出馬!(Election)
2012年に作成したまま眠っていたタイトルです。
せっかくなのでここに掲載することにしました。数日~十数日に分けて掲載する予定です。
手短に言えば理由は寝坊だ。ヨーロッパの宮殿みたいな場所で機関銃を連射する夢を見て寝過ごした。
長野県藤井高校一年A組・関谷はじめは、目立たないように二時間目と三時間目の間の休み時間を狙って教室に入ると、窓際最後方の自分の机に座り、『最初からここにいましたよ』と言わんばかりの顔をしながら、次の数Iの授業の準備を始める。
「どうしよう! 大変なことになっちゃった!」
中学三年の夏から急に大きくなった胸とポニーテールを揺らしながら、菅野美緒が無警戒にはじめの顔に近づく。
「どうしたんだよ。誰かに何か変なことでも言われたのか? あっ、それに学校では『ちゃん』付けはよせって何度も……」
「別に誰かに変なこと言われたわけじゃないけど……いや、言われたのかな?」
「どっちなんだよ」
「ワタシたち、生徒会役員選挙の候補になっちゃった」
「お、おぅ……そうか」
意外ではあるけれど、美緒がやりたいと言うならばやってみればいい。遅刻をなじられると思っていたはじめは拍子抜けすると同時に、当選するしないは別として、暇があれば陰ながら応援してやろうとも思っていた。
生徒会役員選挙は毎年五月中旬に実施される。今日木曜日の十七時に立候補者の受付が締め切られ、翌金曜日の昼休みに選挙管理委員会により候補者が公示されると、翌週から本格的な選挙戦に突入する。という話を連休前の朝のホームルームで担任から聞いたような気がするが、生徒会に興味を抱かなかったはじめは、右から左に受け流していた。
「生徒会とか学級委員って言うタイプじゃ無いのに、よく立候補する気になったよな。まぁ頑張れよ。応援するから」
はじめは自分が思ったままの言葉を美緒に伝える。しかし美緒が発したのは更に意外な言葉だった。
「はじめちゃん。だから『ワタシ』じゃなくて『ワタシたち』なんだって」
「はい?」
はじめは、美緒の発した言葉の意味を理解しかねていたが、思考を巡らせた数秒後、あることに気付く。
「まさかとは思うけど、おれも立候補することになったわけじゃ無い……よな?」
美緒は黙ったままこくりと頷く。はじめが経緯を聞こうとしたその時、三時間目の開始を告げるチャイムが鳴り、話は一旦中断する。
昼休み。
「なぁはじめ、弁当食おうせ。菅野さんも一緒にいいだろ?」
はじめと比べて若干背丈が低く、線が細い男がはじめと美緒を弁当に誘う。
「ちょうどよかった駈。おまえにちょっと相談したかったところだ。だがここはちょっとまずい。屋上とか中庭とか、どこか別のところで弁当を食いながら話はできないか?」
「ああ、屋上はダメだけど、中庭なら大丈夫だと思うよ。菅野さんも準備できた?」
「うん。できたよカケルくん」
三里塚駈は、関谷はじめと菅野美緒の中学からの同級生で、小田井町唯一の中学校である小田井町立小田井中学校からこの藤高に進学したのはこの三人だけである。中性的な風貌に似合わず、彼は中学入学当初、僅か一ヶ月足らずで校内にはびこるあらゆる情報やパワーバランスそして暗黙の了解に精通するようになり、その記憶力と組織への適応能力の高さにはじめと美緒は驚かされた。高校に入学してから一ヶ月。やはり駈は己の能力を最大限に駆使し、公式非公式の如何を問わない藤高の情報をほぼ手中に収めようとしている。
三人ははじめ、美緒、駈の並びで中庭のベンチに腰掛け、弁当を広げると、いただきますを唱和して各々一口目を口にする。
「早速だが今朝、教室で何があったんだ?」
はじめが会話の口火を切る。
「はじめも知っていると思うけど、連休前から生徒会役員選挙に誰が出馬するかでうちのクラス、結構揉めてただろう?」
「ああ、そうだったな。あまり興味も無いから詳しいことは分からないけど」
「で、今日になっても決まらなかったから、その場にいなかったはじめを候補者に祭り上げてしまおうという声が何人かの女子生徒からあがったんだ」
「もしかしてその女子生徒って美緒のことじゃ……」
「ちがうよ。むしろ菅野さんは本人に無断で届を出すのは良くないって最後まで反対したんだ」
美緒は箸の先端を口にくわえたまま少しうつむき、誰かが落としたビスケットのかけらを運んでいるアリの行列を見つめている。
「そうか。ありがとな。美緒」
「うん……」
美緒は右手に持った箸の先端をくわえたままうなずく。
「話を戻すけど、そしたら女子生徒のほとんどが『そこまで言うなら美緒ちゃんも立候補すればいいじゃない』って話になっちゃってさ。それで結局はじめと菅野さんの二人を一年A組から擁立することになっちゃったんだ」
「そうだったのか……」
「そこでさ、はじめと菅野さんはどうするの? 今なら選挙管理委員会に事情を説明すれば、立候補を取り下げることができるかもよ」
「まぁそれも考えたし、頼み込めばできなくもないんだろうけどさぁ、駈も分かってるとは思うけど、とても取り下げるような雰囲気じゃないだろ」
「だろうね。はじめならそう言うと思ったよ」
藤高は創立百年を超える伝統校だが、前身は大正時代に創設された女学校で、共学化されたのは僅か十年前の話だ。今でも全校生徒の八割が女子生徒で占められ、他校の生徒から見たら男性にとってさぞかしうらやましい環境と思われるかも知れないが、現実は女子生徒があらゆる面で優位に立つ、男子生徒にとって少々肩身の狭い世界であり、そんな環境下ではじめが立候補を取り下げたら、美緒以外の女子生徒から非難の集中砲火を受けることとなり、今後の学校生活に影響を及ぼすのは必至だろう。
「だったら選挙活動にはあまり力を入れないで、適当にうまくやり過ごすことにするよ」
はじめはそう言うと鶏のから揚げを口に放り込む。
「そんなはじめと菅野さんにいい情報を教えてあげるよ。実は過去にも毎年のように何人かの男子生徒が出馬したことがあったみたいだけど、女子生徒の票が取れなくて全員見事に落選してるんだ。だからあまり気にしなくてもいいんじゃない? それに、菅野さんもあまり責任感じなくてもいいよ」
「うん。ありがとカケルくん……いや待って。ワタシは?」
「それは当選してから心配しろよ」
「うーん、実際にそうだけど、人からそんなこと言われるとなんかムカつく。と言うわけで、罰として卵焼きいただきっ」
「うわっ、最後まで楽しみに取っておいたのに!」
「だーめ。おばさんが作った卵焼き、すごくおいしいんだから」
「だからと言って取っていいわけじゃないだろう? 返せって!」
「残念でした。もう食べちゃったから返せませーん」
「みなさんこんにちは。只今ご紹介にあずかりました、選挙管理委員会委員長の駒形かなです。先ほど候補者および関係者諸氏にお配りしました資料に記載されております、各役職の定数、公示から投開票までの流れや注意事項、禁止事項等のご説明に入りたいと思います。まず定数についてですが、ご存じのとおり選挙は会長、副会長各一名、会計、書記各二名、計六名を役職ごとに選出する形となっており……」
翌金曜日の放課後、選挙管理委員主催の説明会が五階の視聴覚室にて行なわれ、前方の座席に座る、はじめと美緒を含む現職・新人合わせて総勢二十三名の立候補者と、後方で見守る新聞班、放送班、そして駈を含む各候補者の陣営に属する参謀役たちが資料に目を通しながら選挙管理委員会委員長・駒形かなの話に耳を傾けている。
クラスメイトである女子生徒たちの手によりはじめは書記に、美緒は会計に立候補の届け出がなされている。同じ役職への立候補を回避したのは、票の分裂を防ぐという理由であることはもちろんのこと、選挙活動においてはじめと美緒で共同戦線を張るためである。
いつもより少し遅い学校からの帰り。はじめと美緒と駈は、夕日を背にして走る軽井沢行きの電車に揺られている。駅に停車するたび、同じ制服姿の生徒が一人また一人と姿を消し、小諸駅を出発する頃には、同じ制服を着た乗客は、はじめと美緒と駈の三人だけになっていた。
「もう車内にうちの生徒がいなくなったから話すけどさ……」
駈が話を切り出す。
「昨日の放課後、あれから色々調べてみたんだ」
「「何を?」」
はじめと美緒がユニゾンで訊き返す。
「過去のデータだよ」
「それって、昨日の昼休みに言ってた、男子生徒の当選者は過去にいないって話のことか?」
「それもあるけど、それだけじゃない。過去十年の選挙戦の投票結果を見てみたんだ。そしたらちょっと面白いことが分かったんだ」
「うんうん。続けてカケル君」
美緒が少し身を乗り出している。
「まず、新人と比べて現職はかなり強い。いや、現職は一〇〇パーセントの確率で再選されているんだ。つまり計六名のうち、会長、副会長、会計、書記の各一名ずつは実質的に埋まったことになる。となると、新人候補たちが残りの会計、書記各一名ずつの椅子を争う形になる。会計の候補者は五人。すなわち実質一つの椅子を菅野さんを含めて四人で争うことになるし、書記の候補者に至っては十一人もいて、これまた実質一つの椅子をはじめを含めて十人で争う、学校史上最多タイの候補者が立候補している始末だ」
「そんなに!」
美緒が思わず大声で驚嘆する。他の乗客の視線が三人に集まる。美緒は少し顔を赤らめながら小声で「ごめん」と言うと、少し下にうつむいた。
「それにしてもよくそこまで調べたな」
はじめは少し呆れながら駈の顔を見つめる。
「実はまだあるんだ」
「まだあるのかよ」
「過去の生徒会役員の出身地を調べたところ、ある法則に気付いたんだ」
「法則って?」
美緒は再度身を乗り出す。僅か数分前に、大きい声を出して周囲の乗客の注目の的になったことは忘れているに違いない。
「十年前から昨年度まで、どの年度でも生徒会役員の中に最低でも一人、小田井町出身者が入っているってことだよ」
「どういうことだよ?」
「言葉通りの意味さ。ちなみに昨年度の生徒会には小田井町出身の副会長がいたし、現職・新人問わず、今年度の候補者で小田井町出身なのは、はじめと菅野さんだけなんだ。つまり、二人のうちどちらか、いや、二人とも当選する確率が高いってことだよ。まぁ、強いて言うなら争う人数と女性と言う点で、はじめよりも菅野さんのほうが有利だと思うけどね」
「へぇー……。全校生徒の出身地の比率からして、上田、小諸、長野出身の人で占められていそうなのに」
美緒は感心したと言わんばかりに駈の顔をまじまじと見つめる。
「おっ、そう言ってるうちに小田井に着いたな。行こうか」
電車から降りたはじめと美緒、駈の三人は駅舎を出てしばらく同じ方向に歩き、龍神公園の前で駈と別れ、彼の後ろ姿を見送ると、はじめと美緒はふたり並んで再び歩き始める。
「……はじめちゃん」
「ん?」
「ワタシたち、勝てるかな?」
「駈の言葉通りなら、少なくとも美緒は勝てるんじゃないか?」
「だったらはじめちゃんは?」
「おれは……無理なんじゃないか。今まで男子生徒の生徒会役員がいなかったのも、選挙で女子生徒の票が取れなかったからだろ?」
「うーん、それはそうかも知れないけど、クラスの子たちは、はじめちゃんならもしかしたら選挙に勝てるんじゃないかって思って推薦したんじゃないのかなって。この段階である程度女子生徒からの支持はあるとも取れない?」
「そうかぁ? 学年や全校レベルでのおれの知名度なんてたかが知れてるだろう?」
「とにかく月曜日からの選挙戦、一緒に頑張ろっ。一緒に当選できるように」
「昨日と比べて随分やる気出てるな」
「あったりまえでしょ。どうせやるなら全力でやらなくちゃ。ところで話変わるけど、今日うちに寄ってくれる?」
「うん。いいけど、何かあったのか?」
「なんかねぇ、お母さんがはじめちゃんに話があるみたいだから、ちょっと聞いてみてあげて」
「おばさんが? 話ってなんだろう?」
「よく分からないけど、とにかく聞いてみれば分かると思うよ」
美緒の家は軽井沢町との町境にほど近い別荘地にある。二人が幼かった頃は、はじめの家や、菅野家の本家から徒歩数分程度に位置する町営住宅に住んでいたのだが、五年前に本家の次男坊で役場に勤める美緒の父親が今の場所に一戸建てを買い求め、今に至っている。
「あら。はじめちゃんいらっしゃい。久しぶりね。相変わらず元気そうで良かったわ」
「お久しぶりです」
はじめは玄関で美緒の母親にぺこりと頭を下げる。美緒の母親は、何も知らない人から見たら美緒と姉妹に間違われるのではと思われるほどに若々しく見える。美緒は玄関の隣にある階段を昇り、二階に消える。
「で、月末は中間テストだけど、また美緒と一緒に勉強してくれるんでしょ」
「ええ……まぁ……」
美緒の母親はニコニコと言うよりニヤニヤした笑みを浮かべている。
「あのう、本題に入ってもらってもいいですか? 美緒から『おばさんから話がある』って聞いて来たんですけど」
「ああ、そうだったわね。玄関先で話すのもあれだから上がって」
「あっ、はい。お邪魔します」
「ついでに美緒の着替えも見て行く?」
「見ませんよっ!」
はじめは全力で遠慮する。
「もうーっ! はじめちゃんのえっち!」
吹き抜けから美緒の叫び声が聞こえる。
はじめは、えっちなのはどっちだと思いながら小さなため息をつき、美緒の母親に誘われるまま中に上り込み、一階のリビングルームに通される。
「お茶入れるから、適当に座って」
「あっ、はい」
はじめはダイニングセットの椅子に腰を下ろす。美緒の母親はキッチンで急須にお湯を入れると、お盆に急須と湯呑を三つ乗せてテーブルまで運ぶと、椅子に腰を下ろして三つの湯呑にお茶を注ぎ始める。
「さっそく本題なんだけどね。これは私と言うより、家の近所の人から相談されたことなんだけど、その人の知り合いの家電がいくつか故障しちゃてて、困ってるらしいのよね。はじめちゃん、直せる?」
はじめは昨年九月に『受験勉強の一環』と言う詭弁のもと、第二種電気工事士の資格を取得している。小さな工場を経営している父親の影響もあるが、十五歳と言う年少者の合格の報は小さな町の、ちょっとした話題となった。それからと言うもの、電化製品の不具合や無線LANの設定を口実に、たびたび美緒の家に呼ばれ、なし崩し的に高校受験直前まで毎日のようにどちらかの家で受験勉強に勤しむようになった。しかし受験も終わり、高校生になった今、学校から一緒に帰ることはあっても、互いの家に行く回数は格段に減ってしまった。今回の訪問は実に三ヶ月ぶりとなる。
修理かぁ……。はじめは、その場で感じた疑問をぶつけてみることにする。
「そもそもどうして近所の電気屋じゃなくておれなんです?」
「一応頼んだらしいんだけど、時間がかかるらしくて、その人、何か急いでるらしいのよね」
急ぐ? 確かに壊れたものが洗濯機や冷蔵庫だとすると、生活に支障を及ぼすことは想像はつく。単なる接触不良であればすぐに直せるが、モーターやコンプレッサー、機器によっては基盤が壊れている場合は、基盤の交換か買替と言う事態となるだろう。それにまだ洗濯機や冷蔵庫と決まったわけではない。幼馴染の親の近所の人の知り合いはもはや『他人』だ。そこまでの人づてを頼らなければならないほど切羽詰まっているのだろうか。
「修理と言っても、部品の交換を伴うような修理だったら、どっちにしろメーカーから部品を取り寄せなきゃいけなかったりするんで、結局時間かかっちゃったりするんですよ」
はじめは慎重に言葉を選びながら美緒の母親に答える。
「でも、前にうちのテレビの衛星をすぐに観れるようにしてくれたり、無線LANを直してくれたじゃない」
正確に言えば前者はテレビからパラボラアンテナに直流一五ボルトの電源を送り込むように設定を変えただけ。後者はセキュリティの設定を正しくしただけの話で、修理と呼べる代物ではない。
「あれはたまたま部品を必要としないものだったからすぐできたんです。まだ実物を見ていないんで、すぐにできるかは何とも言えません。でも、とりあえず見るならできますけど、何が壊れたんです?」
「うーん、確かに名前は聞いたはずなんだけど、度忘れしちゃって……。見てもらったほうが早いだろうから、明日直接行ってあげて」
「わかりました。場所を教えてください」
これ以上あれこれ聞き出そうとしても何も出てこないと判断したはじめは、依頼人である美緒の母親の知り合いの知り合いの居場所を聞き出すことにする。手帳に住所を書き込んでいたその刹那、廊下に繋がるガラスを填めた木製のドアが開く音がする。視線を動かすと、Tシャツ短パン姿の美緒がリビングルームに入ってくる。
「この子、また大きくなったのよ。私があの子の年だった頃とは大違い」
「いや、伸びたようにはとても見えないのですが」
「違うわよ。DからEになったってことよ。いくら成長期とはいえ、全部買い換えるのは大変なのよねぇ……もしかしたら来年の今頃はFになってたりして」
美緒の母親は、先ほど以上に顔がにやついている。
「はぁ……」
はじめは出されたお茶をすすっている。
「お母さんっ! なんでそんなことをはじめちゃんにペラペラ喋っちゃうのよ!」
美緒は顔を真っ赤にしながら自分の母親に猛抗議するも「あらいいじゃない。遅かれ早かれどうせ分かっちゃうことなんだし」などと言って取り合おうとしない。
「『どうせ分かっちゃう』ってどういうことよ!」
「それは、いずれはじめちゃんに直接おっぱいをさぐぐぐぐぐ……」
「ダメっ! それ以上言っちゃ!」
美緒は自分の母親の口を後ろから両手で押さえる。これ以上自分がいると親子喧嘩に発展しかねないと判断したはじめは「それじゃあ、そろそろおいとましますんで……」と言って、逃げるように美緒の家を後にした。