黒のオズボーン~異世界剣風浪漫譚~
喉が焼けるような、強烈な酒だった。
だが、俺は構わず一息で飲み干すと、空になったグラスをカウンターに置いた。
麻布でグラスを磨いていたバーテンが目をくれる。俺は頷くと、すぐに二杯目が注がれた。
キドニード・チェスター。それが、このウイスキーの銘だった。
チェスターという街で、キドニードという男が作ったウイスキー。俺の好物の一つである。
帝都ウィンタグレム。その下町。酒と性の臭いで充満する、レッドロックポイントにある酒場だった。名は、〔ビショップ〕という。
カウンターに、スツールは五つ。テーブルが置かれたボックス席が二つの、比較的小さな店である。入り込んだ小路にあるからか、夜八時を回っても、客は俺の他にはいない。
「お客さん」
二杯目をちびちびと傾けていると、バーテンが声を掛けた。
バーテンは五十路ほどで、細身の男だった。長年バーテンをしているのか、その蝶ネクタイが身体の一部かのように似合っている。
「何だい?」
俺は顔を上げて言った。
「お客さんは剣士かね?」
バーテンは、俺の腰に吊るされた剣を一瞥して訊いた。
片手半剣が二振り。それを左右の腰に吊るしてある。二本の長さは微妙に違い、左の長い剣を〔バレッド〕、右の短い剣を〔マレナ〕と呼んでいる。
「もう十五年になるな」
「長いですね。お客さんは余程の凄腕なのでしょう」
「なぁに、運が良いだけさ」
十七歳で剣士になった。何度も死にそうになったが、今の所は運良く生きている。
この十五年で、多くの生き死にを見てきた。それで判った事は、死は古い友人が訪ねてくるように、ある日突然やってくるという事だ。
死の前に、善い奴も悪い奴も関係ない。また、死にそうにない奴に限って、ポックリと行くものだ。
「私の弟も剣士でしたよ」
麻布を動かしながら、バーテンは溢した。
「主に賞金稼ぎが生業の剣士でしてね。ちょっと名の知れた男でした」
「へぇ」
俺は、胸ポケットからシガーケースを取り出しだ。
中には、葉巻。吸い口を噛み切るのが俺の流儀だ。シガーナイフは使わない。
俺が葉巻を取り出しだのを認めると、バーテンは燭台を差し出した。その火に、俺は葉巻を近付ける。煙が出るまでに、それえほど時間は掛からなかった。
「本名はジャック・パドックですが、剣士としてはロビン・オズボーンと名乗っていました」
「ほう、オズボーン」
「ご存知ですか?」
「まぁな」
葉巻の、甘ったるい匂いが辺りに漂う。香りは甘いが、味は何処か酸味がある。これが堪らない。
南方の帝国植民地デラナ産の名品ある。一本で百レリカ札を丸めて燃やしているものだ。
「剣士界隈で〔黒のオズボーン〕っていやぁ知らぬもんはいねぇよ」
ロビン・オズボーンは、身に付ける全てのものを、黒で揃えていた。それが渾名の由来となり、〔黒のオズボーン〕という二つ名は、賞金首達にとって畏怖の対象だった。
「お客さんを見ていると弟を思い出しましてね」
「そうかい」
俺は煙を吐きながら苦笑した。
俺も、マント・服・手袋・ブーツ・ベルト・帽子、その全てを黒で統一しているのだ。
「ロビンを意識しているわけじゃないが、黒は返り血を浴びても目立たなくて都合がいい」
「弟も同じ事を申していました」
「その弟さんをはどうなったんだい? 最近はサッパリ名を聞かねぇが」
そう訊くと、バーテンは目を伏せた。
「死にました。仕事でしくじりましてね。もう十年になりますか」
「そいつは悪い事を訊いたな」
「いえ。相手は剣士崩れの賞金首。名はジョブ・ドルビード・スカール。今でもお縄になっておりません」
ジョブ・ドルビード・スカール。今この帝国で最も高額な賞金を掛けられている男だ。
スカール。人は〔裏切りスカール〕という。或いは〔犬のスカール〕とも。この業界では、剣士から賞金首になる者を犬と呼んでいる。 スカールもまさにそうで、ある山賊征伐で仲間と共にこれを討ったが、押収した財宝に目が眩み、仲間を殺して独り占めしたという。
「スカールは凄腕の剣士。一時期は諸侯の剣術教官をしていたほどだ。並みの剣士では歯が立たない」
「ちょうど今日です。弟が死んだのは。畠の畝を抱くように倒れていたそうです」
「今日が命日か」
「ええ。だから余計にお客さんを見て思い出したのかもしれません」
「へぇ」
「申し訳ありません。こんな辛気臭い話をして」
「いいや。今日と言う日に聞けたのは悪くなかったぜ」
そして俺は、二杯目のキドニード・チェスターを空にした。バーテンは酒瓶を手にしたが、俺はそれを手で止めた。
「まだ仕事があるのでな」
「ご苦労様です」
俺は、灰皿で葉巻の火を消した。
立ち上がる。勘定をテーブルに置くと、漆黒のマントを身に纏い、帽子を目深に被った。
「もし〔裏切りスカール〕に出会ったら、〔黒のオズボーン〕の仇は俺が討ってやるよ」
そうは言ったが、バーテンの表情は動かず、ただ黙礼して応えられた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
店を出ると、晩秋の夜気が肌を刺した。
遠くで犬の遠吠えを聞きながら小路を抜け、大通りに出た。
レッドロックポイントは、白壁のアパートメントが立ち並ぶ下町である。
城壁の外側にあり、帝都ウィンタグレムでは最西部にある。城壁の内側に住まう身分ある帝国臣民には貧民窟扱いをされているが、身分なき帝国臣民にとっては、一般的な平民が住まう地域である。
常夜灯を頼りに、大通りを西に歩いた。懐中時計は夜九時を指している。まだ街は眠る様子はなく、派手な化粧をした私娼が、汗臭そうな労働者相手に客引きをしている。
暫く歩くと、港に行き当たった。
帝都に水と貿易の富をもたらす、ヘンロード川。その河川港の一つである。日中は荷揚げをする人夫で溢れかえっているが、今の時分は人影はなく、小型の帆船が身を寄せ合うように係留されているだけだ。
「遅いな」
不意に声を掛けられた。背後。振り向くと、闇から生まれるように、じわりと輪郭が浮かび上がる。
長身。鷲鼻と、胸まで垂れる顎髭。僧侶のローブを纏い、長剣を背負っている。
間違いない。〔裏切りスカール〕こと、ジョブ・ドルビード・スカールだ。気配を消し、この俺に近付けたのが何よりの証拠だ。
「すまん。どうしても寄りたい場所があってな」
スカールを、この河川港に呼び出したのは自分だった。
「お前がダヴィ・オズボーンだな?」
「ああ」
「俺に何か用があるのか?」
「当たり前だ。何も用が無けりゃお前の鷲っ鼻なんざ見たくもないね」
安っぽい挑発。だが、流石にスカールの表情は動かない。
「早く言え」
「判ったよ。お前の首を貰う」
「まぁ、そんな所かと思ったが」
「師匠の仇でね。お前を殺さなきゃどうにも具合が悪い」
十年前に剣の師であるロビンを、スカールに殺された。殺された時、俺は既に独立していて、その知らせは北の雪国で耳にした。
この稼業をやっている以上、死は身近だ。剣を抜く者は、その剣で殺されても仕方がない。しかし、かと言って仇をそのままにしておく法はなく、義理を通すのも剣士の稼業である。
「もう随分と前の話だ」
「だから赦せと?」
「まさか」
「憎しみに時効は無いもんさ」
「だが色褪せる」
「ないね。お前に至っては」
二年、スカールを追った。八年は、自らの練磨に当てた。剣士として働く傍ら、高名な剣士に師事した。今の俺では勝てないと思ったからだ。そして二年前。自信を付けた俺はスカールを追いはじめ、今日やっと呼び出すに至った。それが、奇しくもロビンの命日であるのは因果な事だ。
「それでは避けられそうにはないな。ブールス卿」
本名で呼ばれた。ダヴィ・ブールス。既に棄てた名でもある。
「俺について調べたようだな」
「ああ。私の周りを嗅ぐ目障りな犬は誰だろうと思ってね。それが、かの名門貴族ブールス家のご子息と知った時は驚愕したものだ」
俺は鼻を鳴らした。語りたくもない過去である。
「今をときめくデイヴィッド・ブールス内務卿の異母弟にして、元老ライオネル・ブルース卿の三子。そんなお前が剣士とは。貴族の暮らしに馴染めなかったようだな」
父は外務大臣をも務めたライオネル・ブルース。母はその領地の村の娘。ただの農民だった。
父の名を知らず、私生児として六歳まで村で育ち、何故か父と名乗る領主に引き取られた。
全てが一変した。居城であるブーン城での生活は、万事固苦しいものだった。相手の身分に応じて使い分ける礼儀作法が、一々面倒なのだ。
父や兄は優しかったが、正妻や弟からは陰険な虐待を受けた。特に弟は、何かあるとすぐに俺のせいにした。それで父に打擲されたのは、一度や二度ではない。そして十五の時に、とうとう我慢出来ず、弟を散々殴り付けて城を飛び出していた。
それから数年の乞食放浪を経て、ロビンに弟子入りした。切っ掛けは、乞食との喧嘩だった。十人を相手に大立ち回りをしていた所を、ロビンに救われた。
ロビンがいなければ、力尽き打ち殺されていただろう。命の恩人であり、弟子入りしてからは第二の父。ブルース姓を棄て、オズボーンと名乗ったのも、そう思うからだ。故にスカールを殺し、ロビンの仇を討たねばならない。
「話はそれぐらいにしようぜ」
俺は帽子を取ると、マントの留め金に手を伸ばした。
「うむ」
と、スカールが頷いたその瞬間だった。
俺の一瞬の弛みを見透かしたのか、スカールは蝙蝠のように跳躍し、長剣を抜き打ちに斬りつけてきた。
斬光。避ける。後方に跳び退きながら、両腰の剣を抜き合わせた。
右手に、バレッド。左手には、マレナ。両手を、蟹が鋏を突き上げるように構えた。一方、スカールは下段。
壮絶な斬り合いは、不意に始まった。
スカールの長剣が、鞭のようにしなやかに迫る。それ俺は二本の剣を以て防ぐ。
防禦で精一杯だった。攻撃に転じる暇はなく、長剣の加撃範囲を掻い潜り、懐に飛び込む事が出来ない。
やはり、待つしかない。
「ムッ」
左の二の腕と、右の太股に、熱い衝撃が走る。だが傷は皮一枚。寸前で躱している。
流石は、スカール。師匠〔黒のオズボーン〕を葬った男だ。当代稀に見る剣士の一人。
だが、俺が勝つ。その為に待つと決めた。
「歳には勝てない」
ロビンが言った言葉である。
俺は三十二歳。そう若くないが、五十六歳のスカールに比べれば若い。
そこに勝機を見出だし、身に付けた絶対防禦。
イシスの盾。
迫り来るスカールの攻撃を、躱し、防ぎ、受け流し、弾き返した。
俺は八年、この為だけに打ち込んできた。そして体得したのが、〔イシスの盾〕と名付けた絶対防禦である。
次第に、スカールの表情に焦りの色が見えてきた。
おかしい、と思っているのだろう。それもそのはず。俺は十年、全てをお前の為に費やしたのだ。
俺は、上段からの攻撃を二本で挟むように受け止めると、腹の底から咆哮した。
踏み出す。するとスカールは哀れなほど、無力に体勢を崩した。
「死ね」
マレナを腹に突き上げるとほぼ同時に、バレッドを首筋に叩き込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ブーツでマッチを擦り、デラナ産の葉巻に火を着けた。
汗が全身から吹き出している。安堵感からだろう。力も抜け、バレッドとマレナが妙に重く感じる。
(さて、どうするか……)
甘ったるい煙の中に漂いながら、俺は暫く考えた。
取り敢えず、スカールの骸を警察に引き渡し金を貰う。問題はそこからだ。
十年、この日の為に生きてきた。仇討ちは、ある種の呪縛でもあった。肩の荷はおりたが、これからどう生きればいいのか、漠然とした不安もある。
仇を討つ為に、剣士を続けていた。本懐を遂げた今、この稼業を辞めてもいいが、今更他の生き方が俺に出来るとも思えない。
俺は、足下に転がるスカールの骸を一瞥した。
その死に顔は、妙に穏やかで、清々しい表情を浮かべている。俺は舌打ちをして、その顔に甘ったるい葉巻の煙を吹き掛けた。
<了>
初異世界作品です。
原稿用紙16枚を2時間ほどで一気に書き上げました。
見様見真似というか、書きたいものを書いたという感じです。
世界観の設定は深く考えてませんが、17世紀ぐらいをなんとなくイメージしてますが、生活様式は現代風のものを持ち込みました。兎に角、書きたいものを存分に書きました。
もう少し登場人物を掘って語る事も出来たかな?というのが今後の課題です。
普段は時代小説ばかりで、今後も時代小説を書いていくでしょう。ですが反共……いや反響を鑑みて今後を考えたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。