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提案!(Enclose)

 月曜日から、はじめを含めた四人は、各々の通常業務の合間を縫ってはベンチャーキャピタル各社に提出するための提案書づくりに取り掛かり始めた。

 はじめは学校の授業はもちろんのこと、七月最初の金曜日に開催される生徒総会に向け、会計の美緒とともに各班や同好会から受け付けた予算の概算請求を精査したり、必要に応じて担当者を視聴覚室に呼び出してヒアリングを実施するという重要な仕事をこなしつつ、時間を見つけては並行して図書室で提案書の作成を続け、毎日夜十時にIMを起動し、彼女たちとファイルと意見を交換しては提案書を更新をするという作業を繰り返し、土曜日の未明、午前二時過ぎに提案書が完成した。

 午前四時。はじめは寝静まった家族を起こさないように家を抜け出し、暗闇の中自転車をこぎながら、来週あたりはこのあたりも梅雨入りし、しばらく自転車での移動はできなくなるだろうなぁなどと思いながら町道を抜け、中山道を南下する。

 酒屋と農協のガソリンスタンドがあるY字路に差し掛かると右に曲がり、インターチェンジへの抜け道として地元の人間が使っている裏道に入る。トラックディーラーの角を左折。食肉処理場の角を右折し、高速道路の下をくぐり、流通団地の交差点を抜けると国道に出る。左に曲がって道なりに走ると、目的地である佐久平駅前のファミレスにたどり着く。

 この地に新幹線の駅ができたのは、まだはじめや美緒が生まれるか生まれないかの頃の話だったが、この十数年の間に、中軽井沢から大型スーパーが移転してきたのを皮切りに、近年整備された国道や県道沿いには携帯電話ショップや自動車ディーラー、ファストファッションの店舗が県の内外から進出し、著しい発展を遂げている一方で、旧市街は上野と直結する在来線特急が廃止され、JRからしなの鉄道に移管されてからというものの、かつてのにぎわいが消え、市内唯一の百貨店も閉店してしまった。

 はじめは自転車置き場に自転車を停め、店の中に入る。

「おーい、はじめ君こっちこっち!」

 いつものブラウスにタイトスカートというスタイルではなく、ギンガムチェックのシャツに白いスカート姿のわかばが椅子から立ち上がり、手を振っている。はじめはちょこんと頭を下げると、わかばがいるテーブルまで移動し、向かいに座る。

「みのりさんは……」

「うん。みのりちゃんは、はじめ君が指示した通り途中バイトしているコンビニに寄って、出来上がったファイルを印刷してから来るって」

「そうですか」

 はじめは呼び出しボタンを押し、ウェイターにドリンクバー使用の旨を申告し、ガトーショコラを注文する。

 夜明け前にわざわざ隣町のファミレスに集合したのには理由がある。地元の人間の目をなるべく避けたかったのと、書類が完成したら間髪を入れずに印刷し、最終チェックを済ませ次第すぐにでもポストに投函したかったからだ。コンビニのコピー機で印刷するように指示したのは、FMあさまのオフィスにもカラー印刷ができる複合機があるものの、それを使うと、データファイルが複合機に内蔵されたフラッシュメモリに蓄積され、誰かに盗み見されるリスクが発生するのを避けたかったからだ。

「それにしても、はじめ君って結構用心深いのね」

「事情が事情ですから、これくらい当たり前です。それより、何かおかわりしますか? おれの分を淹れるついでに持って来ますよ」

「それじゃ、アールグレイのストレートをお願いできますか」

「ア、アールグ……ですね。今持って来ます」

 はじめはドリンクバーでアールグレイと狭山茶のティーバッグを手に取り、紙のパッケージから中身を取り出し、それぞれのカップに入れてお湯を注ぎ込み、テーブルまで持って行こうとした瞬間、後ろから誰かに抱きつかれ、思わずビクッとする。

「はじめぇ!」

「はいはい。提案書は印刷してきましたか」

 はじめは落ち着きを取り戻しながら、後ろから抱きついてくる佐倉みのりに声を掛ける。

「もっちろん。提案書だけじゃなくて角型二号封筒に定型外郵便の切手も店から持って来たよ」

 プリントシャツにタイトジーンズ、上にニットジャケットを羽織ったみのりは、わかばが待つテーブルに駆け寄り、品々をテーブルの上に並べだす。

「しまった! スティックのりを忘れてた!」

「おれ、持ってますよ」

「おー。気が利くねぇ。このこのっ!」

 みのりは右の人差し指ではじめの左頬を軽くつつく。

「たまたまですよ。さぁ、早速始めましょうか」

 最終チェックをすべく、三人は一斉に資料に目を通し始める。その間、三人の間に静寂が走り、いつの間にか客ははじめを含めた三人しかいない店内は、CSで配信される店内放送の音楽とナレーションが延々とリピートされている。

 どんなにPCの性能が向上し、通信回線が高速化したり、テラバイト級の大容量ストレージが普及したりしても、大事な書類は一度紙に印刷してチェックするのが大原則だ。なぜなら不思議なことに、液晶ディスプレイで目を皿のようにして誤字・脱字をチェックし、これで大丈夫だと思っても、いざプリントアウトすると、一〇〇%の確率で修正箇所が面白いようにあちこちで見つかるからだ。

「あぁ!」

「あった!」

「やっぱり」

 三人が同時に声を上げる。

 はじめは二人から赤ペンが入った原稿を預かり、みのりからSDカードを受け取ると、家から持って来たMacBook Proのスロットに挿し込み、文書ファイルを開いて、各々が指摘した個所を修正し、PDFに変換してSDカードに書き込む。

「それじゃ、ちょっと出てきますね」

 はじめは二人に言われるまでもなく、残りの作業を買って出る。いくら安全で退屈な日本の田舎町とはいえ、夜明け前の薄暗い道に妙齢のおねえさんを独り外に歩かせるわけにはいかない。

 はじめはファミレスの外に出ると、東の空が少し明るくなりつつある中、近くのコンビニに向かう。

 コンビニに到着すると、コピー機のスロットに件のSDカードを挿し込み、タッチパネルで先ほど作成したPDFを選び、出力を開始する。これだけの原稿をレーザープリントできるのは非常に大きい。もしこれがインクジェットなら、印刷にかなり時間がかかるだけでなく、画像の部分はインクの水分で紙が少しヘナヘナになっていたことだろう。

 十分後。合計十部の原稿をマチ付き袋に入れ、元来た道を戻る。

 再びファミレスの店内に入ると、二人は既に宛名書きを始めており、終わったものから順次提案書を封筒に入れ、封を閉じ、切手を貼る。

 会計を済ませ、三人は店の外に出ると、各々車、原付、自転車でJR佐久平駅蓼科口に向かう。再び、階段近くにあるポストに集まると、はじめの手によって階段横のポストに一通ずつ投函する。わかばはポストに向かって手を合わせて祈っている。

「さてと、とりあえずは『人事を尽くして天命を待つ』って感じかな」

「そうですね」

 みのりの言葉にわかばが応える。

「でもはじめ君。これで本当に大丈夫だったのでしょうか」

 わかばが不安を口にする。

「正直言って、これが正しいかどうななんて分からないけど、私たちができることをやったわけだから、もしダメだったらその時考えればいいじゃない?」

 はじめの代わりにみのりがわかばを励ます。

「そうですよね。みのりちゃんの言うとおり、弱気になっちゃダメですよね。二人とも、どうもありがとう」

 わかばははじめとみのりに頭を下げる。

「頭なんて下げないでよ、わかばっち。闘いはまだ始まってないんだからさ」

 はじめは二人の会話に隙入ることができなくなっている。二人の間に、見えない何かがあるような気がしたのは錯覚だろうか。

「それじゃ、ここで解散しましょうか。私、家に帰って一回寝たいですから」

「そうだね。少年はどうする?」

「原動機が付いていない自転車で帰りますよ」

「ここまで来るの大変だったろう? 高校生になったんだから、バイクの免許くらい取ったらどうだ?」

「いや、まだ十五なんで」

「そうか。若いなー。それじゃ、ポンピナーラして欲しくなったらいつでも声かけなよっ。相手してあげるから」

「ポンピ……って、どういう意味です?」

 みのりは、はじめの質問に答えることなく、顔をニヤニヤさせながらヘルメットをかぶり、ホンダ・ディオを走らせ去って行った。

「それじゃ、私は車で来ているんで、ここで失礼しますね。はじめ君。今日はありがとね」

「はい」

 わかばは送迎用駐車場に停めてある赤いアルファロメオ147に向かう。

 はじめもペダルをこぎ出し、国道のゆるやかな上り坂を登り始める。多少贔屓目に考えてみても、FMあさまがベンチャーキャピタルのお眼鏡にかなうのは難しいだろうと薄々感付いてはいるが、座して死を待つより、たとえ格好悪くても諦めずに最後の最後までやり遂げたほうがいいだろう。とも思っている。人によっては、同じ結果しか得られないならやってもムダだと思う人もいるかもしれないが、たとえその勝負で負けたとしても、少なくとも次の勝負で、経験分だけアドバンテージはあるはずだ。いや待て。つい一週間前、周囲の同調圧力を恐れ、それに抗うことができるだけの強い意志をわかばが持ち合わせているかどうかを確かめたばかりのくせに、今ではレジスタンス気取りか。はじめは己の変心ぶりに呆れながらもおかしくなり、ペダルをこぎながら、思わず吹き出してしまった。

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