の躊躇いも無く隣家の敷地に門扉から堂々と足を踏み入れる。

「来ないの? 少年」

「あの、ここって……」

「いいから、付いて来て。さっきみたいな真似はしないから」

 事情が分からないまま、はじめは敷地に足を踏み入れる。みのりは玄関には行かず、母屋の外側に回り込み、更に奥へと進む。

 空き家なのだろうか。庭には雑草が生い茂り、剪定をしていない木々で日が遮られて少し暗い。荒れた裏庭の隅に、軽量プレハブでできた質素な小屋が建っている。窓は縦二〇センチ横五〇センチ程度の小さなものしか無く、見た目は線路を跨いだ隣の敷地にあるパチンコ屋の景品交換所と見間違えてしまいそうだ。その唯一の窓ですら固く閉ざされており、小屋の隣にある、建物の大きさに見合わない業務用のヤンマー製エアコン室外機の作動音だけが、『景品交換所』の中に人がいることを暗喩している。

「少年、携帯電話は持っているか?」

「ええ。スマートフォンですけど」

IMインスタントメッセンジャーにログインしてくれるか。あと、アカウントIDは?」

「『sekiya1』ですけど」

「わかった。『sekiya1』だな」

 はじめはスマートフォンを取り出し、IMアプリを起動すると、間もなくみのりと思しきアカウント『minori_sakura』からの招待を受け、カンファレンスモードに入る。みのりを見ると、彼女もまた非常に速いタッチでスマートフォンのキーボードを叩いている。


minori_sakura:ゆいさん。そろそろ出番だよ。

sekiya1さんがカンファレンスに参加しました。

yui_wada:みのりか? 今用意する。ところで、隣の男は誰だ?


 はじめは思わず周囲を見回す。アカウントID『yui_wada』の主はどこかではじめとみのりの姿を見ているに違いないが、誰かの姿や監視カメラの類は見当たらない。はじめは一旦詮索を諦め、IMでの会話に集中する。


sekiya1:はじめまして。関谷はじめです。

yui_wada:新入りか?

minori_sakura:まぁ、そんなとこ。

yui_wada:ところで、頼んでおいた例のものは用意しておいてくれたか?

minori_sakura:今回は2ダース用意したよ。

yui_wada:2ダース? それでは十日ともたないな。まあいい。来週も確保できる分を持って来てくれ。


 閉ざされていた小さな窓が開くと、みのりは青い折りたたみコンテナの中からレッドブルの六本入りパックを取り出しては、次々と小屋の中に入れていく。同じ動作を四回繰り返すと、小さな窓が三分の一を残して閉まる。数秒後、IMでのやり取りが再開される。


yui_wada:領収書はどうした?

minori_sakura:ごめん。忘れてた。ケーブルを戻すときまでに用意するよ。

yui_wada:頼んだぞ。

minori_sakura:わかってるって。

young_leafさんがカンファレンスに参加しました。

young_leaf:わかばです。こちらは準備できましたよ。


 小さく開いた窓からコンポジットケーブルが顔を出すと、みのりはそれを引っ張り、いつの間にか、FMあさまの建物の二階から垂れているロープにケーブルの先端をくくりつける。みのりがロープを軽く二回引っ張ると、ロープはみるみるうちに建物の中に回収され、それに引きずられるようにケーブルの一部が建物の中に吸い込まれていく。おそらくわかばかあの双子のどちらかが引っ張っているのだろう。

「よし。あたしは手書きの領収書を作りにまたコンビニに戻るから、少年は三階に戻ればいい」

「え、ええ……」

 みのりはそう言い残すと、最小化された折りたたみコンテナを片手に元来た道を小走りで走り去っていく。

「はじめ君、どうもありがとう。はいコレっ」

 はじめがFMあさま三階のオフィスに戻るやいなや、わかばは冷えたスポーツドリンクを手渡す。

「あっ、ありがとうございます」

 はじめはペットボトルのキャップを開け、一口で半分くらいまで飲む。

「ところで、さっきのは何なんですか?」

「さっきのって?」

「ほら、隣の敷地からケーブルを引っ張り込んだアレのことです」

「あれはですね、あと三十秒ほどすれば分かりますよ」

 先ほどまでスピーカーから流れていたイージーリスニングがフェード・アウトしたかと思うと、すぐさま『At the tone, it's 4 P.M.』というアナウンスが流れ、一拍置いて八八〇ヘルツの時報音が建物内に響き渡る。

「こんにちは。今週もはじまりました……」

 時報が打たれた瞬間、明るい音楽とともに、活発な感じの女性のしゃべりが始まる。

 楽曲はあまりかけず、しゃべり中心の構成であるにもかかわらず、一切噛んでいない。リスナーからのメールやFAXに対し、一字一句間違えること無く読み上げ、かつ的確なリアクションをしている。ラジオに関して、はじめはまったくの素人だが、少なくとも、この声の主が高いスキルを持ったパーソナリティであることは理解できた。

「わかばさん、下のスタジオで誰がしゃべっているんですか?」

「いえいえ。隣に住む和田ゆいさんが、あの小屋から放送しているんですよ」

 はじめはいつの間にか、番組の独りしゃべりに聞き耳を立てている。

「ゆいさんはあの中から絶対に出てこない。あの小屋の中に機材一式が入っていて、週に一回、さっきのように長いケーブルを出して音声を送っているんだ。ゆいさんは人とのコミュニケーションは極力避けていて、必要に迫られたときに限ってIMで最低限のやり取りをする。つまりこの番組を通じてだけ、ゆいさんの声を聴くことができるんだ」

 いつの間にかオフィスに戻ったみのりが、はじめに補足する。

「人とのコミュニケーションを避けているなら、どうしてパーソナリティなんてやっているんです?」

 はじめは素朴な疑問をみのりにぶつける。

「もっともな質問だ。それはFMあさまがゆいさんと『取引』しているからだ。まぁ本人にしてみたら、最初はやむを得ずだったんだろうけど、今では楽しんでやっているようにも見えなくもないんだけどね。ゆいさんだけじゃない。わかばっちも、あの双子も、それに私にとってもここは特別な場所なんだよ。ここが、私たちの道標になってくれたんだ」

 はじめには、みのりの言葉の後半部分は理解できなかったが、複雑な事情があるのだろうと思い、これ以上突っ込むのはやめることにした。

「それじゃ。おれはこのへんで失礼します。CDプレーヤーは一旦預からせていただいて、修理のめどが立ったら連絡しますね」

 はじめはおもむろに椅子から立ち上がると、右手に工具一式が入ったツールボックスを持ち、左脇でプチプチで包んだCDプレーヤーを抱え、エレベーターに向かう。

「いえいえ。こちらこそ急に無理を言ってごめんなさい。あと、それから……」

「にーちゃん、また遊びに来いよ!」

「首洗って待ってるよ! あれ? 顔だっけ?」

「まい、どっちも使い方間違ってるよ」

「へへっ」

「いえ、何でもないです。では、ご連絡お待ちしてますね」

「はい。わかりました。それではまた」

 わかばが何かを言いかけたような気がしたが、あいとまいのラブコールにかき消され、はじめを乗せたエレベーターの扉がゆっくり閉じ、一階へと下降していった。

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