疑義!(Earl Grey)
「はじめ君、お休みのところごめんね。何か、久しぶりにはじめ君の顔を見た気がするけど」
つかさ会長はニコニコしながらはじめと美緒を執務室に迎え入れる。つかさ会長の言葉に、嫌味めいた意味が含まれているような気がしたが、はじめは敢えてそのような解釈はしないことにする。直接会わなくても、電話やメールで密に連絡を取り合い、締切厳守で資料を作り続けていたのだから、非難される覚えは無いはずだ。
日曜日の午後。久々に学校の屋上にある生徒会棟の執務室に役員全員が集まり、明日月曜日に配布予定の、金曜日の放課後に開催される生徒総会に向けた議案書作成の最終段階に入る。とは言っても、本文はほぼ完成しており、残作業として、執務室の複合機でゲラ刷りを役員の数だけ印刷し、全員が素読みをしながら赤ペンで校正し、それをもとに修正したファイルを完成稿として二階の印刷室に置かれている複合機に転送し、全校生徒分として千部印刷するというタスクが残っているだけだ。藤井高校の印刷室には、部屋の半分近くを占有するフィニッシャー内蔵の巨大な複合機が置かれており、ドライバーをインストールした各々のPCから印刷条件とファイル名を指定してジョブを送り、複合機本体のカードリーダーに自分のICカードを乗せ、タッチパネルで選ぶだけで印刷はもちろんのこと、ページ順のソートや中綴じ、台車付きのスタッカーへ排出するまで全自動でやってくれる優れものだが、残念ながら千部もの議案書を屋上にある生徒会棟まで運んでくれる機能は無い。
「さっすが男の子。やっぱり一人でもいると助かるわね」
議案書が入った段ボールを持って印刷室と生徒会棟の茶室を往復するはじめを見て、つかさ会長が声を掛けて来る。
「会長。ほめたってなにも出ませんよ。むしろ会長からなにか出してもらいたいくらいです」
「やっぱり男の子がいて正解だったなぁ。今まで生徒会役員に男の子がいなかったのが不思議なくらい」
「そんなもんですか?」
「うん。やっぱり男の子がいると何でも頼みやすいなって。力仕事とか、力仕事とか、力仕事とか」
他には無いのか。
「おれは便利屋ですか」
「ピンポーン、正解」
「ひどいなぁ。でもまぁ乗りかかった船ですから、最後まで付き合いますけどね。あっ、議案書はあと一回往復すれば全部ですから取ってきますね」
「ちょっと待ってはじめ君。ここだけの話なんだけど、最近、お家のことで何か問題は無い?」
「えっ? 家のことですか? 家のことなら特に問題はありませんけど」
つかさ会長は、はじめの答えに数秒間口を真一文字にしながら沈黙したのち、再びいつものニコニコした表情に戻る。
「そっか。問題が無ければそれでいいんだ。でも、何かあったら私に相談してね。美緒ちゃんから訊いたんだけど、はじめ君は自分のこと以外に無関心に見えて、意外と面倒見がいいところがあるって言ってたから。まぁ、そういうタイプの人は案外生徒会向きだったりするんだけどね」
美緒も結構失礼なことを言ってくれるが、あながち間違いでもないので、ここは何も言わないでおくことにする。
「それじゃ、行って来ます」
「うん。戻ってきたら、アールグレイとロールケーキがあるからみんなでいただきましょうね」
「はい」
はじめは生徒会棟を出て、一段飛ばしで階段を降りる。家で特にトラブルは起きていないので嘘は言っていない。しかし、他に誰もいない茶室でつかさ会長が声を掛け、問いただそうとするということは、少なからずはじめの行動に不審を抱いているはずだ。他の生徒会役員との会話を繋ぎ合わせると、歴代の生徒会役員は原則として放課後、特に用は無くても生徒会室に顔を出し、仕事が無ければおしゃべりしながらお茶とお菓子を嗜んでから帰宅するのが習慣になっているらしく、週に一度や二度の欠席なら、他に用事があるのだろうとあまり気にしないようなのだが、週の半分以上も顔を出さず、電話とメールで用件を済ませようとするはじめの姿にちょっとした違和感を覚えているようにだった。
家のことで特に問題は起きていない。はじめは正直につかさ会長に答えた。しかし、家以外で問題を抱えているとは言わなかった。屁理屈だとは分かっていたが、ただ単に、訊かれなかったから答えなかっただけだ。家の問題であろうとなかろうと、自分の個人的な問題を生徒会に持ち込むべきではないし、それを理由に生徒会の活動を疎かにするつもりも無い。それに、つかさ会長を通じて美緒に事情が知れることとなったら、美緒は間違いなく協力を申し出るだろう。だがそれは避けなければならない。美緒の父親は役場に勤めている。今、自分たちが秘密裏に進めようとしている『謀反の企て』に、役場の職員の娘が関与していると知ったら、役場が美緒の父親に何をするかは容易に想像できるし、最悪、菅野の本家、すなわち美緒の祖父母にも影響が及ばないとも限らない。
だが、多忙な日々も今度の金曜日で終わりだ。FMあさまの問題が解決したら、今までの分を取り戻すべく生徒会の活動に専念することにしよう。罪滅ぼしではないが、あの店のチーズケーキをホールで買って来たら、他の役員たちは喜んでくれるだろうか。




