転生株式会社
猫背気味の背中が一つ、窓際の椅子に腰掛けている。
前かがみの学ラン姿は、体育座りをしているようにも見えた。服も黒ければ髪も黒くて、目元を覆うほど伸びている。遠目からだとダンゴムシみたいだ。
教室には他に誰もいない。みんな部活に忙しくて、授業が終わると我先に飛び出してしまう。だから、たったひとり、放課後の教室でスマートフォンを凝視している彼は、変わり者だと思われてるのかもしれない。
人気者ではない。影のように地味で、私もこんな人がいることに気付かなかった。
いじめられっ子でもない。みんなで除け者にするほど、強い個性もないのだろう。
置物のように、波風立たない日々を送る男の子。
だけど、私はたしかに感じていた。彼がまとう雰囲気は「純朴」なんかじゃない。それは「陰気」であり、その上から「苛立ち」が絡みついている。
関わってもおもしろくもない変わり者。悲しいかな――まさにそういうのが、この業界のカモだ。
革靴をわざとらしく床に叩きつけ、夕焼けの差し込む教室に踏み入る。カツン、カツンと、メトロノームのように足音を刻む。存在主張のマーチを鳴らす。
不思議そうに細められた目がこちらを向く。私はなるたけ自然な笑顔を返す。彼の瞳を数秒見つめると、逃げ場を探すように泳ぎ始めた。
「……ねぇ」
一声かけると、首輪のリードを引っ張られたように視線がこちらへ向く。
「もしかしてそれ、『転生勇者の竜殺し紀行』?」
電流を流し込まれたように、両肩がビクリと動く。ふらついてた両目は、くさびを打ち込まれたように私を見つめている。
「……し、知ってるんですか?」
「うん! 私もよく読むんだ。「小説を始めよう」を!」
「そ、そうなんだ! いやー、いいよね。ずっと読んでるんだよ!」
そこから、彼は堰を切ったようにいろんなことを話し出した。『転生勇者の竜殺し紀行』はどんな小説よりもおもしろいこと。読むのに夢中で一睡もしなかったこと。最近は自分もこういうものを書こうかな、と思っていること。
蜂の巣をつついたように、「小説を始めよう」というインターネット小説投稿サイトと、そこの人気ジャンル「異世界転生もの」の話ばかり出てきて、正直私は面食らった。予備知識がなかったら、ドン引きして一切会話ができなかったくらいに。
ひと通りしゃべると、彼の顔はすっかり満足気になっていた。こちらに気を許していると判断して、私は営業を始めることにした。
「……ねぇ。もし、本当に異世界に転生できるとしたら、どうする?」
「……と、突然どうしたのさ」
「質問だよ。本当に知りたいの」
ぐいっ、と顔を近づけると、生唾を飲み込む音が耳に入った。こういう子は案外、興味のないフリをして、クラスメイトの女子を密かに品定めしていたりするらしい。
「……そうだな。もし、できるとしたら、したい、かな。高校通うのなんて、平凡だしさ。この手と剣一本で、どこまでものし上がっていきたい」
スラスラとそんなことを言えるのも、一種の才能だと思う。聞くだけで肌が粟立つ私には才能はないけど、才能の有無は見極められるようになった。
彼には才能がある。私は、その才能の持ち主を探し出して、商品にする。
肩から提げていた長い布袋を両手に持つ。普通は竹刀を入れておくものだ。おもむろに取り出されてか、彼はちょっとだけ訝しげな顔になる。
紫色の袋の中から、重たげな金属音が鳴る。
「……じゃあさ」
取り出した真紅の鞘から、純銀の刃を引き抜く。
「……私が転生させてあげる、って言ったら?」
転生したいと語った男の子の顔が、みるみる驚きで塗り上げられる。
知らない女の子に話しかけられたと思ったら、竹刀を入れるはずの袋から剣を――まるで異世界の勇者が振るいそうな両刃の西洋剣を取り出してきた。説明するだけでライトノベルのタイトルみたいになる出来事が、目の前で起きたのだから、仕方がないとは思うけど。
「えっ……えっ……どういう……」
「私は知ってるの。こんな剣があって、魔法があって、たくさんのドラゴンが飛び交う世界があることを」
右手に握る剣を、手近にあった机へ軽く振り下ろす。刃は机の角をバターのように切り落とし、そのままの勢いで床に突き刺さった。
「そして私はそこへ案内することができる」
彼はただただ唖然とした顔をしている。いつものことだ。無表情でやり過ごした客は、少なくとも私は知らない。
剣を床から引き抜き、驚きっぱなしの顔に再び近づく。力の抜けた右手に剣の柄を握らせ、私は耳元でささやいた。
「転生、してみませんか」
消え入りそうな小さな声。知り合いはこの声を「妖精のささやき」と呼んだ。今やなくてはならない、私の商売道具だ。
「……したい、です」
呆けた彼の顔がゆっくりとうなずく。だけどささやきは止めない。
「どんな風に転生したいか、聞いてもいい?」
口元を耳に近づけたまま、背中の方へ回りこむ。彼の体は金縛りのようにピタリと止まっている。
「『転生勇者の竜殺し紀行』って、事故死した高校生が、記憶喪失を起こして転生したよね。君も、そういうのがいい……?」
うなずきが二回。だんだんと赤べこのように見えてきて、なんだかかわいらしい。
「うん。じゃあ、そういう感じでいくね」
「……そんなこと、できるの……?」
「もちろん。あなたの望むかたちなら、なんでも」
もちろん限度はある。「今すぐ飛ばしてくれ」と言われたら、「ちょっと人目のつかない場所がいいかな」などと言い逃れするしかない。けれど言い逃れすれば納得してくれる。
ふと、彼が右手に渡してあげた剣を強くにぎりしめていることに気がつく。
強く実感するために。決して夢ではないのだと信じるように。
生後まもない赤ちゃんは、口になにかをくわえていると落ち着く。それは人間の本能であり、成長しても形を変えて存続する。男の子の場合は、それが剣であることが多いーーそう先輩に教えてもらった。
私は、男の子の夢を叶える仕事をしている。もちろん、仕事には相応の報酬が必要だ。
「ひとつだけ、お願いがあるの」
剣を握る右手を、私の左手で握りしめる。運動もしていないのに、彼の背丈は私より頭ひとつ大きい。おかげで私は、未だに呆然としたその顔を、見上げるように見つめることができる。
「異世界には、私が転生してあげるんじゃないの。あくまで私は、転生させることができる人たちと知り合いなだけ。その人たちはタダでは動いてくれないし、働くとあれば法外なお金をふっかけてくる」
普通の精神状態だったら、ここで詐欺だと直感するんだと思う。だけど夢心地な人間には、詐欺と運命の導きの区別なんてつきやしない。
「私は、なるべくたくさんの人に、夢を叶えてもらいたいの。可能な限り私がもつことでーー」
徐々に体を密着させる。あくまでさりげなく。熱が入った勢いに見せかけて。
そこまでおっぱいは大きくないけど、小さくもない。先輩いわく、「おねだり型交渉に最適なサイズ」とのこと。
水商売――最初に抱いたイメージは、ずっとぬぐえないままだ。
「……5万円、で大丈夫かな?」
口を半開きにしたまま、彼はうなずいた。赤べこのように。ただただ規則的に。
*
「……お疲れさまです。笹野です……はい、契約の件で。えぇ、1件、新規です」
マンションのエレベーターに乗り込んですぐに、事務所へ電話をかけた。
「えぇっと、『事故死プラン』で。『記憶喪失オプション』もつけて。即金5万で。はい……はい、男子高校生です。あとで写真送ります。時間ですか? 20時近く、塾帰りのタイミングで……はい……はい、よろしくお願いします。失礼しますー」
転生の契約をとったら、転生実行課へ連絡すればものの数秒で予約が完了する。今ごろデスクでは、手慣れた手つきで管理システムに彼のデータが打ち込まれているだろう。
彼の両親は共働きで、家にはいなかった。「今日にでもやってほしい」とのことだったので、私は遠慮せず彼の家に連れていってもらい、諭吉を5人ちょうだいした。
その後、記憶操作の魔法をかけ、放課後に私と会ってからの記憶を全て消しておいた。残したまま塾に行かれて、変なことをされても困るからだ。
社用のスマートフォンから、画像ギャラリーを開く。「個人識別のため」の一言で撮ったその顔は、ちょっとだけ口角が上がっているように見える。
まだ見ぬ新天地への憧憬。新しい人生への期待。今夜には来る死と転生への好奇心。
ふと、玄関からのぞいた彼の部屋を思い出す。
殺風景。それが第一印象だった。本棚には教科書と参考書と、お堅い作家の小説だけ。知らない女の子に転生を唆されて、その場で即決するような人の部屋には見えなかった。
――おおむねそういうものだ。この手の子は、自分の趣味を親にだって見せたがらない。
彼にとっての本棚は、スマートフォンの小さな画面の中にしかなかったんだろう。
「……高校生活は平凡、か」
特別な事情がない限り、彼は高校1年生で、16歳だろう。
そこまでの人生を平凡と言うのは理解できる。でもだからと言って、リセットしたいとまで思うのだろうか。
詰んでいる気配すらない、どのようにでも進むことができる人生を捨てる。芽生えたばかりの若葉を刈り取るような真似は、少なくとも私には理解できない。
「……そうさせているのが私なんだけも」
彼も私も、まともな人生の歩き方を知らないんだろう。
どちらが悪いかなんて、きっと誰も決められない。
エレベーターのドアが開く。オレンジ色の夕焼けは、だいぶ引いてしまっていた。
実行課へ顔写真を送信し、右上に表示された時刻に目を移す。
17時ちょうど。あと3時間後には、彼はトラックに轢き殺され、生まれ変わる。