夢を食う烏〜第五章〜
今日もまたいつもと変わらぬ朝がやってきた。
変わらぬ朝に幸福を覚えるカラスは多いが、変わらぬ朝に幸福を覚える人間様は少ないと聞いている。
みどりやま公園は、お昼を過ぎると散歩がてらに近所の若奥様たちが集まってくる。産まれたばかりの赤ん坊を連れている人間様もいれば犬や猫を散歩させている人間様もいる。その公園はリストラにあったサラリーマンが会社に行くフリをして時間をつぶす場所ではなく、ゲートボールしかやることのない腰の曲がった老人が、お先真っ暗な孤独をまき散らし占領する場所でもない。
常に新芽のようなキラキラとした輝きを持ち続け、太陽の光が何かを祝福するかのように燦々と照り続ける。そんな公園なのだ。
そんな公園に不釣り合いな連中が屯する。それは我々真っ黒が自慢のカラスたちだ。電柱から人間様を観察し、女子供をねらってエサを貰おうと知恵比べをするのだ。
千代はこの街に来た時、我々の何かに驚いていた。だから私は言ってやったのだ、我々の何がそんなに変なのかと。
すると千代はこう言った。
「何もかもが大きすぎるのよ」
地方のカラスの2倍の大きさはあるらしい事が分かった。エサに困らない都会の烏は、野鳥でありながら人間様との付かず離れずな生活を簡単に習得し、意気揚々と羽を広げ女子供を怖がらせる。ここまで大きくなってしまえば恐怖の対象になるのも無理はないだろう。
羽を広げれば、一メートルはあるだろうか。
我々は、己のサイズについてそれほど深く考えた事はない。自己管理を怠って長時間飛べなくなったカラスを鼻で笑うことはあるが、大きいからと言って特をしたことなどない。むしろ小ぶりなカラスの方が容量もよく、小回りも利く。
私は、人間様に恐怖心を抱かせているということに驚きを隠せなかった。人間様は我々の色に恐怖心を抱き、主の声に恐怖心を抱き、飛び立つ瞬間や降り立つ瞬間の嘴や刃物のような私に恐怖心を抱くと言う。
私は人間様と一線を画して生きていきたいと,昔から実感している。人間様の果てない欲望は数えきれないモンスターを産み出し、それによって我々の生活が成り立たなくなってしまう事もおおいにあるだろうと予想しているからである。
そして、出来ればあのデブカラスのように、珍味として食われる焼きカラスになる運命も裂けて通りたい。
私は主の重さをさほど感じないが、昔より大きく育ったのは確かだ。それを人間様は成長と言う。子どもが徐々に大きくなってゆき、ある時期がくると安定した存在として、でんと構えるようになるが、次第に空をみる事をしなくなり腰が曲がってゆくのである。そうして赤い何かを身につけるようになり、衰えてゆくのだ。
だとすれば我々の成長とは一体何であろう。
子カラスが大人になり、そして大人はさらに身体を進化させてゆく・・・そうだ、進化である。我々カラスは進化しているのだ。
進化しているのは体つきだけではない。身体の進化に伴うように、脳みそのほうも確実に進化している。人間様により近づいている、とでも言ってしまおうか。
カラスは賢い脳みそを自由自在に回転させ、人間様の行動を観察している。人間様の行動の意味を掴み取り、先回りをしてすいすいと世の中を渡っていくのだ。
「あの子・・・危ないかも。」
千代の独り言は私のまわりを一周しただけで、すぐに風に舞って消えた。お母さんに抱っこされた乳児は、キラキラしたオモチャのボールを握って離さない。電線から人間界を観察している一匹のカラスが、先ほどからオモチャのボールをじっと見つめているのだ。
不気味な予感が千代の頬をかすめニタリと笑った。群れの中でも体格のいいカラスがふわりと飛び立つ。お母さんは一瞬の出来事に身を屈め、黒い物体が自分に向かってくる事に焦りと不安を覚えたが、この平和な国の平和な都会の平和で安全な子宮のような公園で、襲われるという危険を察知する事など不可能であった。
カラスは、乳児の持っていたオモチャのボールと乳児の希望までも一緒に奪い去っていった。
その時、公園内に響いた叫び声と私の不協和音が奏でた恐ろしい旋律は、果たして母と子の記憶にどんな色として塗りつぶされていったのだろうか。
傍観者の千代は、動物の心を察知する力を思い出していた。そのフラッシュバックは、記憶の世界に陽の光を当てたように眩しいものだった。そして同時に、肉体の一部と化した動物たちの悲痛な鳴き声が身体の中心でドンドンと響く。
頬を切った乳児の血と、母のカラスを睨む鋭い眼光、そして嘴が決して離そうとはしないキラキラと光るボール。それは太陽に反射し、何倍もの輝きをまき散らしている。倒れるベビーカー、転がる哺乳瓶と飛び散るミルク、キャラクターの毛布、母の夢が詰まった鞄、母子手帳、携帯電話、軽い財布、重い化粧ポーチ、大量の錠剤、デジタルカメラ、コンドーム、未払いの支払明細書、旦那の浮気現場を押さえた写真、愛人の家の住所メモ、「地獄の子守唄」というタイトルのCD、カラコロと音を立てる玩具、乳児の鳴き声、母のヒステリックな叫び声、
全てがバラまかれ世界に公開されている。
乳児の泣き声は止みそうにない。
痛みとか、驚きとか、そんなものに対して泣いているのではない。自分という全存在をかけて必死で守ってきたものが、一瞬のうちに見事に崩れ吹き飛んだのだ。
ありとあらゆる力を総動員しても、母と父の間に流れる濁流を止める事すらおろか、自ら濁流にのまれてしまったのだ。
この泣き声は、似合いの音楽だ。
母の涙も代弁の言葉も、抱かれているはずの乳児がすべて背負っている。どおりで四千グラムと少しの体重が六千にも七千にも感じる訳だ。
母はその時何かを諦めた。ぷつりと切れた絆が母の世界を閉ざしていた。
ゆっくりとした動作でベビーカーを起こし、誰も手を貸そうとはしない公園内の人間関係にうんざりし、周りの視線を振り切るかのように鞄の中身を拾い始める。乳児は泣き止まず、母の後ろ姿も一緒に泣いている。
上で見下ろすカラスたちはせせら笑っている。私は人間様の欲望をまざまざと見つめその凄みにたじろいでいた。
あの母親にとって子どもは、ベビーカーの中の玩具にすぎなかったのだろうか。父と母の絆という糸は、子どもにより証明されていたし子どもにより繋ぎ止められていた。母親の鞄に詰め込まれた玩具や夢と一緒に。
カラスたちは、手にしたボールを空高く投げ合い、人間様の歌を口ずさんでいる。
人間様、人間様、あなたがたはどうしてそんなに泣いているのですか。
人間様、人間様、あなたがたはどうしてそんなに急ぐのですか。
人間様、人間様、あなたがたはどうしてそんなに怒っているのですか。
人間様、人間様、あなたがたはどうしてそんなに焦っているのですか。
人間様、人間様、あなたがたはどうしてそんなに苦しんでいるのですか。
人間様、人間様・・・
人間様は我々を睨み、だが目の奥にある恐怖に気付かないふりをして、明日からまた我々のエサになるゴミを大量に吐き出すのだ。何も変わらない日常を、変わらないと錯覚することで成り立っている日常を、我々の進化に貢献している人間様の日常を、我々は壊すつもりはない。
ただ、人間様の欲望、満たされる事のない欲望を目の当たりにした時、それが我々の一番の御馳走になるということだけは覚えておいて頂きたい。
一晩経って、また公園内に平穏な空気が戻ったら、毛繕いを始めようと思う。
昨日の母親はあれから家に帰り、父親の帰りを待っていただろう。だが父親が帰ってきたのは先ほど、つまり朝であった。
アルコールによって乱れた神経と呂律は、母親の怒りを十分に引き出すことに成功している。母親は一枚の写真を父親に叩き付け、同時に聞こえる子どもの泣き声に挑発された母親のヒステリックな叫び声で、私の主は目を覚ました。
徐々に増えるゴミに、人間様の不要物に、カラスたちは今日もまた肖っている。
今日も一通りまわり、お腹を膨らませて人間様の唄をうたっている。私はというと、主の唄に合わせて黒羽をふるふると振るわせている。丁寧かつ優しく羽を手入れしてくれる、その間がとても心地いい瞬間である。この人間様への唄さえなければ最高なのだが・・・
人間様、人間様、あなたがたはどうしてそんなに私たちを捕まえたがるのですか?
人間様、人間様、でも私たちは絶対に捕まりませんよ〜だ。
本当の事を言うと、私には人間様などどうでもよい。彼らが好んでグレーに塗りたくったビルディングを愛してもいない。主が垂れ流す糞が目立たぬように、このようなビルの色になったのだと、私は人間様の頭の悪さにがっかりしているところだ。そして、いずれ私の主が世界を征服するだろう。そんな夢を毎日みている。
だが主は、そんな夢などみていないようだ。人間様がいなくなってしまうと、まず御馳走がなくなってしまう。それが一番困るらしいのだ。そして、退屈しのぎの遊び相手もいなくなってしまう。主にとっては今この現状が一番心地よく好奇心を刺激してくれる、よい遊び相手であり心地いい環境らしいのだ。
私にはそれが分からない。今朝も、外界と内界の区別がつかない子どもを一匹襲った。子どもは手にハンバーガーを持っていて、そのプルプルした顔にソースをべったりとつけて歩いていたのだ。それをみた主は、私を器用に操り子どもの顔目掛けて飛び立ち、ハンバーガーを丸ごと掴む事に成功した。だが主は、あわよくば子どものホッペタまでも奪い取ろうとしていたようだ。
子どものホッペタには傷が付き、血が滴っていた。それをみた主は生肉の臭いに、ハンバーガーを落としそうになった。噛み付きたがったが、近くにいた人間様が私に向かって石を投げつけたため、私は傷がつくのを恐れ逃げたのだ。
子どもは泣く事しか出来ない能無しだと主は思っている。次は人間様が近くにいない時を狙い、私が血液に濡れようがお構い無しに攻撃するはずだ。
私の頭の中は血液がまとわりついて離れないあの不快感さでいっぱいになっていた。どうもあのベトベトとした感覚はいけない。私が私でなくなるような、私が私を溶かしてしまうような、何か得体の知れぬ力が私を操って絡み付き、しまいには真っ黒の私が何か他の色に染まってしまうのではないかという不安が、まとわりついて離れないのだ。
黒は何色にも染まらない色だが、時には白に、時には赤に染まってしまう事もあるんじゃないだろうか。黒以外の色に染まった時、私はいつもあの白いカラスを思い出す。
彼は生まれた時から真っ白だった。
その色に親カラスも吃驚していたようだ。戸惑いを隠せず、育児放棄しかけた事も何度もあった。
そして彼は仲間外れにされ、とうとうリンチされて死んだ。死んだとき彼は、黒く塗られていたと言う。
彼は生まれた時から白だった、という宿命を背負っていたが何も悪い事をしていない。白だったという罪は彼自身にある訳でもない。親に責任がある訳でもない。
どうして白が生まれるのか、それは人間様のように白と黒と猿のような人間様とがいるように、われわれカラスの世界にも色々な色が生まれて当然なのかも知れない。
だが、人間様の世界のようにはいかない。私が白いカラスを観たのはたった一度きりだ。黒い人間様も白い人間様も沢山いて、そこには差別があまりみられない。
私は、黒という色に誇りを持っている。だから少しでも白い色が混ざるようならば、たちまち抜いてしまうし、白いカラスなど存在していると思いたくもない。
そして我々は、カラス以外の黒も愛する。黒い人間様、人間様の黒い服、黒い猫、黒い車、黒い雲、黒い太陽、黒い心
ここ最近、都会にはカラスが溢れかえっている。生肉の噂を聞きつけてやってきた田舎のスリムなカラス達が、たちまち肥えてゆくのだ。それは、田舎にはない脂が都会には蔓延っているからだろう。すっかり脂に浸かってしまったカラスは、もう田舎へ戻る事など出来はしない。
至る所に確認する事が出来る赤と黄色の単純な色をした看板は、空中にいてもその脂の臭いを嗅ぎ分けることができるくらい自己主張をやめない。そこはカラス達の台所となっている。毎日毎日ひっきりなしに出されるビニイル袋は、カラス達の食欲を十分に満たしてくれている。
不思議なことに、そこのビニイル袋に詰め込まれた脂は、腐ることがないのだ。
「これはイモを油で調理し、塩で味付けをしたものだからすぐに腐ってしまうだろう。早めに食べておいた方が良いぞ。」
長老カラスがこんなことを言っていたが、おっちょこちょいの若カラスがイモを隠して忘れていたと騒いだ時、私と主は若カラスの後を追いイモがどうなっているか確かめたのだ。
すると、葉の裏に隠されたイモは、原形こそ崩れていたものの腐っている様子は全く無かった。それは、ビニイルを破ってから一週間が経っていた朝食時のことであった。
私は人間様の力を見くびっていたようだ。それは次々に出される生ゴミの量をみれば誰でも人間様は低能なのだということがお分かり頂けるだろう。
だがこの瞬間にカラス達は、人間様の魔法には到底我々などが適う訳も無い。そう知らしめたのだ。
私と主は人間様の魔法をこの目でしかと見届けた。腐らない食べ物がこの世にあるとしたらそれは紛れもない大発明だ。主は舞い上がって喜んだ。その魔法はどのようにかけられるのか。
この魔法の秘密を主は知りたがった。来る日も来る日も赤と黄色の看板の前で人間様の行動を観察し続けていた。
そんな主に私は言ってやったのだ。
人間様が仮に素晴らしい魔法使いだとしても、連日吐き出される生ゴミの量は一向に減る事がない。それは何故なのだ?あの魔法を使っても解決出来ない問題なのか。いいやそうではない、人間様にとって、食べ物など何でも良いのだ。食べ物よりも大事な「何か」がきっと存在しているはずだ。その「何か」に突き動かされて魔法をかけ、そして食べ物をゴミとして処分していく羽目になるのだろう。所詮魔法使いも「何か」の存在に魔法にかけられているという事になる。
主はうなだれたまま、巣へと帰ってゆく。
夜、遅く。静まり返る事のない大都会。車の音が絶え間なく続き、それは朝まで行ったり来たりを繰り返している。
そこに漂う気配、獣の気配、ざわざわと蠢く気配。
食うか食われるか、生きるか死ぬか、死の足音がすぐそこまで迫っていることを微塵にも感じない傲岸不遜な人間様とは違い、カラスたちは普段と違う気配に神経を尖らせていた。
みどりやま公園に、何やら不気味な足音が木霊している。
まだ夜も明けぬ暗い闇の中、主は虚ろな眼差しをその足音の方に向けている。仲間のカラス達も目を覚まし、闇に佇んでいる何者かを凝視している。
からだつきからして女の人間様のようだ。見事なまでに闇に溶け込んだ女は、黒いビニイル袋を、人間様が飽きもせず毎日毎日出すゴミ捨て場に棄てた。
イモや油の臭いではない、これは生き物の臭いだと老カラスは言った。
女はビニイル袋を棄てるとすぐにその場から立ち去った。まるで何かに追いかけられているかのようだった。
主は私に動けと命令することもなく、そのまま眠りについた。それは他のカラスもそうだった。明けるまで数時間ある。またひとつ朝食の楽しみが増え、良い夢がみられそうだと主は言った。
再び訪れる闇の静寂、とは似ても似つかない排気ガスのダンスに熱を感じ、たまに浴びるライトに照らされながら我々は思いを馳せている。
その視線は、あの黒いビニイル袋に注がれている。
そして早朝、私はカラス達の興奮により覚醒した。異常な熱気がひしひしと伝わり、昨日の黒いビニイル袋の存在を思い出した。
カラス達はゴミ捨て場に群がり、群れのすきまからちらっと覗いたのは、乳児の顔だった。
目は閉じておらず口も開いたまま、ぷにぷにの肌が青白く光っている。カラス達は一心不乱に乳児へ向かっている。内臓をぐちゃぐちゃに乱し、我先にと肉を引き千切る。
若カラスは天高く興奮の舞いを踊り、空中をぐるぐるまわっている。羽から滴り落ちる血液は、青空に不釣合いな血の雨となって降りそそぐ。
主は私を無理矢理に揺り起こし、乳児の生肉めがけて飛び立った。体格の良い主は、仲間のカラスを簡単に弾き飛ばすと、嘴で血だらけの乳児の肉を器用に剥がしにかかる。軟らかくしかし弾力のある肉は、骨と密接な関係にあり、なかなか思うように剥がれない。主は少しの間悪戦苦闘したが、すぐにコツを掴むことができた。
肉というのは筋に添って剥ぐと、綺麗に剥げるものだという事を仲間のカラスに伝え、それを観た老カラスは、お前は今にカラス一の頭脳の持ち主になるだろうと言った。
老カラスは、若い時に一度だけ食べたことのある生肉に舌鼓を打ち、人間様の見張り役を買って出た。
脂肪がたっぷりとありそうな場所はすぐに食われてしまった。そして、若カラスたちは好奇心の赴くまま、嘴で頭蓋骨を突いている。固い甲羅に覆われているようだ、とチビカラスは大人カラスに混ざり嘆いている。
私はと言うと、先ほどの主のおかげで、血腥い羽を弄んでいる。今すぐにでも水浴びをし、血塗られた羽をサラサラの美しい羽へ戻したい。この自慢の羽が台無しだ。
だが主は私などおかまいなしで、変わり果てた乳児に見惚れている。時間が経てば経つほど、私の羽はカチカチに乾いて固まってしまうことを知っているはずなのに、もう主はそれどころではないのだ。初めて人間様の子どもを殺めたカラスたちの興奮に呑まれ、感動していた。
以前この公園で、醜態を晒した母の子どもだという事に仲間たちは気付いているのだろうか。家族と言う絆を背負い、必死で繋ぎ止めてきたそれも一瞬で崩壊し、しまいにはゴミとして棄てられた。人間様は自分の子どもまでもゴミに出すのか。私にはそれが信じられずにいた。血に塗られた私はそのままに、主は人間様の摩訶不思議な生態にのめり込んでいる。
「割れた!甲羅が割れたぞ!」
甲高い声でそう叫んだチビカラスは、羽をバタつかせて皆にアピールしている。
割れた甲羅の中からはドロッとしたかたまりが地面に流れる。白濁としているその脳はとても濃い味わいで、脂肪も沢山含んでいるようだ。栄養素のかたまりのようなものだろう、と老カラスは横から口を出した。量が少なかったソレは、すぐにカラス達に食われ胃袋に収まってしまった。
そしてチビカラスは、乳児の目玉を嘴に挟み、空高く舞い揚げた。戻ってくる目玉を誰が取れるか、そんな遊びを思いついたらしい。
老カラスはというと、殆ど骨になってしまった乳児を未だにつついている。人間様の子どもとはいえ、どこがどういう仕組みでどういう機能を果たすのか、観察しているのだ。骨だけになった人間様をみて何がそんなに楽しいのか、と主は問いたが、主は私の存在をすっかり忘れ、長生き故の無駄な知識とやらが自慢の老カラスに語りかける。老カラスは私の主の声を空気のように風に流し、血と骨の独特な臭いも風に乗って流れていく。噂を聞きつけてやってきたカラス達が公園内を飛び回り、ここぞとばかりにゴミ捨て場のゴミを散乱させている。もう肉は売り切れだと言っても誰も耳を貸そうとしない。
その騒ぎは人間様を目覚めから覚醒させてしまい、集合住宅のベランダに人間様が集まってきている。
「人間様が起きたぞ!気をつけろ!きっと僕らを捕まえに来る!」
先週、人間様に卵を潰された親カラスが興奮して叫んだ。仲間のカラス達は木の枝にとまり、身を潜め様子を伺っている。
春のこの時期は、卵を産むカラス達でいっぱいなのだ。そして子育てのためとても興奮しやすく不安定で、常に苛立っている。
人間様はしきりに写真を撮り電話をしている。彼らは血だらけの私たちを見て青ざめた顔を青空へ放り投げている。
騒がしい集合住宅は、カラス達の血の雨で鮮やかに染まり、そこへ同じ服装をした人間様がみどりやま公園にぞろぞろと立ち入ってきた。普段みどりやま公園には来ないような人間様である。集合住宅の住人でない事も確かである。
主は、我々を捕まえるならこういう人間様だろうと悟った。普段みどりやま公園にいるふやけた身体の女や子供が、カラスを捕まえられるとは思えなかったからだ。
赤い光が青空に刺さり、何とも言えぬ不気味さを演出している。一定のリズムで動きまわる赤い光を目で追っていた若カラスは、目眩に襲われ、ついに目をあけていられなくなってしまった。
人間様が我々を苦々しく見上げている。我々を指差し、我々の生態系を観察している。
殺したのは我々ではない。我々は、棄てられた死体を頂いただけだ。主はいっぱいになった胃袋を震わせて人間様の動向を伺う。長く生きている事だけが自慢の老カラスが主張する。そんな言葉は人間様に届くはずも無い。
さきほどから同じ服装の人間様が、我々がたいらげた人間様の子供の周りで写真を撮ったりしている。一瞬一瞬を記録しようと必死になって光をバラまいている。そしてその光は我々に向かって放たれる事もある。
ただ不愉快なその光は一瞬で我々のこの姿を捉えるのだが、我々が胃袋におさめた生肉や、脂肪や、そして乳児の記憶、それらは決して光に奪われる事は無い。そう、あの光は目にみえる物だけを記録する事が出来る、とても寂しい代物なのだ。
みどりやま公園には我々の巣が沢山ある。もしこの巣が襲われるような事があれば・・・不安定な親カラス達は今にも人間様を襲おうとしていた。
黄色いテープが張られ、我々の行く手を阻んでいるかのように睨みをきかせている。ここから逃げるか、様子を見守るか、どちらか一つを選べと生き長らえている老カラスは言った。
そして、親カラスと死ねない老カラス、私を血まみれのまま放置している主だけがその場に残り、後のカラス達は行方を眩ましてしまった。
無惨に散らばった人間様の子供は、白い布をかけられ白い車に運ばれ、どこか遠い所へ運ばれていく。人間様の死は、白と決まっているのだろうか?
その光景を眺めている近所の住民たち。その中に紛れ込んだ、あの母親。
彼女は、こうなる事が分かっていたかのように、あえて近所の公園のゴミ捨て場に子どもを棄てた。姿形が分からなくなるまで、我々が食料として食い尽くしてしまうと、初めから想像していたのだろうか。
その証拠に、彼女の鞄の中に哺乳瓶や母子手帳たるものが見当たらない。CDや玩具、そして軽い財布と重い化粧ポーチ、大量の錠剤はそのままに、集合住宅の家の鍵を置き去りにして彼女は歩き出した。子どもの死骸を横目に、彼女は前だけを見ていた。
置き去った過去の蓋を二度と開ける事はないだろう。彼女は、注がれる愛情ばかりに目をくらませ、注ぐ愛情は過去と一緒に置き去ってしまったのだろうから。
どうやら子どもは、二人の間に流れる微々たる愛情を繋ぎ止めていたいだけの道具だったようだ。
その道具が使い物にならないと分かったとき、母親は子どもをゴミと見なし、首を絞めて殺害した。
人間様の「何か」が、私に新たな疑問を投げかけた。赤と黄色の看板の下でせわしく動く人間様の「何か」とはまた違った「何か」であるという事を感じていたのだが、命より大事な「何か」があるという事実に私は悲しみを隠せないのだった。
「何か」に突き動かされた母親は、「何か」を追い求めてこの集合住宅を後にした。
そして主は、数日前に奪ったあのキラキラ光るボールの玩具の事を思い出していた。母親は私をちらと見ただけで、足早に去っていった。
主はようやく子どもの血液がまとわりついて思い通りに動かせない私を思い出した。血液と、元気だった頃の子どもの笑顔を忘れさせるように噴水で水浴びをさせてくれるのだが、こびりついた血液はそうたやすく取れはしない。これから数日の間、この不快な臭いのせいで生肉を食べたことが周りのカラスにバレてしまうだろう。その度に味や食感や捌き方などを説明しなければならない主は少しだけ気が重そうに私に言うのだ。
「なぁ、人間様っていうのは、結構あほだぜ」
「四月十七日午前七時頃、東京都中野区の公園でカラスが血だらけになり騒いでいるとの通報を受け、駆けつけた男性巡査は乳児の死体にカラスが群がっているのを発見。調べによると、産まれて間もない乳児をポリ袋に入れてゴミ収集場に出し、それをカラスが食べたとして、警視庁捜査一課は、死体遺棄容疑で捜査を進めています。繰り返します、四月十七日午前七時頃・・・」
人間様は戸惑っていた。
何故なら、産まれたばかりの子どもを遺棄するという事件があとを断たないもの問題であるが、その死体をカラスが食べるということが、人間様のカラスへの恐怖心を露にしたからだ。
隙あらばカラスは、どんな肉でも食べ尽くしてしまうのだという事を人間様の脳裏に焼き付けた。
カラスは生肉をも食べる、という噂が人間様の間で広まるのに時間はかからなかった。人間様の刺身は身が引き締まって濃厚なのだという憶測も飛び交っている。そして、人間様にもまだまだ不思議な脳味噌の存在。一度食べると病みつきになり、カラスまでもが夢を見始める。
「夢を持ったら、どうなるのでしょうか?」
千代は、日々感じる自然の声に戸惑っていた。ある時はカラスの形相が囚人のように刺々しく見え、ある時は灰色に塗られた6階建てのビルが、灰色に発色した空と混ざりあって世界の終わりを演じていた。不気味な雲と、白く光る月。そしてその周りを興奮した面持ちで飛び去ってゆくネクロフィリア予備軍のカラスたち。
カラスは人間の弱みを握ったのね。嬉しそうにそう呟く黒猫。居ても居なくても気にも止めなかったカラスという存在の鳥は、一晩で人々の心に染みを付けた。それはどうやっても落ちることのない黒い染みだった。
余生を全うしているようには見えない、髪を真っ白に変色させてしまった老婆は、春の陽気に癒されながら膝に乗せた猫を撫でている。
放っておいて頂戴、膝の上で眠る猫は、そうつぶやいた気がした。千代は猫の低い声にゾッと身を屈め、黒猫が猫を愛おしそうに眺めているその目が、本物の母と子の慈愛に満ちた表情に見えた。猫は老婆の膝の上で気持ち良さそうに撫でられている。この世の全てが関係ないと言ったような態度、カラスなんて焼き鳥にしておしまいなさいな、という猫の声。
浮遊感漂う音楽に包まれたこのロバートという喫茶店は、夜になると酔っぱらい達がけたたましい音楽と酒と黒猫を目当てにやってくる。
「ロバートって、黒猫ちゃんの昔の男?」
片目だけ前髪で隠れた金髪の小太りな男は、先が尖った靴を何度も何度もカウンターにぶつけ、貧乏揺すりをしている。
「違うわよ。この子の名前」
それは、片目がないカエルのぬいぐるみの名前だ。
私が以前拝借した二つの「点」は、それが無くなるとカエルの名前が全く違ってくるらしかった。
「それは、ロバートの目が無いのと何か関係があるの?」
千代が眼帯をめくると、白い綿が少し出ていて、ただのおかしな空洞があった。
「関係ないわ。この子はずっと目がないの。」
「そうなんだ、てっきり黒猫ちゃんの男の名前だと思ってた。ただのカエルの名前か。」
金髪の小太りはニヤニヤ笑った。自分が小太りだという現実に目を反らすかのように、小さな洋服を着ている。腰に巻かれた金属のベルトの上には、決して減る事の無い脂肪と夢がだらしなくのっている。皮膚は金属に反応し赤く爛れているし、すきまから黒い毛が私たちの会話を盗み聞きしている。
千代は帰りがけ、看板に濁点を書いた。店内からは儚くて美しい音楽がかすかに聞こえてくる。不思議とロバートが歌っているような、おかしな妄想が止まらない。
二本の足をしっかりと踏ん張り左手にマイクを持って身体を左右揺らしながら、気持ち良さそうにリズムにのっている。スポットライトを浴びた緑色のカエルと音と映像が繋がった瞬間、それは小太りの金髪が放つ下品で馬鹿な笑い声に掻き消されてしまった。
人の気配を感じなくなったみどりやま公園には、いつもの笑い声が聞こえる事も無く、ただしんと静まり返っていた。みどりやま公園の前を通ろうとする者もなく、木々のあおさに佇むことも、風の音に身体をゆらすことも、人間様は拒むのだった。
ベンチにはカラスの糞がこびり付いて存在を主張していた。まるで人間様に座る場所など無いのだと言わんばかりである。
人間様は自然を恐怖だと言い、子ども達には絵や写真や映像の中の自然しか見せなくなった。それは目で見る事はできても、風の匂いや肌をかすめる空気や音の無い音や声、そしてこの手では到底造り出せない美しい色彩までも、子ども達から奪ってしまっている事に、人間様は気付けないのであった。
人間様がみどりやま公園から姿を消したことにより、カラス達は安心して子育てができた。春の穏やかな日々は、ヒナの為に父も母も気を苛立たせ懸命に子育てをする。黒いビニイル袋の中に入れ獣のエサとして提供する事は決してしない。
生肉の味を覚えた若カラス達の飛行(非行)が目立っている。人間様の弱点を握った若カラスは、その目玉目掛けて一直線に飛び立ち真っ黒な嘴で目玉を刺す。すると人間様はうずくまりもがき苦しむ。そこを何十匹ものカラスで攻撃するのだ。
ある者は先の尖ったものを嘴にはさみ、肌を切る。すかさず他の烏が嘴を肌に刺し、肉を抉る。
人間様の電話や手に持っている何かを一瞬のすきに奪い、カラスは国道へと逃げる。だが人間様は飛ぶ事が出来ないので、車に轢かれカラス達の御馳走になる。
そうして何人かの女子どもの甘い肉を頂いたが、絶命させるまでには至っていない。人口密度の多い都会では、人間様にみつかる可能性が高く、すぐに追い払われてしまうからだ。
しばらくすると人間様は、左手に棒を持ちサングラスをかけ始めた。あの黒いサングラスは威圧感があり、たまにやってくる宇宙人そっくりである。
どうにかして生肉を食らいたいカラス達は、ターゲットを人間様から野良猫に変更した。だが野良猫はすばしっこく、カラス達の踏み込めない狭い場所に隠れるのが得意だ。襲われないであろうと高を括っている黒猫を襲ってしまおうとした事は何度もある。しかし黒猫は襲えないのだった。仲間だから、である。
以来生肉を中心にエサを探すようになったカラス達は、脳味噌と呼ばれる部分が一番の御馳走になった。人間様一体から少量しか取れず、また取るには固い甲羅のようなものを壊さねばならない。だが、一度食べてしまうとその味の濃さと濃密さにやられ、羽の操縦もとっさの判断も面白いようにうまくいくのだ。あの味噌はカラスの乾いた脳と萎んだ夢に潤いを与える魔法の食べ物として、カラスたちの御馳走になったのだ。
「絶命させることができればこちらのものなんだが」
老カラスはまだしぶとく生きている。
子どもを襲った時に、二羽のカラスが殺された。重い棒のようなものを振り下ろされ、一羽は足の骨を折った。
街にはカラス撃退の仕掛けが至る所に仕掛けられるようになった。乱雑で美的センスのかけらもない、ただのゴミだ。無論の事、カラスたちにとっては恰好の玩具に成り果てた。
どうやら人間様はゴミを生産することに長けているらしい。
もちろんゴミでカラスなど一匹も捕まえられなかった。捕まえたのは飛んできた洗濯物とカラスの糞だけで、横で散歩中の犬にまで笑われる始末である。それでも人間様はその仕掛けを外そうとはしない。
吐き気をもよおしてしまいそうな、あの何とも言えない感覚とそっくりな仕掛けも存在した。カラスの死骸をベランダに吊るし上げ、まるで血祭りのような形相なのだ。採れたての獲物のような、生々しいその姿からは死臭が全くと言っていい程漂わず、その代わりに隣で今日の風に吹かれている洗濯物は、使い古されて伸び切った下着からいい香りが漂ってくる。上下関係や力関係が主張されて真新しい死骸と、伸び切ってよれよれの下着が隣同士に吊るされ、その違和感にカラスたちはたじろぐのだった。わたしは至近距離でみたこの無臭死体を、すぐにニセモノだと見破っていた。
そして何時の日か、あの作り物のカラスの死体を本物の死体とすり替えている人間様を見たのだ。